饗宴


 深い深い闇の底で、黄金の刃が煌めく。

 研ぎ澄まされた一閃は、甲殻を持つ魔物ダークを容易く両断する。

 幾つも積み重なられた魔の怪物たちの死骸を、足蹴に雑にどかしながら童顔の少女が退屈そうに首を鳴らした。


「さすがに歯応えがなさすぎますね。これじゃあ鍛錬レベリングになりませんよ。逆に腕が鈍ってしまう」


 “黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンド。

 金髪碧眼の若き天才加護持ちギフテッドは目を細めて上空を見つめるが、 小さな砂粒のような光がかろうじて見えるだけ。

 彼女が待ち続ける赤い輝きは見つからず、僅かに気落ちした。


「……ねーねー、ナベルちゃん。うちらいつまでここで待ちぼうけなの?」


「さあ、わかりません。ネビさんの考えていることをいちいち全て理解しようとしていたら、気が触れてしまうので」


 飽きに眠気を滲ませた表情で、ナベルにとろんとした声をかけるのは第六十一柱“渾神”カイム。

 ナベルと共にこの闇の奥底に辿り着いてから、もう随分と時間が経っている。

 あまりにも暇を持て余したカイムは、魔物の死骸から甲殻を剥がし、器用な手先で石などを使い削ってソファーを作り出したほど。

 でこぼことした硬質な手触りはあまり快適とは言えなかったが、血が染み込んだ地面に寝そべるよりはマシだと思っていた。


「実はもううちらのことなんて忘れて、どっかのオシャンなカッフェでチルってんじゃない?」


「深層都市ジャンクボトムに喫茶店なんてものはありませんよ。それにネビさんにとってのチルタイムは、どちらかというとお茶ではなくて魔物の生き血を啜ることじゃないですか?」


「うっわ。最悪なんだけど。想像しただけで気分悪くなった。全然チルじゃない。超絶ハードコア」


 底無し産声エンドレスホープ

 深層都市ジャンクボトムに辿り着いた後、ナベルとカイムはこの立ち入り禁止区域の巨大な陥没穴の底に向かうことを指示された。

 ネビ曰く、ここで待つことが鍛錬レベリングの準備になるのだという。


「私たちにできるのは、ネビさんの言っていた合図を待つだけです」


「合図、ね。でも不思議だよね。どうして動かないんだろう」


 薄い黄色に色づいた映像を宙に投影し、その中に刻まれた赤いピンをぼんやりと眺める。

 カイムの固有技能である“渾針羅盤グルグルマップ”に表示される剣帝ロフォカレ・フギオの座標は微動だにしない。

 ネビ達より遅れて深層都市に到着した剣帝は、なぜか街の中心部に留まり続け、動く気配を見せなかった。


「剣帝ロフォカレが動いたら、それが合図。その合図と同時に、私はを断ち切る。それだけですよ。それ以上をネビさんが語らないなら、知る必要はないということなんです」


「ネビって結構説明不足なこと多いよね。他人への配慮が足りないと思わない?」


「言わなくても分かる、と思っているんでしょうね。理解できないということが、理解できない。天才とは孤独なものですから」


「あれ天才なの? どっちかっていうと変態じゃない?」


「天才と何やらは紙一重と言いますからね」


「紙一重かなぁ。めちゃめちゃ勢いよくその紙破り捨てまくってる気がするんだけど」


 時々なぜか上から魔物死骸が降ってくること以外は、特別な点のない底無し産声エンドレスホープの最下層で、ナベルはひたすらに合図を待っている。

 合図と同時に、目の前の縄を切る。

 それが今の彼女の唯一役目。


「……だってこの縄、なんなのか気にならない? 普通説明するよね?」


鍛錬レベリング、と言っていたじゃないですか」


「いやいや! それなんの説明にもなってないから!」


 底無しの産声エンドレスホープ

 その奥底にぽつんと置かれているのは、小さな古びた井戸だった。

 井戸には木の蓋がなされていて、太い縄できつく結び閉じられている。

 深層都市の立ち入り禁止区域の最果てに、なぜ用途不明の井戸があるのかは全くわからない。

 不自然なまでに一度止まった剣帝ロフォカレが、再び動きを見せた瞬間にこの縄を切断することが、今のナベルにネビから課された使命だった。


「というかさ、ナベルちゃんはなんでいきなりネビの言いなりになったの?」


「言いなりになっているつもりはありませんよ。私はあくまで私自身のために、ネビさんと同じ道を歩んでいるだけです」


「あんな酷いことされたのに、恨んでないの?」


「酷いこと?」


「ほ、ほら、歓楽都市マリンファンナで……」


「ああ、あの時ですか。確かにあの時は、このクソ犬絶対いつか殺す隣のカイなんとかっていうクソ神もまとめて地獄に落とす、と心底ムカつきました」


「ってええっ!? なんかうちも巻き込まれてないっ!? カイなんとかって絶対うちじゃん!? てかあと一文字くらい言えよ!」


「でも、今では感謝しています。あの時の私は、ただ弱かっただけです。ネビさんに、非はない。加護持ちギフテッドにとっては、強さが全てです。強ければ、それだけで肯定される。私は、負けました。だから、それは、もういい」


 そこまで口にしたところで、ナベルの雰囲気が変わる。

 これまで軽口を叩いていたカイムが、気配に押され息を呑む。

 蒼い目に宿る、冷たい炎。

 その危うい輝きは、どこかあの赤く錆びた刃をもつ堕剣と重なる。



「あの日、私は決めたんです。もう、これ以上は、負けない、と。剣聖ネビ・セルべロス以外には、決して負けない。もし今度、ネビさん以外の存在に敗北したら、その瞬間私は、自分で自分の首を刎ねますよ。わんわん」


 

 可愛らしく両手を丸めるナベルを見ても、カイムは引き攣った苦笑いを浮かべることしかできない。

 顔は可憐な容姿に相応しい柔和な笑顔をしているが、その青い瞳の奥に見える錆びついた光は、直視するにはあまりに鋭すぎた。


「う、うん。わかったわかった。もう何も言うまい。加護持ちも、大変なんだね。うち、神で良かったかも……って、あ」


「どうしました?」


 これ以上、ナベルに対してネビに関する話題を続けてもろくなことにならないと判断したカイムの視線が、ある異変を捉える。

 それは何もない暗闇に投影しっぱなしだった剣帝ロフォカレの赤いピン

 深層都市ジャンクボトムの中心部からこれまでずっと微動だにしなかった赤針が、突如動き始めている。

 進路は南。

 その合図を、言葉で告げる前に、黄金が煌めく。


「ナベルちゃん、合図が——」


「憂いなさい、【黄昏】」


 カイムの言葉を待つことなく、ナベルは自らの剣想イデアを振り抜く。


 想像より簡単に、縄が切り解かれる。


 主人の言いつけを守り、彼女は待ち続けた。


 吠えることもなく、上品に姿勢を崩さず、飢えに涎だけを垂らして。



「私がそう望んでる」



 ——瞬間、底無しの闇が、産声を上げた。

 

 

 


————




「来たか」



 深層都市ジャンクボトムの天蓋に、亀裂が生まれる光景を眺めながら、黒髪赤目の男が薄く笑う。

 堕剣ネビ・セルべロス。

 黒い流星が街に降り注ぐ様を目に焼き付けながら、彼は武者震いに身を一度ぶるりと揺らした。


「ukyakayaya——」


「まずは答え合わせといこう」


 顕現しっぱなしの剣想、赤錆を握り直し、異様に低い前傾姿勢でネビは走り出す。

 猿に似た魔物が笑いながら爪を伸ばす。

 それを肌一枚分で交わすと、錆びた刃を脇に押し当て、力づくで引き裂く。


「——ukyakyayayaya!!!!!!」


「やはり、彼女だな」


 宙に飛び散る猿型の魔物の右腕。

 しかし、怪物は黒く濁った瞳をネビに向けると、止まることなく今度は牙を見せる。

 痛みを感じていないのか、闘争心に衰えは見えず、傷口から血を吹き出しながらも突進してくる。


「洗脳、か。相変わらず器用な奴だな」


 感じられる魔素に、独特な濁りを感じ取る。

 死の恐怖という、根源的な本能を失った魔物の首を刈り取る。

 猿型の魔物の動きが止まる。

 絶命した魔物の瞳から、そこでやっと黒い澱みが抜け落ちていく。

 だが、流星は止まらない。

 様々な魔物が深層都市ジャンクボトムに降り注ぐが、そのどれもが目を黒く濁らせていた。



「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事」



 どこか懐かしさを感じさせる、憂鬱げな歌声が聞こえてくる。

 宙から落ちてきた際に足の骨を折ったらしい、蟷螂のような魔物が足を引きずりながら迫ってきて、それを一閃でネビは屠る。

 もはやそれらは雑音にしか過ぎない。

 今耳を澄ますべきは、哀愁漂うこのメロディ。


「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事」


 物悲しい旋律を携えながら、一人の女が市街地へと続く道の奥から姿を見せる。

 汚れた黒いスーツに、くたびれた革靴。

 フケが目立つ白髪まじりの黒髪。

 健康の悪そうな隈のついた眼窪。


「また会えたな、ネビ君。仕事の続きをしようか」


 “剣帝”ロフォカレ・フギオ。

 緩んだネクタイが、温い風に煽られる。

 垣間見える、鎖骨部分に刻まれた、“52”の刻印タトゥー

 洗練された気配を身に纏い、現人類最強の加護持ちは無機質な眼差しでネビを見つめる。


「……ずっと考えていたんだ。どうすればレベリングになるかを」


 黒い空から湧き出ては落ちてくる魔物たちは、剣帝ロフォカレには目もくれず、ネビに殺到する。

 赤錆が迷わず振り抜かれるたびに、痛みと恐怖を忘れた怪物たちが闇に囚われたまま地面に骸となり転がる。

 

「すでに気づいていると思うが、この魔物ダークどもはネビ君しか狙わない。ネビ君のお仲間の増援も期待しない方がいい。この条件下で、私を相手にするのは、さすがの君でも苦しくはないか?」


 臥るな、紫陽花。

 ロフォカレは、静かに剣想を顕現させる。

 手を抜くつもりはない。

 本音を言えば、ネビと戦うことは、望んでいない。

 しかし、それでも彼女はその刃を、この世界で唯一自らが認めた相手に向ける。

 理由は、たった一つ。

 それが、仕事だからだ。


「俺は、ロフォカレ姉さんには感謝している。ロフォカレ姉さんは、俺に道を教えてくれた。どうすれば、もっとレベリングできるのか。目指す先を、俺はあなたから学んだ」


「……方向音痴か? 私から教わったわりには、私の足跡のない道を歩いているみたいだが」

 

 べろり、とネビが長い舌を垂れ流す。

 そこに刻まれているのは、“33”という刻印タトゥー

 だが、ロフォカレは知っている。

 本来ならば、その加護数レベルは加護持ちの力を計る大きな指標になるはずだが、その男だけは例外だと。

 ネビ・セルべロスのレベルは、目に見えない。

 もっと深い、誰の目も届かない奥底で、剣聖は孤独に一人刃を研ぎ続けている。


「このままじゃ、俺のレベリングにはなっても、ロフォカレ姉さんのレベリングにならない。だから、ずっと考えていた。どうすれば、ロフォカレ姐さんを歓迎レベリングできるのかを」


 遠くから、産声が聞こえた気がした。

 空気が、重くなる。

 剣帝と呼ばれるロフォカレでさえ、ほんの僅かに気圧されるほどのプレッシャー。

 彼女は、小さく舌打ちをする。

 いつだって、その赤い瞳をした男は、彼女の想像を超えてきた。


「本当は俺自身のために取っておいたんだが、ロフォカレ姉さんのためなら、惜しくない。ああ、嬉しいな。ロフォカレ姉さんと一緒に、レベリングができる。こんなに嬉しいことはない」


 ビチャリ、と漆黒の大穴から、真っ黒な毛に覆われた太い前脚が飛び出る。

 巨木のような大きな前脚が、さらにもう一本這い出ると、そこから咽返るような魔素が撒き散らされる。


「……ファック。王族階級ロイヤルズ、のさらに上、か。実在したとはな」


 自然と胸元に手が伸び、煙草を一本取り、口に咥えてしまう。

 これが人生最後の一本かもしれない。

 剣帝と呼ばれるほどの怪物でさえも、無意識に死を覚悟してしまうほどの魔物ダーク



「さあ、ロフォカレ姉さん。あなたへの饗宴レベリングの時間だ」



 魔物には、人の国のように格式が存在する。


 家畜と平民がいれば、兵士がいて、将官が率い、王が統べる。


 そしてそこに現れた黒毛の怪物は、王が信仰する対象。


 

 “基礎の黒水牛カトブレパス”。


 

 底無しの最奥から、神すら干渉できなかった孤高の魔の頂点の一角が、歓迎の意を込めて産声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

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