悪魔の子



 緩やかな振動で、彼女は目を覚ました。

 やけに重たい瞼。

 暗く狭隘な道はどこか湿っぽく、土と黴の匂いが鼻をつく。


「お、コメット。目、覚めたんだなぁ」


 倦怠感の残る頭に、柔らかな声がかかる。

 のす、のす、と一定のテンポで自らの小柄な体が揺らされるのを感じて彼女——コメット・フランクリンは自らが背負われていることに気づいた。


「ロク、なのか? お前、生きてたのか?」


「んだず。こっちのセリフなんだな」


 相変わらず感情の読めないぼんやりとした表情で、コメットを横目で見るのは彼女の数少ない友人であるロクだった。

 

「ここは? 選別試練はどうなった!?」


「落ち着くんだなあ、コメット。そんな大声をあげると、身体に響くんだなあ」


「うぐっ!」


 ロクの忠言通り、コメットに鈍痛が走る。

 改めて自らの身体を確認してみると、至る所に傷が残っていて、応急処置のようなものこそされていたが、しばらくはまともに動けない程の重症だった。


(この手当は、ロクがしてくれたのか? こいつ、傷の手当なんてできたんだな)


 コメットの記憶では、ほとんど瀕死と言っても過言ではないほど傷を受けたはずだったが、どういうことか一命は取り留めているようだった。

 旅の途中で出会ったロクとはそれなりに長い時間を過ごしているが、器用に他人の傷を治療する技量などなかったように思えて、コメットは不思議に感じた。

 

「おらが思うに、たぶん、選別試練は終わったんじゃねぇがな」


「……これは」


 そして暗い洞窟の中で、コメットは信じられないものを目撃する。

 ロクの背中越しに見える、凄まじい存在感のある生き物。

 鼻腔にこびりつく強烈な血の匂いには、すえたような香りも混じる。


「……riil」


 鎧百足ニーズヘッグ。

 コメットが全力を出し切っても敵わなかった“加護狩り”ヴィンセント・バルサザールを容易く捻り潰した凶悪な魔物ダーク

 その怪物が、身体の半分を失った状態で静かにこちらを見つめていた。


「ほとんど瀕死なんだな。弱っている今のうちに通り過ぎるんだな」


「あの化け物を、ここまで一方的に……そうか。やはり、あの人か。そうだよな。選別の向こう側に行けるのは、あの人みたいな人だけなんだ」


 半身を失ったニーズヘッグは、かろうじて生き延びた命の灯を消さないことに集中しているのか、ロクやコメットに対して自ら襲いかかる気配はない。

 注意深く行動を監視されている感覚こそあるが、静観に徹していた。


(ニーズヘッグの残りの半身がどこにもない。切り裂いただけだったら、どこかに体の残り半分があってもおかしくない。それにも関わらずどこにもないということは……ははっ。今更ながらに恐ろしくなる。この選別試練で最も不思議なことは、あの人に出会ってボクがまだ生きていることだな)


 ニーズヘッグの消えた半身の行方に見当をつけたコメットは、渇いた笑い声を漏らす。

 この世界には、想像を遥かに超える魑魅魍魎が存在する。

 それは神でも、魔物でもなく、人を自称するナニカ。

 そして彼女は、その人智の及ばぬナニカの住む闇に堕ちてしまったのだ。


「……ああ、お腹が空いてきたな。飢えを感じるよ。この程度の痛みじゃ、もう満たされない」


「コメット?」


 そこで、コメットはロクの背中から降りる。

 深い傷の残る体に負荷がかかり、痛みに視界が明滅する。

 しかし、それでよかった。

 その痛み一つ一つが、自らを強くする。

 忘れられない思い出を、より強く刻み込む。

 僅かに残る眠気を、傷口に自ら指を突っ込み、無理やり拭い去る。


「ここから先で生き残れるのは、狂かれた奴だけ。大丈夫、大丈夫。きっとボクが、貴方を救ってみせる。貴方が全てを斬って、殺して、喰い尽くしても、ボクが悪夢レベリングを用意してあげる。ボクがいれば、それで済む。貴方の救いに、なって見せよう」


 夢にうなされるように、コメットはふらふらと一人で歩き出す。

 その目にはもう、ニーズヘッグも、ロクも、何も映っていない。

 他の誰にも見えない、彼女だけに見える赤く錆びた幻影に導かれるように、暗闇の奥へと踏み込んでいく。


「コメット、君はもう、変わってしまったんだな……あー、ワクワク。でも、悪くないね。何にでも変われてしまう僕のこともいつか、変えれなくしてくれるかな。楽しみにしておくよ、堕ちた剣聖」


 そして狭路の中へと消えていくコメットを追うように、ロクも一瞬だけ瞳を青く光らせると、共に底の見えない暗闇へと沈んで消えた。




———




 たった一つの不安を抱えて、第四十三柱の神は眼前に広がる異様な景色を眺めていた。

 空神グシオン。

 選別試練を取り仕切る三柱の神であり、第一選別の担当神として君臨する高名な神。

 罰と称されて壁に磔にされた彼は、それでもやはり自らの判断は間違っていなかったと自分で自分を慰める。



「く、くるなよぉ! ぼくにそれ以上近づくなぁっ! ほ、ほらっ! ぼくの柱の加護はくれてやるって言ってるだろう! だからぼくに近づくんじゃねー!」


「お前の加護はいらない。お前、第十一柱だろ? 今、お前の加護をもらっても意味がない。お前と戦えるくらいまで加護数レベルを上げたら、俺の方から貰いに行く」


「ボォえええええええ!!! お前が、また、ぼくのところに来る……想像しただけでゲロ出ちゃうんだけど? やめろやめろヤメロォッ! お願いだからやめてくれ! ほら! いいからぼくの柱の加護受け取ってくれよぉ!」


「いらない」


「なんでだあああああああ!!!!!」


 

 空神グシオンの下では、第十一柱“鬼神ベレト”が幼子のように泣き喚いていた。

 黒い魔物ダークの死骸の横には全身血まみれの堕剣ネビが立ち、無感情な瞳でベレトを見下している。

 ベレトは掌に鬼神の加護を浮かび上がらせているが、ネビがそれに手を伸ばす気配はない。


(ベレト様はネビ初心者であるな。対話などしてはいけない。柱の加護は無理やり渡すのが一番なのだ)


 時々嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる鬼神を眺めながら、グシオンは何とも憐れな気持ちになる。

 つい少し前まで眼下で繰り広げられていた凄惨としか言いようがない地獄絵図を思い返しながら、あの場に自分がいなくてよかったと心の底から彼は思っていた。


「お前とのレベリング、楽しみだな」


「いやだいやだいやだ! 絶対にぼくはもうお前と関わらないと決めたんだ!」


「なぜだ?」


「怖ぇからに決まってんだろばーか! 頭イカれてんのかテメェは!」


「俺が、怖い? よくわからないな。お前の方が強いんだから、怖くないだろ」


「きゃああああああ!!?!?! だ、だから近づくなって言ってるだろっ!? くそくそくそ! なんかぼくの骨も出せなくなってるし、固有技能も発動できなくなってる! もう嫌だよルーシー様! こんなところに来なければよかった!」


 ネビが首を傾げる程度の些細な動きをしただけで、ベレトは悲鳴をあげて大袈裟に後退りする。

 肩から自らの異能を使い、白骨を取り出そうとするが、骨の先が少し出るとすぐに引っ込んでしまう。

 どうやらそれは自らの意思ではなく、勝手に骨が元に戻るようになってしまったらしい。


「……あーあ、あれは、終わったでござるな。拙者、ああいう現象を何て言うか知ってるでござるよ。完全にPTSDでござる」


「ぴぃーてぃえすでぃー? 何それ?」


「心的外傷後ストレス障害のことでござる。まあ俗に言うトラウマでござるよ。おそらくネビという存在そのものがトラウマになって自分の力を使うのが怖くなってしまったのでござろう」


「へぇ。そうなんだ。かわいそうだね。ネビも弱いもの虐めするのやめたらいいのに」


「弱いものって、一応相手は最序列の神々に限りなく近い第十一柱の鬼神でござるが……というかめちゃくちゃ普通に話しかけてくる貴公もまあまあ怖いでござる」


「えっ!? なんでうちが怖いの!? ただのキュートな第六十一柱の渾神カイムだよ!? 可愛いだけじゃん!」


「だって、ルーシー様を裏切ってネビについたのでござろう?」


「でたー! だから本当違うからね!? ちょー脅されてるから! まじでデマ! うちがあんなイカれポンチの仲間なわけないじゃん!」


「拙者の記憶では謎に袋を頭に被って、暗闇の洞窟を独り言喋りながら歩いていた中々のキワモノだったでござるが……」


 頭に真っ赤な羽根を二本生やし、明るい声ではしゃぐのは渾神カイム。

 一歩間違えれば自らの命も巻き込まれていたような必死の状況下に、ほんの少し前まで追い込まれていたはずにも関わらず、平常時と同じような雰囲気を変えていない。


(さすが裏切りの狂神。肝が据わっている。あれほど凄惨な光景を見た後だというのに、心の乱れが全くない。全身青ざめていて気分の悪そうな地神ガープの方がよっぽど下位の神に見えてしまうな。このような状況に慣れているのか、或いはネビと同様頭のネジが外れているか。とにかく関わるべきではないな)


 空神グシオンは、カイムの様子を観察しながら、絶対に干渉しないことを心に強く決めた。

 平穏や幸福というものは、ネビから最も遠い場所にある。

 彼はそう信じていた。


「まあまあ、ネビ、その辺にしといてやってくれや。あ、これ儂の柱の加護ね。ほら、ベレト様も十分反省してるみたいだし」


「……ウァラクか。お前の試練は受けなくていいのか?」


「ももももももももちろん! 当たり前だろ! 今回の選別試練は、儂の代理でベレト様が受け持ったわけだからな。ネビはもう合格。いやあ! おめでとさん! はい! 選別試練終了!」


 そして音もなくネビの隣に近づいた海神ウァラクが、自らの柱の加護を滑らかな動きでネビに渡す。

 そのあまりの手際の良さに、グシオンは感嘆する。


(さすがウァラク殿だ。上手すぎる。ネビとの接触を最低限に抑えて、ちゃっかり全責任をベレト様に押し付けてる。我も見習わなくては)


 第四十一柱、海神ウァラクの鮮やかな手口に、グシオンは素直に驚いた。

 柱の加護を渡すタイミングといい、計算され尽くした熟練の技だった。


「あ! ウァラク殿! 抜け駆けずるいでござるよ! 拙者の柱の加護も早く受け取って欲しいでござる!」


 そこに第四十二柱、地神ガープが自慢の俊足を見せつけてネビとウァラクの下に駆け寄る。

 全身汗だくで柱の加護を握り締め、ハァハァといいながらネビに差し出す。


「ほら! ほらほらぁ! ネビはこれが欲しいでござるな!? あげるあげるぅ! あげちゃうでござるよぉ!」


「ガープか。お前、結構頑丈だったよな? 試練、しないのか?」


「む、無理無理無理でござるよぉ! ちょっと何言ってるかわからない! 拙者、試練とか、よくわからないでござる! 持病の腰痛が酷くて立つのもやっとでござる! 本当にごめんなさい! 靴でもなんでも舐めるから許して欲しいでござる!」


「腰痛なのに、靴、舐めれるのか? 屈めないだろ」


「いや突っ込むところそこっ!? いいから柱の加護受け取ってくれでござる!」


 そしてガープもまた、勢いで誤魔化してネビに柱の加護を受け取らせることに最終的に成功した。

 ウァラクとは違いエネルギーを多大に消費したようで、加護の譲渡を行なっただけなのに力を使い果たしたように地面に座り込んでしまった。


「……ンゥ。これで、加護数レベル30超え、か。いいね。やっと昔の勘が戻ってきたな」


 ガープから柱の加護を受け取り、そこでネビはぶるっと一度全身を痙攣させ、恍惚とする。

 次いで微笑を浮かべながらベロリと出すのは、真っ赤な長い舌。

 そこに刻まれているのは、“32”、という漆黒の刻印タトゥー

 一度始まりの女神から追放された男が、ついに加護持ちギフテッドの中でも数えられる程度しかいない領域に戻ってきたことの証明だった。


「ん? なんじゃ。なんだかやけに賑わっておるのう」


 すると、グシオンの眼下にまた新たな顔が加わる。

 艶やかな銀髪に、どこか高貴さを感じさせる気配。

 その少女もまたネビやカイムと面識があるようで、その二人と目を合わせると軽く手を振った。


「あー! アスタちゃん! やっと来た! もお! またネビが暴れまくって大変だったんだよ!?」


「そうなのか? 相変わらず我慢のできない男じゃ。暴れるなら、私も混ぜろといつも言っておろう」


「暴れてなんかいないさ。ただ、鍛錬レベリングをしていただけだ」


 堕剣ネビ、狂神カイム、銀髪の少女アスタ。

 その三名が揃い、空神グシオンはずっと抱えていたたった一つの不安が、いよいよ現実のものになりつつあることに気づいた。


「もう、ここには用はない。次のレベリングに行くぞ、アスタ、カイム」


「次は美味しいスイーツが食べたいなー。うち、お腹すいちゃった」


「今回はまあまあ目立てた気がするぞ。うしし。世界が私を何と評するか、今から楽しみでたまらんな」


 堕剣も、狂神も、少女も、全員何を考えているのか、空神グシオンにはわからないし、わかりたくもなかった。

 ただ、彼は確信していた。

 彼らの邪魔をしてはならない。

 もし、この世界を根底から覆してしまう存在がいるのだとしたら、おそらくあの赤く錆びた剣を持った男以外には存在しない。

 時代は、そう遠くない未来に、変わってしまう。

 彼にできるのは、それをできるだけ遠くから、眺めることだけ。


「ウァラク、お前、海の潮の流れを操れたよな? 一つ、頼んでいいか? 行きたい場所がある」


「もちのろんだぜ、ネビ。お前をここから遠くに連れて行くなら、儂は何でもするさ」


「え、うそでしょ? 本当にぼくの加護は受け取らないの? つまり、またいつか、今日みたいな日が来るってこと……うぇぇえええええん! ぐずっ、ぐずっ、もう、ぼくの骨、出なくなっちゃった……」


「ふぅ、やっと、このストレスからおさらばできるでござる……何と心安らかなことか。絶頂モンでござるよ……」


 これまで見たこともない程爽やかな笑顔で、サムズアップを決める海神ウァラク。

 顔をぐちゃぐちゃにして、鼻水と涙を洪水のように垂れ流し泣き喚く鬼神ベレト。

 ほとんど昇天しているかのような穏やかな微笑みを浮かべて、遠くを見つめる地神ガープ。

 彼らの姿を見て、依然と壁に磔にされたままの空神グシオンは、たった一つの不安を確信に変える。


「ああ、待ち遠しいな。早く。早く。行こう。レベリングが俺たちを待っている」


 爛々と赤く血走った瞳を輝かせ、堕剣ネビは舌舐めずりをする。

 赤錆が呼んでいた。

 血を、試練を、鍛錬を、成長を、彼に乞う。

 そのどこまでも純粋な赤い瞳を空から眺め、グシオンは不安を憂う。



(こいつら全員、絶対に我のこと忘れてるよな? 一体いつになったらここから降ろしてもらえるのだろう)

 


 

 

 

 —————




 連合大国ゴエティアの七大都市の一つ、宗教都市アトランティカ。

 その一角に鎮座する厳かな雰囲気を漂わせる白を基調とした建築物。

 聖騎士協会ナイトチャーチ本部棟。

 罪なき人々を犯罪や魔物ダークの脅威から守る、信仰深い守り手たちの総本山の最奥の部屋で、一人の女性が片膝をつき首を垂れていた。

 丁寧に編み込まれた金髪は背中に流され、人形のように均整の取れた顔には額から大きく赤い傷跡が一つ刻まれている。

 夜のように暗い瞳には、静かな怒りが滲み出ていて、全身から他者からの干渉を許さない壁を感じさせる。



「表を上げなさい、敬虔な人の子よ。私と言葉を交わすことを許すわ」


「……はい。その慈悲深さに、感謝いたします、我が女神」



 首からぶら下がった十字架を揺らしながら、彼女——“聖女”ヨハネス・モリニーは顔を上げる。

 聖騎士協会の最高幹部である彼女が忠誠を誓う相手は、この世界でたった一柱しかいない。


「それで? ネビは元気?」


 第一柱、“始まりの女神ルーシー”。

 森羅万象、全ての頂点に立つ神。

 腰まで伸びる美しい金髪と、万物を見通す透き通った青い瞳。

 女神の隣には背の高い山羊髭の男——第五柱“忠神ハーゲンティ”が音もなく立っている。


「……申し訳ありません。わたしどもは、いまだにかの大罪人である“堕剣”を捉えられておりません」


「そう。それは、残念ね」


「……申し訳、ありません」


 悔しさに、ヨハネスは唇を噛む。

 屈辱と羞恥で、強く噛みすぎた唇から血が滲み始める。

 堕剣ネビ・セルべロス。

 その裏切りの加護持ちをいまだに野放しにしていることは、彼女にとって女神に対する冒涜に思えた。


「何か、手はあるの?」


「……はい。各国の王と連携をとり、“剣帝”への召喚状を完成させました。彼女は他の神下六剣とは異なり、規則ルールに忠実です。堕剣討伐の命を出せば、必ずやり遂げることでしょう」


「剣帝ロフォカレ・フギオ、ね。彼女なら、ネビを止められるかしら?」


「彼女は人類最強の加護持ちギフテッドです。それに堕剣が唯一、“勝てない”と認めた相手でもあります」


「そう」


「それに、わたしも堕剣討伐に加わります。剣帝に力こそ劣りますが、わたしは堕剣をよく知っている。わたしほどあの男を知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知って知り尽くした女は他にいないでしょう……わたしを捨てたことを、後悔させるその日まで、この想いが錆びることはない」


 聖女ヨハネスから、突如狂気が溢れ出る。

 漆黒の瞳の奥には燃え盛る憎悪と、それとはまた別の何かの感情が渦巻き、ヘドロのように空気にこびり付く。


「随分と、ご執心なのね」


「……失礼いたしました。個人的な感情をお見せしたことを謝らせてください。ともかく、必ず堕剣はわたしの名にかけて止めて見せます」


「そう。期待しているわ」


「はい。わたしはその期待を裏切りません」


 そこで聖女ヨハネスが言葉を切ると、始まりの女神ルーシーは手を小さく振る。

 その僅かな動作に聡く意図を察したヨハネスは、再度丁重な礼を一つ見せると、純白の外套を翻して部屋を出ていく。

 今にも爆発しそうな熱情を内に秘めた聖女の姿を見送ると、始まりの女神は小さく笑った。


「……ふふっ。罪な男ね、ネビは」


「彼女らに、堕剣を止められますか?」


「さあ? どうかしら。でも、期待をしているのは、本当よ」


 特別に用意させた大理石の椅子に座りながら、始まりの女神ルーシーはその艶やかな細長い足を組み替える。

 忠神ハーゲンティは、段々と雨粒が打ちつけ始めた窓の外を静かに眺める。


「あのお方……アスタルテ様も、いずれここへ?」


「同じ悪魔ちちおやから生まれた私のたった一人のなのだから、辿りついて貰わないと期待外れよ」


 女神は、ずっと待っている。


 自らに流れる同じ悪魔の血が、復讐の意志を持って、自らの下に辿り着くのを。


 その期待は、闇より暗く、光より眩しい。



「ああ、待ち遠しいわね。早く。早く。まだかしら。女神わたしは長い間ずっと待っている。私が死ぬ前に、貴方は私を殺してくれるかしら?」




 


 

 

 

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