重症
「うーん。ダメだな。そもそも、お前の想像の範囲が狭すぎる。これじゃあ、俺の望む
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、無理だ。あんたと同じレベルの力を出すなんて、どんな代償があっても創り出すイメージができない」
自らの
コメットは地面に膝をつきながら、過労のためか流れ出した鼻血を手で拭う。
その前では、少し前に自分で自分の腹に剣を突き刺していたにも関わらず、平然としている堕剣ネビ・セルべロスが彼女を見つめていた。
「これは予想外の難問だな。この能力の鍵は、思い込みの強さ。しかし、逆にその思い込みの強さが仇になった、能力の拡張に制限が出来ているわけか」
強い思い込みによって作動する能力。
それはある意味で、想像力を意図的に抑え込むことで発動できているとも言える。
自分の想像以上の現象を創り出そうとすれば、思い込みの強度が落ち発動に失敗してしまうのだ。
思い込みの想像範囲と強度のバランス。
それは簡単には変えられない。
「能力関係なしに、まずは常識の方を変えてみるか? 遠回りのようで案外近道になることはレベリングにはよくあることだからな」
堕剣ネビは、衣類に血の滲む腹部を撫で回しながら、表情を消してコメットを眺めている。
何か得体の知れない不気味さを感じ、コメットは無意識の内に自分の肩を抱いた。
「コメット、お前、魔物は食べたことあるか?」
「は?」
一瞬、コメットは何を言われたのかわからなかった。
まるで味に癖のある珍味を話題に上げたかのような気軽さで、堕剣ネビは魔物の食事の有無を尋ねている。
人間に魔物は食べられない。
魔物の血と肉、皮には人間や神々にとって毒である魔素が染み込んでいる。
そもそも、食べる理由もない。
食べようという発想が生まれたことすらなかった。
「ないのか?」
「……あったらおかしいだろ」
「何もおかしくないさ。なら、試しに食べてみろ」
「は?」
「魔物は食べれるんだ。腹は減ってるか?」
「……」
堕剣ネビの問いかけに、コメットは答えない。
答えられないのではなく、答えない。
腹が減っているか。
その質問に単純に答えるならば、空腹と答えるべきなのだろうが、その返事がどんな未来を意味するのかは明らかだった。
「お前の想像の根底を変えてやろう。そうだ。ついでに、食べられる経験もしてみるか。コメット、お前、魔物に食べられたこともどうせないだろう?」
どうせも何も、普通魔物に食べられたら死んでいる。
寒くもないのに、コメットの身体が自然と震え始める。
何かが、オカシイ。
彼女の目の前に立つ、元人類最強の男は、何かが決定的にズレていた。
「まず、魔物に食べられてみる。次に、魔物を食べてみる。どっちもお前の想像力の幅を広げることになるだろう。
指を一本立て、次に二本立て、まるで子供に優しく教える親のような朗らかさで、堕剣ネビは狂気染みた教えを説く。
こんな状況でなければ、悪趣味な冗談だと聞き流してしまうところだ。
(嘘だろ。この目。この人、本気で言ってる、だと?)
しかし、コメットには理解できてしまう。
どこまでも純粋に澄んだ赤い瞳。
瞳孔が開き切ったその視線は、瞬きの数が異様に少ない。
笑えないジョークを言っているわけではない。
本気だ。
本気で、堕剣ネビは魔物に喰われ、喰おうとしているのだ。
「だが、普通にやっても、お前の強い思い込みは打ち破れないかもしれないからな。一つ、軽いプレッシャーをかけてやろう」
「軽いプレッシャー?」
「もしお前が魔物を食べれなかったら、代わりに俺がお前を食べよう」
「なっ!? 代わりに!? 何の代わりだそれは!?!? 全く意味がわからないぞ!?」
「ははっ。少しは元気が出てきたみたいだな。どうだ? これでちょっとはやる気になっただろう?」
軽い意地悪のような楽しげな雰囲気で、堕剣ネビはあまりに邪悪な宣告をする。
もし、コメットが魔物を食べることができなければ、コメットが堕剣に食われる。
常識的に考えれば、人が人を食べるなど、人が魔物を食べること以上にありえない、想像すらできない禁忌の行為に思える。
しかし、相手は堕剣。
始まりの女神ルーシーから力を没収され、それでもなお神殺しを続ける常軌を逸した悪鬼だ。
この優しげな微笑を浮かべたまま、次の瞬間にコメットを串刺しにしてその血肉を咀嚼し始めても何の違和感もない。
「俺とお前が魔物に食べられた後、俺が内側から魔物を殺す。それが合図だ。お前は魔物を食べながら、固有技能を発動させろ。そうだな……試しに、周囲のものをお前以上に美味い食べ物に見えるようにイメージしてみろ。そうすれば、俺はお前の代わりに別のものを食べるだろう。もし失敗すれば、お前を食べる」
「む、むちゃくちゃだ。言っていることがとても正気とは思えない……!」
「それだ。それだよ、コメット。俺はお前のその正気の定義を変えたいんだ。何をもって当たり前を判断する? 何がどうしていれば正気の証明になる? 狂ってるのは俺かお前か、それを決めるのは何だ?」
「そ、それは……」
世界から追放された男が、正気の定義をコメットに問う。
彼女からすれば、というより世界中の誰もが堕剣ネビの正気を疑っている中、その男はいまだに自らの正常さを微塵も疑っていない。
「わからないか? 簡単だよ、コメット。レベリングだ。レベリングが決める。俺とお前、どっちが正しいかを決めるのはレベリング次第だ。より効率的にレベリングしているやつが正しいんだよ」
当然の答えを教えた、というような自信満々の表情で堕剣ネビは笑う。
最後の最後まで、その黒髪の男が何を言っているのかコメットには理解できない。
「まあ、いきなり魔物をそのまま齧るのは流石に抵抗があるだろうからな。最初はクリスタルでも飲み込んでみたらどうだ? 試食というか、練習がてらに。実はそれ、魔物の一部なんだよ。キャンディーだと思って食べてみれば、お前でも意外にいけるかも知れないぞ? 俺も前回の
あくまで親切心、といった調子で堕剣は流暢にぺらぺらと一人で喋り続ける。
それを呆然と眺めるコメットは、あまりに現実離れした会話の内容に、何が現実で、何が自分の妄想なのか段々とわからなくなってきていた。
(ああ、ボクはもう、手遅れだ。引き返したくても、もう引き返せない)
ただ、一つだけ、理解できたことがある。
これから先は、その赤い目をした男が信じる定義の上でしか、コメットもまた生きてはいけないということ。
それ以外の選択肢は、もう残されていないのだということだけは理解することができた。
「さあ、コメット、腹は減ってるか?」
—————
いきなり自らの
狂気の片鱗。
強者が必ず少なからず纏う、人としての僅かな危うさ。
潰しがいが、ある。
ヴィンセントは認識を改める。
目の前の女は、摘み取るに値する才能の持ち主だと。
「アヘアヘしちゃうねェ! そんな顔されちゃうとよォ!?」
大鎌の形をした剣想である
それを吊り目の女は正面から受け止める。
踏ん張った際に負荷がかかったのか、口から吐血しつつも、並の相手であれば潰せるはずの一振りを耐え切った。
「耐えれる耐えれる耐えれる耐えれる。ボクは耐えれる」
「死に近づけば近づくほど力を上げられる剣想かッ! 中々いいモン持ってんじゃねぇか! それでもそこまで迷わず自傷できるのはぶっ飛んでるけどなあ!?」
女の裂傷は明らかに重症だ。
長く持つとは到底思えない。
もし、仮にヴィンセントに打ち勝ったとしても、この第二選別を生き残れるとは思えない。
つまりは、いとも簡単に死を覚悟したということ。
勝負の結果関係なく、すでに、命を捨てているのだ。
(この凡庸な女が、俺とまともに打ち合えるレベルまで力を底上げするには、仕掛けがないとありえない。それがあの自傷と関係しているのは見ればわかる。つまり、常識的に考えれば、こいつはもう放置してりゃ、勝手に死ぬ。俺は適当に流せばいいだけだ……でも、それじゃあ、面白くねぇよなぁ?)
血走った目でヴィンセントを見つめる女が、今度は爆発的な初速で踏み込んでくる。
回避するという選択肢もあるが、彼はそれを選ばない。
口角をあげ、獰猛な牙を見せながら髑髏を大振りする。
——ゴキィ。
凄まじい勢いで衝突する互いの剣想。
骨が軋み、筋繊維がちぎれる。
それでも、ヴィンセントの興奮は増すばかり。
彼の
死への恐怖がないのは、彼も同じだった。
「カカカッ! これだから
「……ちっ!」
ヴィンセントの乱舞に、相手の女もついてくる。
技術こそ拙いが、野生の獣のように危険なタイミングを測って振るわれる一撃は鋭く、何度か彼の皮膚を薄く切り裂く。
「足りない足りない足りないねェっ!? もっと腰振る速度上げろや女ァ!?」
「くそっ! まずい! このままじゃ、引き剥がされる!」
ヴィンセントが剣戟のテンポを加速させる。
女の一閃を横に跳び退き避けると、そのまま壁を数歩分駆け抜け、背後に回る。
能力の底上げとは言っても、限界はある。
彼のその予想通り、女の反応が僅かに遅れる。
「まだだ!」
「いや、終わりだよ。一撃はくれてやる」
目では追えていない。
予測と直感のみで放たれた振り向き様の一閃。
それをヴィンセントは完全に避けることはしない。
脇腹を大きく切り裂かれるが、髑髏の特質のため痛みはほとんど感じない。
痛みがなければ、止まる理由にはならない。
そのまま、ヴィンセントは大鎌の先端で女の胸の辺りを貫く。
「——がっ」
「謝ってやるよ。お前は、才能ありだったな。わりと、楽しめたぜ」
ヴィンセントが髑髏の刃を抜くと、そこで女は片膝をつき、聖剣と呼んでいた剣想が消える。
勝負は決した。
元々瀕死の状態下で出していた力。
そこに更に彼の致命の一撃が加わった。
まだ息をしているのが不思議なほどのダメージのはずだった。
「ってあ? お前、最初の傷が……どういうことだ?」
「はぁ、はぁ、はぁ。次が、第三条件。ここを超えないと、
しかし、ヴィンセントはある違和感に気づく。
それは、女の傷の数だ。
脂汗をかきながら片腕で抑える腹部には、ちょうど今ヴィンセントがつけた傷が一箇所あるだけだ。
最初に自傷した致命傷はまるで最初からなかったかのように、服に汚れさえ残っていない。
まだ、一撃与えただけ。
そこで初めて、彼はある可能性を思いつく。
「まさかお前……精神操作の類の
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。やっと気づいたか。だが、それでいい。気づかれた上で、発動できないと、あの人の求める
「……何を言ってるかはわからねぇが、こりゃ一本取られたな。ちょっと、ムカついちゃったぜぇ?」
幻覚系の固有技能。
それはありえない可能性ではない。
実際に加護持ちの頂点に立つ者の一人、神下六剣の“
ヴィンセントは、屈辱に顔を歪める。
自らの心を手玉に取られる。
それは、彼にとっては笑えない屈辱だった。
「もういい。冷めた。殺す」
女の能力の仕組みが完全に理解できたわけではない。
ゆえにヴィンセントは、終わらせることにする。
この女は、笑えない。
髑髏を握り直し、その切先を闇の中で向ける。
「……ふふっ」
「あ? なに笑ってんだ? お前?」
「ああ、すまない。悪い手本を見すぎたみたいだ。ボクも重症だな」
しかし、女は、まだ笑っている。
架空の剣想を消し去り、本物の重症を負いながら、それでもまだ笑っている。
何かが、オカシイ。
この女は、何かが決定的にズレている。
得体の知れない不気味さを感じ、ヴィンセントは眉を顰める。
「ここから先は、何が現実で、何が妄執か、もうボクですらわからない。でも、それでいいんだ。それくらいじゃないと、あの人の鍛錬にならない」
女の瞳から、光が消える。
何かに取り憑かれたかのように、焦点の合わない視線をゆらゆらと宙に注ぐ。
正気では考えられない何かが、来る。
想像を超える何かの気配を、強く感じる。
——グルルッ。
どこからか、獣が腹を空かせた音が聞こえた気がした。
そして、目を眩ませるような蒼白の光がヴィンセントを照らし出す。
「……救え、【
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