教育
優先順位を、変更する。
カチッ、と一度で火のつくライター。
剣帝ロフォカレは口元の煙草から煙を昇らせながら、思考を整理する。
(ネビ君とこの牛の化け物を同時に相手するのは、ほぼ不可能。となると、ネビ君か牛の化け物に絞る必要がある。この状況でネビ君を狙えば、まず確実に牛の化け物も私を狙うだろう。では牛の化け物を狙えばどうか。ネビ君もおそらく狙いは牛の化け物のみ。順番としては牛の化け物、ネビ君の順序。それ以外はあり得ない)
燻った煙を肺に入れ込むと、黒ずんだ灰を唇から落とす。
赤く錆びた剣を持つ、堕剣と呼ばれる男は口元から涎を垂らしながらも、手のひらを宙に向ける。
「一口目は譲ろう、ロフォカレ姉さん」
「ご親切にどうも、ネビ君」
地面を砕くほどの、踏み込み。
爆発的な加速で、ロフォカレは迷いなく
ネビの真横を通り過ぎ、彼女の
「mooo……」
「こいつ、盲目か?」
予想していたよりは、緩慢な反応。
俯いていた頭部を上に向けると、本来ならば眼球があるはずの二つの窪みには底無しの闇が広がるばかり。
瞳が、ない。
「mo」
全力の初手一閃。
攻撃が通らないわけではない。
しかし、
「妙な手応えだな」
ただ、違和感が残る。
焦点こそ合わさないが、視界の隅でネビが宙から降ってくる魔物を袈裟に切り捨てるのを把握しつつ、ロフォカレは警戒を続ける。
そしてすぐに彼女の危機感の正しさは証明される。
「Noooooooooo!!!!!!!!!」
右頬の切り傷が、見開く。
ロフォカレの全身に、鳥肌が立つ。
盲目の牛の
「……ファック。身体が、動かない」
数秒前まで切り傷だった瞳と視線が交錯した瞬間、ロフォカレの身体が硬直する。
「moo」
「が……っ!」
ガードも回避もできずに、完全に無防備な状態で一撃をもらう。
凄まじい衝撃に脳が揺れ、ロフォカレの思考が一瞬止まる。
大きく吹き飛ばされ、地面に溜まっていたゴミの山を蹴散らしながら転がる。
「一口目は譲った。ここから先は、バイキング形式で行こう」
「moo?」
次の瞬間、黒い狂犬が動く。
舌舐めずりを一つ。
巨木の幹のように太い
「濡れろ、【赤錆】」
相変わらず反応の鈍い
浅く突き刺さる錆びた刃。
濁った血が滲み、ネビの足先を濡らす。
「お? お? お? お? おいおい、これ、気持ちいいんじゃない? 気持ちいいんじゃないか? 気持ちいいいよな? 気持ちいいだろうッ! 気持ちいい気がして仕方がないィッ! どう考えてもメチャクチャキモチいいいいいいいいいいイイイイィィィィ!!!!!!」
「Noooooooooo!!!!!!!」
唾を撒き散らしながら、ネビが絶叫する。
それに反抗するように
赤錆を抜き去り、ネビが宙返りしながら飛ぶ。
与えた刺し傷はまたもや開眼し、二つ目の瞳が生まれる。
「なるほどファックだな。そういう仕組みか」
僅かに身体が軋むが、戦闘に支障はない。
足は動く、指先も感じ取れる。
薄ら紫紺が色づいた細長い剣先で地面を撫でながら、
「傷を与えれば与えるほど、その傷が相手の動きを止める魔眼に変化。見るに耐えない奴だ」
「Nooooooo!!!!!!!」
先ほどより力を込めて、一閃。
腹部の真下にいたため、迸る血が白髪まじりの黒髪にかかる。
深く切り裂かれた傷は、瞬く間に巨大な瞳に変わる。
そのまま股下をくぐり抜け、ロフォカレはついでに左足も切り裂いておく。
「さすがロフォカレ姉さん。最適化された動き。惚れ惚れするよ」
「見惚れるなよネビ君。手が止まるぞ」
感じる身を潰さんとする圧力。
振り向くことはせず、ロフォカレは感覚で横に大きく飛び退く。
瞬間、左前足が地面に叩きつけられ、地面が揺れる。
「アハハハッ! ロフォカレ姉さんと一緒にレベリングできるなんて贅沢すぎるだろうがあああああ!!!!!!」
「喜んでるんだか、怒ってるんだか。相変わらず情緒のよくわからない奴だな、ネビ君は」
意識の偏りが起きたタイミングを見逃さない、完璧なターゲットの受け渡し。
剣帝ロフォカレは、笑う。
こうして二人で、
(やはり、君は君だな。ネビ・セルべロス。
久しぶりに口角を緩め、長いこと使っていなかった口輪筋が痺れる。
その痛みは、
「NO」
細やかな安堵を胸の内に抱いたその刹那、空気が澱む。
その舌先には、すでに巨大な瞳が開眼していて、ロフォカレは不意をつかれ目を合わせてしまう。
「……ファック」
「……レベリング?」
目を合わせてしまったのは、ネビも同じ。
赤錆を握ったまま、白い歯を見せて満面の笑みを浮かべた状態で、ネビの動きが静止する。
「かっ——」
唸る黒舌。
大きくしなりながら鞭を打たれたネビの身体がくの時に曲がり、そのまま遥か遠くに吹き飛ばされる。
ゴミの山を超えて、市街地の方まで飛ばされたネビの姿を見失う。
(まずいな。均衡が崩れた)
ロフォカレとネビ。
二人が揃っていて初めて対等以上。
「ワンオペファックか」
「NO」
視線を向けられないため、
顔の真横を通り過ぎた黒い舌。
代わりに前足の一撃を回避叶わず、紫陽花で受け止めることになる。
「重い仕事だ……なっ!」
「mooooo!!!!!!!」
ミシ、と防いだ腕から聞こえる嫌な音。
遅れて伝わる衝撃と痛み。
踏ん張りきれず足が浮き、再びゴミの山に弾き飛ばされる。
「NOOOOO!!!!!!!!!!!」
「ファック」
顔を上げれば、その瞬間、離れた場所から勢いよく伸びてくる
思わず合致する視線と視線。
再び身体が硬直する。
舌打ちすらできないロフォカレは、忌々しげに睨みをきかせるだけ。
「憂うには、もう遅い。《
その時、突如瞬く黄金。
目を眩ませる閃光が、
間一髪、黒黒しい舌の弾丸を回避し、ロフォカレは見覚えのある黄金に目を細める。
「……ネビ君が連れてきた
「……どうも、初めまして。人類次点の
ザクリ、と
胃酸に晒されたのか、半身が大きく爛れた、どう見ても重症を負った少女はそれでもなお傲慢に、気丈に微笑む。
死地においてもなお、笑みを絶やさぬその姿が、ロフォカレが唯一認める加護持ちに重なり、少しだけ肩入れすることを決める。
「《
ほとんど黒に近い紫を帯びた実体のない骸骨が、金色に輝く剣を持つその少女に取り憑く。
“
それは本来は自分自身に使うことの多い、剣帝ロフォカレの
一分間だけ全ての傷を治癒し、ありとあらゆる外傷を受けつけなくなる異能。
この能力を、他人に使うのはこれで二人目だった。
「いいだろう、
「パピーじゃなくて、ナベル・ハウンドです。初対面でいきなり先輩面なんて痛すぎますが、いいですよ。今だけは許しましょう。痛みを忘れるくらいに、空腹なので」
少女——ナベル・ハウンドは、青い瞳に危うい光を孕ませ、獰猛な白い牙を見せて笑う。
剣帝はその隣に並ぶと、衰えなく、むしろ存在感を増すばかりの怪物に冷めた瞳を向ける。
優先順位は、変更したまま。
まずは目の前の、
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