遭遇


「ボクは、ボクを信じている」


「信じるだけじゃ、報われんぞ」


 コメットという名の少女の手に握られる、薄らと光を纏う両刃の剣。

 薔薇と十字架を組み合わせたような紋章が刃の腹に刻まれていて、柄の部分にも蔦のような絵が描かれている。

 剣想イデア

 その仕組みをアスタは詳しく知らないが、人間の中でも選ばれた一握りの者だけが扱える特別な才能ギフト

 アスタがよく知る赤く錆びた剣想に比べて、神聖さを感じさせるその輝きを受け、彼女は身構える。


(それにしても、この女、あまり強くないな。私がこれまで見てきた人間に比べても、拙すぎる。それともネビやあのナベルとかいうカイムを救った女や、小生意気なノアが案外上澄だったりするのか? まあ、なんとなくネビと比べてはいけないのは分かるがの)


 聖剣エクスカリバーという名の剣想を顕現させたコメットを見ても、いまだに危機感は覚えない。

 すでにネビは、アスタからしても底知れない領域に入っていたが、眼前で剣を構える女には何をしても負ける気がしなかった。


「まあいい。油断は禁物。ネビがこれまで格上喰いをしてきたのは飽きるほど見てきたからの。私が喰われる側になったら、笑われてしまう」


「ネビ? ……やはり君は、の人間か。ボクが倒すのに相応しい悪党というわけだ」


「そちら側ではなく、私側じゃ。そして、人間ではなく、神だというておろう」


「本気で神だとでも? さすが狂信カルト。ボクが目を覚めさせてあげるよ」


「ん? なんだか話が微妙に噛み合っていないような気がするが……まあ、よいか。ここから先は、拳で語り合おうぞ」


「脳筋カルトか。タチが悪い」


 アスタが再び湿地を駆けると、コメットもまた向かうように前傾姿勢をとる。

 剣先を僅かに下に寝かせ、そのまま風を縫うように綺麗に振り抜かれる一閃。

 おそらく、何度も鍛錬を繰り返したのであろう、美しい軌跡。


「だが、遅すぎるの」


 しかし、それは腐神を捉えるにはあまりに鈍い。

 身を捩り、聖剣の一撃を華麗に掻い潜りながら、そのまま身体に捻りを加えてコメットの顔面に蹴りを叩き込む。


「がっ…はっ……!?」


 側頭部を強烈に蹴り込まれ脳天が揺れる。

 飛び散る唾に血が混ざる。

 アスタは地面に着地した瞬間、身体を縮こまらせ、バネのように勢いをつけアッパーカットをぐらつくコメットの顎に当てる。

 

「ほれ、もう一丁!」


「ぐがぁっ!?」


 全く防御の間に合わない超速の連撃。

 速く、重い。

 聖剣を握っているだけで精一杯なコメットに、追撃が迫る。


「他愛もないのお」


「うがあ……っ」


 回し蹴りを腹部に突き刺し、コメットが再び大きく吹き飛ばされる。

 手の骨をパキパキと鳴らしながら、アスタは地面を何度か転がった後、動きを止めたコメットを見やる。


「弱い。あいつの言葉を借りるのなら、鍛錬レベリング不足じゃな」


 実力差は明確。

 あとはもう、クリスタルを回収するだけ。

 アスタは、勝負を終わらせるために、一歩踏み出す。


「……まだだ。まだ、終わってない。ボクは、こんなところで、終わるわけには、いかない」


 それでもコメットは、再び立ち上がる。

 力の差は歴然にも関わらず、その闘志はまだ衰えていない。

 口元の血を手で拭うと、聖剣の切先をアスタに向ける。


「ボクは、信じている。ボクだけは、ボクを信じ続ける」


「だから信じるだけじゃ……ん? お主、まさか?」


 だが、そこでアスタはそこであることに気づく。

 それは目の前に立つ、コメットから放たれる気配の違い。

 取るに足らないと感じていたコメットの纏う力の質、量が、明らかに先ほどまでと比べて増している。


「勝負は、これからだ!」


「なっ!?」


 コメットが駆ける。

 あっという間にアスタの目の前に現れ、数分前とは比べものにならない切れ味で振るわれる剣閃。

 一気に倍増したコメットの力に、アスタは驚きを隠せない。


「これがボクの剣想、【聖剣エクスカリバー】の力。ボクがボクを信じる限り、敗北はない!」


「なるほどじゃ。そういうカラクリか」

 

 嵐のようなコメットの剣舞を交わしながら、アスタは理解する。

 聖剣の能力。

 おそらく、それはコメットが追い詰められれば追い詰められるほど、ダメージを負えば負うほどその身に宿る力を増幅させるのだろう。


 彼女が、彼女を諦めない限り、力は増し続ける。


 アスタは、微笑む。

 たしかにその剣想は、美しい。


「だが、美しいから強いとは、限らん」


「なっ!?」


 コメットの聖剣の動きが、止まる。

 最初とは段違いの速度で振り抜いた一閃。

 その鋭い剣刃が、アスタの指先で受け止められている。

 聖剣の異能で底上げした力。

 それでもなお、届かない。

 七十三番目を騙る銀髪の少女は、信じ抜いたその先の、遥か高みにいた。


「私が知る最も強い剣は、赤く錆びている。お主はまだ、綺麗すぎるのじゃ。血反吐が足りん」


「……ぐがぁっ!?」


 コメットの視線から消えるアスタ。

 刹那背中に感じる、凄まじい衝撃。

 痛烈な掌底が背骨を揺らし、身体が吹き飛ぶ。

 全身が一時的に麻痺し、受け身も全く取れずに地面をコメットは転がった。


「今度こそ、終わりじゃな。クリスタルは、貰って行くぞ」


 痺れが抜けず、コメットは手足を痙攣させるだけで、まるで動けない。

 服をまさぐられ、クリスタルが奪われていくのを、霞んだ瞳の中で見送ることしかできない。


「そっちのノッポはどうする? 私とやるか?」


「……いんや。おらはやめとくだ」


「そうか。賢明な判断じゃな」


 ずっと戦いを見守っていたロクは、アスタに声をかけられると首を横に振る。

 それを認めた彼女は踵を返し、コメット達から離れて行く。


「じゃあの、弱い人の子よ。この私、アスタの名を存分と噂するといい。私は始まりの女神ルーシーを討つ。そう囃し立てておけ」


 アスタはそう言い残すと、コメット達の視界から消えていく。

 聖剣が、消える。

 残るのは、痛みだけ。

 コメットは何も言葉を発さず、泥と血で汚れた自分の手をぼんやりと眺めると、一度だけ強く地面を叩いた。


「コメット、大丈夫かあ?」


 浅く息をするだけで、鈍痛が走る。

 目頭がが熱くなり、血が滲むほど強く下唇を噛み締める。

 コメットは、段々と動かす程度には回復してきた手で自らの顔を覆うようにする。


「……先に行ってくれ」


「コメット——」


「いいから! ボクを置いて先に行ってくれと言ってるんだ!」


 心配そうに声をかけるロクに対し、コメットは反射的に怒号を上げる。

 整理のつかない感情。

 自己嫌悪に、彼女は心を沈ませる。

 

「……すまない」


「んだず。わかった。先に行ってる。先で、待ってるよ、コメット」


「……ああ、すぐに追いつく」


 少しだけ寂しそうな表情を浮かべるロクは、そのまま静かに背中を向けて森の奥へとゆっくりと進んでいく。

 段々と遠ざかって行く足音。

 どうしてかコメットは僅かに安堵する。


 すぐに追いつく。


 自らの口から出たはずの言葉を、まるで他人事のようにコメットは頭の中で反芻する。

 ここより先に、自らが行ける資格があるのだと、彼女はもう信じきれないでいた。





————



 

「な、なんで俺を狙う? お前はもうすでに——」


「目障りなんだよ。ザコが俺の視界をウロつくと」


 迸る血飛沫。

 目で追えない程速い、俊剣。

 長めの金髪を揺らす青年の背後で、一人の加護持ちギフテッドが倒れ込んだ。

 

「くだらない。俺は急いでるんだ。ザコで俺の道を埋めるなよ」


 その手に握られたクリスタルの数は四つ。

 すでに第一選別を突破するために必要な数の倍の輝きを手に入れた青年——“剣王子プリンス”レオナルド・ベッキーは、心底うんざりしたような表情で舌打ちをする。

 彼にとってあくまで選別試練は取るに足らない通過点の一つにしかすぎない。

 野望は遥か先にある。

 誰よりも先に、高みに辿り着く。

 なぜなら彼には、その高みから蹴り落としたい相手がいたからだ。


「……なんだ? この匂いは? 血、か?」


 同格の加護数レベルを持つ加護持ちを出会うたびに倒していたレオナルドは、そこでふと奇妙な気配に気づく。

 それは、血だ。

 血の気配。

 それも、これまで感じたことのないほど濃い血の香り。

 

(思い出すな。あのクソ親父を)


 濃厚な血の匂いから思い出すのは、自らの父の姿。

 それを掻き消すように地面を強く蹴ると、風のような疾さで血の匂いがする方へ向かう。

 


「……あ? なんだよ、これは」



 そして血の匂いが満ちる方向に向かえば、そこでレオナルドはまるで想像していなかった光景を見る。


(こいつら、全部、死んでるのか?)


 腕が捥げ、足が切り飛ばされ、身体の至るところが抉られた魔物ダークの死骸。

 猪型で、尖った牙が特徴的な怪物。

 おそらく種別はブロンズボア。

 レオナルドからすれば、雑魚と一蹴していまう程度の下位の魔物だ。

 だが、それでも鼻につく血の香りはその異様さを際立たせている。


(いったい何匹死んでる? 二桁、いや、三桁か?)

 

 異様なのは、その数だった。

 ブロンズボアに強烈な怨恨があるのかと勘繰ってしまうほど痛めつけられた死骸。

 窪地のように少し開けたその空間に、夥しい数のブロンズボアの死骸が転がっているのだ。

 まさに死屍累々。

 すえた死臭が辺りに充満し、これ以上ここに長居すれば腐った血の匂いが身体にこびりついてしまいそうだった。


「ザコはザコでも、これほどの数ともなるとさすがに——あ? なんだ?」


 その時、レオナルドは反射的に剣を抜く。

 特別、何かに襲われたわけではない。

 あくまで、本能的なもの。

 彼の翡翠の瞳と合致する視線。

 

 目が、合った。


 どろりと白濁した、ブロンズボアの瞳。

 数えきれないほどの死骸の山の一匹。

 ただの、死体のはず。

 その一匹の瞳と、どうしてかレオナルドの視線が交錯したのだ。


 ——ぐっちゃ、ぐっちゃ、ぐっちゃ、と生理的嫌悪感を催させる、粘着質な咀嚼音。

 

 レオナルドを真っ直ぐと見つめる猪型の魔物の生気を失った瞳。

 死骸の山に埋もれていたそのブロンズボアは、よく見れば口から下が不自然に抉り取られていて、代わりに人間の口元が覗いている。


 ぐっちゃ、ぐっちゃ、ぐっちゃ。


 血の滴る大腿骨についた肉に齧り付くそのブロンズボアの顔から下には、頭部とは不釣り合いな細身だが筋肉質な人間の男の身体が伸びていた。

 レオナルドは、不快感に顔を歪ませる。

 それは、魔物ではない。

 人間だった。

 死んだブロンズボアの頭部を頭に被った、包帯をぐるぐる巻きにした剣を腰に差した人間。


「気色悪りぃ」


「……」


 ブロンズボア頭の男は、レオナルドに向かって、片手をあげる。

 そこに握られていたのは、蒼白に輝くクリスタル。

 ぐっちゃ、ぐっちゃと咀嚼を続けながら、男が挑発するようにしてクリスタルをぶら下げている。


「魔物の死骸を被って、魔物の肉を喰らう。頭、イカれてますよってか? 狂ってるアピールにしても、やりすぎだろ。クールじゃない。寒いぜ、お前。そういう外面ばっかり気にしてるザコが、一番キショいんだよ」


 クリスタルを持っているということは、相手は同格の加護持ち。

 たしかにその男が大量の魔物を殺したようだが、所詮はブロンズボア。

 この程度の雑魚魔物に固執するような相手ならば、遅れは取らない。

 レオナルドは、感情のままに剣を振るうことにする。

 気に食わない。

 目の前の相手を切り伏せる理由は、それだけで十分だった。

 

「くだらないんだよ、お前も」


 疾風。

 一瞬で間合いを詰め、レオナルドは一閃を刻み、そのままさらに男の背後まで駆け抜ける。

 

 宙を舞う、血霧。


 レオナルドは自らの剣についた血を一瞥すると、僅かに眉を傾げる。


「へえ? 一撃、耐えたかよ。でもまあ、それが限界だろうな。俺の速さに、お前もついては来れない」


 想像より、軽い手応え。

 見ればブロンズボア頭の男の肩に大きな切り傷が生まれているが、レオナルドの予想よりは浅い傷だった。

 しかし、初手は、本気ではない。

 彼は、試しただけ。

 目の前の男を、選別したのだ。


「これがどういう意味か、わかるか? お前に、ここから先に進む資格はないって意味だ」


 レオナルドの手元にあるのは、一つのクリスタル。

 それは、ブロンズボア頭の男から奪ったモノ。

 選別は終わった。

 刹那的速さで剣を振るうのと同時に、クリスタルを強奪したのだ。

 


「よし、これで、第一選別は突破だな。グシオンはああ言っていたが、一応ルールは守っておいた方がいいだろう」


「……あ?」



 どこか呑気な、この地獄のような空間に似合わぬ声が響く。

 その低い声が、ブロンズボア頭の男から発せられたものだと、一瞬彼は気づかなかった。

 知らぬ間に食べ終えたのか、綺麗に骨だけになった大腿骨をボリボリと齧りながら、その男は再び片手をあげる。

 そこに握られていたのは、二つのクリスタル。

 奪ったはずにも関わらず、むしろ増えている蒼白光の輝き。

 レオナルドは、自らの衣嚢を探ってみるが、そこには先ほどまで四つあったはずのクリスタルが二つしか見つからない。


「……お前、何者だ?」


「ん? 俺か? 悪いが、言えない。見ての通り、正体を明かせないんだ。他にいい仮面がなくてな。麻袋はもうボロボロだから使えなくなったんだよ」


「会話にならねぇ。まあ、いいぜ。そこまでキャラを守れるなら、立派なもんだ。お前はもう、そのままでいい。ザコ魔物イジメして気持ちよくなってる、お山の大将さん。加虐思考のイカれ野郎を演じさせたまま殺してやるよ」


「この程度の魔物だったら、今の俺にとって本当はあまり有用な鍛錬レベリングにならないんだが、今回はどうしても腹が減っててな。散らかしたのは悪いと思ってるが、これから全部食べるつもりだ。綺麗にしておくさ」


「これ以上の会話は無駄だな。吐きそうだ」


 レオナルドは自らの剣を仕舞う。

 くだらない。

 目の前の男に時間をかけるのは、くだらない。

 彼は、急いでいた。



はしれ、【霹靂へきれき】。それだけでいい」

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る