不興


「くそったれめ! ネビの奴! あの怪物を倒すのは私じゃ! これ以上あいつばかり目立たせてたまるかっ!」


 銀髪を振り乱しながら、アスタは洞窟の中を駆け抜けていた。

 全身をクリスタル質の皮膚で固めた凶悪な魔物ダーク

 その身に秘められた力はアスタから見ても中々に大きなもので、簡単に倒せるものではないのは明らかだった。

 しかし、なぜかその青白く輝く怪物はネビの姿を見た瞬間に、それまでの好戦的な雰囲気を消して突如逃走を始めた。

 迎撃体制を整えていたアスタは、予想だにしない敵前逃走に虚をつかれ、出遅れてしまった。

 一方ネビは迷いなく怪物に飛びかかり、そのまま暗闇の奥へと猛然と消えていったのだった。


(にしても本当にネビの奴は判断が早すぎる。あの魔物、普通にネビより格上だった気がするが、よくもあそこまで迷わず動けるものよ。まあもっとも、あいつが格上以外に挑んでいるところは見たことがないが)


 自然とアスタの口角が緩む。

 最初は、期待だった。

 だが、段々と期待は確信に変わり始めていた。

 始まりの女神ルーシーを討つ。

 それがこの世界において、どんな意味を持つのか、一番理解しているのはアスタ自身だ。


 ——不可能。


 心のどこかで、薄らと諦めかけていた。

 アスタをこの世界から忘却させた第一柱を冠する女神。

 その女神が持つ力を、誰よりもよく知っているのはアスタだ。

 なぜなら、そもそもアスタが自らの能力を制限するという代償に、力を譲渡したのが始まりの女神ルーシーなのだから。


(だが、ネビなら、奇跡を起こせるかもしれん。あいつは恐ろしい速度で成長を続けておる。今や私でも全く計りきれん。現時点ですらどれほどの力を秘めているのかわからん。いや、あいつ最初から意味不明だった気もするか)


 なぜネビがルーシーによって追放されたのか、最初アスタにはわからなかったが、今では何となく予想がついた。

 始まりの女神は、予定調和を好む。

 計算できないものは、必要としない。

 ネビ・セルべロスは、あまりに予測不能すぎたのだろう。


「ん? 何じゃ?」


 暗路を走り続けると、途中でわずかにひらけた空間に辿り着く。

 そこでは三つの道に枝分かれしている。

 そしてその内、二つの道の方向から人の気配を感じ取る。

 興が削がれる。

 アスタは銀色の瞳を僅かに暗くさせた。


「あー、だる。やっと見つけたと思ったら、肝心の堕剣いないじゃん。外れかー。オマケの方には興味ないんだけどなー」


 左側の通路から姿を出すのは、退屈そうな表情でヘソを掻く黒髪の少年。

 弛緩した態度でアスタを見やると、大きな欠伸を見せる。

 

「お、コメットと一緒にいた子、見つけたんだなあ。あれ? でもコメットがいない? どこだろ?」


 右側の通路から顔を出すのは、呆けたような態度で辺りをキョロキョロと見回す背の高い青年。

 アスタの顔を一度だけ見ると、困惑したかのように首を傾げる。


「……どいつもこいつも、ふざけよって。ネビとの競争は後回しじゃ。まずはこの不敬がすぎる人間どもに教育をせねばならんようじゃな」


 不興が、不機嫌に変化する。

 アスタには理解できない。

 なぜ、この愚かな小僧どもが、これほど自身を軽んじるのか。

 かつて始まりの女神ルーシーと共に並び立ち、魔物の時代を終わらせ、大いなるを世界から取り除いた偉大なる創世の一柱としての誇りが、これ以上の侮辱を許せなかった。


「ねー、堕剣ネビ、どこ? 君、一緒にいなかったっけ? 俺、堕剣に用があるんだけど」


「なあ、そこの人。コメット、どこか知らねが? おら、コメットに会いたいんだなあ」


 アスタの手元にあるクリスタルは左でも右でもなく、中央の道の先を示している。

 これは寄り道に過ぎない。

 世界に叛逆の意を示す前に、まずは前提を教えなければならない。

 始まりを終わらせるほど大きな七十三番目の存在を、無知な子供達に突きつける。


「愚かな小童ども。私の名は腐神アスタ。第七十三柱の神。お主らは気づくべきじゃ。私という存在を。七十三番目の本来の意味を」


 銀色の瞳に、高貴な輝きが宿る。

 創世の時、二柱の神は、迷った。

 どちらを一柱とするか。

 なぜなら、彼女たちは同格であり、そこに序列は存在しないからだ。

 


『なら、こうしましょう。私が始まりの女神で、貴方が終わりの女神。数字は一と七十三にしましょう。私がの数字で、貴方がの数字を冠するの。これで、対等に偉大でしょう? 最初の女神“ルシフェル”と最後の女神“アスタルテ”。世界の終わりも始まりも、私たち次第』



 破壊と創造。

 それは対であり、等しい力。

 どれだけ堕ちたとしても、その誇りは失われない。


「七十三柱? ……もしかして、俺の後輩さん? だから堕剣と一緒にいたのか。あー、そうなんだ。ウケるね。じゃあ、入団テストしてあげるよ」


 黒髪の少年が、退屈そうな表情を、少し笑わせる。

 そして首元の襟を少し捲り、刻印タトゥーを顕にする。

 

 刻まれていた数字は、“73”。

 

 それは、神々の庇護の下にある限り、決して刻まれるはずのない反逆の数字。

 自らの意思で刻んだ、とある思想を示す自己証明。

 少年——レヴィ・エリファス。

 彼はとある過激派思想団体に所属している。

 その組織は元々、数年以上前から存在していたが、とある剣聖が堕ちたことから、ある名称で呼ばれるようになった。


 “七十三番目の代弁者セブンティースリートーカー”。


 レヴィはまだ、その呼称を認めていない。

 なぜなら、見定めていないから。

 彼の上に立つに値するのか。

 信仰を上書きする対象に相応しいのか、判断できていない。


「七十三。その数字、勝手に名乗られると、困るんだよね」


「ほざけ。名乗っていいのは、この世でただ一柱だけじゃ」


 堕剣が、この暗闇の先で待っている。

 アスタが、白い牙を見せる。

 目を離せば、置いていかれる。

 本当は、彼女が一番自らの価値を示したい相手は、無価値な世界などではない。

 叛逆の前に、まず最初にあの男に対して、証明して見せる。

 

 ネビ・セルべロス。


 赤く錆びた狂犬の主人に相応しいと、アスタは自らの価値を、あの堕ちた剣聖に示したかったのだ。

 

 

 


—————




 

「匂う。匂うぜ。プンプン匂う。あー、やべやべ。腰カクついてきた」


 “加護狩りギフテイカー”ヴィンセント・バルサザール。

 湿度の高い暗がりで、彼は筋の通った高い鼻をひくつかせる。

 狂気の香りがした。

 すぐ近くに、狂気が潜んでいる。


 堕剣ネビ・セルべロス。


 これまで出会った中でも、最も危険で、最大の獲物だ。

 ヴィンセントは、愚かではない。

 勝てない戦いは、しない。

 だが、弱者を殺すだけでは、満たされない。


 そこに現れた、力を一度失った、元人類最強。


 これ以上は、ない。

 もし堕剣を狩るなら、今しかない。

 千載一遇の機会。

 神下六剣を、殺す。

 それは、心のどこかで諦めていた、ヴィンセントの野望。


(俺が実際に会ったことがある神下六剣は“剣帝”だけだが、あれは人間を辞めていた。殺したいが、殺せない。この俺でも、届かない。それは見ればわかった。あれを殺せたらさぞ気持ちいいだろうと何度妄想でオナったかわからねぇ。だが、今、その剣帝が自ら人類二番手を認めたほどの規格外が、すぐそこで、殺せる範囲の実力差でウロチョロしてやがる。あー、やべ、考えただけで、イキそうだぜ)


 ヴィンセントが最も快感を得るのは、強者を殺した時。

 より正確に表現するなら、強者の才能を持つものを、殺した時だ。

 堕剣ネビ・セルべロス。

 人類の頂点に立った才能を、自らがつぶす。

 それを想像しただけで、興奮に下半身が熱くなった。


「……っておいおい。こんな盛り上がってるタイミングで、これは萎えんだろ。頼むぜ。不興なんてレベルじゃねぇぞこれは」


 狂奮の香りに誘われるがままに進むヴィンセントは、しかし途中で足を止めると、苛立ちを見せるつけるようにゲップをする。

 彼の進行方向に、立ち塞がるように立つ、一人の女。

 記憶より痩せた印象の女は、どこか思い詰めた表情でヴィンセントを見つめていた。



「……悪いが、ここから先は、通せない。そう堕剣に言われてるんだ。これがボクの“鍛錬レベリング”になるとね」



 名前すら覚えていない、才能のない加護持ちギフテッド

 ヴィンセントにとっては、有象無象に過ぎない、殺す価値すら感じない雑魚。

 それはあまりに興醒めだった。


「邪魔だガキ。どけ。殺すぞ」


「悪いが、どけない。退くことは、許されてない」


「あー、ダリィ、ダリィ。お前みたいな夢みがちな勘違いしたゴミを処理するのも嫌いじゃねぇが、今じゃねぇんだよなあ」


 ヴィンセントは苛立ち混じりに首を鳴らす。

 今は、全てを堕剣狩りに注ぎたかった。

 それを邪魔する、無価値な凡人ザコ

 仕方なく、狩ることにする。

 快感のためではなく、不快を取り除くために。


洒落しゃれこけろ、【髑髏しゃれこうべ】。笑えなくなるまで」


 深い闇が鎌のような形をつくりあげ、ヴィンセントはそれを手に取る。

 背骨に似た形状に、大きな流線形の刃が輝く。

 彼の剣想イデアは、欲情を耐えている。

 これまで幾つもの加護持ちギフテッドの命を奪ってきた凶刃は、暗闇の中でも確かに鈍く光っていた。


「……救え、【聖剣エクスカリバー】。救うに値する者たちを」


 身を竦ませるほどの圧力をヴィンセントから感じ取った女は、何か意を決したように目を瞑ると、静かに自ら剣を握る。

 その、ヴィンセントは失笑する。

 あまりに取るに足らない気配に、興醒めを超えて、哀れにすら思えた。


「それがお前の剣想イデアか。脆そうだな。そんなおもちゃで遊んで楽しいかア?」


「見えてるのか? ボクの剣想が?」


「ああ、はっきり見えてるぜ。あまりに才能のない、弱者の証明がな」


「……ふっ。そうか。なら、いい。それなら、ボクはまだ、ここにいていいってことだ」


「あ?」


 だが、なぜかその女は、笑っていた。

 自らの剣想をヴィンセントに嘲笑われて、そこに希望を見出したかのように笑みを浮かべる。


 ——小さな、狂気。


 自分という、圧倒的格上の存在に敵意を向けられてなお、なぜその女が笑うのか、ヴィンセントには理解できない。


「お前、ここで、死ぬぜ?」


「そうか。なら、なるべく時間をかけて死ぬとするよ」


 まだ女は、嗤い続けている。

 ヴィンセントは、殺意を剥き出しにする。

 不愉快だった。

 狩る価値すらない愚かで弱い有象無象が、じぶんを目前にして、まだ絶望に喘がない状況が彼には許せない。

 それでも女——コメット・フランクリンは、加護狩りギフテイカーの殺意を正面から受けても、笑みを浮かべたまま、ただ自らに語りかけるだけだった。



「絶望で飢えを満たせ、コメット・フランクリン。ボクにもう、救いはない。あるのは鍛錬レベリングだけ。死はよく噛んで味わないともったいないと教わったから、そうするとしよう」


 

 

 

 

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