夢の終わり


 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、ぬかるんだ湿地を進む。

 汗で眼鏡がずれると、それを直して、いまだに鬱蒼と続く山道を睨みつけた。


「はぁ……はぁ……まだ着かないんですか? しんどい。こんなの記事を執筆する余裕がないです……」


「なんだ? もうバテたのか、オトハ? そんなにきついなら、俺が代わりにその重そうな乳持ってやろうか?」


「はあ!? も、持つなら荷物持ってください!」


「それは無理だな。契約に入ってない。俺の仕事はお前の用心棒と乳いじりだけだ」


「後者は頼んでません!」


 広報商社RCC若手記者、オトハ・ゲティングスは、声を荒げたせいでただでさえ疲労している身体がさらに重くなるのを感じた。

 一方、オトハの少し前を歩く“加護狩りギフテイカー”ことヴィンセントは汗一つかかずに涼しげな表情をしている。


(まったく。先輩たちが腕はいいけど性格は最悪って言っていた意味がわかります。ヴィンセント・バルサザール。神下六剣に最も近い男。実力は確かなのはわかりましたけど)


 選別試練トライアルの第一選別が始まった後、何度か魔物ダークに襲われかけたが、ヴィンセントによってその襲撃の全ては一蹴されていた。

 近年は毎年参加していることもあって名が知られているのか、他の加護持ちギフテッドに狙われることは今の所一度もなかった。


「しかし、妙だな」


「何がですか? 何か気になることでも?」


「いや、例年に比べて、やたらと魔物の数が少ない気がすんだよな」


「そうなんですか? 十分たくさんいた気がしますけど」


「いつもに比べたら、半分以下だな。特にブロンズボアが少ねぇ。このタルタロス島で一番繁殖してるはずの魔物なのに、これまで一度も見かけてない。はっきり言って、異常だな」


「生態系が変わったんですかね?」


「まあ、それも考えられるな。或いは、何者かに狩られてる、か」


「まさか、ヴィンセントさん、まだ諦めてないんですか?」


「あ? なんだよ、その顔は?」


「その何者かって、どうせ“堕剣”のことですよね?」


 堕剣。

 その名前を出すと、ヴィンセントが少しだけバツの悪そうな顔をした。

 オトハは溜め息をつく。

 彼女には理解できなかった。

 どうして彼が、その元剣聖にいまだにこだわり続けているのか。


「空神グシオン様が第一選別を開始した時に、散々確認したじゃないですか。堕剣は、いません。今回の選別試練には参加していないんです」


「それはまだ、わからねぇだろ?」


「あの麻袋を頭に被った男は、いなくなってました。大方、島に着いたらあの袋を脱いだのでしょう。なんか麻袋頭の女の人はまだいましたけど。ヴィンセントさんは、堕剣は魔物を狩りに海に飛んでいったとおっしゃってましたけど、それも見間違いじゃないですか? だって、意味がわからないじゃないですか。海の中に魔物を追って飛び込むなんて、自殺行為です。勝ち目が下がるだけですし」


「まあ、論理的に考えたらそうだな」


 オトハの言葉を、ヴィンセントは否定しない。

 堕剣ネビは、いない。

 それを確認したのは、ヴィンセント本人だ。

 彼以上の力を感じる者は、第一選別開始のタイミングでは誰一人としていなかった。

 トリアイナ号で海上に姿を見せた魔物に向かって、堕剣のような男が飛び込んでいったのを彼は見た気がしたが、それも今となっては確信が持てなくなってきていた。


「だが、あの船に乗り込もうとしてたあいつは確かに——ん? なんだ?」


「ヴィンセントさん? どうしたんですか?」

 

 その時、ヴィンセントがふと足を止める。

 目つきの悪い瞳を鋭くさせ、ひくひくと鼻を動かしている。


「血の、匂いだな。しかも、かなり強い」


「血の匂いですか? 私には感じませんけど」


「間違いない。こっちの方向だな」


 オトハにはまるで感じ取れなかったが、どこからか喧騒の気配をヴィンセントは感じ取ったらしい。

 軽薄な態度のせいで忘れがちだが、ヴィンセントの実力は本物だ。

 彼が異変を察知したのならば、それに従う。

 実際、もし彼を用心棒に雇っていなければ、このタルタロス島で何度命を落としていたかわからない。


「だが、静かだな。この濃さの血の匂いしては、気配がない。戦闘後か? 覗きに行ってみるか、オトハ」


「え? だ、大丈夫なんですか? 危なくないですか?」


「そろそろ記事のネタが欲しいところだろ? それにもし本当にこの島に堕剣がいないなら、俺に勝てる奴は存在しねぇ。怯える必要はゼロだ」


「相変わらず、すごい自信ですね。まあ、ヴィンセントさんがそう言うなら、行ってみましょうか。実際、ここまでろくなネタを仕入れられてないですから」


「決まりだな。行くぞ」


 ヴィンセントが血の匂いがするという方向に、あえて向かうことにする。

 彼の見立てでは、他の選別試練の参加者の中で、脅威になりそうな者は一人もいなかった。

 それはオトハが今回の選別試練の最有力候補だと言っていた、“剣王子プリンス”ことレオナルド・ベッキーを含めてもだ。 



「へえ、これはこれは。ますます、異常だな」


「え? これは、どういう……」



 そこからしばらく獣道を進むと、やがて大きくひらけた場所に辿り着く。

 窪地のような景観になっていたその空間には、明らかに異常な点が二つあった。


「血、だけか」


「……うっぷ。少し、吐きそうです。すごい血の跡。でも、これは一体なんの血なんでしょう?」


 一つ目は、空っぽの空間に目立つ、黒く汚れた血。

 その地面には、至る所に乾いた血痕がこびり付いていた。

 だが、不思議なことに、人や魔物の遺体はどこにもない。

 広々とした平らな荒地が続くばかりで、この大量の血痕を流したであろう死骸の類は一切見つけられなかった。


「これだけの血の量。普通だったら、魔物の死体の一つや二つ転がってなきゃおかしいもんだが、何もない。匂い的に、それほど古いものでもない。土に還るには、早すぎんだろ。この大量の血はどっから来たんだ?」


「誰かが、掃除したとか?」


「なんのためにだよ? 手間なんてもんじゃねぇぞ」


「なら、魔物同士の争いで、死体は食べられたとかですかね?」


「食べられた? ……その可能性はありそうだが、魔物同士の争いにしては、綺麗すぎる」


「綺麗? 何がですか?」


「食べ方がだよ。骨すら残ってないんだぞ? どんだけ腹ペコでも、骨くらい普通残すだろ」


「たしかに。魔物でも、骨ごとは食べないか」


 じゃあ、一体、と頭を悩ませるオトハを後ろにしながらヴィンセントは血生臭い窪地に降りていく。

 彼の目が捉えるのは、もう一つの異常。

 それは、囲むようにして聳え立つ岩肌の一部。

 

「正体はわからねぇが、化け物がいたことは、確からしいな」


 見仰ぐようにすると、より鮮明に見える。

 それは、斜めに大きく切断された岩壁。

 凄まじいエネルギーの奔流の跡。

 しかし、ヴィンセントの長年の経験に裏付けされた観察眼は、見えるもの以上の情報を得る。


「山を吹っ飛ばすほどの一撃。だが、本当にヤベェのは、これそのものじゃない。明らかに、このイかれた火力の一撃は、。俺の見立てだと、この馬鹿げた斬撃を、飛ばした側が劣勢だったはず。へえ? 面白れぇ。あー、やべやべ。おったっちまうぜこんなの」


 落ち着き始めていた興奮が、再び顔を上げる。

 ヴィンセントは自分の股間を強く握りしめると、心底愉快そうに口角を釣り上げる。

 この島の中に、堕剣がいるかどうかは、わからない。

 それでも、ひとつ、確定したことがある。



「いるな。最低一人は、俺より強い奴が、潜んでる。カカカ。久々に、滾るぜ。で済むのは、選別試練くらいだからなぁ。さてさて、どうやって、狩ろうかねぇ?」



 加護狩り。

 ヴィンセント・バルサザールは、自らと同族である加護持ちを狩ることを好む。

 最も狙うのは、悪に堕ちた加護持ちだけ。


 しかし、本来の彼は、それを判断基準に含まない。


 善も、悪も、関係ない。

 

 ただ、ただ、強い人間を狩りたい。


 彼がわざわざ、選別試練に用心棒として毎年参加するのは、この場所では全てが許されるから。

 凶暴な欲求を、この島では隠さなくていい。


 第一選別は、じきに終わる。


 第二選別からは、監視オトハはいなくなる。


 加護狩りの時間は、近づいていた。




————




 もう、時間の感覚もなくなり始めていた。

 亡者のような足取りで、彼女は森の中を彷徨っている。

 どうしてか、途中から魔物にはまるで遭遇しなくなっていた。


 手元にはもう、彼女を導くクリスタルは一つも残っていない。


 行き先は、わからない。

 なぜまだ自分が歩いているのかも、わからない。

 彼女——コメット・フランクリンはいまだに自分が選別されているのかすら、曖昧だった。



「こんなところで、何をしているんだ? そろそろ第一選別は終わるぞ? 第二選別の洞窟に行かなくていいのか? 魔物を探してるなら、この辺りにはもういないぞ」



 すると、満身創痍のコメットに声がかかる。

 彼女から少し離れたところに立つ、亡霊のような影。

 黒い髪に、赤い瞳。

 手には赤く錆びた剣を持ち、冷めた目つきで彼女を見下している。


「……その外見、まさか、“堕剣”か?」


「ああ、そうだ。もう他のやつに顔を見られたからな。隠す意味はなくなった。俺がネビ・セルべロスだ」


 堕剣ネビ・セルべロス。

 黄金世代最強の加護持ち“黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンドを倒したとされ、コメットをいとも容易く破った謎の銀髪の少女が信仰する“七十三番目の代弁者セブンティースリートーカー”の頂点に立つ男。


(ああ、これがボクの、運命か)


 コメットは、少し安心する。

 なぜか、救われる気がしたのだ。

 その男で最後ならば、それは悪くない物語な気がした。


「救え、【聖剣エクスカリバー】。救うに値する者たちを」


「ん? なんだ? お前、まだクリスタルを揃えてないのか?」


 コメットはもう、自分を信じられなくなっていた。

 だから、その剣想イデアは、勝利のためではない。

 それは、少し歪んだ有終の美。

 史上最悪の悪に敗北するならば、自らの生き様が僅かに美しいと思える気がしたのだ。

 

「ボクは、英雄になりたかった」


 聖剣を握りしめたまま、コメットは最後の力を振り絞って駆ける。

 堕剣は、それを何かを観察するかのように、無表情で眺めるだけ。

 

「でも、本当は知ってたんだ。ボクは、英雄には、なれない」


 才能も、努力も、なかったわけではない。

 だが、心のどこかで、コメットは感じていた。

 

 理想には、届かないと。


 自らより年下の世代が、彼女よりも早く、選別試練を突破した。

 実際に黄金世代の一人、“剣王子”レオナルド・ベッキーを目の当たりにすれば、才能の質の差は嫌でも理解できた。

 だからコメットは、ここで終わりにする。

 彼女の理想に一度でも辿り着いた相手にならば、夢を潰されてもいい。


「……お前、その剣想イデア


「うおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 最後の力を振り絞り、コメットは絶叫する。

 拙い剣筋。

 足はもつれ、本来は立っているのがやっと。

 それでも、これが今の自分の全身全霊の一閃。

 コメットは笑う。

 彼女は今、自分が英雄に見えていた。



「本当に、か?」



 ——堕剣に、剣は届かない。

 空振りの直後、コメットの手首を捻り、彼女が握っていた聖剣を堕剣が奪う。

 聖剣が、奪われた。

 コメットの剣想であり、存在証明そのもの。

 彼女が憧れた英雄に相応しい、聖なる剣。

 それを今手に持つのは、堕ちた剣聖。


「……か、返せええええええええ!!!!!!」


「返せと言われても——」


 堕剣が、嗤う。

 死に方くらい、理想的に。

 聖剣を握ったまま、逝く。

 そんな夢すら、叶わないのか。

 コメットが必死に手を伸ばすが、風が切る音と共に、代わりに今度は手の感覚そのものすら消える。


「あ」


 一閃、二閃。

 右腕と、左腕が、奪われた聖剣によって斬り飛ばされる。


 痛みはない。


 あるのは喪失感だけ。

 そして堕剣が、コメットの首を返す刃で切り飛ばす。


 視界が、闇に塗り潰される。


 こんな、終わり方は嫌だ。


 もっと、美しく、死にたい。


 英雄らしい、最後が——、




「——元々、してないだろ。お前のその聖剣エクスカリバーとかいう剣想イデアは」




 ——視界が、戻る。

 目の前に立つのは、興味深そうに立ちすくむ、堕剣ネビ・セルべロスの姿。

 その手には赤く錆びた刀が握られるだけで、コメットの聖剣はどこにも見当たらない。


「……え? ボクは今、首を……ってあれ? 腕も、まだある? 一体何が……?」


「なるほどな。今のは固有技能ユニークスキルの方か。いいな。それ。鍛錬レべリングに使えるぞ」

 

 奪われた聖剣によって斬り飛ばされたはずの両腕も、いまだにコメットの身体としっかり繋がっている。


 夢は、覚めた。


 自らが英雄ではないと気付いたコメットの前で、かつて世界が英雄と呼び、今では最も忌み嫌われる大罪人となった元剣聖が青白く輝くクリスタルを彼女の前に掲げた。



「ちょうどいい。知り合いの息子を食べるのを我慢した時に、多めにクリスタルを分けてもらったんだ。これをお前に譲ろう。その代わりに、お前のその才能、俺に貸せ」




 



 

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