決意



 ずしり、と手に感じる重い感触。

 錆びのような赤い汚れがついた、両刃の剣。

 刃こぼれしているところが幾つかあり、骨董品のような雰囲気が漂っている。


 “紅殻べんがら”。


 本能的にその呼称を理解した自らの剣想イデアをまじまじと眺めながらも、スピアはどこか拍子抜けした気持ちを抱いた。


(え? これが俺の剣想? なんか、しょぼくね?)


 喜びの前に、困惑が勝つ。

 加護持ちギフテッドの証明でもある剣想といえば、発現するだけで力を増す切り札ともいえるべき異能のはず。

 それにも関わらず、重々しいその刃こぼれした剣からは特別な力を感じず、自らの体に想像していたような全能感が溢れることもなかった。


「gokii!」


「ってそんなこと考えてる場合じゃないよな!」


 昆虫型の魔物ダークが、スピアを明確に敵と認めたらしく、威嚇するような声をあげる。

 身体はいまだに重いまま。

 本当は今すぐに踵を返して、逃げ出したい。

 だが、その逡巡を消し去るだけの熱量が、手元の慣れない剣から伝わってきて、スピアは足に力を込める。


「gogokiki!」


「ビビんな俺! 怖くない怖くない怖くない!」


 先に動いたのは、魔物。

 茶色の涎を垂らしながら、細長い前脚を振り翳しながら殺到する。

 身体の震えはそのままで、スピアは柄を握る手に力を込める。


「うおおおおお!」


「gokikikikiki!」


 勢いよく衝突する虫の魔物とスピアの剣想。

 小さな火花を散らし、弾き飛ばされたのは、刃こぼれの目立つ赤く汚れた剣の方だった。


「——痛ってぇぇぇぇっっっ!?!?!?」


 ただ、一度の衝突。

 力任せに思い切り振り抜いた一閃は、容易に弾かれ、逆に叫び声を我慢できないほどの痛みがスピアを襲った。

 涙目で右手を見てみれば、捻挫をしたのか僅かに膨らみができていた。


「gokiki?」


「くそっ……やっぱり俺じゃ、ダメなのか?」


 黒艶の外皮をもつ魔物は、スピアを小馬鹿にするように歯をカチカチと鳴らす。

 剣想を生み出したことで僅かに勢いづいた気持ちが、痺れるような痛みと共に一気に消沈する。


(勝てる気が、しない。剣想を出せたって言っても、俺はまだ加護数レベル1。戦い方も知らないただの餓鬼が、武器だけ持っても意味ないってことか)


 あくまで剣想は、加護持ちとしての最低限の資格というだけ。

 スピアは自らの非力さに、再び全てを諦めそうになる。

 しかし、潤む視界の片隅に、彼にとって友人であり、妹のような存在だったムナの姿が目に入り、俯きかけていた顔を上にあげる。


(せめてムナだけでも)

 

 思考を、切り替える。

 この目の前の魔物を倒さなくてはいけないわけではない。

 少女を、一人生かせばいい。

 目的の再設定。

 それだけで、救われる気がした。

 たとえ自らの命が燃え尽きようとも。


「ムナ! 俺が隙をつくる! だからお前だけでも逃げろ!」


「で、でも——」


「でもじゃない! この剣想は、魔物を殺すためでも、自分を守るためでもない! 誰かを俺の勇気で守るために使いたいんだ!」


 魔物と戦うのは、怖い。

 死ぬのは、もっと怖い。

 それでも、その刃こぼれした赤い剣が手元にある限り、逃げ出すことだけはしないとスピアは誓う。


「こいよゴキブリ野郎! 掃き溜めの街の最底を決めようぜ!」


「gokigoki!」


 自らを鼓舞するように、唾を飛ばす。

 簡単に挑発に乗った虫型の魔物は、飛びかかるようにしてスピアに爪を立てる。

 それをほとんど勘だけで腰を屈め、なんとか回避する。


(怖い痛いきつい疲れた死にそう。加護持ちなんてサイアクだ。こんなものに憧れてたなんて)


 自分の剣想である紅殻は、もう握っているだけで精一杯。

 汗が目に滲み、薄らと頭痛を感じ始める。


「gogogogogkikiki!」


「うがぁ……っ!」


 力任せに、魔物が腕を横なぎに振り抜く。

 なんとか紅殻の腹で受け止めるが、踏ん張りが効かず吹き飛ばされる。

 ゴミ溜まりに背中を叩きつけられ、息が一瞬止まる。


(苦しいしんどい辛い泣きそう。やっぱり憧れなきゃよかった。剣想なんて、ろくなもんじゃない)


 咽せるように咳き込むと、唾液に血が混じっているのがわかる。

 背中にガラクタの破片が突き刺さったのか、出血しているのが感覚的にわかる。

 生臭いすえた匂いが鼻につき、スピアは不快感に顔を歪める。



『もし、俺が加護持ちになれてたら、こんなクソみたいな人生じゃなかったのに』

 


 増すばかりの頭痛の中で、スピアは今は亡き父の言葉を思い出す。

 手元の紅殻に視線を落とす。

 父はいつも悔やんでいた。

 加護持ちにさえなれていれば、全く違う、自分が求めていたような人生を歩めていたと、そういつも口にしていた。


「今なら、わかる。たぶん、それは、違うんだ」


 思い浮かべるのは、赤い錆を自由自在に振り回す、堕剣と呼ばれる男。


 自分はきっと、ああはなれない。


 憧れては、いけない。


 加護持ちになる前から、違う。


 加護持ちになれば、自由になれるわけではない。


 自由を手にするに相応しい人間が、加護持ちになるのだと、スピアは気づく。 


「あの人はいつも、レベリングしろって言ってた。レベリングの意味がよくわからなかったけど、今ならわかる」


 高熱にうなされるように、額が燃えるように痺れ出す。

 それが剣想の副作用だと理解したスピアは、限られた時間を最大限に活用する方法を絞り出す。


「自由に生きること。きっとあの人は、それを“レベリング”って呼んでるんだ」


 レベリングのために、加護持ちになったと、堕剣は語っていた。

 それを自由に生きることだと受け取ったスピアは、彼なりのレベリングを始めることにする。



「俺にだってできるさ、自由に生きることレベリング



 たん、と風のように地面を踏む。

 これまでとは違い、自分の方から。

 スピアはゴミに塗れた道を、力強く、駆け抜けていく。


「goki!」


「スピアにぃっ!」


 警戒に構えをとる黒い魔物。

 悲鳴を上げるムナ。

 そのどちらともが、今のはスピアには気にならない。


 ただ、ただ、自由に、剣想を振るう。


 怖れは、消えない。

 痛みも、まだある。


 それでも、スピアは止まらない。

 今にも手元からすり抜けてしまいそうな紅殻を、零さないように大切に掴む。


「もう俺は、逃げない。逃げる方が、怖いから」


 自由とは、苦難から目を背けて、嫌な場所から逃げ出すことではない。

 欲しいものを掴み取るために、痛みも、恐れも受け入れて、好きな場所へ踏み込むこと。

 振りかぶる、黒腕。

 それでも、赤い錆に侵された少年は、より強く踏み込むだけ。


「g、gokiki!?」


「痛てぇええええええええっっっ!!!!」


 刻まれる傷。

 しかし、あまりのスピアの迫力に押されたのか、魔物の攻撃に僅かに迷いが乗った。

 半端に振り抜かれた爪は、確かにスピアの胴体を切り裂いたが、致命傷とはならない。

 飛び散る自らの血で顔を濡らしながら、腫れ上がった右手で剣想を振るう。



『生きてるって感じがして、気持ちいいだろう?』


「気持ちいいわけあるかああああ!!!」



 唐突に思い出した言葉がやけに気に障って、スピアは激昂しながら紅殻を魔物に叩きつける。


 腕にかかる負担。


 軋む腕。


 頭痛と手の痛みが、心臓を引き絞る。


 怪物が、怒り狂ったように牙を剥き出しにして、ぬるぬるとした体液を垂らす。


(届か、ないか)


 切れ味が悪く、さらに力が足りず、刃こぼれした切先は途中で止まる。


 倒し切れないことを理解し、スピアの瞳に満足気な諦観が滲む。


 至近距離で、怪物と視線が合致し、スピアは疲れたようにそこで表情を緩める。



「悪いな。他人の鍛錬レベリングの邪魔をするのは好まないんだが、今回もまただいぶ急いでいてな」



 だが耳に届く、どこかで聞いたような台詞。


 交錯していた魔物の視線が、ブチリ、と斜めにずれる。


 頭部が斜めに切断された、先ほどまでスピアが命を賭して足止めしようとしていた魔物は、ぐちょぐちょと油っぽい体液をこぼしながらゆっくりと倒れ込む。


「……あんたは一体何者なんだよ、本当に」


「ん? 前も言っただろ。ただの加護持ちギフテッドだよ」


 伏した魔物の背後から姿を見せるのは、スピアに自由を教えた恐怖を知らない男。

 黒い髪に、赤い瞳。

 今にもヒビが入りそうな赤く錆びた片刃の剣。

 口からは血を流し、胸には大きな刺し傷があり、どう見ても重症としか思えない姿にも関わらず、純粋な少年の様な笑みを浮かべている。



「今ならもっといい魔物ブツがある。お前も来いよ。こんな機会は滅多にない。せっかくだ。皆んなで派手にやろう」



 “堕剣”ネビ・セルべロス。


 異様に瞬きの少ないその赤い瞳は、スピアを捉えて離さない。

 

 ネビが意気揚々に親指を立て、勢いよくそれを自らの胸に空いた小さな風穴に突っ込むと、指先についた粘っこい血をチュパチュパと舐めるのを見て、スピアはこの日一番強い気持ちで決意するのだった。



(まじで加護持ち、怖すぎだろ。俺、もう二度と絶対加護持ちには憧れない)



 

 

 

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