天敵




「……俺としたことが、少し、はしゃぎすぎたな」


 興奮のあまり一瞬飛んでいた意識が、戻る。

 ネビは頭の上に乗った生ゴミを手で取りながら、ゆっくりと立ち上がる。

 周囲は老朽化が目立つ集合住宅が並んでいる。

 底無しの産声エンドレスホープから離れた市街地の方まで吹き飛ばされてしまったことは、すぐに理解できた。


「だが、あれはやばい。これまで出会った中でも、最上級。アスタと出会った頃に見かけたあの炎の魔物ダーク以来の大物。絶対に逃さない。レベリングするぞ」


 少年のような純粋な笑みを浮かべて、ネビは期待に口角を上げる。

 先ほどの一撃で内蔵を痛めたのか、にやける口端から血が溢れるが気にはならない。

 骨にもヒビが入っているらしく、少し身体を動かすだけでも痺れるような痛みを感じたが、ダメージでぼやけそうになる頭のいい眠気覚ましだと感じた。


「ただ、さすがに一撃が重すぎるな。今の俺じゃあ、あと一発まともに食らったら終わりか。耐久フィジックスはもうレベリングできないな。まあ、いい。他を、上げよう」


 ネビは思考する。

 基礎の黒水牛カトブレパスを一体どうやって攻略レベリングするか。

 実力差は明確。

 真っ向勝負で立ち向かえる相手ではない。

 傷を魔眼に変質させ、視線の合った相手を硬直させる異能。

 敏捷アジリティこそ低いが、あの規格外の筋力ストレングスと合わさることで必死の怪物と化している。


「……ンアッ! たまらないなッ! あいつとのレベリングを想像しただけで、またとびそうだぞ!」


 ゆえに、興奮が止まらない。

 じゅるりと、と涎を自分の手の甲で拭き取り、ネビは一人舌を垂れる。

 死戦の先にしか、彼の求める鍛錬レベリングは存在しない。

 僅かな交戦で、すでに基礎の黒水牛カトブレパスの動きは頭にインプットされた。

 脳内で何度もレベリングをシミュレートする。


 遭遇、レベリング、死亡。

 遭遇、レベリング、レベリング、死亡。

 遭遇、レベリング、レベリング、レベリング、レベリング、レベリング、死亡。


 想定と対応をひたすらに繰り返し、段々と遭遇、レベリング、レベリング、レベリング、レベリング、レベリング、レベリングと死が遠くなっていく。

 あまりの集中に、また涎が垂れ始める。

 

「byubyubyubyu!!!」


「ああ、忘れていた。そういえば、先に、


 しかし、その時ネビの思考が唐突に切り替わる。

 背後から迫ってきていた甲虫に似た魔物ダークを一閃で切り捨てながら、一旦基礎の黒水牛カトブレパスを完全に頭の中から切り離す。

 迷いは、死を招く。

 レベリングにも、順序がある。

 急速に冷えていく思考の中、ネビは一人の女が道の先からゆっくりと近づいてきていることに気づく。



「どれほどこの時を、待ち望んだことか」



 かつ、かつ、と深層都市に響く靴音。

 編み込まれた金髪を揺らしながら、深い黒の瞳でネビを真っ直ぐと見つめる女。

 首からぶら下げた銀の十字架を、薬指に指輪をつけた左手で触れる。

 

「……やはり、お前か。ヨハネス」


「さすがに幼馴染の顔は忘れていませんか。忘れっぽい貴方のことだから、気づかないかもしれないと思っていました」


 “聖女”ヨハネス・モリニー。

 ネビは懐かしい顔に、目を細める。

 今や聖騎士協会の最高幹部となった、古くからの知人を一瞥すると、地面に転がる先ほど襲いかかってきた甲虫型の魔物ダークの死骸に視線を落とす。

 甲羅の部分に刻まれた、複雑な文字の羅列。


 ここまでと、ここから先は、すでに想定シミュレート済み。


 ネビは飢えを押し殺し、立ち位置を僅かに変える。


「いつか貴方と再会する日が来たら、訊こうと思っていた」


「随分と大袈裟だな」


「茶化さないでください。これ以上、わたしを怒らせて、楽しいですか?」


「……」


 全く茶化すつもりはなかったネビは、素直に口を閉じる。

 ヨハネスが怒りを抱いていることに、言葉にされて初めて気づいた。

 ネビはここでやっと、思い出す。


 そういえば、そうだった。


 何十年も前から、変わらない。

 ネビはヨハネスに会うたびに、この感覚を味わう。


(そういえば俺は、ヨハネスに嫌われてたんだったな。理由はわからないが)


 ネビは、聖女ヨハネスが苦手だった。

 それこそギフテッドアカデミーの同期である剣姫タナキアやグラシャラよりも古くからの知り合いだというにも関わらず、どうしてかいつもネビはヨハネスの機嫌を損ねてしまうのだ。


「どうして、約束を破ったのですか?」


「……」


 ヨハネスが、感情を隠した無機質な言葉を紡ぐ。

 ネビはその言葉を受けて、沈黙を続ける。

 唐突に口にされた約束という言葉から、ネビが思い浮かべるものはほとんどない。


(約束……レベリングか? 言われてみれば、確かに宙吊り状態で寝泊まりする練習ができそうな魔物の巣を一緒に探す約束をしたような。いや、それとも大陸東部の砂漠地帯で、水分を取らずに魔物生息域を縦断するレベリング旅行のことか?)


 ネビは頭を悩ませながら、二つほどの記憶を掬い出す。

 ヨハネスはネビが返事するまで、何も言葉を発しないつもりなのか、無言で微塵も瞬きをせずネビを見つめ続けている。


「宙吊りで——」


「違います」


「砂漠地帯で——」


「違います」


 かろうじて捻り出した候補は、一瞬で切り捨てられる。

 ネビはそこでまたもや閉口する。

 もう、試しに口にできる言葉は残っていなかった。


「やはり、覚えてすら、いませんか」


 ヨハネスの、言葉に滲む気配が、また一段階重くなる。

 他人の感情の機微に疎いネビですら、理解できた。

 

(また、怒らせたな、これは)


 眉間に皺を寄せるヨハネスを見つめながら、ネビはどこか懐かしい気持ちを抱く。

 じゃり、じゃり、と地面に吹き溜まったゴミを踏み鳴らす音が聞こえてくる。

 聖女の背後から、数え切れないほどの魔物が迫ってくるのが見える。


(相変わらず、不思議な奴だ。俺のことを嫌っているのに、いつも、こいつは俺に優しい)


 確かにネビにとってヨハネスは何を考えているのかわからない苦手な相手だったが、それでも彼にとって嫌いな相手ではなかった。


「ほら、貴方の大好きな魔物たちですよ。わたしからの冥土の土産です」


「ああ、ありがとう。変わらないな。お前はいつも、俺に優しい」


「……っ! 貴方はいつもそうやって……!」


 なぜなら、いつもヨハネスはネビの鍛錬レベリングに付き合ってくれるから。

 幼い頃、孤児院で過ごした彼に近づく同年代の子供はほとんどいなかった。

 常に剣想を顕現させ、隙あらば魔物が出没しそうな危険地帯へと向かう彼は、いつも一人だった。

 そんな幼少期のネビに、唯一声をかけたのがヨハネス・モリニーという少女だったのだ。



『またひとりなのですか?』


『ああ、そうだよ』


『ひとりじゃなきゃ、だめなのですか?』


『……それはたしかに、まだ、ためしてないな』


『じゃあ、わたしがいっしょにいても、いいですか?』


『いいけど、きみも、すきなの?』


『え!?』


『おれは、すきだよ。ほかには、なにもいらない。なら、いっしょにいてよ。きみもすきなんでしょ?』


『わ、わたしは、まだすきとか、そこまでは……』


『だいじょうぶ。すぐにすきになる。すきになるにきまってる』


『す、すごい、じしんですね』


『ああ、そうだよ。だって、ほんとうにおれ、すきだから』



 昔から、レベリングが好きだった。

 他には、何も要らないと思っていた。

 加護数レベルという概念を知らない頃から、ネビはレベリングに没頭していた。

 それはあくまで他人とは共有できない、孤独な自分だけの幸せだと思っていた。

 しかし、そんな彼に初めて、誰かと共に鍛錬レベリングをするという発想を与えたのがヨハネスだったのだ。


「レベリングは、一人でやる方が効率的とは限らない」


「……もういいです。話が通じないのは最初からわかっていました。貴方が約束を思い出さないなら、そのままでいい。もうとっくの昔に、見切りはつけている」


 聖女が左手を掲げる。


 魔素が渦巻き、ヨハネスを中心に脈動する。


 同時に、彼女の背後に控える魔物達の身体に刻まれた紋様が光を帯びた。



「さようなら、ネビ・セルべロス。今度は、わたしが貴方を忘れる番です……《上級術式:火転魂葬》」



 ——刹那、ネビの足元に転がっていた甲虫型の魔物の死骸が凄まじい勢いで爆発した。

 


 

 


 

 

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