第二選別
(今年は行ける。今年は行けるぞ。完全に俺に流れがきてる)
前髪を片目にかけた細身の男が、周囲を慎重に見回しながら心の中で昂りを抑えていた。
孤島タルタロスの森林地帯を抜けた先。
そこには大きな石門で入口が閉ざされた洞窟がある。
手元で青白い光を帯びたクリスタルを二つ強く握った彼——“
「なあ、オトハ? 前から思ってたんだけどよ、お前ら記者ってやつは、どうやって現地で書いた文章を遠くに送ってんだ?」
「私たちには“第十八柱”
タトゥーが特徴的な体格の良い男と、小柄で真面目そうな女の二人組。
クリスタルを二つ持つ男の方が“
(加護狩りのヴィンセント。こいつは要注意だ。例年第一選別の時は、同行している記者からクリスタルを貰うだけで、こちらから絡みに行かない限り害はないが、第二選別からは怪しい動きをし出すともっぱらの噂だからな。二年前は、俺は第一選別で脱落してしまったから詳細は知らないが、今や最も警戒すべきはこいつだろ)
すでに
確固たる証拠はないが、黒い噂のある男だった。
毎年最低でも一人は死人が出るという選別試練の第二選別。
その闇の中で、記者の護衛という役目を離れたヴィンセントが何をしているのを知る者は誰もいない
(だが、ヴィンセントは結局は選別試練自体には興味を持ってないからな。直接のライバルにはなり得ない。あと俺のライバルと言えるのはパルクスくらいだと思ったが、あの様子なら、障害にはならなそうだな)
“
石門の前には、顔の上半分を隠すほど長い紫紺の長髪をした女が両膝を抱えて座り込んでいる。
何かに怯えるようにきょろきょろと周囲を何度も見回しては、小さな木々の騒めきに悲鳴を上げていた。
「……悪魔が来る。悪魔だ。悪魔がいた。赤い錆の悪魔。どうしようどうしようどうしよう怖い怖い怖い……」
パルクスは近年名を上げている若手有望加護持ちの一人だ。
この選別試練に参加する前に、注目株としてシモンが目をつけていた競争相手の一人だったが、どうも様子がおかしかった。
(第一選別が始まる前はもっと飄々とした雰囲気だった気がしたけどな。あれはもう、ダメだろ。なんとかクリスタルは二つ集めたみたいだが、限界っぽいな。まあ、パルクスは今年が初選別試練だし、よっぽど凶悪な
二年振りに選別試練に挑戦するシモンだが、第一選別は運の要素も大きいことを身を持って知っている。
このタルタロス島には多種多様な魔物が生息していて、中には加護数29では到底勝てない力を持った種類も存在している。
実際に二年前シモンはサラマンダーと呼ばれる
(だが今年は違う。ここに来るまでの道中、ほぼ魔物に出会わなかったという幸運。第二選別に向けてここまで体力を温存できたのはでかい。そして何より最も幸運なのが、本命不在。つまり、あの“
“
第一選別が始まる際に、初めてあの有名な神下六剣の息子の姿を目の当たりにしたが、それはあまりに大きな衝撃だった。
(あいつはヤバい。どう考えても、強すぎた。次元が違う。一昨年に俺はあの黄金世代最強と名高い“
同じ加護数29とは思えない迸る才気。
一目で理解できた。
モノが違う。
もし第一選別の間にレオナルドに出会ってしまったら、それは天災にあうのと同等の不運だろう。
(ダントツでレオナルド・ベッキーがヤバい存在だったが、どういうわけか、あいつはいない! サラマンダーにでも遭遇したか? あいつならサラマンダーにさえ勝ってしまいそうだと思ったが、相打ちでもしたかもな。まあ、何はともあれ、
シモンは小さく拳を固めて、湧き上がる興奮を抑え込む。
あと少しで第一選別の定刻がやってくるはずだが、今この森の最奥の洞窟前に集まっているのはヴィンセントとパルクスを除けば無名の者たちばかり。
加護持ちというのはそもそもの人数が限られている。
そのため実力を隠すのはほとんど不可能と言っていい。
ただでさえ目立つ加護持ちの中で、さらに他者より秀でた才能があれば、自然と名は広まってしまうため、無名の実力者といった存在は基本的に存在しないのが定説だった。
「そういえば、ネビはまだ来とらんのか? まさか、サボりか?」
「ね、ね、ていうかアスタちゃん、うちクリスタル一個しか持ってないんだけど、この先どうなるの? ここで一人でお留守番? それ大丈夫? 危なくない!?」
まだ子供にしか見えない銀髪の少女と、なぜか麻袋を被った女の二人組。
どうやらクリスタルを二つ集められたのは銀髪の少女の方だけらしい。
麻袋を被った女の声をどこかで聞いた覚えがあった気がしたが、シモンはすぐには思い出せなかった。
「あー、だる。もう帰りたいなー。でも、収穫ゼロで帰ったら、お姉様に怒られるよなー。あー、だる。今すぐ帰って推しの
全くやる気のなさそうな若い少年が、クリスタルを二つお手玉のように宙にゆっくりと投げ上げながら、何度も欠伸を噛み殺してる。
知らない顔だ。
その黒髪の少年を除けば、残るのはやたらと背の高いぼうっと口を半開きにしている青年だけ。
それで、全てだ。
第一選別の突破者は、シモンを含めてたったの六人。
例年に比べても、かなり少ない。
追い風だ。
シモンは笑みが止まらなかった。
もはやレベル30の壁を越える栄誉は、すぐそこにあるように思えた。
「……お、コメット、来たんだなあ」
その時、鼻水を少し垂らす背の高い男が、間の抜けた声を漏らす。
ぼんやりとした表情の青年の、感情を映さない瞳の先に釣られてシモンも顔を向ければ、そこには森の奥に続く闇があった。
シモンも通ってきた、その闇の奥に、確かに何か澱みのようなものを感じ取れる。
(なんだ?)
最初は、魔物かと思った。
本能的に危険を感じ取ったのか、自然と手が腰に括り付けた剣に伸びる。
魔の気配はしない。
だが僅かに感じるのは、血の香り。
たしかに、何かが近づいてきている。
「——ゔぅおおおおえええええええええええ!!!!!!!」
「!?」
すると今度は、パルクスが突然勢いよく吐瀉物を地面に撒き散らす。
艶やかな紫の髪に黄色い胃の内容物をつけながら、両手を地面につけて、パルクスは何度も苦しそうにえづいている。
「ああああ……やっぱりきた。きちゃった。きてしまった。だめだだめだだめだ。あたし、ここで
全身が痙攣しているのか、小刻みに震える両腕で必死に自らの自重を支える若い女。
シモンが
(いきなりなんだよ!? おいおい!? いったい何がくるってんだ!?)
ズザザ、ズザザ、ズザザ。
聞こえてくるのは、何かを引き摺る音。
迫り来るの血の香りは、どんどんその濃さを増している。
明らかな、異常。
だが、その明確な異変に対して、狼狽を見せているのはどうやらシモンとパルクスだけのようだった。
「カハハ。なんだよ。ちゃんと、いるじゃねぇか。やべえやべえ。ついに生きる伝説とご対面だ。嬉しすぎて腰カクついちまうぜ」
「え? もしかして、ヴィンセントさんの予想が当たったってことですか?」
「あー、だる。噂は本当だったんだ。収穫あったらあったで、持ち帰るのだるいんだよな。あー、働きたくないなー。まじ無職しか勝たん」
ズザザ、ズザザ、ズザザ。
闇の奥に、禍々しい赤い二つの光が煌めく。
ヴィンセントは期待の眼差しを血の気配がする方に向け、あの全てに興味を持っていなそうな少年が手遊びを止め意識を集中させている。
「なんじゃ、やっと来たのか。遅かったの、ネビ。来んのかと思ったぞ」
「まじ!? ネビきた!? ね、ね、ネビ! クリスタル余ってない!? うちこのままじゃここでぼっち待機確定なんですけど!?」
ネビ。
銀髪の少女と、麻袋を被った女が同じ名前を呼ぶ。
そこでシモンは、やっと気づく。
闇の中で爛々と輝く真紅が、神々によって世界から追放された唯一の人間の瞳の光だと。
(嘘だろ? 俺も噂は知っていたが、第一選別が始まる時にはいなかったよな? それで安心してすっかり忘れていた。でもこの感じ、“あの男”が、来てるのか?)
ズザザ、ズザザ、ズザザ。
ついに闇の中から顔を出すのは、黒い髪に赤い瞳をした痩身の男。
右手には赤く錆びた剣が握られていて、その切先には真っ赤な鱗をした爬虫類のような魔物の半身が突き刺さっている。
首と胴体の上部から下がなくなったその魔物の生前の名を、シモンはよく知っていた。
(は? 嘘だろ? あれ、サラマンダーの死体だよな? 殺したのか? それになんで魔物の死体を剣に刺して引き摺って歩いてるんだ? 邪魔じゃね?)
疑問点が浮かび過ぎて、シモンの思考が鈍る。
今年の選別試練に参加すると噂になっていた世紀の大罪人は、彼から見て理解不能な点があまりに多い。
「のお、ネビ。なぜ魔物の死骸を持ち歩いておるのじゃ? 匂うぞ」
「ああ、すまん。非常食だ。空腹対策のな。第二選別が始まる前には食べ切るから安心しろ」
「それ、食べるのか? 相変わらず変わった奴じゃな。それに、そのもう片方の手に掴んでるのは人間に見えるが、それも食うのか?」
「いや、こっちは
「へえ。そうなのじゃな。ん? 待てよ。そいつ見覚えが……いや、あまりにボロボロすぎて断言できんな」
“堕剣”ネビ・セルベロス。
危険というよりは、異質。
これまで出会ってきた人間の中で、最も底知れない不気味さを感じる男。
その堕剣はサラマンダーの頭部を串刺しにしている手とは反対の手で、グッタリとした人間を一人掴んでいた。
(あれ、人、だよな? 生きてるのか? というか今の会話なんだ? サラマンダーを食べるとか言ってたか? どういう意味だ? 何かの能力? だって、魔物って食べれないよな?)
首根っこを掴んで引きずられていたのは、どうやら若い女性のようだ。
ボロ雑巾のように全身が汚れていて、いまいち顔がよくわからないが、第一選別の場にいたような気がしなくもない。
堕剣はその生死の定かではない加護持ちの女を、適当に放り投げる。
「それで、クリスタルが余ってるかどうかだったか? たしか一つ、余ってた気がするな。カイムに譲っても構わないぞ」
「わあ! まじ!? ありがとネビ! たまには優しいところあるじゃん!」
カイム。
どこかで聞いたことのある声だと思っていたが、どうやら麻袋を被っているのは堕剣ネビと共謀しているという噂の第六十一柱“渾神カイム”のようだ。
なぜ麻袋を被っているのかはシモンには全くわからなかったが、神々を裏切って堕ちた剣聖についた狂神のことは考えるだけ無駄だと思考を打ち止めにする。
「ほら、だせ、コメット。そろそろ第二選別だ。自分の分もまとめて出しておけ」
「……ヴォオオオオオエエエエ!」
この数分間にもはや聞き慣れ始めてきた吐瀉の音。
からん、からんと鳴る渇いた音。
パルクスと比べてほとんど消化物がなく、透明な胃液が主な吐瀉物を吐き出すと、その中に青白く輝くクリスタルが三つ見える。
「え、うそ、今の音とこの匂い。まさか、誰かにクリスタル吐かせてる?」
「これも
「こりゃ、また知らない間に犠牲者が増えとるようじゃな」
シモンは唖然とする。
もはや理解が追いつかないだけではなく、これが現実かどうかすら自信がなくなり始めてきた。
(あの女は何者だ? なんでクリスタルを吐いてるんだ? 食べたのか? なんで?)
堕剣の仲間、のようには見えない。
だとすれば、いったいどういう関係性なのか。
何か恐ろしい事態に巻き込まれ始めている気がして、シモンから自然と冷や汗が滲み出る。
「……揃ったようでござるな。ようこそ、迷わぬ、鉄の意志を持つ子羊たちよ」
遠くから、威厳のある声が響く。
慌てて振り返れば、洞窟を閉じていた石門が僅かに開いている。
「拙者の名は四十二柱“地神ガープ”。次に貴殿らには、第二の選別を受けてもらう」
第二選別の開始。
堕剣ネビの到着と共に、次なる選別が始まろうとしている。
石門の小さな隙間から、顔だけをひょこっと出すの地神ガープはシモン達を一瞥すると、あからさまに堕剣の方だけ見ないようにしながら小さく頷いた。
(なんで顔だけ門の隙間から出してるんだ? というか今、堕剣から目を逸さなかったか?)
石門の間から顔だけを覗かせる地神ガープは、実に珍妙な格好に思えたが、相手は崇拝すべき神のため、シモンは何も言えない。
それに神々の敵であるはずの堕剣が当然のように選別試練に参加しているにも関わらず、特に何も言及しないのが奇妙に感じた。
「第二の選別を突破する条件は一つ。その二つのクリスタルをこの洞窟の中で三日間、守り抜くこと。それでは拙者はこれにてお役御免! 第二選別、開始! さらば!」
そして言うが早いか、逃げるように地神ガープは石門の裏に顔をまた引っ込め、そのままどこかに消えていった。
(え? 説明もう終わり? なんか短くね?)
クリスタルの確認もせず、やたらと端的な説明だけをして、一瞬で地神ガープは姿をくらます。
クリスタルを守り抜く。
いったい、何から。
——グルルッ。
背後から届くのは、獣が腹を空かせた音。
生唾を飲み込みながら後ろを見れば、燃えるような赤い瞳と思わず視線が合致してしまう。
「ヒィッ!?」
口からボタボタと大量のヨダレを垂らしながら、堕剣がシモンの方を見つめている。
何がそんなに楽しいのか、白い犬歯を覗かせ嬉々とした表情でその元剣聖は笑っている。
その凶暴な赤い視線に絡め取られた彼は、理解する。
まず守るべきは、クリスタルではなく、自分自身だと。
「さあ、濡れろ、赤錆。
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