同情



(どうりで強いわけだ。ただのイカれ野郎じゃなかったってわけか。腐っても元神下六剣。だとしても口で俺の霹靂を受け止めんのは意味不明だが)


 “剣王子プリンス”レオナルド・ベッキーは、眼前で赤い瞳を爛々と輝かせる堕剣ネビを見て納得する。

 彼は自らの実力に自信を持っているが、それはあくまで客観的な事実に基づいたものであって、過剰なものではない。

 ここに辿り着くまでに、彼なりの鍛錬を欠かした日はない。

 生まれながらに恵まれた才があることも自覚している。

 才能と努力。

 その両方をレオナルドは兼ね備えていると、自負していた。


「なるほどな。イカれもイカれ。イカれ過ぎて始まりの女神に追放された、歴史に残るイカれ野郎だったのかよ。キャラ作りとか言って悪かったな。正真正銘のイカれ野郎」


「アー……」


 挑発の意味も込めて、侮辱の言葉を投げかけるが、堕剣ネビはレオナルドの剣想イデアを口に咥えたまま何も答えない。

 “29”と刻印タトゥーの入った舌が感電しているのか、不規則にピクピクと反応するだけ。

 噂には聞いていた、元剣聖。

 堕剣ネビが今回の選別試練トライアルに紛れ込む可能性があるという話。

 関心がないわけではなかった。

 その実力があまりに他の加護持ちギフテッドと隔絶しすぎていて、比較不可と言われた神下六剣の内、その加護数レベル61という六人の中でも頭一つ抜けた圧倒的な数字から、唯一人類最強を名乗ることを許された男。

 つまりは、レオナルドが打倒を誓った父、“剣王”アガリアレプト・ベッキーより唯一明確に強いと認められていた相手だ。


(あのクソ父親オヤジより強いと世界で唯一断定されていた男か。そんな相手が、今は俺と同じ加護数レベル。いい試金石だ。つまり、今のこいつに勝てば、俺は剣王あいつより上になれる可能性があるってことだ)


 堕剣ネビに、勝利する。

 それが簡単なことではないことは、理解していた。

 力を一度失ったとはいえ、相手は一度世界の頂点に立った男。

 同期の“黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンドや“大食いバーサーク”オーレーン・ゲイツマンが、堕剣に敗北を喫したことも知っている。

 だが、それでも、レオナルドは自らに勝機があると確信していた。


(こいつには、使ってもいいか。俺の“固有技能ユニークスキル”を)


 加護持ちになってから、彼は一つ自らに制限をかけていた。

 それは、固有技能を使わないという制限。

 理由はシンプル。

 彼の固有技能は、彼が最も憎む加護持ちと全く同じモノだから。


(神下六剣相手には、使う。クソ剣王の前に、まさか他の神下六剣と戦う機会がくるとは思ってなかったが、このイカれ野郎とやるには、必要だろ)


 同じ黄金世代のナベル・ハウンドや“潔癖ホワイト”ノア・ヴィクトリアに加護数レベルで遅れを取ろうとも、頑なにこれまで貫いてきた縛りを、レオナルドは解放することを決意する。


「……ぼなが」


「あ?」


 瞬間、鳥肌が立つ。

 本能的な、危機感。

 気づけば、先ほどまで霹靂に齧り付いていた堕剣の顔が、目の前にある。

 鋭い犬歯を尖らせ、顎をヨダレで濡らしながら、レオナルドに噛みつこうとしていた。


「空いたあああああアアアアアアッッッ!!!!!」


「ちっ!? なんだコイツ! 気色悪りぃッ!」


 突然の絶叫。

 鼓膜が痺れる。

 レオナルドは爆発的な加速で、一旦堕剣ネビから距離を取る。

 戦況は何も変わっていない。

 自らが優勢なのは、明らか。

 それにも関わらず、嫌な汗が額に滲む。


 ——ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃっ。


 数秒前まで自分が立っていた場所で、堕剣ネビが膝をつきながら足元に転がっていたブロンズボアの死体に顔を突っ込んでいる。

 不愉快な濁った音を撒き散らしながら、髪まで粘っこい血で汚した頭を遺骸の中から出すと、その真紅の瞳がレオナルドを捉える。


「……誰だよコイツを剣聖なんて名前で呼んだバカは。皮肉か? 聖って言葉の意味わかってんのか?」


 強い、弱い、以前に、狂い過ぎている。

 これまで格上の魔物ダークと相まみえる経験も何度もあったが、これほどまでに心理的忌避感を覚えたのは初めてだった。

  

「アー……」


「おいおい、冗談だろ?」


 ぶん、ぶん、ぶん。

 空気を切り裂く、しなり音。

 堕剣ネビが細長いロープのようなものを手に持って、勢いよく振り回している。

 その縄に似た何かの正体に、レオナルドはすぐに気づく。

 

「正気か、コイツ? 魔に堕ちたってよりも、魔そのものだな。堕ちた剣聖。いくらなんでも、堕ちすぎだろ」


 ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ。

 宙を切り裂く音が、高くなっていく。

 一度回転するたびに、よく見れば真っ赤な血が地面に飛んでいた。

 堕剣ネビが手にして振り回しているのは、ブロンズボアの小腸。

 臓物を鞭代わりにしながら、堕剣ネビは口を半開きにしながらレオナルドを見つめ続けていた。


「アアッ!」


「ちっ!」


 ギュン、と唸るような音を出しながら、ブロンズボアの長い腸が飛んでくる。

 レオナルドはそれを避けると、一気に堕剣ネビの下へ加速する。


(こいつはここで殺す! 俺のためでもあり、世のためにもな!)


 霹靂の紫電が迸り、堕剣ネビが赤錆を構えるのが見える。

 触れれば、その瞬間、必ず隙が生じる。

 そこに、今度こそ致命の一撃を叩き込む。


「くたばれ、怪物」


「アー——」


 迷いはなく、油断もない。

 ここで、決め切る。

 レオナルドが雷を帯びた霹靂をこれまで同じように、彼の速度に追いつけない堕剣ネビの赤錆に炸裂させる——、


「——口直しは、もうイラナイ」


「な——」


 ——カツ、と、堕剣ネビの握る赤錆から感じる感触は、あまりに軽い。

 ほとんど反発を感じない手応えのなさ。

 いとも容易く吹き飛んでいく、赤錆。

 レオナルドは、気づく。

 一切の麻痺による硬直なく、すでに堕剣が動き出していることに。


(こいつ!? まさか霹靂がぶつかる寸前に、自分から赤錆を手放したのか!?)

 

 霹靂と赤錆が衝突する直前で手を離すことで、電撃が自分の体に伝わることを防いだ。

 インパクトの直前まで剣を握り狙いを悟らせない狡猾さと、そのシビアなタイミングを完全に捉えた高精度な予測と驚異的な反応速度。

 赤錆を放した手が掴みかかるようにして、レオナルドに向けられる。


「だが、お前は俺に追いつけない——あ?」


 掌底のような構えを取っている堕剣ネビから、再び距離を取ろうとした瞬間、レオナルドの動きが止まる。

 反射的に足元を見れば、そこに纏わりついている細くベトつく艶かしい腸。

 

(クソイカれ野郎! 初手はフェイク! 最初からこの瞬間を狙ってやがったのか!)


 後から足首を狙ってブロンズボアの腸を絡ませたのでは、間に合わない。

 つまりは、一番初めにレオナルドに腸を投げつけたように見せて、テイクバックで足首を絡めとるのが目的。

 悪魔のようにデザインされた一連の攻撃。

 どれほどレオナルドが速くとも、ここまで嵌め込まれてしまえば、逃げきれない。


「ンンゥ」


「ぐばあ……っ!?」


 ゴギュ、と聞いたことのない酷い音が身体の内側から響く。

 重い衝撃がめり込み、肉が抉られる感触。

 激痛が、脳天を走る。

 掌底を喰らった瞬間に腹の肉を掴まれたせいで、強烈に吹き飛ばされるのと同時に、肉ごと皮膚が毟り取られる。


「かっ……!」


 ブロンズボアの屍体を吹き飛ばしながら、地面を転がるレオナルド。

 痛みと衝撃に視界が明滅する。

 金髪が泥で汚れ、口元が吐血で濡れる。

 

(くそ。もろに喰らっちまった。加護数レベル29にしては一撃が重すぎる。ほんとに人間かこいつ?)


 レオナルドは顔をあげて、まずは足首に粘っこくまとわりつく小腸を切り離す。

 その間、堕剣ネビは掌の中にある何かを口元に持っていった後ぬちゃぬちゃと咀嚼し、今度は地面に横たわるブロンズボアの死骸を両手で掴み出した。

 一体、何を。

 僅かな戸惑い。

 しかしすぐに困惑の種明かしがなされる。


「ンアアッ!」


「なにっ!?」


 勢いよく放り投げられる、ブロンズボアの遺体。

 その数は、一桁では足りず、凄まじい勢いで二桁の骸が臓物を溢しながら迫り来る。


(数が多い! 避けきれない!)


 レオナルドは圧倒的な機動力で次々に迫るブロンズボアの雨を掻い潜るが、物量に押し負け、たまらず霹靂を振るう。

 蒼白い火花を散らしながら、屍体を灼き斬る。

 すると、真っ二つに切断された憐れな魔物の裏側から、器用に空中に散らばる内臓を口に含みながら堕剣ネビが顔を出す。


「ヤミイイイイイイイイイイイイイイィィィィ!!!!!!」


「ごぼぁ…っ!」

 

 再び、掌底。

 今度は胸の辺りを撃ち抜かれ、呼吸が一瞬、止まる。

 またもや肉が抉り取られたようで、服が破れ血が溢れでる。


(これが、堕剣ネビ・セルべロス、か。頭のネジが数本、いや、全部とんでやがる。特にイカれてんのが、この戦い方。ブロンズボアの屍体を、完璧に利用してる。どうしたらこんな戦い方を思いつく? 戦術構築のレベルが違う。俺が出会ってきた加護持ちの中で、ここまで周囲の環境を活かして戦う奴はいなかった)


 薄れ始める意識の中で、レオナルドは闇雲に霹靂を振り回しながらとにかく走り、堕剣ネビから距離を取る。

 胸骨が折れたのか、呼吸をするたびに激痛が襲いかかってくる。

 剣想の長時間使用の副作用で、頭痛も始まり始め、手足が痙攣しだす。

 満身創痍。

 限界は、近い。

 よくも悪くも、次の一撃で全てが決まる。


「最後に一つ、教えてくれよ」


「……アー?」


 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃっ。

 また掌を口元に近づけ、何かを忙しなく咀嚼する堕剣ネビが、何かに勘づいたのか、その赤く輝く瞳を細める。


「お前から見て、俺の父親……剣王アガリアレプトは、強かったか?」


「剣、王?」


 赤い瞳へ、ほんの僅かに、理性的な光が戻る。

 研ぎ澄ます、集中。

 レオナルドは、最後に知っておきたかった。

 自らを瀕死にまで追い詰めたこの怪物が、彼が最強と信じていた父親と比して、どこに位置する存在だったのか。



ことわりて。《斬衝波ヴァニッシュ》」



 その固有技能は、どこまでも純粋で、単純な暴力。

 膨大なエネルギーを、斬撃にして飛ばす。

 たった、それだけ。

 その一振りで、目の前の敵全てを切り払って男を、世界は剣王と呼んだ。


「……ああ、そうか。その固有技能。お前、“剣王せんぱい”の息子か。なら、だめだな」


 時空が僅かに歪むほどの質量が霹靂に集まる中、レオナルドは違和感を覚える。

 それは、視線の先で先ほどまでの凶暴な気配を抑え、冷たい双眸で彼を見つめる堕剣ネビの手元。

 強く握られているのは、もはや見慣れ始めたブロンズボアの小腸。

 だがその腸が、レオナルドの背後にまで伸びていることに気づき、彼は罠に気づく。


「——しまった!」


 堕剣ネビが思い切り腸を引いた瞬間、レオナルドの背後から赤く錆びた剣が襲いかかってくる。

 紐のように赤錆の柄に巻かれたブロンズボアの小腸。

 一度赤錆を吹き飛ばされた後、何度も機会はあったにも関わらず、自らの剣想を拾わず素手で戦ってきた理由。

 全ては、この一瞬のため。

 どれほどレオナルドの方が速くとも、彼はその元剣聖には届かない。


「クソイカれ野郎があああああ!!!!!!」


 飛びかかってくる赤錆。

 レオナルドの固有技能はもう、発動を止められない。

 背中から襲いかかる赤錆を回避する際に、斬衝波の狙いが大きく逸れ、斜め上の山肌に向かって放たれてしまう。


「さすがに知り合いの息子は、食べちゃだめだよな」


 固有技能発動直後の、虚脱感。

 剣想の長時間使用。

 蓄積したダメージ。

 全てが重なり、レオナルドに致命的な隙が生まれる。

 

(母さん、ごめん。俺は、また、届かなかった)


 レオナルドが紙一重で交わした赤錆は、そのまま前方に飛んでいく。

 背後から吸い寄せられるように空中を舞っていく赤く錆びた剣想は、やがて持ち主の手に再び収まる。

 そして彼は知る。

 その狂気が、彼の目指していた場所より、さらに奥深い深淵にあったことを。



「ああ、質問に答えてなかったな。そうだな。たしかに強かったよ、アガリアレプト・ベッキーは。俺はあの人が、俺以外の奴に負けてるところを見たことがない」

 


 貫かれる、心臓とは反対側の胸。

 赤く錆びた刃が、身体と心を、貫く。

    

 最強になるためには、こんな奴を相手にしなきゃいけないのか。


 ほんの少しだけ、同情するぜ、くそ親父。


 

 雲ひとつない、晴天。


 選別試練トライアルの第一選別脱落者の中に、剣王子レオナルド・ベッキーの名が追記された。


 

 

 

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