霹靂



「ぼくもいつか、おとうさんみたいな、しんかろっけんになれるかな?」


「俺より強くなれば、なれるな」


「それはむりだよ! だっておとうさんは、さいきょうだもん!」


「たしかに俺は、最強だ。でもお前は、最強の息子だ。だから、なれるだろ」


「ほんとに?」


「ああ、なりたいと、望み続ければな」


 少年が問いかけると、彼の父はいつも笑って答えた。

 穏やかで、優しい時間だった。

 彼が剣を握れば、父も剣を握る。

 剣の握り方は父から教わった。

 

 神下六剣。

 

 神々に直接選ばれた、特別な六人の加護持ちギフテッド

 彼の父はそう呼ばれていて、父より強い者など、どこにもいないと少年は信じていた。

 

「おとうさんは、さいきょうだよね?」


「うん。もちろんよ。あなたのお父さんは、誰にも負けない。とっても強いから」


「どれくらい、つよい?」


「私とあなたを、守れるくらい」


「それって、つよいの?」


「ええ、最強よ」


 父の話をする時、少年の母はとても幸せそうな表情をしていた。

 だから、彼はいつも剣を握り、母に父の話をした。

 そうすれば、母が笑い続けてくれると、知っていたから。





「……父さん。どこ行くんだよ」


「決まってんだろ。魔物ダークのところだ」


「……母さんを置いてか?」


「ああ、そうだ。俺は、強くならないといけない。最強になるんだ。に勝つために」


 月日が過ぎ、少年は青年になった。

 いつも幸せそうだった彼の母はもう、笑わなくなった。

 ベッドの上で横たわり、ずっと眠り続けている。

 彼の父はもう青年に剣を教えなくなった。

 翌る日も翌る日も魔物と戦い続けるばかりで、家に帰ってくることの方が少なくなったからだ。


「なんなんだよ。そんなに、強くなるのが大事かよ。最強なんだろ。だったらまず、母さんを守れよ!」


「俺は、最強じゃない。だから、強くなる必要があるんだよ」


 青年が何度止めても、父は振り返らない。

 これまでと同じように、また、彼の父は家を出て行った。

 一人取り残された青年は、痩せこけ、笑わなくなった母を見守り続けた。

 街中の医者の下に走り、都市中の医療品をかき集めたが、母は眠り続けるばかり。

 母の咳が増え、痰に血が混ざり出す。

 彼は走った。

 焦りだけが、彼の足を動かす。

 急いで、救いを探し続けた。

  

 しかし、間に合わなかった。


 咳が止まるのと同時に、母が目を開け、彼を優しく見つめる。

 久しぶりに真正面から見る母の顔には、ずいぶんと皺が増えたように感じた。


「……あの人、アガリアレプトは?」


「……また、戦いに出て行った」


「……そう」


「……うん」


「……ごめんね、レオナルド」


「……なんで母さんが謝るんだよ」


「……だってあなたが、悲しそうな顔をしてるから」


「……それはっ!」


 母が青年の頬に手を伸ばす。

 記憶よりも細い指。

 僅かな温もりが、彼に伝わる。

 


「笑って、レオナルド。あなたの笑顔が、みたい」

 


 外は、雨が降っていた。

 霹靂が、走る。

 涙が、彼の母の痩せ細った手を濡らす。

 青年がぎこちなく笑うと、それを見た彼の母も泣きながら笑う。

 

 そこで、彼は初めて気づく。


 いつも父の話をする時に、母が幸せそうに笑い続けていたのは、自分が楽しそうに笑っていたからだと。


「母さん、俺は——」


 ——青年の頬を溢れる涙を一度拭った後、その細い手がゆっくりと落ちる。

 咳は止まったまま、翠色の瞳も閉じられている。

 穏やかに眠り続ける母は、もう息をしていない。

 


「——くだらない。なにが神下六剣だ。一番大切な人一人守れないくせに、イキってんじゃねぇよ。俺が、否定してやる。そんな称号に、価値はない。殺してやるよ、クソ“剣王オヤジ”」



 青年——レオナルド・ベッキーは母が永遠の眠りについたその日、決意する。

 必ず、その高みに辿り着き、そこに立つ自らの父を最下層まで突き落とすと。



 


—————





「奔れ、【霹靂】。それだけでいい」


 火花が散った。

 空気が焦げる匂いを敏感に察知したネビは、自らの上唇を舐めて濡らす。

 目の前の青年から奪ったクリスタルを仕舞い込むと、腰に差した赤錆を手に取る。


(この気配。剣想イデアか。すでにクリスタルは揃った。これ以上の戦いは無意味だが、向こうがやる気なら、乗るか。これは選別試練。この場所は魔素が空気に満ちている。魔物ダーク相手ではなくても、最低限の鍛錬レベリングになる)


 強い気配を感じる方向に顔を向けながら、ネビは思考を開始する。

 実際に目を潰した時ほどではないが、ブロンズボアの頭を被っているため、視界はかなり制限されている。

 視覚以外の感覚を研ぎ澄ませ、まずは相手の出方を伺う。


「行くぞ。イカれサド野郎」


 瞬間、気配が動いた。

 反射的に横に飛び退き、ブロンズボアの死骸を蹴飛ばしながら着地する。

 数刻前まで自分がいたはずの場所に、相手の気配がある。


「へえ。剣想を出した俺の速さにも反応できるのか。同じ加護数レベルの奴にまだ、お前みたいな奴が残ってるとはな。ただキショいだけじゃないのは認めてやるよ」


「……速いな。明らかな敏捷アジリティ傾向。“剣姫タナキア”タイプか。強いて言うなら苦手な戦型。鍛錬レベリングにはちょうどいいか」


 距離は十分にあったはずにも関わらず、一瞬で自らの懐に潜り込むその速度。

 ネビが知る限り最速の加護持ちである剣姫タナキア・リリーには及ばないが、彼の知る者の中では上位に来る速さだ。

 

(アスタの固有技能を使うか? いや、それじゃあ楽すぎる。普段のように相手の動きを解析する戦い方も、今は視界を不明瞭にしているから選べない。今の俺にできるのは予想と工夫。いいね。悪くないレベリングになりそうだ)


 猪頭の下で、ネビは嗤う。

 赤錆を握る力を僅かに強めると、今度は彼の方から動く。


「勝てるかどうかは、五分ってとこか」


「何が五分だって?」


 気配がする方向へ、ネビもまた全力で踏み込む。

 振り抜いた赤錆の一撃は、空を切る。

 当然の回避。

 ここまでは予想通り。

 

(次に、カウンターが来る)


 すぐに背後に感じる強烈な気配。

 相手の戦い方自体はオーソドックス。

 反転し、合わせるようにネビも剣閃を叩き込む。


「反応がいいな、イカれサド野郎。ザコなら今ので死んでたぜ」


 迫り来る剣戟。

 今度は互いに回避せず、お互いの剣想が衝突する。


 ——バチィッ。


 赤錆に相手の剣想が触れた瞬間、電撃が全身を走り抜け、ネビの手先が麻痺する。

 肉体の電気信号が遮断され、ほんの僅かな硬直がネビに生じる。

 一秒にも満たない硬直。

 しかし、その刹那の時間を駆け抜け、再び背後に気配が移動する。


「俺の【霹靂】は、触れたものを感電させる。獣狩りには役にたつ」


「があっ!?」


 痺れが弱まった瞬間に、相手の一撃にネビは反応するが、追いつききれない。

 回避しきれずに脇腹を切り裂かれ、そのまま大きく吹き飛ばされる。

 

「まだ、生きてるのか。キショい割りには、楽しめるな。なら、一気に行くぜ」


 ブロンズボアの死骸の上を跳ねながら、地面に赤錆を突き刺し、動きを止め体制を整える。

 音が、聞こえた。

 再び気配が飛ぶ。

 感覚に促されるままに、ネビは赤錆を振るう。


「異常なまでの反応速度。まるで野獣だな。そこは褒めてやるよ」


「相手を麻痺させる剣想に、敏捷傾向の鍛え方。相性がいい。正しい成長だ」


「この状況でまだその減らず口。死ぬまでイカれきるってか。そこまで振り切ってんなら上等だ。最期まで付き合ってやる」


 痛烈な横凪ぎ一閃。

 赤錆でそれを受け止めた瞬間、また目を眩ませるような電撃が走る。

 動きが、鈍る。

 その隙を執拗に狙い、また俊速の一閃が続く。


 ——グルル。


 腹が鳴る。

 またもや痛烈に吹き飛ばれたネビは、近くの岩壁に叩きつけられる。

 痺れよりも、強い飢餓が彼を支配し始めていた。


(まずいな。これは、いいレベリングになる。レベリングになる、が……)


 ボト、ボト、と口から何かが溢れる。

 涎にしては赤黒く、血にしては粘っこい液体。

 機能していない視界が、ちかちかと点滅する。

 集中、できていない。

 ネビが思考を整える前に、またもや凄まじい速度で気配が近づく。


「段々と、鈍ってきたな。そろそろ限界か?」


「ああ、だめだ。これじゃあ、だめだ。思考が、流れる」


 雷を纏った一撃が真正面から、叩き込まれる。

 剣の腹を片手で抑え、盾のように前に突き出し一撃を受け止める。

 速度の乗った重い一撃。

 筋肉が痺れ、硬直する。

 

 ——グルルッ。


 また、腹が鳴る。

 思考が電撃にかき乱される度に、普段彼の衝動を抑え込んでいる理性に乱れが生じる。


 空腹だ。


 腹が、減った。


 涎が、落ちる。


 空腹。


 空腹。


 空腹だ。


 涎が、落ちる。


 腹を、満たせ。


 腹が、減っている。


「……くそっ。俺としたことが、間違えたな」


「ああ、お前は戦う相手を間違えた。相手が俺じゃなきゃ、もっと先に行けたかもな」


 電撃を纏った連撃を凌ぐたびに、思考にノイズが走り、ネビの思考が澱んでいく。

 想定外。

 ネビは自らの失策を後悔する。

 まずは、制御の手段を鍛えるべきだった。

 目先のレベリングに夢中になるあまり、彼は内なる悪魔を見込み忘れ、鍛錬の順序を間違えた。


「これで、終わりだ」


 赤錆を弾き、身体は感電作用で硬直。

 完全な隙。

 無防備になったネビの猪頭を切り裂くように、霹靂の一閃が叩き込まれる——、



「ああ、だめだ。腹が、減った。それ以外もう、何も、考えられない」



 ——ごろっ、と地面に落ちる頭部。

 両手をだらんと垂れ下げるネビの顔面に叩き込まれた、霹靂の一撃。

 ボト、ボト、とこぼれ落ちる粘性の強い液体。

 足元に転がるブロンズボアの濁った瞳が、晴天を虚ろに見つめている。


「あ? お前はまさか……?」


 顔面に刻んだ剣閃の衝撃で、ついに零れ落ちたブロンズボアの頭。

 その内側から現れた顔には、見覚えがあった。

 黒い髪に、赤い瞳。

 瞳孔が開き切った瞳は、瞬き一つすらしない。


 そして、口元の歯で受け止めた霹靂の刃を、チロチロと舐め回す赤い舌は感電しているせいか、僅かな痙攣をたびたび見せている。


 霹靂を握った手が、動かない。

 ぼとぼと、と溢れ堕ち続けるのは、血ではなく、夥しい量のヨダレ。

 何度も電撃を纏った剣を打ち合いを続けたせいで、刀身に巻かれた包帯が焼け切れ、赤く錆びた剣が顕になる。


 元神下六剣。

 

 “堕剣”ネビ・セルべロス。



 彼が目指す遥か高みに一度辿り着き、そして最下層まで堕ちた男が、今目の前でヨダレを垂らしていた。

 

 

 

 

 



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