地獄変


「Yeah!? Yeah!? Yeah!?」


「アハハッ! 痛いっ! 痛いなぁオォイ! 俺が斬り掛かかってるのに、攻撃を防いでいる感触がする! もういきなり“筋力ストレングス”と“器用テクニック”の両方のレベル上がっちゃってるじゃんコレェッ! これだよコレコレェッ!?!? たまんないなぁっ!!!??!?!?」


 一気に加速して赤錆を振るう堕剣ネビに対して、困惑したようにドッペルゲンガーが腕から直接生える赤剣で応対する。

 剣戟が激しくぶつかり合うたびにネビが歓喜の声を上げる。

 一方で魔物ダークの方は自分から攻撃をする意思はないようで、ネビの猛攻を凌いだあとは距離をとり、鬼神ベレトの方へ突進するのみ。


「キショいなあもうっ! 魔物の方はあくまでぼく狙いか!」


「yeahhhhhhhh!!!!!!!」


 一旦ネビの猛攻を防ぎきったドッペルゲンガーは、焦点をベレトに合わせ涎を辺りに飛び散らせながら飛ぶ。

 両肩から鋭い骨を突き伸ばし、ベレトは迎撃の態勢をとる。


「yeah」


 しかしドッペルゲンガーはその意表をついたベレトのカウンターを読んでいたようで、いとも簡単に回避し、伸びてきた骨を抱きしめるようにしながら大きく齧り付いた。

 鋭い牙が自らの骨に僅かに突き刺さる。

 注ぎ込まれる強烈な魔素。

 毒が身体に染み込み、焼きつくような痛みが鬼神ベレトを襲う。


「あああああうぜえええええええええ!!!!!!」


 ベレトが苛立ちに激昂する。

 ドッペルゲンガーの能力は確かに高いが、ベレトからすればまだ格下に過ぎない。

 それでも戦術的な面で、彼は僅かに押し込まれていた。

 予測、反応、適応。

 相手の出方を伺い、それに適した行動をとる判断速度がこの魔物は異常に早い。


「アハハハハハハッ! やっぱり俺の性質を受け継いでるだけあって戦い方が似てるなぁ! レベリングのしがいがありそうだ!」


「チッ! こいつもこいつでうぜえええええええ!!!」


 そして鬼神ベレトの意識が完全にドッペルゲンガーに移ったその瞬間、死角から今度は堕剣ネビが飛び出してくる。

 蹴り、ではなくただの移動の手段として鬼神ベレトの頭を踏みつけると、そのままドッペルゲンガーの方に向かって大きく跳躍する。

 腹部に大きく傷を受けているにも関わらず、その動き自体は先ほどまでより断然速く感じた。


「Yeahhhhhhh!?」


「ンパァッ! 最高最高最高! お前とのレベリングは病みつきになりそうだぞっ!」


 迷わず一閃。

 先ほどと同じように迎撃の構えを取ったドッペルゲンガーに対して、赤錆の刃の向きを完璧に調整。

 剣先を受け流すようにして懐に踏み込み、ネビは目にも止まらぬ赤い剣閃を叩き込む。


「Ye……ah!」


「がはっ……今のは、効いたなぁ? 俺にも伝わってくる! 気持ちイイッ……!」


 強烈な痛みがドッペルゲンガーを襲う。

 そしてネビも同じように苦痛に顔を歪めながらも、その目尻には喜びの皺が刻まれている。

 ドッペルゲンガーには理解できなかった。

 黒い髪の男は自らと感覚を共有している。

 男を傷つければ傷つけるほど、全ての痛みが自らに返ってくる。

 ゆえに本能的に、最も攻撃を避けてしまう。

 それは男も全く同じ条件のはずにも関わらず、どうして迷わず自らに襲いかかってくるのか理解できなかった。 

 

「キショ虫どもがイチャイチャすんのは勘弁してくれる? 特に堕剣ネビ。ぼくの頭踏みつけて、ただで済むと思ってるの? 殺すなんてもんじゃもう済まないよ?」


「ん? ああ、悪い。今、レベリングで忙しいんだ。後にしてくれるか?」


「……キショ殺す!」


 鬼神ベレトに一瞥された赤い瞳には、何の興味も宿っていない。

 決して自らのような高位の神に対して、人間ムシが向けていい眼差しではない。

 怒りが、限界に達した。

 これほど、自らが蔑ろにされたことはこれまで経験したことがない。

 第十一柱、鬼神ベレト。

 本来は、もっと敬い崇められるべきだ。

 自分の機嫌をとることだけに全神経を捧げて、気まぐれ一つで命を奪われてしまうことに怯えるべきなのだ。


「どうしてぼくが鬼神と呼ばれるのか、教えてあげるよ。うんうん。きみには、恐怖が足りない」


 ポキポキポキポキポキ。

 骨が軋み、折れる音がけたたましく響き渡る。

 背中や腕、肩だけでなく、胸、腹部、足、そして顔からも肌を突き破り白骨が飛び出る。

 全身から生えた骨は、まるで外骨格のような形状を整えながらポキポキと骨を折っては修復を一瞬で繰り返す。

 体内の外で行われる骨格の再構築。

 鬼神ベレトが、神としての咆哮を見せる。


「うんうん。ようこそ、ぼくの地獄へ。ここでは死刑以外の罰は用意してないよ」


 刹那、骨が、爆ぜた。

 最初に動いたのは、堕剣ネビ。

 ワンテンポ遅れて、ドッペルゲンガーもネビと鏡写しのような似た動きを取る。


「何か、来るな」


「yeah」


 爆ぜた骨はまず、地面に突き刺さった。

 繭のような形を取った骨から伸びた先は全て、地面の中に埋まっている。

 鬼神ベレトは青い瞳を充血させながら、狂ったように笑っている。


「痛みつける、嬲る、傷つける、折る、抉る、潰す、捻る、砕く、千切る。ああ、きみたちを殺すまで、どれくらいの手順を踏もうか、楽しみだなぁ!」


 一気に壁際まで距離を取ったネビは、意識を集中させる。

 絶え間ない飢餓感による雑念ノイズはもう消えた。

 僅かな振動、空気の温湿度の変化、砂埃が転がる音すら今の彼は逃さない。


「死ね」


「堕ちろ、【赤錆】」


 堕剣ネビは、少しの間だけ、自らの剣想イデアを消すことを判断する。

 彼は本来、赤錆を手放すことを酷く嫌う。

 しかし、それは最優先事項ではない。

 迷う暇はない。

 死んだら、レベルはゼロになる。

 最も優先すべきは、生き残って、レベリングをすること。

 赤錆の異能によって普段制限されていた能力を解放し、生存に意識を注ぐ。


「yeahhhhhhhh!!!!!!!!!」


 パキ、と乾いた音が聞こえた。

 突如背後の壁から鋭利な骨の槍が飛び出してくる。

 音と気配だけで襲いかかる骨を回避しながら、ネビは全力疾走を開始する。


「ははっ! 逃げろ逃げろネビ・セルべロス! ぼくの地獄で煮え溺れるまで足掻くといい!」


 地面を踏めば、その瞬間そこから針のように骨が飛び出してくる。

 圧倒的な物量と範囲。

 刹那的な選択を少しでも間違えば、その瞬間全身を串刺しにされる。


「惜しいな。もう少し俺の加護数レベルがあれば、いいレベリングになったのに」


 加速、跳躍、反転、再加速。

 ネビは呼吸すらする暇のない三百六十度から襲いかかる剣骨を、紙一重でかろうじて回避し続ける。

 一歩一歩が、死と隣り合わせ。

 堕剣が、微笑む。

 地獄は、彼にとっての歓楽地。

 興奮が、恐怖を凌駕する。

 その赤い瞳には、いまだに歓喜が満ちている。

 

「その目、本当にムカつくなぁ。虫ケラらしく、死んだ目をしとけばいいのにさあ。もういいよ。きみのせいだよ。ここにいる、全員殺す。罪は関係なく、等しく地獄に落とす」


 ポキ、ポキ、と鬼神ベレトが首の骨を鳴らす。

 堕剣ネビ・セルべロス。

 彼は認めることにする。

 確かに、こいつはただの虫ではない。

 全力で駆除すべき、害虫テキであると。



「苦痛を生め、死よ育て。《酒呑童子ジャハンナム》」



 空間全てを埋め尽くさんばかりに構築された骨の牢獄。

 殺意だけが込められた骨に、真っ赤な血脈が浮かび上がる。

 鬼神ベレトの固有技能ユニークスキル、“酒呑童子”。

 ドクン、ドクン、と血管のように脈動を始める凶骨。

 これまではあくまでベレトの意識下によって制御されていた骨が、自らの意思を持つ。

 生き物に対しての、自動追尾。

 これまでの攻撃速度を遥かに凌ぐ、ほとんど反射に近い無差別殺戮。

 何の罪もない海神ウァラクや地神ガープさえも対象に入ってしまうが、もはや関係はない。

 生きとし生けるもの全てを死に追いやるまで、その骨はベレトの意思関係なく凶刃を振い続ける。

 

「全員、死ね」


 ドクン、と大きく一つ自身を囲む骨が脈打つ。

 しかし、その瞬間、ネビはある感覚を“共有”した。

 それは、久しく感じていなかった懐かしい感覚。

 人も神も、共に独自に持つ、固有の才能ギフト



「……yeah。《inquisition》」



 黒い魔物ダークが、笑った。

 細長い頭部の側面についた夥しい数の瞳が、大きく見開く。

 瞬間、その姿が、消える。

 完全な、消失。

 鬼神ベレトの視界から、ドッペルゲンガーがいなくなる。

 その行く末を、悪魔を生み出した堕剣だけが知っていた。


「……そうか。それは、か。そこまで受け継いでいたんだな。俺とは発動条件設定も選んだ能力も違うみたいだが」


 ——ブチリ、と何かが強引に引き千切られる音がした。

 数コンマ後に、信じられない激痛が鬼神ベレトを襲う。

 

「は?」


 何が起きているのか、ベレトには把握しきれない。

 粘性の高い涎が、顔にかかる。

 魔素が皮膚にこびり付き、猛毒となって火傷のような跡を残す。

 

「yeahh」


「何が——」


 ——ボキィ、とベレトの片腕が関節とは反対方向に曲げられる。

 再構築したはずの外骨格の内側に、なぜか入り込んでいる邪悪な魔物ダーク


 反射型発動技能カウンタースキル


 その魔物が受け継いだ固有技能ユニークスキルは、変更不可の自らが設定した条件を満たした瞬間、自動で発動するという珍しい形式の異能。

 ドッペルゲンガーが設定した条件は、“固有技能の発動”。

 設定した条件によって振り幅は変化するが、大幅な基礎能力向上と、条件設定の難度によって自由度の変化する能力付与が行える。

 ドッペルゲンガーが選択した能力付与は“転移必中”。

 空間移動と共に、不可避の一撃を与える異能をその魔物は本能的に選択したのだった。


「Yeeeaaaaaaaaaahhhhhhhhhh!!!!!!!!!!」


「があああああああああっっっっ!?!?!!?」


 毟り取られたのは、鬼神の黒い翼。

 片翼を千切られ、ほぼ同時に腕から伸びる剣がベレトの腹部を容易く貫いた。

 

 これまで経験のない痛みが、頭の真っ白に埋め尽くす。


 魔素が身体の内側に入り込み、血管を内部から針で突き刺されるような地獄の痛みがベレトを襲う。


「や、やめろっ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!」


「yeahyeahyeah!」


 ベレトが苦しむたびに、魔物が嬉しそうに歯をカチカチと鳴らす。

 これまでより桁違いに跳ね上がった存在感。

 外骨格の内側に入り込まれたせいで、骨による反撃がしにくく、さらにドッペルゲンガーの力が強すぎて振り解けない。


(まずい! このままだと、ぼくが死ぬ! ぼくが……死ぬ?)


 想像を絶する痛みに、鬼神ベレトの目頭が熱を持つ。

 怪物の鋭い牙が眼前に迫る。

 逃れようと身を捩るが、黒く骨ばった腕に掴まれ、逃げることは構わない。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……死にたくない死にたくない死にたくない!」


「yeahhhh!」


 ついに恐怖で自我を失った鬼神ベレトは固有技能を解除する。

 自らを守るように展開していた外骨格も、解き消し去る。

 それと同時に一時的に跳ね上がっていた魔物の存在感も、元に戻る。

 しかし身に受けた痛みと記憶は消えない。

 身体中に魔素が毒のように回り、ベレトは猛烈な吐き気に襲われる。


「yeah」


「あ」


 完全に崩れたベレトを相手に、魔物が追撃の手を緩めることはない。

 本能が叫ぶ。

 一気に、押し切れる。

 こいつを喰えるのは、今だ。

 悪あがきのように骨槍が伸びるが、それを避けることはせず、胸に受けながらドッペルゲンガーは牙を突き立てる。

 鬼神が青い瞳に絶望を浮かべながら、自らを見ている。

 

 恐怖は、餌だ。 

 

 最高に上質な、味がすると知っている。


 腹が減った。


 飢えを、満たせ。


 捕食者としての本能に支配されたドッペルゲンガーが、鬼神ベレトの喉元に牙を突き立てようとする——、



「命を奪う瞬間が、最も命を奪いやすい。まだまだ、若いな。食事もレベリングなんだ。それを忘れてはいけない。濡れろ、【赤錆あかさび】」



 ——が、その牙は、恐怖で旨みの増した最高のご馳走には届かない。

 口の中に溢れ出た涎が、喉元からせせり上がる血に押し流される。

 

 赤い瞳と、視線が合致する。


 完全に消された気配。

 全神経が目の前の餌に集中した、ほんの一瞬のタイミングで解放された剣想イデア

 迷いなく、一切の無駄なく、全ての力を乗せ、振り抜かれた一閃。

 どうして、自らの首が迷わず一閃されたのか、幼い魔物ダークにはいまだに理解できない。


「yea……h?」


 どう、して? と動揺の中に寂しさすら覚える。

 あえてなのか、完全に切断はされず、中程まで切り裂かれた自分の首を抑えながらドッペルゲンガーは両膝をつく。

 即死こそしなかったが、どう考えても致命傷。

 それを自らに与えたのは、ドッペルゲンガーにとって全てを共有した唯一の相手。

 自らを生み出し、力を貰い、痛みも、喜びも、共有するたった一人の家族ナカマ

 ドッペルゲンガーは、その男を傷つけたくなかった。

 それはもちろん傷の痛みがそのまま自分に返ってくるからでもあるが、それ以上に本能が拒否したのだ。

 

「アっ、アっ、アっ……」


「ye…ah?」 

 

 無傷の首元を抑えて、男もまた苦しそうに片膝をつく。

 死の間際の苦痛。

 当然、その想像を絶する痛みと恐怖も男と共有している。

 だが、ドッペルゲンガーが首元から溢れ出る血を抑えながら眺める、男の瞳に映る感情には、恐怖も、孤独も、悲哀も何も映っていなかった。



「……ンアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!! 死ぬッ! 死ぬッ! レベリングが気持ち良すぎて死んでしまうぅぅぅぅッッッッ!!! アハっ! 耐えろ! 耐えろ耐えろ耐えろネビ・セルべロスゥ! この快感に耐えるんだあああああはははははハハハハhahahahahahahaッッッッ!!!!!」



 純粋な、恍惚。

 神と、魔物と、人間。

 その全員が瀕死の痛みに全身を侵されている中、たった一人だけ興奮の絶叫をあげる者がいる。


「y……e…a……h」


「……おぇ。うぇ。怖いよ怖いよルーシー様。ごめんなさいごめんなさい。ぼくが罰するにはこの男は罪深すぎる」


 黒い髪に赤い瞳。

 片刃の錆びた剣。


 孤高であり、最強。

 唯一無二の、異質な存在。

 

 ネビ・セルべロス。


 その男と出会った神々は皆、口を揃えて言う。


 神は人に試練を与え、ネビは神に試練とは何かを教えると。


 その男に出くわした魔物は全て、破滅を迎える。


 魔物は人に恐怖を教え、ネビは魔物に恐怖そのものを与える。



 かつて剣聖と呼ばれ、今は堕剣と呼ばれるその男だけが、最後まで笑い続けていた。

 


 


 

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