堕胎



 鬼神ベレトは苛立ちと共に、嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 “堕剣”ネビ・セルべロス。

 目の前で悠然と立つその男と直接会うのは初めてだったが、存在自体は以前から知っていた。


 曰く、人類最強の男。

 曰く、神に最も近い人間。

 曰く、加護数レベル61を誇る歴史上でも比肩する者のいない唯一無二の存在。


 神々が特別扱いを認めた六人の加護持ちギフテッド——神下六剣の中でも最強と称された男。

 そんなネビのことを、彼だけは認めていなかった。


「元々さ、加護持ちなんて存在がさ、無価値ムシケラだと思ってるんだよね」


 蛇のように瞳を細くさせ、鬼神ベレトが腕をゴキュゴキュと鳴らす。

 右手の甲の皮膚が切り裂かれ、鋭い骨が飛び出し剣のような形状を整える。

 自由自在に自らの骨を操ることができるという特異体質。

 神としての異能を見せつけながら、彼は幼い相貌に怒気を滲ませた。


「何だかヘタクソな物真似を見せられているみたいで、ムカつくんだよね。うんうん。ムカつく。外見だけ下手に似ているせいかな。もっと人間が芋虫みたいな見た目だったら許せたかもしれないけどさ。中身から考えたら、それくらいが妥当だと思わない?」


 鬼神が、一歩踏み込む。

 それだけで大地が割れ、風を切り裂く。

 堕剣ネビの目前に迫った彼は、羽虫を手で払うように骨剣を軽く振り抜いた。


「そんな神の形を猿真似した芋虫が、ぼくらから加護を貰い、不細工な面あげて棒切れ振り回してたらさ、捻り潰したくならない? なるに決まってるよねぇっ!?」


 驚異的な反応で鬼神ベレトの動きを捉えた堕剣ネビだが、赤く錆びた剣は第十一柱の一撃を受け止めるには足りず、ネビは思い切り弾き飛ばされる。


「うんうん。その神を真似た不細工な姿の原型がわからなくなるまで、ぐちゃぐちゃにしてあげるよ」


 吹き飛ばされる最中、空中で上手く体勢を整え、壁に足の裏から着地し、衝突の瞬間に膝を折りたたみ衝撃を最小限に抑える。

 しかし、たった一撃受けただけで、腕に痺れを感じた。

 小柄な体格からは想像つかない規格外の膂力。

 空腹で思考力が落ちていたネビだが、そこでやっと自らが対峙している相手の正体を悟った。


「……やたら強いと思ったら、“第十一柱”鬼神ベレトか。億劫だな。加護数レベル不足で、効率のいいレベリングにならない。やる気が出ないな。せめて神じゃなくて魔物相手だったら、もう少しまともなレベリングができるとこだが」


 口からダラダラと涎を垂らしながら、堕剣ネビは冷めた目つきで鬼神を見やる。

 神々から受け取ることのできる柱の加護には、受け取る順番が存在する。

 順番通りに受け取らなければ、その加護は力を発揮しない。


「ウァラクとガープだけ狙って、逃げるか?」


「逃すと、思う?」


 堕剣ネビの言葉尻だけを捉えた鬼神が、見下した表情で笑う。

 所詮は、元剣聖。

 確かに他の有象無象の人間や、周りで情けない愚かな顔を晒す下位の神々に比べれればマシだが、それでも自らにはまるで及ばない。

 取るに足らない虫ケラ。

 神殺しという呼称も、所詮はハリボテにしか思えなかった。


「この程度で神殺しを名乗られちゃうと、困るよね。うんうん。君がこれまで相手にしてきたのは、神じゃなくて、神モドキ。一緒にしないで欲しいよね」


 え、拙者、神モドキだったでござるか? と小声で呟く地神ガープのことを無視しながら、鬼神ベレトは今度は背中に力を込める。

 

 ブチブチブチブチ。

 

 骨と肉が引き裂かれる音と共に、不自然に盛り上がる背中から骨が手のように飛び出す。

 おかっぱのような髪型の金髪を揺らしながら、ベレトが大きく息を吸う。


「人間、きも過ぎ。よって死刑」


 ぎゅるん、と背中から伸びた骨が一気に加速して伸びる。

 骨が動き出す数秒前から先に動き出していた堕剣ネビはそれを紙一重で回避。

 横目で鬼神を捉えながら、大広間を円周をなぞるように駆け抜けていく。


「だからさ、誰の許可とって避けてるのって。うんうん。ちゃんと死ななきゃだめでしょ? 本当に虫ってうざいよね。身体の周りを虫にちょろちょろされると気持ち悪いんだよね。とっても不愉快」


 ガガガガガガガと絶え間なく襲いかかる骨の槍。

 伸縮自在に操られる骨の追撃を、目視で確認することなく、予測と反応だけで堕剣ネビは回避する。

 だが完璧には避けきれておらず、かすり傷が幾つか彼の身に刻まれていた。


「逃げきれないな。これは」


「逃がさないよ。虫は殺し損ねると、何だか気持ち悪いからね」


 赤錆を器用に扱いながら、骨の猛攻を耐えるネビ。

 そこに背中から骨を伸ばしたままの状態で、鬼神ベレトが両手から骨を生やして距離を詰める。

 圧倒的身体能力。

 ネビ以外では目で追うことすらできない速度で、鬼神がついに堕剣を捕まえる。


「……ここらが、限界か」


 ちょうど背後の空間に五本の骨が突き刺さり、壁のような形をとる。

 移動できる方向を制限されたネビの目の前に鬼神ベレトが顔を出し、残酷に口角を上げる。

 子供が小さな虫を潰して遊ぶような無邪気な表情で、鬼神が微笑んだ。


「さよなら、堕剣。うんうん。近くで見ると、余計に気色悪い」


 真っ赤な血飛沫が、迸る。

 先に右腕を振り抜き、それで赤錆が弾かれた。

 次いで振り抜かれた左手、その甲から伸びる骨の剣が堕剣ネビの腹部を真一文字に切り裂いた。


「あぁ……」


「虫ってさ、生きてる時より、死んでる時の方がまだマシに思えるよね。生きてる時の方が、気持ち悪い。やっぱりあれかな? 動いてる姿がより気持ち悪いのかな?」


 どぷどぷ、と口から血を溢れさせながら、ネビが片膝をつく。

 赤錆を地面に刺し、体重を支えるが、吐血は止まらない。

 綺麗に切り裂かれた腹部からも黒々しい粘液が流れ出ている。

 ネビはどこか諦めたような表情で、自らの血まみれの下腹部を虚ろに眺めていた。

 そんな堕剣の様子を見下しながら、鬼神ベレトは満足そうに自分の白い骨についた血をどの神に拭かせようかと考え始めていた。

 

 

「……もっと、鍛錬レベリングしてやりたかった、な」



 ——どろり。

 しかし、そこで鬼神ベレトに悪寒が走る。


 空気が、澱んでいる。


 神とは相反する、邪悪な何かが、すぐ近くに潜んでいる。

 蛆虫が肌を這いずり回るような強烈な不快感。

 本能的に黒い翼をはばたかせ、鬼神は大きくその場から飛び退く。


「なにこの気味の悪い感じ……」


 注意深く周囲を見渡すが、この身の毛がよだつ不快感の源は見つからない。

 状況は何も変化していない。

 大きな体を縮こまらせ隅で丸くなる地神ガープ。

 壁の上部に磔にされている空神グシオン。

 いつまでも地面の上にうつ伏せになったままの海神ウァラク。

 大広間の入り口付近で、怯えた表情をする裏切りの神カイム。

 そして、死にかけの堕剣ネビ。


「でも、しょうがない。もう、これ以上、腹は減らない。なら諦めて、今の俺にできるレベリングに全力で挑もう」


 どろり。

 空気の澱みが、一層濃くなる。

 そこで、鬼神ベレトはやっと気づく。

 唯一変わったものがあることに。


「……一体、何を?」


 巨大な図体を小さく縮こまらせる地神ガープはガタガタと震えながら、磔にされた空神グシオンは見たくないものを見るように、絨毯と化している海神ウァラクは諦観した様子で、裏切りの神カイムは目を見開きつつ、ある一点を皆見つめている。


 その視線の先は、堕剣ネビ。


 より正確に言えば、堕剣ネビの腹部。


 ネビ自身すらも、自らの腹部に愛おしそうな優しい眼差しを注いでいる。


「ye」


 ごぷっ、という濁った音が聞こえた瞬間、鬼神ベレトは

 何の気無しに石をめくったら、その裏側にびっしりと小さな蟲が大量にこびり付いているのを見てしまった時のような吐き気を催す嫌悪感。


 すると堕剣ネビの腹部から、“ナニカ”が顔を出した。


 身体を占める面積ほとんどが頭部といっても過言ではないほど、異様に大きな頭部に、小さな骨ばった手足がついているナニカ。

 光沢のある漆黒の皮膚は全体的に粘液を纏っていて、黒い泡が沸き立っている。

 あまりに危険な存在感。

 小さかった体が浮腫むように加速度的に膨張していき、あっという間にネビと同程度の背丈になる。



「——Yeeeeeeeeeaaaaaaaaaaaaaahhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!!!!!!!!」



 耳を劈く絶叫。

 薄っぺらな黒い皮膚の下には骨が浮き出ていて、それは爪の先から長い尻尾の先まで同様。

 身体に対して大きすぎる頭部は瓜のような形状をしていて、その側面にびっしりと小さな瞳がついている。

 頭の半分ほどまで避ける口には鋭い牙が並んでいて、どろどろと粘性の強い唾液が絶え間なく流れ落ちていた。 


「Yeaaaahhhhh!!!」


「ちっ!」


 突如現れたナニカが、再び金切り声を上げる。

 凄まじい魔素。

 右腕が赤い剣のように変形し、ナニカが鬼神に襲いかかる。

 ジュウ、と不意の一撃を受け止めた鬼神ベレトの骨が焼け焦げ、ひりつくような痛みが第十一柱の神に伝わる。

 魔物は神々の天敵。

 魔素は、神にとって猛毒に等しい。


「……“ドッペルゲンガー”。寄生した人間から絶え間なく魔素、栄養素、関係なくエネルギーを吸い取り続ける魔物ダーク。ああ、体が軽い。頭も動く。久しぶりに、まともにレベリングできるな」


 鬼神ベレトが背中から伸びる骨を突き出すが、邪悪な黒い魔物——ドッペルゲンガーはその全てを掻い潜る。

 そしてその背後では堕剣ネビが立ち上がり、真紅の瞳を爛々と輝かせ始めている。


「だが、最大の特徴は寄生先との“共鳴性質シンクロ”だ。寄生先の能力、癖、性質を受け継ぎ、さらに感覚を共有する。これが、どういう意味かわかるか?」


「Yeeaaaaaaaaahhhhhh!!!!!」


「虫ケラの産卵とか悪趣味すぎてゲロでちゃうよねぇっ!」


 ドッペルゲンガーが、迷わず鬼神ベレトに再び飛び掛かる。

 堕剣ネビが生き生きと何かを饒舌に喋っているが、それを聞いている暇はない。

 

 まずは、この危険な魔物ガイチュウを殺す。


 優先順位を変更し、鬼神ベレトは堕剣より先にドッペルゲンガーを屠ることにする。

 一体どういった仕組みで堕剣が魔物を生み出したのかはわからなかったが、その魔物が自らにとって危険なことは理解できた。


「うんうん……ちょっと、ウザいね、君…っ!」


「Yeah!!」

 

 凶暴性と狡猾さの両立。

 涎をそこら中に飛び散らしながら、漆黒の怪物は奇声を上げ続ける。

 赤い剣を流れるように捌くドッペルゲンガーの動きは掴みにくく、鬼神ベレトでさえ僅かに後手を踏んでしまう程だった。



「こいつを俺が斬ったら、それは俺の痛みになる。つまりは、こいつを斬れば斬るたび、“斬った”時と“斬られた”時のレベリングが同時にできるんだ。命以外は共有している。どうだ? 最高だろ?」



 突如、赤錆が一閃を刻む。

 これまでと比べものにならない速度の剣閃。

 その切先は鬼神ではなく、自らが生み出した魔物ドッペルゲンガーへ。

 迸る血潮。

 宙に飛び散る血を、ベロリと堕剣が舐め掴む。


「は? ぼくじゃなくて、そっちを狙うの? 自分で生み出しておいて?」


「Yeah……?」


 てっきり自らへの対抗策として魔物を召喚した考えていたため、自らではなくドッペルゲンガーの方を狙った堕剣ネビの予想外の動きに鬼神が驚く。

 そして驚愕しているのは彼だけではなく、生み出された怪物ドッペルゲンガーも同じようで、自らの背中を切り裂いた堕剣ネビを信じられないような様子で振り向く。


 鬼神と魔物。


 動揺に硬直する二体の規格外の背後で、たった一人の人間だけが笑っていた。




「邪魔をするなよ、鬼神。それは俺の獲物レベリングだ」

 



 

 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る