浅慮

 “赤狼”グラシャラ・ヴォルフは滑るようにして、敵へ向かって駆け抜ける。

 ある程度近づくと、自らの剣想イデアである友禅を地面に突き刺し、軽業のような身軽さで大きく跳躍する。

 視線の先には、白のロングコートを靡かせる男と女が一人ずつ。

 その二人の頭上を超えて、そのまま向こう側に飛ぶ。


「オルフェウス先輩、お得意のやつで、バンっ、シクヨロです」


「一応やっとくが、多分あれ、誘われてるぞ。《中級術式:炎弾》」


 跳躍の後、ちょうど地面に降り立つタイミングで大きな炎の球がグラシャラに撃ち込まれる。

 この程度なら、問題はない。

 胸元に刻まれた“39”の刻印タトゥーは飾りではない。

 ゆらゆらと揺蕩う炎の渦の切れ目に刃を添わすようにして、音もなき一閃で斬り払う。

 

「男の方はアスタちゃんにあげる、と思ふ」


「準備運動くらいには、なってくれようぞ」


 狙いは視線の誘導。

 “火の騎士”オルフェウス・イゴールがグラシャラに射線を合わせた隙を狙い、アスタが機敏な動きで一気に距離を詰める。


「やべ。術式間に合わねぇ。悪い、クリコ。俺、一旦吹っ飛ばされるわ」


「は? まじオルフェウス先輩、詠唱遅すぎなんですけど。頭よわよわ?」


「俺は体育会系なんだ」


「聖騎士向いてないんですけどウケる」


 銀髪が揺れ、アスタの掌底がオルフェウスを捉える。

 見事な反射神経で、両腕を交差させ受け止めるが、勢いを殺しきることはできず大きく吹き飛ばされる。


「首切り、血抜き、それ即ち喜び、と思ふ」


「意味わかんないけどなんかバリ怖いこと言ってるやん。《中級術式:土壁》、《中級術式:晶槍》」


 喉を鳴らし、グラシャラは走る。

 埃が混じる空気を肺一杯に吸い込み、砂を足の裏で転がす。

 突如目の前にせせり上がる岩の壁。

 一瞬、視界が遮られる。

 それでも、迷わず踏み込む。

 その先に、血と痛みが待ち受けている予感はしていたが、それを意図的に無視する。


加護持ちギフテッドってなんで揃いも揃って猪突猛進系多いんすかね? バリフール。もっと頭使っていきましょ」


 グラシャラが友禅を振り抜くより先に、岩の壁の向こう側から透明なクリスタルで創り出された鋭い槍が飛び出してくる。

 死角からの尖刃。

 間合いはほとんどゼロに等しい。

 致命傷だけは避けようと、超人的な反応でグラシャラは身を捩るが、肩口を大きく切り裂かれる。


「あ、ちな一応、利き手狙いました。ぶっちゃけ堕剣以外には興味ないんで、サレンダーとか積極受付中っす。どすか?」


「無論、死ぬまで」


「うっわダルっ! 消耗戦じゃないすか。無意味山のぽんぽこ大将じゃん」


 迸る血潮。

 水色のアイラインが引かれた青色の瞳が、うんざりしたように暗くなる。

 グラシャラは、冷静に分析を続ける。

 確かに、この金髪にピンク色のメッシュを混ぜた少女は、強い。

 派手な術式行使こそしないが、どれも無駄のない選択ばかり。

 加護持ちに比べて、戦略に長ける者が多い聖騎士の中でも、一層その傾向が強い。


「自分で言うのもなんすけど、うち、けっこう強いっすよ? 脳筋パワープレーじゃ、相手にならんっす」


 右肩から流れる血が、指先に届く。

 握る力が、少し弱くなる。

 まだ幼さを残す相貌を退屈そうに沈ませながら、“地の騎士”クリコ・デュワーヌは一度大きく後ろに飛び退く。


「計算完了。だいたいこんくらいで十分っすね。《中級術式:溺沼》」


 数列の刻まれた円陣が黄色に浮かび上がり、波打つように地面を伝播していく。

 グラシャラが追撃を始める前に、先手を打つ。

 先が見えているボードゲームを手繰るように、クリコは一つ一つ盤面を進めていく。


「だからうち、堕剣には期待してるんすよ。だって、あの人、一度加護剥奪されたんすよね? それなのに、神を殺し、黄金世代とかの他の加護持ちを打ち破り続ける、戦いの修羅。馬鹿じゃそんなことはできない。増え続ける加護レベルに頼り切った、知性もクソもないゴリ押しだけの脳みそ筋肉マンだったら、とっくに死んでる。でしょ?」


 クリコが新しい玩具を待ち侘びる子供の様に笑う。

 自らが立っている地面が、硬度を失い、ズプリとグラシャラの膝まで液状化した土に浸かる。

 狙いは明白。

 回避は捨てる。

 痛みと血に対する、怯えはない。

 怯える必要はないと、彼女は憧れの男からすでに学んでいた。


「退屈なんすよね、あんた程度じゃ。《上級術式:千年水晶》」


 クリコの手元に、ビキビキと音を立てながら透明度の高い一つの丸い鉱石が生み出される。

 上級術式:千年水晶せんねんすいしょう

 その効果は至ってシンプル。

 ほとんど破壊不可といっていいほどの高硬度のクリスタルを、任意の形状で操作するというもの。

 イメージするのは、どこまでも鋭い一振りの槍。

 だが、その槍は、砕けない。


「避けれないし、壊せない。どすか? うちをアゲてくれる知恵、なんかあります?」


 濁った空気を、切り裂く、透明な尖槍。

 真っ直ぐと、グラシャラの心臓を狙い凄まじい速さで伸びていく。

 沼に足を取られ、完全に回避することは叶わない。

 肌感で理解できる、あのクリスタルの一撃を砕くことはできない。



「一つ、君は勘違いをしている、と思ふ」



 避けもしない、壊せもしない。

 なら、受けるしかない。

 問題は、受け方だけ。

 受け止めるのは、痛みだけ。

 死は、捨て置く。


「もしセルべロスくんと知恵比べをしようとしているなら、やめておいた方がいい。彼の思考を理解することは、できない。私たちにできるのは、ただ、受け止めることだけ。浅慮。セルべロスくんに浸かろうとするには君は浅すぎる、と思ふ」


 迫り来る透明な刃に、友禅の剣先をあて、僅かに狙いを逸らす。

 心臓を貫かれたら、死ぬ。

 なら、心臓以外で探せばいい。

 貫かれても、構わない場所を。

 骨と内臓の隙間を縫って、血と痛みだけで済む場所を、彼女は同い年の剣聖から教わっていた。


「へえ。肝は据わってるっすね。やば。それで、死なないんだウケる」


「何度も練習した。もう慣れた、と思ふ」


 右胸が溢れ出る大量の血。

 それを見て、グラシャラは不満そうに口を窄める。

 

「少し、足りない。でも仕方ない、と思ふ」


 足元に広がる沼に、真っ赤な血が滲む。

 その赤さが薄く感じるが、もっと濃い赤を求める場所はここではないと、グラシャラは一旦思考をそこで打ち切る。

 胸を貫いたクリスタルをゆっくりと掴むと、グラシャラは滴る血を自らの指先になぞらせる。



「《赤縄繋足ゲルニカ》」



 ——遠吠えが、聞こえた。

 泥沼に溶け込んだはずの、血が渦を巻きながら一つの箇所に集まっていく。

 その真紅はやがて確かな形を造り出し、グルルと喉を鳴らす。


「わお。結構やんちゃなペットすね」


 クリコが、本能的に冷や汗を一つ垂らす。

 自らが流した血を、従順な獣として従える。

 生み出す獣は、流した血の量によって姿、能力を変える。

 それがグラシャラの固有技能ユニークスキル、“赤縄繋足ゲルニカ”の能力。

 自分より体の大きな真っ赤な狼を作り出したグラシャラは、その赤い獣の上に乗り込む。

 

「バウワウ。噛みつけ、と思ふ」 


 当然のように、泥沼の上を赤い狼は走る。

 異次元の速度。

 風を切り裂き、吠える声が鼓膜を揺らす。


「Woooooooohhhhhhhhhh!!!!!!!」


「いやいや、いくらなんでも速すぎっしょ!」


 千年水晶はまだ発動したまま。

 焦燥にクリコはクリスタルの刃をもう一度突き出すが、赤い狼はそれを身に受けてもまるで気にも留めず牙を突き立てようとする。


「は? 効いてなくなくない?」


「と思ふ」


 止まらない。

 この日初めての焦りに、クリコの思考が鈍る。

 胸を貫かれても止まらない加護持ちと赤い狼。

 どう対策を取るか。

 僅かなその迷いを、飢えた獣たちは待たない。

 

 

「そこまでです。《等級除外術式:失楽園》」



 刹那、その瞬間目の前に真っ暗な亀裂が生じ、その暗闇にクリコは飲み込まれる。

 赤狼の牙と剣が、獲物を見失い、空を掴む。

 気づけば視界が一変し、なぜかクリコは逆さまになって頭から地面に落下していた。


「そげぶっ!?」


「もう時間稼ぎは必要なくなりました」


 顔面に地面がぶつかり、衝撃で脳が揺れる。

 鈍痛が頭に響く。

 気づけば流れていた鼻血を擦れば、知らない間に自分の隣にオルフェウスも顔を生ゴミだらけにしながら仰向けに転がっていた。 


「なんじゃお主、ネビのところに行ったんじゃなかったのか?」


「ヨハネス。どうしてここに戻ってきた、と思ふ」


「事情が変わったのです。あなたがたにも伝言をと頼まれたので」


 “聖女”ヨハネス・モリニー。

 最初に出会った時とは違い、純白のロングコートは煤と黒い土汚れに塗れていて、さらには右胸の辺りに真っ赤な刺し傷を受けている。

 それでも毅然とした態度で、再びその聖騎士協会最高幹部の女は再びグラシャラ達の前に立つ。


「……聖女先輩の胸の傷、ペット持ちの加護持ちと同じところじゃん。どういうこと? 流行りっすか?」


「胸に風穴あけんの流行ってたまるかよ。とにかく嫌な予感だ。ネビの気配がする。あの銀髪の女の子にボコボコに殴られてる方がマシだぜ」


 クリコがグラシャラと交戦している間に、どうやらアスタに攻撃を傷を受けて顔を腫らしてるらしいオルフェウスがブルブルと肩を震わせる。

 赤い狼に跨るグラシャラは、目をキラキラと輝かせ、期待するように顔を綻ばせる。 

 そして全員を見渡すと、前情報少なく、唐突にヨハネスは一方的に宣言する。



「ネビくんが呼んでいます。ここにいる全員を、彼が呼んでいます。申し訳ありませんが、拒否権はありません。全員、付いてきてもらいます。さあ、地獄の底まで、降りますよ」

 


 

 

 

 

 

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