侵食



「お前のその才能、俺に貸せ」


 蒼白に輝くクリスタル。

 眩い輝きを二つ分コメットの眼前に掲げると、黒髪の男が興味深そうに赤い瞳を細めた。

 堕剣ネビ・セルべロス。

 神殺しの罪を背負う、世界から追放された唯一の男。


「ボクはどうして、まだ生きてるんだ? 今、確かに首を切り飛ばされたはず。その感覚は確かにあったのに……腕も、まだ繋がっている?」


 柔らかな自らの首肌をおそるおそる触ってみれば、そこからは確かな繋がりと温もりを感じ取ることができる。

 両腕を切り飛ばされた記憶が鮮明に残っているにも関わらず、その小さな手のひらは未だに自分の視線の先にある。

 困惑に澱む思考。

 コメットは自分の中で現実と空想が曖昧になっていくのを感じた。


「何をそれほどに動揺してるんだ? 自分の能力スキルだろう?」


「さっきから、何を言っている? ボ、ボクの剣想イデアはどこに?」


「……そういうことか。無意識で発現させていて、制御下にないまま使っていたということか。つまり効率化も修練も何もなされていない原石の状態で、この影響力。ますます気に入ったぞ。いい鍛錬レベリングになる」


 赤く錆びた剣を手でさすりながら、堕剣ネビは妖しく笑う。

 純粋な好奇のみが宿った瞳を爛々と輝かせ、ゆらゆらとコメットの周りを静かに歩き始めた。


「まずは自覚から始めよう」


「自覚?」


「お前が剣想イデアが呼んでいたさっきの剣は実在していない。お前が自分自身の固有技能で実在しているように見せていただけだ」


「ボクの聖剣エクスカリバーが実在していない? どういう意味だ?」


「そのままの意味だ。お前、バルバトスの前でもそれを使ったのか?」


「実在、してない? ボクの剣想が? じゃあ、ボクは剣想を出せないってことか? ボクは加護持ちギフテッドじゃない? ……やめろ。もう、やめてくれ。さっきから、一体何を言っている。頭が痛い。頭痛が止まらない」


「ギフテッドアカデミーもそれで卒業したのか。ということはつまり、お前の固有技能は神すら騙せるということか」


 鈍い痛みを抑えつけるように、コメットは自分の頭を抱え込む。

 その間も、とん、とん、と一定のリズムで赤く錆びた剣で地面を叩きながら、堕剣が彼女の周囲を回り続ける。


「次は条件だな。俺はすぐに違和感に気づけたが、一度はお前の偽の剣想を俺も感じ取ることができた。お前の能力はどこまで騙せる? どこまで現実を侵食できる?」


「うぅ……痛い痛い痛い。頭が痛い」


 堕剣が語る言葉が増えるたびに、コメットの頭痛が酷くなる。

 彼女がずっと信じていたものが、根本から崩れ去っていく感覚。

 何者にもなれないと感じていた自分の中で、唯一信じることができた才能ギフト

 それは、全て幻想まやかしだった。

 腕も首も、未だに繋がったままにも関わらず、全身を切り裂かれたような痛みが彼女を襲う。


「挑戦と分析。まずはもう一度、さっきの剣想を出してみろ。条件を探るぞ」


「そうか。やっぱり、ボクには、何もないんだな。何の才能も持たない凡人。いや、凡人以下かもしれない。特別には、なれない」


 ゆっくりと絶望が広がっていく。

 唯一信じることができていた加護ギフトは自らにないことを知り、諦観に暮れるコメット。

 しかし、そんな彼女を真っ直ぐと見つめ続ける男がいる。


「何してるんだ? 早く剣想を出してくれないか? それとも時間がかかるのか?」


「……ボクには剣想は出せない。あんたがそう言ったんだろう」


「ああ、言い方が不味かったな。本物の方じゃなくて、偽物の方だ。現実ではなく空想の方を出してほしい」


「何のために?」


「それがお前の、才能だろう? その特別な力を、俺に貸せ」


 才能を、貸せ。

 再び、堕剣は語る。

 特別な何かを持たない自分に失望したコメットに、才能を強要する。


「……何が特別だ。紛い物の才能なんていらない。そんなものが何の役に立つって言うんだ」


「いや、役に立つぞ。鍛錬レベリングに役に立つ。お前の才能スキルは特別だ」


 聖剣。

 コメットがそう呼んでいた自らの剣想イデア

 実際には存在していない架空の剣想。

 それを、もう一度。

 実在していないことを自覚した状態で、もう一度発現させる。

 それはこれまでとは全く異なる意味を持った行動になる。

 架空の剣想を顕現させる固有技能ユニークスキル

 自らに残されたたった一つの力を、コメットは否が応でも受け入れなくてはいけない。


「さあ、俺にもう一度、お前の力を見せてみろ」


 堕剣が、待ちきれないと言わんばかりの笑みを浮かべてコメットを見つめている。

 クリスタルが、揺れる。

 コメットの心も大きく揺れている。

 しかし、堕剣は待たない。

 赤く錆びた剣を掲げ、選択を強要する。

 

「どうした? 死の気配が足りないか? なら、手伝ってやろう。お前に本当の死の間際を見せてやろう。これが手本だ。俺が見たいのは、こういうだ」


 赤く錆びた刃の切先は、コメットの方を向いていない。

 それは、彼女の常識を塗り替える一閃。

 噴き上がる真っ赤な血潮。

 黒く生温かい液体が、彼女の顔にかかる。

 狂気が、現実を塗り替える。



「さあ、同じことを、お前は架空の剣想で起こしてみろ。それが現実ではないことを、痛みと共に知れ。それがお前の鍛錬レベリングへの一歩目だ」

 



————


 

(ボクの拡張妄執パラノイアを発動させるための条件の一つは、相手のであること)


 加護持ちギフテッド剣想イデアを顕現させる。

 それは加護持ちの中では常識的な出来事だ。

 コメットは今ではもう、自らの固有技能ユニークスキルの発動条件を理解している。

 彼女の固有技能を発動させるためには幾つか制限があるが、その内の一つが、想像を超えるような出来事は起こせないというもの。

 しかし逆に言えば、相手の想定内にある出来事であれば、それがの出来事であっても現実に起こすことができる。

 それがコメット・フランクリンの固有技能、“拡張妄執パラノイア”の能力だった。


(第一条件は突破クリア。堕剣はボク自身すら騙していた拡張妄執を見抜いたが、この男は気づいていない。それもそうか。加護数レベル29の加護持ちが剣想を出せないなんて、むしろそっちの方がありえない)


 “加護狩りギフテイカー”のヴィンセントが、観察するような視線でコメットを見やるが、剣想自体が実在していないことには気づいていない。

 もし、この時点でコメットの拡張妄執が看破された場合は、そこで勝負が決していた。

 鍛錬レベリングにすらならない。

 その最悪の事態は脱したことに、コメットは安堵する。

 もっとも、だからといって、相手が圧倒的格上であり、勝ち目がほとんど存在しないことには変わりないのだが。


「それじゃあ、そろそろ逝くぜ? 前戯に時間をかけすぎると、盛り下がっちまうからなァ!?」


 禍々しい大鎌の形状をした剣想を手にしたヴィンセントが、軽く踏み込むと、その瞬間コメットは姿を見失う。

 だが、彼女はその事に今更動揺することはない。

 初めから、目で追えるとは思っていない。

 その程度では、鍛錬にならない。


(見るんじゃない。感じるんだ。まずは“感覚センス”の鍛錬レベリングだ)


 死の境地。

 それはコメットにとって、これまでは遠くにあると思っていたものだったが、数日で隣人へと変わった。

 死は、遠くない。

 すぐそこにいて、ただ、触れられないだけ。

 コメットは教えの通りに、意識を集中させる。

 不意に、氷のような冷たさを首の左側から感じた。

 横に跳んでも、冷たさに触れたまま。

 後退でも、その冷たさから逃げきれない。

 本能のままに、コメットは勢い下によくしゃがみ込む。


「——へえ? 避けるかよ。勘がいいじゃねぇか。凡人ザコの割には、いい腰つきだなアアン!?」


 寸前まで自らの頭があった空間を、凄まじい速さで凶刃が通り過ぎていく。

 ドクン、とコメットの胸が大きく跳ねる。

 たった今、一つ死が彼女の目の前を通り過ぎた。

 彼女は堕剣の言葉を思い出す。

 死線を一つ超えるたびに、成長がある。

 つまり、数秒前の自分より、今の自分の方が、強い。

 その堕ちた剣聖の教えだけが、今のコメットの命綱であり、心の支えだった。


(……はっ。そうか。この、感覚か。堕剣が言っていた。鍛錬の快感。分かりつつあるボクは、やっぱりもう、後戻りはできない領域にすでに来てしまっているんだな)


 コメットの口角が、気づけば上がっている。

 実在していない聖剣を握り、そして彼女はさらに狂気の道を進む。


(あくまで今のボクがいるのは、最低ライン。次は、もう一つ奥に踏み込む。あくまで今のボクは、相手の常識の範囲内で現実を創り上げているだけ。ここから先は、ボクの妄執に相手を引き摺り込む)


 聖剣を、強く握る。

 その感覚は、コメットにとっては現実に等しい。

 頭に浮かべるのは、彼女を常識の外に強制的に連れ出した堕ちた剣聖の姿。


「でもやっぱり、足りねぇな。俺を悦ばすには、刺激が弱すぎる。お前、死ぬぜ?」


「試してみるか?」


「あ?」


「本当に死ぬかどうか、試してみよう」


 相手の常識を塗り替えるのは、簡単ではない。

 目を瞑れば、消えてしまう程度の景色を見せたくらいでは、塗り替えられない。

 もっと、深く、鮮明に、刻み込む。

 コメットの拡張妄執のもう一つの発動条件。

 それは、相手にとっての常識外であっても、その、その常識外が現実になる。


「死の代償に、ボクは、貴様をここで止める。それがボクの能力スキル。死に近づけば近づく程、その力を増す」


「おいおい、お前、正気か? わざわざ俺を倒すために、そこまでするか? ハハッ! いいねェッ! ちっとは楽しめそうだなァ!?」


 ——ザクリ、とコメットは聖剣を、自らの腹部に突き刺す。

 妄執を超えた激痛が、彼女を襲う。

 その痛みを代償に、彼女は力を得る。

 そう、コメットとヴィンセントの両者が信じた場合、それは虚構ではなく現実となる。

 

(これで、第二条件、突破クリアだ。鍛錬レベリングまで、あと一つ)


 身に宿る力が、増す。

 突然の自傷行為を見たヴィンセントが、コメットの常識外の行動に説明をつけるために、現実が侵食されたのだ。

 

“ヴィンセントに対抗する力を得るために、自ら瀕死の状態になった”


 妄執が、拡張される。

 コメットは、まだ笑っている。

 死に限りなく近い痛みすら現実に変えて、彼女は胸から血に塗れた聖剣を抜き取る。



「さあ、妄執の血に濡れろ現実。ボクの鍛錬レベリングの時間だ」


 


 

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