導き



「カタァイ! カタァイ! アハハッ! カタクナァイッ!? どうしてこんなに硬いんだぁッ!?!? 嬉しすぎるだろォォっっっ!?!?!!?」


 赤く錆びた剣を逆手に持って、何度も真紅の鱗に向かって叩きつける男がいる。

 男が馬乗りになるのは、木の幹のように太い二対の前足後足を四つ全て切り飛ばされた魔物適正階級レベルランク40の魔物ダーク

 虚な瞳は宙空を彷徨うばかりで、もはや何の抵抗も示さない。

 サラマンダー。

 本来は畏怖持ってそう呼ばれる怪物の上で、ヨダレを垂らしながら一心不乱に刃を振り下ろし続ける男を見つめながら、彼女は呆然としていた。


「……おい。何してるんだ?」


「え?」


 不意にその黒髪の男の視線が、彼女に向けられる。

 どこまでも純粋な赤い瞳。

 息を詰まらせ、彼女は空気を飲み込む。


「レベリング、しないのか?」


「レベリング?」


「とどめ以外は譲ってやる。俺からの礼みたいなものだ」


「その魔物を攻撃しろという意味か? しかし、ボクは剣想イデアを出せない。それは、貴方も知っているだろう?」


「関係ないな。拳でも、蹴りでも、その牙でもいい。その全てが、お前の経験値となる」

 

 堕剣。

 今や世界にそう呼ばれる男は、もはや身動きひとつしないサラマンダーに対して、敵意を向けろと囁く。

 彼女にはもう、剣はない。

 ずっと握っていたと思い込んでいた剣は幻だと気づいてしまったからだ。


「素手で、サラマンダーを殴れとでも?」


「ああ、そうだ」


「そんなことをしたら、ボクの拳が持たない」


「持つ必要、あるのか?」


「え?」


「それはそれで、耐久フィジックスのレベリングになるだろう? レベリングだ。レベリングになるぞ?」


 言葉の意味は、理解できなかった。

 だが、強要されていることは理解できる。

 赤い瞳が、彼女を捉えて離さない。

 選択肢は、ない。

 価値を示し続けなければ、その男の隣に立つことは許されない。


「あ、あ、ああああああ!!!!」


「そうだ。それでいい」


 彼女は狂ったように、サラマンダーの強固な鱗に覆われた身体を殴りつける。

 その表皮は焦げるような熱を秘め、山肌を思わせる硬さを持つ。

 一度殴っただけで、拳の皮が剥け血が滲み、骨が軋んだ。

 燃えるような熱が火傷を負わせるが、それでも彼女は殴り続ける。

 なぜなら、堕剣が彼女を見つめ続けていたからだ。


「コメット、腹は減ってるか?」


「吐き気がするほど、満腹だ」


「そうか。なら、吐くまで食事レベリングができるな」


 赤錆を振るうのをやめ、堕剣がサラマンダーの鱗に齧り付く。

 唇が焦げる音。

 歯肉から滲む血。

 それでも堕剣は高らかに笑う。

 まるで手本を見せるかのように、魔物に牙を突き立てるその男だけが、今や彼女の導き手だった。






——————






 そこは空気が薄く感じ、少し歩く速度を上げるだけで息切れしてしまいそうになった。

 圧迫感を感じさせる暗闇の中、彼女——コメット・フランクリンは手元のクリスタルの蒼白光だけを頼りに進む。


(ああ、もうボクは、堕ちてしまった。ロクと一緒に旅を続けることはできないな)


 ここは第二選別の舞台である洞窟の中。

 無事第一選別を突破したにも関わらず、コメットの心は重い。

 彼女の数少ない友人であるロクと顔を合わすことすらできなかった。


(だが、そうか。ロクは、あいつは一人で第一選別を突破したのか。誇り高い。せめてあいつだけは、正しくあって欲しい)


 言葉の一つすら交わさず、コメットはロクを置いて地神ガープが姿を見せた石門の向こう側へと進んだ。

 彼女の少し先には、かろうじて見える痩せた背中。

 不意にその背中が振り返り、赤い瞳が彼女を捉える。


「して、ネビ。ずっと気になっておったのじゃが、本当にその小娘がお主の役に立つのか?」


「ああ、こいつは凄いぞ。使える」


 どこか突き放したような声色を出すのは、艶やかな銀髪が特徴的な少女。

 その言葉を受けて、黒髪の男が僅かに得意げな声を返す。

 堕剣ネビ・セルべロスとその信者アスタ。

 コメットは二人の視線を受けると、無言で目を伏せた。


「第一選別とやらで私はこの小娘と戦ったが、正直言ってこれまで出会った人間の中でも格段に弱かったぞ?」


「ふっ。アスタもまだまだだな。コメットの価値がわからないとは」


「なんでお主がちょっと自慢げなのじゃ。若干腹が立つの。どうせろくな価値じゃなかろうに」


 堕剣も、その信者である七十三番目の代弁者セブンティースリートーカーであろう少女も、本来のコメットなら決して相容れぬ存在だ。

 しかし、今の彼女は、彼らに従う以外の術を持たない。

 なぜなら、コメットはもうすでに堕ちてしまったから。

 悪魔に魂を売った彼女に、もう帰る場所はない。


(すまない。ロク。ボクはもう、君の隣を歩く資格がない)


 英雄に、なりたかった。

 世界や人々を救い、敬われ、称賛される存在になりたかった。

 しかし、その夢はもう、叶わない。

 自らの才の限界を知り、絶望に打ちひしがれるコメットに進むことを強要するのは、何の因果か世界から追放された剣聖ただ一人だった。


「ね、ね、ネビ!? アスタちゃん!? ちょっと歩くの早くない!? うちのこと忘れてないよね!? なんかお喋りしてる声めっちゃ前の方に聞こえるんですけど!?」


 コメットの後方から、麻袋を頭に被った女が甲高い声を張り上げている。

 堕剣ネビやアスタの言葉から、その正体が第六十一柱“渾神カイム”だということはすでに知っている。


(最近はもう狂神と呼ばれるようになったカイム様か。まさか本当に始まりの女神を裏切って、堕剣についてるとは。神すら堕ちるなら、ボク程度が堕ちてもおかしくない。そう思ってしまうのも、ボクの弱さの更なる証明だな)


 もはや、今のコメットに加護持ちとしての矜持も、戦い続ける理由もない。

 彼女は堕剣ネビの言葉に、盲目的に従っているだけだ。

 生きる意味を、戦う意味を失ったコメットに、堕剣ネビはこう告げた。

 その才能を、俺に貸せ、と。


(才能、か。ボクに最も相応しくない言葉だな。それをあの堕剣が大真面目で言っている。どこまでも理解のできない男だ)


 才能。

 そんなものは、持っていないとコメットはもう認めている。

 ギフテッドアカデミー時代から目立った成績は残せず、名のある魔物を倒したこともない。

 誰よりも修練をこなし、自らでも倒せる程度の魔物を何百体と倒し、神々の試練に何度も挑み、やっとの思いでここまで辿り着いた。

 しかし、今やもうコメットは、知ってしまった。

 自らには、加護持ちとしての最低限の資格すらないことを。


剣想イデア。ボクには、剣想がない。ボクはそもそも加護持ちになれてすらいなかった)


 堕剣ネビによって突き付けられた現実。

 コメットは、剣想を顕現させることができない。

 彼女がずっと、剣想だと思っていたのは、自らの固有技能ユニークスキルの能力による幻想だった。


 ——《拡張妄執パラノイア》。


 コメットは自らの能力を自戒を込めて、そう呼ぶことにした。


「というかカイムのやつ、いつまであの麻袋を被っておるつもりじゃ? ネビももうしてないのに、意味ないじゃろ」


「なんでだろうな。意外に着心地が良くて気に入ってるのかもしれないな」


「ね、ね、ネビ!? アスタちゃん!? 聞いてる!? てかそこにいるよね!? うちのこと置いてってないよね!?」


 青白いクリスタルはいまだに暗路の先を示し続けている。

 コメットはこのクリスタルを見ていると、吐き気に襲われる。

 それはあまりにも思い出しくない記憶がフラッシュバックするからだ。


「まあ、カイムは何でもよいか。してネビよ。この第二選別とやらは何をすればいいのじゃ? 今のところ、ただ暗い洞窟を彷徨っているだけじゃぞ」


「ああ、第二選別はけっこう面白いぞ。まずアスタ、このクリスタルはなんだ?」


「は? 何じゃいきなり? そりゃ、この洞窟に私たちを導くためのコンパス代わりじゃろう?」


「いや、そう意味じゃない。俺が聞いてるのは、どうしてこのクリスタルがコンパス代わりになっているのか、という意味だ」


「え!? なんかうちめっちゃ無視されてる!? おいネビのたこすけ! うち神だぞ! 神を無視すなー!」


 堕剣ネビと信者アスタの会話を聞きながら、コメットは手元でいまだに道を示し続けるクリスタルを見つめる。

 確かに、変だ。

 言われてみれば、このクリスタルは一体なぜこの洞窟を指し示すのか。

 空神グシオンの言葉を盲目的に受け取り疑問に思わなかったが、それは確かに理由なき現象ではない。

 さらに言えば、このクリスタルは洞窟内に踏み入れた今でもなお、どこかに向かってコメット達を導いている。


「……なるほどのお。言われみれば、変、か。改めてお主に言われなければ気づかんかったが、このクリスタル、ほんの僅かに魔素を感じる」


「ああ、このクリスタルは道を指し示しているわけじゃない。これは、さ。持ち主の元に戻ろうとしているだけだ」


 ビクビク、ビクビク、とそこで青白いクリスタルが小刻みに震えると、ぐるぐると掌の上で回転を始める。

 堕剣ネビと過ごした僅かな短い時間で鍛えられた、危険を感じ取る感覚が反応する。

 コメットが足を止める前に、すでに堕剣ネビが足を止めていて、赤く錆びた刃を愛おしそうに撫でる。


「……ここから先は、競争だ、アスタ」


「クリスタルを守れ、というのはそういう意味か。いいじゃろう、ネビ。その挑戦、受けて立つ」


 これまで感じたことのないプレッシャーが、闇の奥から感じられ始める。

 不思議と、恐怖はなかった。

 このタルタロス島に来る前の自分だったら、今、どんな感情を抱いていただろうか。


(魔物だろうが、神だろうが、堕剣よりはマシさ。ボクの心は、この程度じゃもう、揺れやしない)


 どうせ誰も救えない程度の才能ならば、捨てても構わない。

 コメットは、空っぽになった手を僅かに掲げると、冷めた瞳で暗闇を見つめる。



「コメット、腹は減ってるか?」


「吐き気がするほど、空腹さ」


「そうか。なら、吐くほど食事レベリングできるな」



 闇の中で、爛々と赤く輝く光。

 その錆びた瞳がコメットを導く。

 

 救いはなく、あるのは鍛錬レベリングだけ。


 まだ彼女は、堕ちた剣聖が語るレベリングという言葉の意味がよくわからないままだった。

 


 

 

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