腐神


 

 魔剣と剣想イデアは魔素を媒介としてエネルギーを奔流するという点で似ている。

 しかし、剣想が主に顕現者自身に力を与えるのに対し、魔剣は持ち主ではなく外部に力を作用させる。

 レヴィが持つ十言神咒とことのかじりもまた、その魔剣の特質を強く宿す一振りだった。


「まずはお手並拝見と行こうかのぉ!」


「それ、こっちの台詞だから」


 銀髪の少女——アスタが地面を蹴る。

 一切のブレのない直進。

 その速度は驚異的で、一瞬でレヴィとの間をゼロにする。


(速いな。もしかして、この子、結構強い?)


 匂うような魔素が込められた十言神咒を合わせるように振り抜くが、それは最も簡単に回避される。

 身軽な宙返り。

 レヴィの頭上を超えたアスタは、小気味の良いステップを踏むと、背後から蹴りを繰り出してくる。


「【十言神咒・テン】」


「ほお?」


 ズゥ、と何もない空間から黒い刃が突き出て、アスタの鋭い蹴りを受け止める。

 見れば、躱しきったはずの魔剣の剣先が半分ほど消えていて、代わりにその切先が空間の切れ目から突如として出現しているようだった。


「それがお主の魔剣の能力? 空間移動というところか?」


「さぷらーいず。どう? 驚いた?」


 蹴撃の反動のままに後ろに飛び退き、アスタはチラリと背後を一瞥する。

 その視線の先にいるのは、レヴィとほぼ同じタイミングでここに辿り着いた背の高い男——ロクだった。


(そういえば、あいつさっきからボケッと立ってるだけで、何もしないな。何しに来たんだろ?)


 レヴィの魔剣を見ても、特に表情も変えず呆然と立ち尽くすだけのロクを見て、不思議、というよりは僅かな不気味さを感じるが、今はそちらに意識を割く余裕はなさそうだった。


「中々に愉快じゃが、まだ、足りないの。味が足りんぞ」


 意識をアスタに引き戻す。

 余裕のある微笑を浮かべた銀瞳の少女は、姿勢を整えると再び駆け出す。

 十言神咒が纏う魔素を濃くさせ、レヴィは【天】を発動させる。


「ぬるいぬるい。この程度か?」


「まじ? これ全部当たらない感じ?」


 空間を貫き、攻撃対象との物理的な距離をほとんどゼロにすることを可能とする【天】。

 だが、その斬撃全てがアスタには完璧に回避されてしまう。

 目と鼻の先、皮一枚程度の隙間しかない剣戟を、いとも容易く見切り、アスタはレヴィとの距離を詰めていく。

 速い、というよりは、読まれている。

 卓越した洞察力。

 いくら空間を超えた剣筋でも、あくまで剣を振るうのはレヴィ自身。

 その構えや予備動作からある程度の予測はついてしまう。

 なぜ看破されているのかという仕組みは理解できても、驚きは隠せない。


「驚いた。強いじゃん、君。もしかして、才能化け物系? やっぱ、君、殺すの止めた。もう、合格でいいよ。俺たちと一緒に神々の信者殺さない?」


「ほざけ、小童。試しているのは、私の方じゃ。それに神々の信者を殺すだと? それを、ぬるいと言っておる。私が殺したいのは、第一柱の神、ルーシーだけじゃ」


「言うねぇ」


 ただの堕剣ネビの信徒フォロワーかと思っていたが、実力は想像以上。

 ついにレヴィの乱撃を掻い潜ったアスタが、拳を独特な形に整える。

 

「去ね」


「がは……っ!」


 目も止まらぬ速さで撃ち抜かれた掌底。

 胸骨の隙間に凄まじい衝撃が叩き込まれ、息が詰まる。

 しかし、この程度の痛みなら、耐えられる。

 口の中にせせり上がってくる血を舌で味わいながら、彼は選別を続けた。


「……【十言神咒・ショウ】」


「おおっ!?」


 掌底を受けたレヴィが、血反吐を吐きながらも十言神咒を足元に突き刺した瞬間、地面から漆黒の枯れ枝に似た形状の剣が勢いよく何本も飛び出す。


「はっ! 悪くない! 面白い曲芸をまだ持ってるようじゃのうっ!」


「楽しんで貰えてるみたいで何より」


 凄まじい圧力で迫り来る黒い刃の棘。

 変則的に地面から突き出て、そのまま伸びる黒刃。

 ついに避けきれず、アスタは蹴りで応対する。


「あ、ちなみにそれ、結構硬いよ?」


「なに?」


 ——ズグッ、と黒い棘がアスタの足を貫通する。

 真っ赤な血が、滲む。

 痛烈な蹴りで迫り来る剣棘の勢いを止めることはできたが、壊すことは叶わず、さらに足の触れた箇所から更に分岐して鋭く伸びた刃が彼女の足を貫いたのだった。


「どう? 痛かった?」


「まさか私が傷を負うとはな……これは思ったよりも、鈍っておる。やはり、ネビにを用意してもらったのは正解だったようじゃのう」


 またもや宙返りをして、大きく距離をとるアスタ。

 レヴィは黒い尖った刃棘を消し去ると、冷静に状況を見やる。

 確かに、アスタは強い。

 小柄な体と爆発的な初速を生かした速攻。

 抜群の動体視力も相まって、純粋な力比べでは、アスタはレヴィに勝る。


「まだ、続ける? このままだと、俺、勝つけど?」


 だが、レヴィには、魔剣がある。

 遠距離でも関係なく剣閃を届かせることが可能な【天】と、近距離相手に回避不可能な広範囲攻撃を可能にする【照】。

 対人戦において、彼に隙はない。

 人を殺すことに特化した十言神咒は、まさに魔剣という呼び名に相応しい力を宿していた。


「……いいじゃろう。お主のおかげで、身体がだいぶ温まってきた。礼に、神の一端を見せてやる」


「神の一端? そういえば堕剣は、神になろうとしてるんだっけか」


 軽口を叩きながらも、自然とレヴィは一歩足を後ろに下げてしまう。

 

 ——アスタの纏う、空気が変わった。


 何かが、来る。

 戦況は優位なまま。

 レヴィにもまだ奥の手は残っている。

 そう理解していてもなお、滲み出る冷や汗。

 彼にはずっと、引っかかっていることがあった。


「お主は、神と人の一番大きな違いがわかるか?」


「え? 何の話?」


 引っかかっている事。

 それは、気配だ。

 アスタは、異質な気配をずっと纏っている。

 それは加護持ちギフテッドとも、魔素を宿した魔物ダークとも、彼が見たことのある神々とも異なる、唯一無二の気配。

 強い、弱い、そういった感覚的な物差しが効かない、特別な存在感。

 

「人は、住む場所選ぶ。選んだ場所を、自らの住処とする。しかし、神は違う。私たち、神々は住む場所を選ばない。私たちが、いる場所こそが住処となるのじゃ」


 アスタの言葉を聞きながら、レヴィは全く別の事柄を考える。

 人と神の違い。

 剣想イデアは違う。

 なぜなら第一柱である始まりの女神ルーシーの始まりの加護がなければ、そもそも発現できないから。

 固有技能ユニークスキルも、違う。

 加護持ちと同じように、神々もまたそれぞれの固有技能を持つとされているから。


「……まさか、“領域ルーム”?」


「あー、そうじゃったか。下層の神どもは、出来損ないが故に、そんな呼称で中途半端にこの力を使っているのじゃったか。たしかに、私とルーシー以外で、を正しく使えたのは、最初に創られた九柱だけだった気がするの」


 領域ルーム

 神々の試練に加護持ちが挑む際に使われる特別な異能。

 神々が決めた規則ルールのみが適用され、領域内での傷は領域内を出るとなかったことにされる。

 確かに領域は他に似た能力の例がない、神だけが扱う特別な力だ。

 だが、領域はあくまで互いに合意の上契約を結んだ場合のみ使用可能なはず。

 もし仮に、アスタがその神の一端を何らかの方法で扱えるのだとしても、レヴィが合意するわけはなく、意味がないように思えた。


「本来は、領域ルームではなく、“神域レ・ルム”と呼ぶ。喜べ。誉じゃぞ。私の神域を見る人間はお主が初めてじゃ。これはネビにすらまだ見せたことはない」


「もしかして、まじで君って神の一柱だったりする?」


「なぜ私が腐神くされがみなのかを、教えてやろう」


 あまりに危険な気配。

 レヴィの本能が警鐘を鳴らしている。

 堕剣ネビにはすでに第六十一柱、渾神カイムが仲間についていると聞いている。

 他にも神の一柱が加わっていてもおかしくはない。

 全身に鳥肌が立つ。

 直感で理解できる

 十言神咒が、怯えている。

 これ以上、ここにいてはいけない。



「盛者必衰の理を顕せ、【迦哩腐神域カリフ・レ・ルム】」

 


 空間が、黒く染まる。

 ぱきぱき、と世界が枯れる音がする。

 気づけば地面にはヒビが入り、両側の壁にも細かな亀裂が幾つも走っている。

 重い、重い、空気。

 全身に尋常ではない重量感がのしかかり、指一本動かすことすら億劫に思える。

 

「ようこそ、私の棲家へ。どうじゃ? さぞ、生き苦しかろう?」


「……ちっ!」


 先ほどよりまた一段階上がった初速。

 やけに緩慢に感じる自らの身体。

 【天】では凌ぎ切れない。

 すぐに思考を切り替え、レヴィは再び十言神咒の【照】を発動させる。


「【十言神咒・照】!」


「もらうぞ、その時間」


 地面から咲き誇るように飛び出す黒い剣尖。

 しかし、その十言神咒の切先がアスタの指先に触れた瞬間、剣身が朽ちた枝葉のように脆く崩れて落ちていく。

 はらり、はらり、と宙に舞う漆黒の破片。

 あまりに滑らかな動きで、アスタが今度はレヴィに手を伸ばす。


「私の神域内で、私に触れるものは全てが物質的な時間を強制的に進められ、即時的に腐り落ちる」


「は?」


 アスタの指先が、レヴィの腕に触れる。

 その瞬間、右腕の第一関節より前の感覚が、消えた。


 ぼろ、ぼろ、ぼろ、ぼろ。


 最後に、ごとりと、音を立てて、十言神咒を握ったまま腕が地面に落ちる。

 乾燥地帯のように渇き切った土肌の上で、炭のように黒くなった彼の腕は砂粒のように細かくなって散っていく。

 次いで走る激痛。

 レヴィは苦悶に顔を歪める。


「黒く腐れ、小童」


「まずい——」


 銀髪の少女が、慈しむような表情で、もう一度手を伸ばす。

 この手に触れたら、そこで終わる。

 レヴィは絶望の中で、息を止める——、


「——驚きましたね。まさかとは思っていたけど、本当に実在したとは。“第七十三柱”。僕より上の数少ない神」


 唐突に迫りつつあった最期の時は、しかし訪れない。

 困惑に瞬きを繰り返すレヴィの前に立つのは、これまでずっと傍観を続けていた背の高い男。

 ロク。

 確かそんな名前の、平凡な加護持ち。


「なん、じゃと? この感覚はまさか!?」


「この誓約が効くとは、いよいよ本物ですか。もう


 どこか呆けていたような態度から一変し、理知的な気配で溌剌と喋る男は、気づけば髪の色を深い青に変えていて、先ほどまでとはまるで別人のよう。

 そのロクという名を自称していた男の前で、どうしてか腐神アスタは手を伸ばそうとして、ピタリと不自然に硬直していた。

 互いに対する絶対的な不可侵。

 神の力が適用できない相手は、同じ神のみ。


「“七十二の誓約サンクチュアリティ”、じゃと?」


「こんなところで神域レ・ルムを見れるとは思わなかったです。しかも、おそらくこれで、何かしらの制限がかかっている気がしますし。僕より格上の神なんて、片手で数えられると思ってました」


 強制的な硬直が解けると、アスタは自らの神域を解除する。

 重苦しい圧迫感は消えたが、レヴィの腐り落ちた腕はそのまま。

 彼の知る領域とは異なり、解除されてもなおその傷は消えないらしい。

 そしてもはや人とは明らかに異なる圧倒的な気配を隠そうともしなくなった、魚の腐ったような目をした神が、アスタに向かって律儀に頭を垂れた。

 


「どうも、お初にお目にかかります、第七十三柱の神。僕は第六柱“化神けしんオセ”。始まりの女神は近い未来に死に絶え、神々の時代がじきに終わるので、人に紛れながら僕は次の時代に向けた準備をしていました。挨拶が遅れたご無礼を、どうかお許し下さい」

 


 


 

 

 

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