強襲



 ヒメモリバトの神森しんりん

 連合大国ゴエティアと小国パウリナと北の大国クスコ。

 その三国の国境をなす針葉樹林の森を、アスタは欠伸をしながら闊歩する。


「なーんか、薄暗くて気味悪いところだねー、ここ。変な霧出てるし」


「霧に変も何もないだろ。ただの霧だ」


「えー、なんか不気味じゃん! こう今にもワアって出てきそうな感じしない?」


魔物ダークなら近くにはいないぞ。いれば俺にはわかる」


「もー! 全然共感してくれないからネビとの会話ストレス溜まる! まじなんなんこいつ? そんなんだから友達いないんだよ」


「……友達ならいると言ってるだろ」


 少し前方では、ネビとカイムが相変わらず緊張感のない会話を続けている。

 隆起した太い木の根を踏み越えながら、アスタはそんな呑気な二つの背中を眺めていた。

 すると不意に、横を並んで歩くグラシャラが彼女の方に顔を向ける。


「アスタちゃんはなぜセルべロスくんと共にいる? 何を目的としている?」


「……アスタちゃんではない」


「アリタちゃん?」


「そうではない! ちゃん付けの方を消せという意味じゃ!」


「ちゃん付けの方が可愛いから嫌だ、と思ふ」


加護持ちギフテッドというのは生意気な奴しかおらんのか?」


「優秀な加護持ちは皆、我が強い」


「なるほどな。どうりでネビが強いわけじゃ」


 能面のような無表情をいつも通り顔に貼り付けたグラシャラが、隣りで霧の中を迷いなく進む。

 彼女曰く、このヒメモリバトの神森に第三十九柱“舞神シャズ”がいるという。


「質問に戻る。どうしてセルべロスくんと共に?」


「……前提が逆じゃ。ネビと共に私がいるのではない。ネビが私と共にいるのじゃ」


「アスタちゃんの目的のために、セルべロスくんが協力しているということ?」


「そうじゃ」


「して、その目的は?」


「第一柱“始まりの女神ルーシー”を殺す」


 始まりの女神を殺す。

 その言葉を聞いたグラシャラが、一瞬息を飲む。

 真意を窺うようにアスタを覗き込むが、そこには僅かに憂うような美麗な横顔が見えるだけ。


「……少しだけ寂しそう、と思ふ」


「……言ってる意味がわからんな」


 そこでグラシャラは質問を打ち止めにする。

 これ以上は踏み込めないような、見えない壁を感じたからだ。

 それは暗く、冷たい、強固な壁。

 この小柄な銀髪の少女が何者で、何を抱えているのか、グラシャラはいまだに計りかねていた。


「あ! あれ! シャズ様じゃない!?」


 しばらく霧深い森を進み続けると、少し先を歩くカイムが、唐突に甲高い声を上げる。

 トレードマークの真っ赤な羽根をひらひらと揺らしながら、カイムが手で指差す方向には一人の男が見えた。


「確かに、シャズだな」


「でも何か様子が変、と思ふ」


 狐によく似た相貌に、異様に筋肉の発達した両足。

 その特徴的な姿は、かつてグラシャラが試練を受けた時と全く同じもの。

 しかし、自慢の健脚で背筋よく立っている印象の強い舞神は、今や木の幹の下に力なく座り込んで動かない。


「シャズ、試練を受けに来た」


 アスタたちが近づいても、一切反応示さない舞神シャズに向かって、ネビが迷いなく声をかける。

 すると数秒の間を置いて、緩慢な動きでシャズが反応示す。

 どこか焦点の合っていない目を、虚ろにネビに向けると、耳を澄まさないと聞こえないほど小さな声で囁く。

 

「……ああ、試練? 試練、ね。ああ、試練か」


「そうだ。試練だ。お前の柱の加護が欲しい」


「試練。試練か。ああ、悪い。今、俺、立てないんだ。だから試練はできない。でも柱の加護はあげるよ。わざわざこんな辺鄙なところまで来てくれたお礼だよ。加護持ちギフテッドさん」


 覇気のない声で、座り込んだまま舞神シャズは掌に翠色の光を集める。

 相変わらず視線は宙空を彷徨ったまま、虚ろに前に向けられているだけ。


「え? 舞神シャズ様って、こんな人だっけ? うち会ったことあるんだけど、もっと陽気な感じじゃなかった?」


「そもそも、私たちを認識できていない気がする。喋っている相手がセルべロスくんだということにすら気づいていない、と思ふ」


 ネビに向かって、何の抵抗も示さないまま柱の加護を渡そうとする舞神シャズ。

 その様子は、明らかに異常だった。

 完全な、心神喪失。

 第三十九柱の神は、心を失ってしまっていた。


「そうか。立てないなら仕方がないな。足の使えないシャズ相手じゃ、レベリングにはならない。試練は受けておきたかったが、とりあえず柱の加護は貰っておこう」


「……お主よくこの状況で普通にスルーできるな。何か思うことはないのか?」


「いや、特にないな。俺に試練を与えた後の神々は時々こんな感じになることがある。俺以外の誰かに試練を与えた直後なんだろう。何も珍しいことじゃない」


「え? これ、試練後あるあるなの? そうなのグラシャラちゃん?」


「少なくとも私に試練を与えた神がこうなっているところは見たことがない、と思ふ」

 

「……ンアアッ!」


「ひっ!? な、なにごとっ!? なんでネビ急に叫んでんの!?」


 会話の途中でネビが雄叫びを上げ、カイムが驚きに軽く飛び跳ねる。

 そんなネビの姿を見て、グラシャラは恍惚とした笑みを浮かべた。


「ふぅ、確かに柱の加護は頂いた。次の神の下に向かおう」


「セルべロスくんの、加護数レベルが上がるたびに声が出る癖、変わらない。かっこいい、と思ふ」


「いや、さすがにかっこいいは無理があるじゃろ」


 明らかに異常な様子を見せる舞神シャズだったが、その事にネビは微塵も興味を抱いていないようで、真っ赤な舌に“33”の刻印タトゥーを刻むと第三十九柱の神から視線を外す。


「グラシャラ、次の神はどこだ?」


「ここから向かうなら、第三十七柱“花神かしんキマリス”がいるノープル湖畔か、第三十四柱“墓神ぼしんロレイ”のコンスタンティ墳墓が近い、と思ふ」


「キマリスとロレイか……ロレイの方がすぐに終わってしまうだろうな。先に墓神ロレイのいるコンスタンティ墳墓に向かおう。急ぐぞ」


「なんじゃ? 今回はやけにせっかちじゃな。これまでは散々よくわからない寄り道をしていたのに」


「ここから先は、より一層一つ一つのレベリングが大切になる。残された時間は少ないだろうからな」


「どういう意味じゃ?」


 これまでネビは口を開けば、レベリングだ、という謎の決まった台詞を繰り返し、アスタからすれば奇行にしか思えない行動を繰り返していたため、今回のように真っ直ぐとすぐに次の加護を奪いにいく様は若干の違和感を覚えた。

 そんなネビが残された時間は少ない、と口にしている。

 真意を問おうとアスタは、ネビの赤い瞳を見つめる。

 

「——いや、待て。予定変更だ。次はもう、深層都市ジャンクボトムに向かう。どうやら時間切れらしい」


 しかし、そこでネビが唐突に、グラシャラが提示した場所とは全く異なる街の名を目的地として口に出す。

 次いで背後から感じる、重苦しい気配。

 アスタとグラシャラが、ほとんど同時に素早く振り返る。

 森の奥の闇。

 深い木々の先から、ひしひしと伝わってくる剣呑な影。

 最初に聞こえたそれは、歌のように思えた。



「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事」



 一定のリズムで、湿っぽい空気に乗って聞こえてくる嗄れた声。

 抑揚は抑えられ、低く単調なメロディ。

 ヒメモリバトの神森を満たす霧が、どことなく影を帯び始める。


「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事」


 憂鬱気な歌声は、確実に近づいてくる。

 救いもなく、希望もない、悲観に満ちた音が霧の中に反響する。

 アスタが無意識の内に、拳を握り締める。


「堕ちろ、【赤錆】」


「綾なせ、【友禅】」


 ネビが自らの赤く錆びた剣想イデアを消失させ、ほぼ同時にグラシャラが朱色の美しい波紋が映る剣想を顕現させる。

 大きく密度を増す、二人の加護持ちの存在感。

 だが、どうしてかアスタにはそんな力を解放させたはずの二人が、今だけはやけに頼りなく思えた。



「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事……ヨハネス君の言っていた通り、四人いるな」


 

 ——瞬間、霧に一つ、穴が穿たれる。

 気づけば、眼前に立つ、一人の女。

 白髪混じりの黒髪に、隈の目立つ三白眼。

 くたびれたスーツを着込んだ女が、すでに拳を握り締め振りかぶっている。


「がっ——」


 狙いは、ネビ。

 咄嗟に両腕を前に出すことは間に合ったが、スーツの女に凄まじい勢いで殴り飛ばされ、木々をへし折りながらネビが霧の向こう側へ吹き飛ばされる。


「ネビっ!」


「セルべロスくん!」


 女はネビ以外には目もくれない。

 さらにネビに追撃をしようと踏み込もうとする女に対して、アスタとグラシャラが両脇から渾身の一撃を見舞う。


「仕事をするには、優先順位を決めることが不可欠だ」


 しかし、アスタの痛烈な蹴りを思い切り側頭部に受けても、グラシャラの剣想による一閃を首筋に受けても、女はひるむことすらない。

 完全な、無傷。

 何事もなかったかのように、アスタの足とグラシャラの友禅を素手で掴むと、腕を交差させるようにして、それぞれを反対側へ思い切り放り投げる。

 いとも簡単に吹き飛ばされたアスタとグラシャラは何とか受け身をとると、突然現れた女の一挙手一投足に視線を注ぐ。

 

「……何者じゃこいつは」


「……化け物すぎる、と思ふ」


 予想外の、強襲。

 どこからともなく現れた正体不明の怪物。

 その怪物を前に、一匹の狂犬だけが笑みを浮かべて対峙する。



「久しぶりだな、ロフォカレ姉さん。姉さんからは、魔物の死臭がぷんぷんする。たまらない。相変わらずレベリングの


「久しいな、ネビ君。加護は一度失ったと聞いていたが、だいぶ取り戻してるらしい。相変わらず仕事の早い男だ」



 霧の中から、亡霊のように再び姿を現すネビを見て、女は憂鬱そうに溜め息を吐く。


 “剣帝”ロフォカレ・フギオ。


 神下六剣の一人であり、剣聖ネビという例外イレギュラーが出現するまで、長らく世界最強の加護持ちギフテッドとして名を馳せていた生きる伝説。

 そして剣聖が堕ちた今の世界で、現人類最強と称される正真正銘の怪物。

 彼女は、退屈そうな表情を浮かべながら、それでも確かな殺意を向ける。

 

 

「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事。積もる話もあるが、ネビ君のことは殺させて貰うぞ。悪いが、これも仕事なんだ。気の進まない嫌な仕事だが、仕事なんて、どれもそんなものさ」

 


 


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