異端




 神々の時代。

 今、世界はそう定義づけられている。

 街の外灯、水道設備、生活の知恵、罪の定義から、その全てが神々の価値観と恩恵の下にある。

 人々は皆、神々に感謝を捧げ、絶対的な存在として崇めている。


 だが、光と影があるように、どこにでも例外は存在する。


 人々は日々、農業や漁業、観光業、工業など様々な職種に勤しんでいるが、そこに選択の自由は完全にない。

 ある程度の希望は可能だが、全職業に七十二柱の神々の内の何らかの一柱が関わっているため、神々に認められなければ自らの望む場所にはつけない。

 また反対に、本人の意思とは関係なく、神々が命じれば、命じた先で人生を全うしなければならないのだ。

 自由を許されているのは例外的に加護持ちギフテッドのみ。

 そういった意味でも、加護持ちは選ばれし者と呼ばれるのだった。


 大陸の西海岸で生まれた一人の少年。

 街商店の一人息子として育った彼は、両親の跡を継ぎ商人として生きていくつもりだった。


『うちの商品は高品質だけど低価格。毎日が出血大サービスさ』


 商人である父のことが、少年は好きだった。

 自らもいつか商人になり、父と一緒に店で色々なものを売っていく。

 それ以上は望まないし、それだけでいい。

 自由なんて要らない。

 小さな幸せで満ちた今の生活だけで、十分だと思っていた。


『……え? 父、さん?』


 しかしある時、実家の商店の品物がぱたりと売れなくなった。

 これまで両親に優しくしてくれていた街の人々は、何も買わなくなり、寄りつくことすらしなくなった。

 少年にはその理由がわからなかった。

 宙に浮かぶ父を見上げながら、彼は言葉を失う。

 ただ、噂が聞こえるだけ。

 囁き声のようで、歌声のようにはっきりと耳に届く言葉。


 ——あそこの家は、神の不興を買ったらしい。


 神から見放された。

 理由も経緯も、関係はない。

 そこにあるのは、結果だけ。

 神が彼の両親の商店を、自らの庇護の下から切り捨てた。

 たったそれだけで、彼の両親は生きる術を失ったのだ。

 神に決められた人生を必死で全うし、神の気まぐれによって人生を奪われてしまった。


『レヴィ、大丈夫だ。お前はまだ、神に見つかっていない』


 小鳥の囀る、爽やかな朝だった。

 涼しげな風が、半開きの窓のカーテンを揺らしていた。


 父は優しい笑みを浮かべて、そう言葉を残して、静かに首を吊った。


 その後、母は少年に何も言葉を残さずどこかに消えた。

 もう彼の名を呼ぶ者は誰もいなくなった。

 ひとりぼっちになった彼の下に、しかしやがて一人の女が現れる。



『きみは、神を信じていますか?』



 赤い髪に黒い瞳をした女。

 ボタ、ボタ、と垂れる粘り気のある液体。

 女が胸元に大事そうに抱えるのは、かつてよく少年の両親と仲良くし、彼ともよく喋っていた貸金屋の男の生首。

 何かに驚いたように目を見開き、血と泡を滴らせる舌をだらりと垂れ下げている。

 不健康そうに土色になった貸金家の男は、最近は少年の実家から勝手に商品をもって行っては、彼に暴力を振るうだけで会話をすることもなくなっていた。

 そんな旧知の男の脂ぎった髪を無造作に撫でる女は、返り血に汚れた服を気にすることなく少年を見つめていた。


『……いや、もう信じるのはやめたよ。なんか、だるいし』


『そっか。じゃあ、きみのことは殺さなくていいってことですね』


 ほっとしたような表情で、女は笑う。

 柔らかな雰囲気に、牧歌的な声。

 血まみれで知人の生首を抱えているとは思えないほど、穏やかな人に思えた。


『きみ、お名前は?』


『俺はレヴィ・エリファス。あんたは?』


『わたしはファウスト・ネクロノミコン。よろしくね、レヴィ』


 どこかで聞いた覚えのある名前だと思ったが、少年——レヴィはよく思い出せなかった。

 そしてその日を境に、彼は女と共に過ごすことになった。

 もう彼の名前を呼ぶのは、彼女しかいなかった。

 段々と女と彼の旅路に加わり、協調し、手を貸す者も増えていった。

 神々の時代では、彼らは異端者と呼ばれた。

 それでも、構わなかった。

 何が異端かを決めるのは、自分自身だと気づいたからだ。

 そんな異端の日々が続く中、神々の世界へ、第一柱“始まりの女神ルーシー”から福音しらせが届く。


 剣聖が、堕ちた、と。


 存在は知っていたが、深い興味はなかった。

 だが、その剣聖が堕ちたことによって、彼らはとある呼称で呼ばれるようになった。

 “七十三番目の代弁者セブンティースリートーカー”。

 異端の証として、73の刻印タトゥーを刻む彼らは、堕ちた剣聖に連なる者とされたのだ。


『ねぇ、レヴィ。わたし、ネビ・セルベロスに会ってみたい』


『え? なんで?』


『わたしのところに、連れてきてくれますか?』


『まあ、お姉様がそう言うなら』


 長い旅路の中で、女を姉と呼び慕うようになったレヴィは、彼女が望むからというだけの理由で堕剣ネビを探すことにした。

 彼女が望むなら、彼女が望むままに。

 女はよく言っていた。


“わたしは、神を信じる者全てを、殺したいのです”


 だから、神そのものを殺そうとする男が彼女に会うのは必然に思えた。

 そのために、レヴィは全てを賭ける。

 人生も、命も、たった一人の女のために。

 彼が姉と呼び慕う女が死ねと言えば、彼は迷わず死ねる——、




「あめのおき、つちのおき、あめのひれ、つちのひれ……【十言神咒とことのかじり】」




 ——ズプゥ、と何もない空間から、黒い糸を引く片刃の一太刀を抜き取る。

 判別不能の文字のようなものが刀身を埋め尽くすように刻まれた剣。

 滲み出る魔の気配。

 闇が黒く重く染まっていく。

 その剣を握るだけで、レヴィの半身の血管が不吉そうな青紫色に浮き出る。


「お主。それはまさか、“魔剣”か?」


「へえ? 物知りじゃん。そうだよ。せっかく七十三番目を名乗ってくれてるわけだからね。本気で、殺ってあげるよ」


「はっ! 面白い。魔剣使いとやるのは、中々に久しぶりじゃぞ。昂る昂る。思ったよりは楽しめそうじゃのう!」


 銀髪の少女——アスタと名乗った相手は、レヴィの予想とは異なり、興味深そうに目を細めるだけで動揺や怯懦の様子は見せなかった。

 むしろ興奮した面持ちで、嬉々として拳を握りしめている。


(意外に肝が据わってるなー。それか、ただのお馬鹿さんなのか)


 魔剣。

 それは文字通り、魔素を宿した刀剣のこと。

 多くは魔物ダークの上位個体の屍体の一部や、生きながらに血骨を利用して作り出された物とされる。

 所持するだけで神々への反逆の意を示す禁断の業物。

 大きな力の代償として、世界への裏切りを証明してしまう一振りを目の当たりにしても、アスタは澄んだ瞳で前を向き続けるだけだった。


(なんか、ちょっとお姉様に似てるかもな)


 レヴィは十言神咒を強く握ると、認めることにする。

 少なくとも、殺すに値する。

 少年は、銀髪の少女を呪うことにする。



「神の呪い方を教えてあげるよ。出血大サービスでね」

 




——————





 ゆっくりと歩きながら、彼は緊張に身体を武者震いさせる。

 辺りは暗がりだが、夜目は効くため視界は明瞭だった。

 すでに親しみ慣れている湿気を多分に含んだ空気。

 広大な洞窟内に幾つか気配を感じるが、そのどれもが彼にとっては取るに足らないもの。


 ——懸念は、たった一つ。


 彼は強者だ。

 恐れる必要があるものなど、ほとんど存在しない。

 実際、これまで何度も何度も、無謀にも彼に挑んできた愚か者たちを彼は葬り去ってきた。

 無礼にも土足で彼の領域を踏み躙る小虫ども。

 若干の煩わしさは感じたとしても、脅威になる者は存在しなかった。

 

 ——だが、懸念が、たった一つ。


 これまで彼に挑んできた者は皆、無造作に捻り潰されるか、あるいは懸命に逃げ惑い彼の不興を買わないように息を潜めそのまま消えたか、そのどちらかだった。

 しかし、例外がたった一つあった。

 それは、小さな獣だった。

 過去において、唯一、捻り潰すこともできず、逃げ惑うこともしなかった小さな獣。

 その獣は、特別強かったわけではない。

 単純な力比べであれば、負けることはない。

 ただ、明らかに異常ではあった。

 矮小な肉体に、平凡な力。

 それにも関わらず、内包されていた異常性に、彼は屈したのだ。


「……」


 彼の鋭敏な感覚が感じ取る。

 慣れ親しんだ気配が、凄まじい勢いで自らの方に向かってくる。

 そこから感じ取れるのは、鬼気迫るほどの焦燥。

 この深く暗い洞窟内で、彼のよく知る気配がこれほどの狼狽を感じさせるのは、過去にたった一度。


 “アレ”だ。


 “アレ”と遭遇したときと同じ予兆。


 “アレ”が戻ってきたのだ。


 蒼白の光を輝かせる鎧をぶるりと震わせ、彼は何十本もある腕を強張らせる。

 死を覚悟、というよりは死すら救いと思えたあの三日間。

 おそらく、あの再現が近づいてきている。

 強者としての誇りは、“アレ”の前では必要ない。

 少しでも驕れば、それを利用される。

 僅かでも迷えば、それを食い物にされる。

 微かにでも間違えれば、死すら生温い苦痛が待っている。


 黒い毛と赤い瞳をした、小さな獣。


 傷は癒えたが、痛みは消えない。

 逃げても、逃げても、“アレ”は追ってくる。

 しかし、それでも、逃げ続けなくてはならない。

 挑んだ代償は、今でも深く覚えている。

 復讐心すら浮かばないほどの悪夢。

 彼は暗路の奥に、自らと同じ青白い光を見つける。


 彼——“鎧百足ニーズヘッグ”は、ツガイでもある同族の魔物ダークが近づいてくるのを見つめつつ、全身に魔素を漲らせながら待ち構える。

 本能が囁く。

 “アレ”がいる、逃げろ、と。

 

「riiiiiiiiiiiiiilllllllllllll!!!!!!!」


 彼は逃げそうになる足に力を込め、無理やりその場に留まる。

 妻が、呼んでいる。

 声を枯らして、恐怖を叫んでいる。

 助けて、と、彼の愛した唯一の相手が泣いている。



「アハハハハハハハッッッッ!!!!! やっぱりもう一匹いたかァッ! 久しぶりだなァオオイ!?!?! フゥゥゥゥ!!! つまりィ! これでェ! レベリングも二倍ってコトォッ! 今回も一緒にたっぷり骨の髄までレベリング楽しもうなあああああアアアア!?!?!?!?」



 逃げたい。

 今すぐにも踵を返して走り出したい。

 しかし、ニーズヘッグは見つけてしまう。

 彼の妻の臀部に、“アレ”がしがみつき、あろうことか大口を開けてその小さな牙を突き立てている姿を。

 獣だ。

 黒い毛と赤い目をした、異端の獣。

 挑もうと思ってはならない。

 それはもう身をもって知っている。

 ゆえに、彼が思考を割くのはたった一つ。

 

 たとえ、自分がどうなろうとも構わない。

 せめて、妻だけでも。


 青白い光に魔力を帯びさせ、彼は命を賭して、愛するものを救い出すためだけに恐怖の前に立つ。



(今度コソ、君ヲ守ッテミセル)


  

 

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