流星



 小石を拾っては、少し離れたところに置いた空き瓶に投げる。

 からん、と音を立てて壁にあたる黒ずんだ石。

 また、外した。

 手頃な石をもう一度拾おうと、足元を探るが、埃が転がるだけで何も掴み取れない。

 深層都市ジャンクボトムの東部で、スピアは丁寧に包帯の巻かれた足をさすりながら退屈そうに唇と尖らせていた。


「スピアにぃ、きょうもひまそうだね」


「うるせーよ、ムナ。俺は今リョーヨー中なの」


 そんな彼に金髪の少女が舌足らずな声をかける。

 サイズの合っていないぶかぶかオーバーオールを羽織ったまだ十にも届かない年端の彼女の名はムナ。

 スピアと同じ深層都市ジャンクボトム生まれで、彼にとっては街でよく顔を合わせる友人、或いは妹分のような存在だった。

 

「りょーよーってなに?」


「怪我を治してる最中って意味だよ」


「へー、そうなんだ。スピアにぃはものしりだね」


「まあな。俺は文字が読めるからな」


「ムナにもおしえてよ、もじ」


「無理だよ、ムナには。文字って、難しいんだぜ」


「けち。ムナにもできるもん」


「諦めな。人間、できることとできないことがあるんだ」


「スピアにぃのいじわる。ぽんこつ。たまなし」


「お、おい!? 最後の言葉どこで覚えたんだよっ!? 意味わかってんのか!?」


「べぇーっだっ!」


 小さな舌を突き出し、年相応の子供っぽい仕草をしてムナは憤慨する。

 そんな彼女の様子を見ながら、スピアはどこか自嘲するように表情を崩した。


「でもスピアにぃ、さいきんまた、ムナのおうちのちかくにいるね」


「なんだよ。悪いかよ」


「わるくないけど」


「けど、なんだよ」


 子供らしい脈絡のない、唐突な話題変更。

 しかしそこに嫌な予感を覚え、スピアは無意識的にムナから顔を逸らす。


「ぎふてっど、ならなくていいの?」


「……うるせーな。言っただろ。人間にはできることと、できないことがあるんだ。俺は加護持ちギフテッドには、なれない」


「スピアにぃでも、むり?」


「無理だね。あんなの、普通の人間じゃ無理だよ。頭のネジが飛んだ、選ばれた奴しかなれないんだ」


「そーなんだ」


 苦虫を噛み潰したような表情をしながら、塵が積もるばかりの地面を見つめる。

 “堕剣”ネビ・セルべロスの行動を追いかけなくなってから、もう一週間は経っている。

 底無しの産声エンドレスホープで強制的に魔物と戦わせられてから、スピアはネビから逃げるように深層都市ジャンクボトムの南部に近づかなくなった。


(そうさ。俺は、加護持ちにはなれない。ネビみたいになるのは、俺には無理だ)


 自分の想像以上に治りが早く、背中と足の傷はだいぶ癒えてきているが、あの日の痛みはまだ残っている。

 戦っている最中は夢中だったが、いざ時間が経つと死に直面した恐怖が目を瞑るたびにスピアに襲いかかり、鼓動が速くなった。

 脳裏には魔物ダークを惨殺したネビの顔がこびりついていて、思い返すだけで肩が震えた。


(傷の手当だけは、やたら上手かったな。あんだけ強ければ、俺みたいに怪我をすることなんてほとんどなさそうなのに)


 右足に綺麗に巻かれた包帯は、ネビが慣れた手つきで処置したものだ。

 ほつれなく手当されたふくらはぎをさすりながら、スピアはぼんやりと思い返す。


(怪我を放置するのは、初心者にはおすすめしないって言ってたな。なんの初心者なんだろう。ってそんなのどうでもいいか。もう、俺はネビには近づかない。加護持ちには憧れないって決めたんだから)


 それほど長い時間を共に過ごしたわけでもないのに、強烈に刻まれたネビとの記憶を頭から振り払い、スピアは階段から立ち上がる。

 物珍しそうに怪我をした右足を、ムナがつんつんと突くので、それを軽く手で払う。


「スピアにぃ、どこかいくの?」


「決まってんだろ。仕事だよ仕事。いつまでも休んでるわけにはいかねぇからな」


「ぎふてっどになるしごと?」


「違げぇーよ。俺は加護持ちじゃなくて、廃棄物収集者スカベンジャー。生まれてから死ぬまで、ガラクタを拾い続ける人生さ」


「ふーん、あっそ」


「なんだよ」


「べつにぃー」


「けっ。ガキンチョはさっさと家に帰って、ママのオッパイでも吸ってろよ」


「す、すわないもん! もうムナはあかちゃんじゃない!」


 八つ当たり気味にムナを揶揄うと、そんな自分が少し嫌になりながらもスピアは重い足を歩かせ始める。

 ムナとは違い、彼には両親がいない。

 貯蓄や溜めておいた食料もそう多くはない。

 怪我が治りきっていなくとも、歩ける程度に回復したら、再び仕事を続けなければいけなかった。


「じゃあ、本当に俺はもう行くからな——」


 そして、スピアがムナの下から去ろうとした瞬間、彼の“感覚”が何かを捉えた。

 背筋がぞくりとする、本能的な危険な気配。

 肉眼でその異変を捉えるより早く、彼は変わり映えのしない日常にヒビが入っていることに気づく。


 ——そして空が、生まれた。


 深層都市の天蓋に、大きな亀裂が入る。

 昼の時間帯にも関わらず、神工照明の明度が落ち込み、薄らと辺りが暗くなる。


「スピアにぃ、あれ、なに?」


「……ムナ。今すぐ家に帰って、お父さんとお母さんと隠れてろ」


 漆黒の空からは、数えきれないほどの星が流れ落ちている。


 大小様々な流星から、スピアの感覚に強く訴えかけるもの。


 自然と思い返される、赤く錆びた刃。


 彼は、このを知っていた。



「……魔物ダークだ。魔物が、空から降ってきてる」

 

 



————



 

 あまりに窮屈な石壁で挟まれた隘路。

 緩やかな下り坂になった、その険しい細道を進みながら銀髪の少女が一人ジトっとした目で背後を睨みつけていた。


「……おい、グラシャラ。お主、少し近くないか?」


「気のせい。道が狭いから仕方がない、と思ふ」


「狭いと言っても、奥行きはあるのじゃから関係ないと思う——っておいっ!? お主、今、私の臀部を撫でたじゃろっ!?」


「気のせい。道が狭いから仕方がない、と思ふ」


「お主さっきからそれしか言っとらんぞ!」


 ほとんど灯りのない荒れ道を進むのは、腐神アスタと藍色の髪を上品に結んだ加護持ちギフテッドのグラシャラだった。

 頬を赤く染めてアスタは、背後からやたら距離感を詰めるグラシャラに抗議の声をあげるが、全くその意思は届いていないらしい。


「まったく。お主、本当にこの先にネビがいるんじゃろうな?」


「それに関しては嘘はついていない。この先に深層都市ジャンクボトムがある。剣帝ロフォカレをまくために少し遠回りをしたけれど、セルべロスくんはこの先にいる。彼自身がそう言っていたし、私もそう感じる。間違いなく近づいてる、と思ふ」


「なら構わんが」


「構わなくて助かる、と思ふ」


「ってこらっ!? じゃから変なところを触るでないと言っておろうが!」


「構わないと言った、と思ふ」


「どこを切り取っておる!? どう考えても距離感の話ではないじゃろ!」


 ひたすらに距離を詰めてくるグラシャラの押されるような形となり、自然と歩む速度が上がってしまう。

 やっと長い狭隘な道を抜ける頃には、アスタにしては珍しく汗だくになってしまうほどだった。

 拓けた場所は灰埃と秩序なく放棄されたゴミの目立つ丘のようになっていて、下方を見下ろすと端が目視できないほど広大な街が広がっていた。


「なんじゃここは? やたらと汚らしいな」


「着いた。ここが深層都市ジャンクボトム。世界から捨てられたありとあらゆるものがこの街に流れ着く。最果ての街、と思ふ」


「なるほどのう。そう聞くと、ほんの少しだけ親近感が湧く」


「どういう意味?」


「お主は知らなくていい話じゃ」


「いけず、と思ふ」


「……その言葉、使い方あっておるのか?」


 苦笑しながら、アスタは少しだけ思い出す。

 ネビと初めて会った時のことを。

 考えてみれば、あれからそれなりに時間が経った。

 どこにもいけないと思っていたあの場所から、随分と遠くに来た。

 確実に、近づいている。

 あと、少しで、始まりの女神の下に——、



「《特別上級術式:倫敦橋崩落》。やっと来ましたか。想定していたよりは、三日ほど遅かったですが、いいでしょう」



 ——刹那、アスタとグラシャラの足元が光り輝く。

 紫紺の閃光は真円を形どり、その円の中で複雑な文字と数列が光と共に浮かび上がる。

 次いで感じ取れる魔素に似ているようで、僅かに異なるエネルギーの波紋。

 アスタが掌底を構えるの同時に、隣のグラシャラが剣想イデアを取り出すが、全ては手遅れ。


「ちっ。待ち伏せか。小癪な真似を」


「やられた。これほど高度な魔術をこの速度で行使できる人間は、世界でたった一人しかいない、と思ふ」


 気づけば深い紫色の半透明の壁が、アスタとグラシャラを取り囲むように並んでいる。

 上下左右、抜け道はない。


 “魔術”。

 

 それはとある特別な条件を満たした一握りの人間しか行使できないとされる、とある組織に属する者しか扱えない門外不出の秘術。

 試しにアスタはその壁を殴りつけてみるが、まるで手応えがなく、霧に向かって手を伸ばしているのと同じ感覚だった。


「心配は要りません。貴女方に危害を加えるつもりはありません。あくまで私の狙いは、ただ一人ですから」


 抑揚のない、無機質な声。

 半透明の紫紺の反対側に、気づけば一人の女が立っている。

 銀の十字架を首からぶら下げ、特徴的な純白のロングコート姿。

 神経質なほどに微細に編み込まれた金髪と、深い闇を携えた真っ暗な瞳。


「ヨハネス・モリニー。こんなとこで奇遇、と思ふ」


「お久しぶりです、グラシャラ・ヴォルフ。そうですね。運命と言えるほどの偶然ですね」


 あはは、と全くの無表情のまま女は声だけで笑う。

 聖騎士協会ナイトチャーチ最高幹部。

 

 “聖女せいじょ”ヨハネス・モリニー。


 人類最高の魔術師と称される女傑が、左手の薬指に着いた指輪を無表情で撫でながら壁の向こうのアスタとグラシャラを睥睨していた。

 

「セルべロスくんに、会いに来たの?」


「……会いに来た? あはは。面白いことを言う」


 均整の取れた相貌がゆえに、顔の中心に見える傷跡が目立つ。

 聖女ヨハネスは突然、ドン、と自らが創り上げた魔術の壁に顔をにじり寄せると、グラシャラとアスタをギョロりと睨みつける。



「ここで会うことが決まっていた。ただ、それだけです。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと前から、決まっていたんですよ。わかりますか? 理解できますか? できないでしょうね。ええ。理解できるわけがない。貴女如きに、を理解できるはずもない」



 ミシミシ、と魔術の壁が軋む。

 暴発した、狂気。

 沈黙が、数秒続いた後、アスタが仏頂面を浮かべて、ゆっくりと中指を立てる。

 聖女ヨハネスはそれを一瞥すると、そこで、やっと顔を深い紫色の壁から離す。

 そして踵を返し、ガラクタで満ち溢れた深層都市を見下ろす。


「……分断に次ぐ分断。次は混乱。貴女方に興味はありません。部外者はそこで愚かで無知な顔を晒しながら、流れゆく星でも眺めているといい」


 聖女が、手を掲げる。

 すると、空が生まれた。

 夜空の見えない深層の街に、流星が降り注ぐ。



「《等級除外術式:失楽園》」



 天蓋に刻まれた亀裂から、黒い流星が落ちる。


 耳を劈く、悲鳴にも似た、邪悪な叫び声。

 

 聖女の黒い瞳に映るのは、たった一人の加護持ちギフテッドだけ。


 それ以外の全ては、興味の湧かない、無価値なガラクタに過ぎない。

 

 

「流れ落ちる星が燃え尽きても、この私の憎悪の火が消えることはない。さあ、堕ちるところまで、一緒に堕ちましょう、私だけの可愛い可愛いネビ・セルべロス」

 


 


 

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