深層
ヒメモリバトの
ここは見通しが良い。
自分たちを強襲してきた“剣帝”が現れれば、すぐに察知できるはずだ。
「この辺りで一度仮眠を取ろう、と思ふ」
「そうじゃな。お主もそれなりに傷は負っておるはずじゃ。しばし体を休めるといい。寝ずの番は私がつこう」
「アスタちゃんは見た目によらずタフ、と思ふ」
「当然じゃ。この程度で音を上げておったら、第七十三柱の神の名が廃る」
今はネビやカイムとは別行動で、アスタとの二人でグラシャラは動いている。
ほとんど十代前半の少女にしか見えない外見とは裏腹に、アスタの身体的能力、精神力共にかなり素養が高いらしい。
グラシャラはまじまじと改めて、アスタを思わず見つめてしまう。
「本当にアスタちゃん何者、と思ふ」
「言っておろう。第七十三柱、腐神アスタじゃ」
同じ問いかけ、答えは変わらない。
近くの岩陰に腰を下ろしながら、グラシャラはアスタの正体について考察する。
(神、というのは本当かもしれない。
冬の夜風が、剣帝に殴打された傷に染みる。
暖を取ろうと、乾草と枯れ枝を集め、積み上げる。
そんなグラシャラの様子を、大きな岩の上で胡座をかくアスタが聡明そうな銀色の瞳で見やっていた。
「お主、グラシャラ、と言ったな」
「親しみを込めてグラぴーとかでもいい、と思ふ」
「……グラシャラ。私やネビを襲ってきた、あの女のことは知っておるのか?」
「剣帝のこと? もちろん知ってる。
「あまり認めたくはないが、今の私では、勝てぬかもしれん。あんな人間がいるとは思わなかった。あの女ほど強い人間は、あとどれくらいいる?」
「それなら心配は要らない。あの人は、セルべロスくんを除けば、人類最強。確実に勝てる相手は、誰一人としていない。勝てる可能性が僅かでもあるのは、同じ“神下六剣”だけ、と思ふ」
「神下六剣、か。どこかでその呼称を聞いたな。たしか、ネビもかつてその神下六剣とやらに数えられていたのじゃろう?」
「そう。セルべロスくんも神下六剣の一人。神に特別扱いを命じられた、国家と同等扱いの一個人。人類側でも特筆した力を持つ六人の
神下六剣。
グラシャラもまた、
「神下六剣だけは、次元が違う。
“
“
“
“
“
“
神下六剣に数えられる超越者である六人の中には、グラシャラにとって同期でもある剣聖ネビと剣姫タナキア、さらには年下である剣仙フルーも含まれているが、彼女にとっては埋め切れない差のある相手として認識している。
それは単純な
もっと具体的な、明らかな力の質の違いがあるのだった。
「神下六剣とやらは、何がそれほどまでに特別なのじゃ?」
「彼らは、私たち他の
「剣想の深層? なんじゃそれは?」
「詳しいことは、私も知らない。ただ、それは神すら特別視するほどの、絶大な力を秘めている。その力を手に入れるためには、剣想の否定から始める必要がある、と聞いているけど、それ以上はわからない」
それは始まりの加護を核として、自らの思想や哲学を剣の形に顕現させた
その剣想の否定から始まるとされる、神々すら計り知れない力の奥底の本質。
アスタには一体、あの赤く錆びた剣想の深層に何が隠されているのか、まるで想像がつかなかった。
「剣仙フルーなんかは
「つまりあの剣帝とかいう女も、ネビもまだ、あれで底をまるで見せていないということか」
乾草に火の種が付いたようで、グラシャラが身体を屈めて息を吹きかける。
何度か繰り返す、息継ぎ。
やがて火の粉が、枯れ枝に燃え移る。
火が炎に代わり、凍える夜を赤く照らし出す。
「……でも、そんな神下六剣の中で、最強と呼ばれたのが、剣聖。つまり、セルべロスくん。確かに神下六剣は規格外。だけどその中でも、さらに飛び抜けた存在だったのが、“剣聖”ネビ・セルべロス。それは、一度加護を剥奪されたくらいじゃ、変わらない、と思ふ」
「ずいぶん、ネビを評価しているのじゃな」
「私が? それは、違う。きっと私ですら、セルべロスくんの全てを計り知れてはいない、と思ふ」
ばち、ばち、と焚き火が燃え盛り、枯れた細枝たちが軋む音が響く。
勢いを増していく朱色の光を、うっとりとした眼差しで見つめるグラシャラは、僅かに頬を紅潮させながら口角を緩める。
「神下六剣は魔物も神々すらも恐れない、と言われている。でも、それは厳密に言えば、違う。その言葉が当てはまるのは、剣聖ネビ・セルべロスだけ」
冷たい突風が、びゅうという音を立て通り抜ける。
アスタの銀髪が揺れ、砂埃に彼女は目を細める。
しかし、一度勢いのついた赤い炎が消えることはなく、闇夜でも煌々と輝き続ける。
「剣聖以外の神下六剣には、たった一つだけ恐れるものがある」
どんな
それが何か、アスタには理解できる。
なぜならそれは、彼女にとっても、同じだから。
あの赤く錆びた狂気が、自らに向けられた時に、正気を保っていられる自信は、第七十三柱の神ですら今や持てていない。
「剣聖ネビ・セルべロス。彼こそが神下六剣が、唯一恐れるもの。あなたが拾った赤く錆びた剣は、この世で最も切れ味が鋭い、と思ふ」
————
淀んだ空気は、どこか湿っぽい。
宗教都市アトランティカの一角に鎮座する、
かつては孤児院として経営されていた建物を改修して造られた古館の地下室で、一人の男が心底嫌そうな顔をしながら壁の一面を眺めていた。
「あぁ〜、仕事サボりてぇ〜。堕剣討伐とか勘弁してくれよ。ネビを殺すとか無理に決まってんだろ。ほっときゃ基本害なんてないんだから、とにかく関わらないようにすればいいのによぉ。かぁ〜、きちぃなぁ」
男は落ち着かないようにオールバックの金髪を掻きむしりながら、胸元の十字架のネックレスを指で弾く。
男の名は、“火の騎士”オルフェウス・イゴール。
聖騎士協会でも四人しかいない最高幹部。
聖女ヨハネス・モリニーに次ぐ、次席の内の一名だった。
「あぁ〜、帰りてぇ〜。やる気でねぇ〜。ネビとかまじで関わりたくねぇ〜。なんとかしていい感じにサボる方法ねぇかなぁ」
聖女ヨハネスからの命により、オルフェウスもまた堕剣討伐の任に就いている。
今この場所にいるのも、ヨハネスからの指示によるものだった。
聖女の試算によれば、近いうちに堕剣ネビとの衝突の時が訪れるとのことだった。
「あ! いたいた! オルフェウス先輩! ちーす! おつでーす!」
かつかつかつ、と忙しない音を立ててすらっとした背丈の女がもう一人地下室に降りてくる。
ピンクのメッシュが入った綺麗な巻きの金髪に、色鮮やかなペイントがされた長爪。
水色の派手なアイラインに鼻ピアス。
そんな印象的な外見をした女の名は、クリコ・デュワーヌ。
軽薄な態度とは裏腹に、最年少で聖騎士協会の最高幹部の一人となった、“地の騎士”と呼ばれる天才少女だった。
「ああ、クリコ。お前も呼ばれたのか。若いのに、可哀想に」
「開口一番不吉すぎワロタ。先輩めっちゃローじゃないすか。もっとテンあげでいきましょうよ」
「ローどころかドン底だよ。これからネビと会わなくちゃいけないんだぞ? 最悪だよ」
「でた堕剣。そんなヤバいんすか、そのネビ・セルべロスって人。ゲロ強い感じ?」
「強いとか弱いとか、そういう概念じゃないんだよ、あいつは。お前も一度会えばわかるさ。錆びアレルギーになること間違いなしだ」
「錆びアレルギーは草。ウケんだけど」
「ウケねぇよばか」
けらけらと笑うクリコを見て、オルフェウスは盛大に溜め息を吐く。
これから自らを待ち受ける未来を想像すると、それだけで全身に鳥肌が立った。
「てか、なんで集合場所ここなんすか? なんか臭いんすけど。先輩の加齢臭?」
「違げぇよタコ。地下だからカビ臭いんだよ」
「なるほど。歳には勝てないっすもんね」
「泣くよ? 帰っていい?」
「冗談っすよ。ウケんだけど」
「ウケねぇよばか」
この聖騎士協会東棟に来たのは、聖女ヨハネスの指示。
彼女からの伝言によれば、ここから堕剣ネビへと続く道が伸びているらしい。
「それでこれから何する感じすか?」
「……たしか、この辺に」
呑気に屈伸をするクリコの隣で、オルフェウスは灰色の壁をおずおずと触る。
カチッ、と唐突に鳴る硬質な音。
擦れるような音がしながら、壁の一部が押し扉のようになり、真っ暗な廊下が目の前に現れる。
「まじ? チョーかっこいいんですけど。隠し扉的な? ここって元々孤児院かなんかでしたっけ? なんでこんな仕掛けがあるんすか?」
「さあな。俺が知ったこっちゃない。ただ、ここはヨハネス様とネビが幼少期を過ごした孤児院だからな。わけわからん不気味なギミックがあってもおかしくない」
「それガチ? 聖女先輩と堕剣ネビって幼馴染的なアレってことすか?」
「ああ、そうだよ。知らなかったのか? でも、本人の前でこの話題出すなよ。すげぇ機嫌悪くなるから」
「やば。激エモじゃん。でも聖女先輩って、常に機嫌悪くない? 逆に機嫌良いとこと見たことないんだけど」
「それは言えてる」
隠し扉の向こう側からは、僅かに風が吹き込んでくる。
果ては見えない。
底知れない闇が続くばかりで、見通せるものは何一つない。
「あぁ〜、行きたくねぇ〜。ネビとかまじで会いたくねぇ〜。帰りてぇ〜」
「やっば。ちょっとアガんだけど。オラ、ワクワクっすぞ」
死んだような目で、オルフェウスは眼前の闇から目を逸す。
好奇心に輝く瞳で、クリコは深い闇の向こう側を見つめる。
堕剣を、殺せ。
聖女に導かれるままに、二人の聖騎士は、本人たちの意思関係なく否応が無しに、深い闇の奥底へ降りていく。
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