第三選別
「挨拶が遅れたご無礼を、どうかお許し下さい」
第六柱“化神オセ”。
自らをそう名乗った青年が、少しだるそうな様子で蒼い頭を垂れる。
確かにその身から感じる気配は濃密で、この島でこれまで出会ってきた相手とは比べものにならない。
(こいつ、
腐神アスタは、古い記憶を漁る。
実際にこうして顔を見合わせるのは初めてだったが、“最序列”と呼ばれる最も始まりの女神に近い一桁の数字を冠する神々がいること自体は知っていた。
おそらく、目の前の青年はその最序列の内の一柱なのだろう。
「……どうやら私のことを知っているらしい。その知見に免じて、私の邪魔をしたことを不問としてやろうぞ」
「ありがたき幸せ」
感情のこもっていない棒読みの台詞。
何を考えているのか、何も考えていないのか。
ロクという名前だった背の高い青年——オセは先ほどまでと顔の造形こそ大きく変わっているが、その感情の読めない無表情だけは変わっていなかった。
「始まりの女神が近い未来に死に絶えると言ったな。それは一体どういう了見で話しているのじゃ? お主もルーシーに恨みがあるのか?」
「いえ、そういうわけじゃありません。あー、ペケペケ。何て言ったらいいのかな。別にルーシー様に死んで欲しいと思ってるわけじゃなくて、ただ、事実として知っているだけというか」
「なに?」
ぺちぺち、と自らの頬を叩いたりつねったりしながら、オセは平坦な調子で話し続ける。
視界の隅で、アスタによって片腕を落とされた少年——レヴィが静かに闇の中に逃げようとしている姿が見えたが、彼女はそれを意図的に無視することにした。
もはや興味は失せ、自らの力は十分に誇示した。
これ以上深追いする理由は特になかった。
「どうやって死ぬのか、なぜ死ぬのか。それは僕にもわかりません。あー、グダグダ。上手く言えないなぁ。ただ、死ぬんです。近い未来に。それを知っているだけです」
始まりの女神ルーシーが死ぬ。
当然の事実のように、化神オセはそれを口にする。
場合によっては謀反のように聞こえるような言葉を、特段の感慨もなさそうに語り続けていた。
「ルーシー様が死ねば、世界の均衡は崩れます。魔も神も関係なく、互いに争う混沌の時代が来ます。七十二の誓約は消え、神々同士も争うでしょうね。僕はその時に備えて、人に紛れて準備を進めていたわけです」
始まりの女神の死後。
ルーシーを殺すことさえできれば他はどうでもいいアスタからすれば、興味のない事柄ではあったが、確かに危機感を覚える者がいてもおかしくない話だった。
「なるほどな。健気なことじゃ。仔細はわからぬが、ルーシーは死ぬ、そうお主は信じているということじゃな」
「まあ、そうですね。信じているというか、知っているって感じですが」
「ルーシーは、私たちが殺す。それは決定事項じゃ。お主の言っている未来は確かに現実になる。安心するといい」
「……私たち、ですか。なるほど」
アスタの銀色の瞳を受け、オセは僅かに考え込む。
敵意は、ない。
神々の全てがルーシーの配下にいると考えていた彼女にとって、予想とは異なる状況下にあるのは確かだった。
「じゃあ、僕はこの辺でお暇させていただきます。そろそろ僕の剣を回収しに行かないと。一応確認しておきますが、第七十三柱の神、あなたの剣は“堕剣”ネビ・セルべロスだけでいいんですよね?」
「ん? ああ、そうじゃな。あの男は、私のものじゃ。奴の狂気は、ルーシーにも届き得る。他の誰にも渡すつもりはない。というか、私以外じゃ扱いきれんじゃろう。火傷じゃ済まんぞ。私だから火傷程度で済んでおる」
「へえ。それほどですか。ちょっと鍛えてもらおう程度にしか思ってなかったけど、失敗だったかな。あー、ペケペケ。まあ、いいか。時は戻らない。他に選択肢はなかった。だめになってたら、また別の剣を探せばいい」
自分の頬を叩き、つねりながらこねくり回すと、そこでオセは踵を返す。
その瞬間、先ほどまでの蒼い髪と彫の深い相貌が変化し、のっぺりとしたロクと名乗っていた時の顔に戻る。
「それでは、失礼致します、第七十三柱の神。女神の死後に、また」
無防備な背中を晒して、そのまま第六柱を名乗った神は闇に消えていく。
アスタの目的は、始まりの女神を討つことのみ。
邪魔さえされないのならば、無闇に敵対する必要はない。
僅かに頬を緩めながら、アスタは満足そうに腕組みをするのだった。
「ふっふっふっ! 結構派手に力を見せたし、私の存在を知る神とも出会ったし、これでやっと私の名が広まりそうじゃぞ! ネビとカイムばかり目立つ日々もこれで終わりじゃ! やっと時代が私に追いついてきそうじゃのう!」
————
第四十一柱“海神ウァラク”は絨毯になっていた。
温もりのない岩の地面に頬を擦り付けながら、壁に磔にされた友人でもある空神グシオンの姿を眺める。
全てを諦めたような虚な表情。
時々、血が垂れ、空神の下には赤い染みができている。
「ねーねー、ガープはまだ? 帰ってくるの遅くない? まさか、逃げたってことないよね? うんうん。さすがにありえないよね? だってそれ、死刑だよ?」
みしみしと頭に足が乗せられ、力がかかる。
不機嫌そうな表情で海神ウァラクの頭に足を乗せているのは、第十一柱“鬼神ベレト”。
子供のような外見からは考えられない力が込められ、ミシミシと悲痛な音を立てる。
だが、ウァラクは何の反応も示さない。
なぜなら、彼は絨毯だからだ。
(こんなのが十一柱かよ。神も神で、ろくでもないな。儂らは一体何のために
選別試練。
それは始まりの女神からの指示で行われているに過ぎない。
自らの意思ではない。
彼もまた、選ばれただけ。
空神、地神、海神の三柱で加護持ちを選別せよ。
拒否も、質問も、許されていない。
彼はただ、グシオンとガープと共に、言われるがままに選別を続けるだけ。
「なんか喋れよ。つまんないなあ」
「……ぐがぁっ」
鬼神ベレトが爪先でウァラクに蹴りを入れる。
“
互いの神の了承があれば、可能だ。
上位の神に了承を命じられれば、それを拒否する権利は下位の神には存在しない。
一方的な蹂躙。
ウァラクが抵抗すれば、自らだけでなくグシオンやガープにも迷惑がかかる可能性がある。
だから、彼は絨毯になった。
そうすれば、自分が痛みと屈辱を耐えれば済むから。
「……ん? この気配。うんうん。そっちが先か。たしかに、真っ先に死刑にするべき神がいたね」
すると、そこで鬼神ベレトの意識がウァラクから大広間の入り口付近に移る。
ゴギュ、と自らの腹部に腕を突っ込み、ベレトは骨を一本抜き取る。
かきかきかきかき、と奇怪な音を立てながら骨は変形し、棍棒のような形に変化する。
黒い翼をはためかせ、金髪を靡かせ、鬼神は邪悪に笑う。
「わあ! なんか、風、感じる! ね、ね、ネビ! もしかして、ここ外!? やっと出れた感じ!? もぉヘトヘト! お昼していい!?」
気まずそうな表情をしながら姿を現した第四十二柱“地神ガープ”と、その後ろに続くなぜか麻袋を頭に被った女。
天井が抜けていて、外気と繋がっている大広間で、緊張感のない声を上げる女の正体に、ウァラクはすぐに見当をつける。
(裏切りの狂神カイム、か。ガープが連れてきたのか?)
どういった経緯かはわからないが、堕剣の仲間に堕ちた六十一柱の神がガープと共に姿を見せた。
ここから先、予想される結末はただ一つだ。
七十二の誓約の強制反故からの、惨殺。
ついに鬼神の試練が始まるのだ。
「うんうん。死刑、執行」
鬼神ベレトが、ゆっくりと歩き出す。
上位の神々に相応しい優雅さで、ウァラクを踏みつけながら、何を考えているのか呑気に身体を伸ばしているカイムの方へ近づいていく。
——グルルッ。
獣の唸り声が、聞こえた気がした。
少し進んだところで、鬼神ベレトは足を止める。
ウァラクもまた、すぐに異変に気づく。
「……なんだ、先にとかじゃなくて、まとめて連れてきたのか。うんうん。なら少し時間がかかったことも多めに見てあげるよ。うんうん。まとめて殺そう。いいね。効率がいい」
鬼神の笑みの種類が、変わる。
口角が上がったままだが、その瞳の気配が変化する。
冷徹で、残酷な、救いのない視線。
——グルルッ。
その視線の先から聞こえる音は、唸り声ではなく腹の鳴る音にも似ている。
闇の奥に輝く、二つの真っ赤な光。
獰猛で、飢えた瞳。
本能的な恐怖を感じ、ウァラクはその感覚を思い出す。
(アイツだ)
全身に鳥肌が立つ。
自分は絨毯だ。
そう自らに言い聞かせることで恐怖を抑え込む。
今すぐにでも立ち上がり、全力で逃げ出したいが、そんなことをすれば鬼神ベレトの逆鱗に触れる。
ゆえに絨毯であると強く思い込むことでその衝動を抑え込む。
「うんうん。死ね」
グルルッ——三度、唸り声のような腹の音のようなものが聞こえた瞬間、鬼神ベレトが骨の形をした棍棒を奮った。
鞭をしならせるような軌道で、棍棒がゴキゴキと硬質な音を立てながら凄まじい勢いで伸びる。
「えぇっ!? 拙者巻き添えでござるかぁっ!?」
「きゃっ! ちょっ!? なにごとっ!?」
大広間の入り口付近にはカイムとガープが立ち竦んでいるが、そんなことはお構いなしに骨の棍棒が一気に伸びて、しなりながら地面を砕こうとする。
刹那、黒い影が、動く。
赤く錆びた牙を凶暴に剥きながら、獣が駆け抜けた。
「……腹が、減ったな」
轟、という爆ぜるような音。
岩が砕け散り、砂煙が舞う。
鬼神ベレトがあからさまに不機嫌そうに顔を歪める。
「うんうん。誰の許可を取って、避けてるのかな? ぼくが死ねって言ったら、死なないとだめでしょ?」
入り口付近まで伸びた巨大な骨の棍棒の上に立つ、一人の男。
黒髪に赤い瞳。
手には赤く錆びた剣を持ち、長い舌をベロリと垂れて、ダラダラと涎を溢している。
「ヒィッ!? デ、デターッ! ネビだ! ネビが出たでござる! タスケテェーーーー!!!!!!」
「うへぇっ!? え、え、え!? 何この状況、なんか人いっぱいいない!? てかネビ顔隠してないじゃん!?!? もしかしてずっと袋被ってたの私だけ!?!?」
黒い獣に突き飛ばされて横に転がったガープとカイムがそれぞれ悲鳴をあげている。
“堕剣”ネビ・セルべロス。
前に一度、彼が選別試練に挑んだ時も、同じだった。
彼が参加した選別試練では、やはり、この大広間に辿り着く
この年の、唯一の第二選別の突破者。
ウァラクは悪夢の記憶を思い返しながら、ただ一つ、過去とは違う点を見つける。
(ネビ、だよな? 何というか、記憶と違って……)
その異質な気配。
間違いなく、かつて剣聖と呼ばれた元人類最強の男がそこにいるのは間違いない。
しかし、たった一つ、異なる点がある。
他の何とも比べられない存在感は、記憶の通り。
違うのは、その容姿だった。
「……ってあれ? ネビ? なんか。その、情報量多過ぎてどこから突っ込めばいいのかわかんないだけど、まず一つだけめちゃめちゃ気になること言っていい?」
ネビに突き飛ばされた際に取れたのか、もうカイムは麻袋を頭に被っていない。
そんな彼女が頭についた真っ赤な羽根をひょこひょこと動かしながら、目を真ん丸に驚かせながら、ネビのある一部分を凝視している。
そしてそれは、当然のようにウァラクが視線を注ぐ箇所と全く同じだった。
「ネビ、めっちゃ太ってない? 妊婦さんみたいになってるよ?」
手足や顔は細身にも関わらず、不自然に腹部だけがボコッと出っ張っている。
堕剣ネビの奇妙な体型に、なぜかウァラクは底知れぬ不気味さを感じた。
「腹が、減ったな」
「そのお腹で!?」
カイムが表情豊かに目を見開く。
ウァラクは、とてつもなく嫌な予感がした。
「死ね、ネビ・セルべロス。本物の
「俺の知っている
鬼神と堕剣。
ついに
地面が軋み、海は見えず、空が澱む。
ここに救いは、きっとない。
(多分これ、絶対ヤバいやつだな)
海神ウァラクは絨毯になりたいと、心の底から強くそう思うのだった。
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