代弁者
「ちっ。きりがないな。なるほど。これが
額に滲む脂汗。
肩で息をしながら、乱れた前髪を整える。
コメット・フランクリン。
自らを“
「なあ、コメット。これで何匹目だあ?」
「これでボクら二人合わせて、十匹目だ」
「おー、けっこう倒したんだなあ」
「まあ、ボクらならこれくらいわけないさ」
コメットの足元で虚な瞳を宙に向けたまま息をしなくなったブロンズボアと呼ばれる猪型の魔物は、
すでに
しかし、問題は魔物の強さではなかった。
それはこの選別試練の特性と、普段
(普段、ボクら加護持ちは明確な獲物がいて、その獲物を狩るために戦いに赴くことが多い。つまりは戦う相手がはっきりしていて、基本的には短期決戦だ。しかし、この選別試練は敵の数も種類もはっきりしていない、魔物の巣に飛び込み進んでいかなければいけない。体力のペース配分が難しいな。“
腰につけた鞘に鉄剣を戻しながら、コメットはすでに疲労が身体に溜まり始めていることを感じた。
たしかに剣想を使えば、もっと簡単に魔物を屠ることができ、体力の温存もできるだろう。
しかし、剣想は長時間の使用ができない。
もし仮に連続戦闘、あるいは他の選別試練の参加者に狙われた場合、剣想の副作用によって致命的な隙を晒してしまう可能性がある。
(それに、問題はこのクリスタルもそうだ。この島にいるのは今、ボクと同じ
掌の上で、くるりくるりと回ると、ある一方向に尖先を向ける蒼白の結晶。
空神グシオンから
新たに必要なクリスタルは、たった一つ。
しかし、一度でも敗北すれば、二つ必要になる。
この魔物が蔓延るの密林の中で、同格の加護持ちに二連続で勝利するのは、簡単ではない。
(いや、一度クリスタルを手に入れても、他の加護持ちから狙われるリスクは残るのか。三日間、休む暇はないということ。痺れるね)
選別試練。
加護持ちにとって一つの壁と呼ばれる試練の難関さに、ここでコメットは気付き始める。
体力、精神力、その両方が試されている。
「お、いたぞいたぞ。お主ら、加護持ちじゃな? ずいぶんと探した。やっと初陣じゃ」
すると、過酷な選別試練に不釣り合いな気軽い声がかかる。
木々の間から顔を出すのは、銀髪銀瞳のどこか浮世離れした雰囲気を纏う少女。
漆黒のコートに身を包み、外見の割りに嗄れた声でコメットに語りかけている。
「このクリスタルとやらを、貰いに来たのじゃが、黙って渡す気はあるか?」
「……愚問。このボクを誰だと思っている? 次代の神下六剣。“彗星”ことコメット・フランクリンだ。君こそ光栄に思うといい。このボクという世界を中心に回っている世界で、やられ役だとしても役目を貰えたことをね」
「ほお? 次代の神下六剣、ねぇ。その肩書きには聞き覚えがある。そうか。“あいつ”を目指しておるのか」
コメットの言葉の何かが琴線に触れたのか、銀髪の少女は興味深そうに笑う。
実力は未知数だが、逃げの選択肢はない。
まずはここで、クリスタルを一つ手に入れる。
(ロクの分も考えれば、この少女以外にも、あと一つはクリスタルがいる。ここは確実に勝たせてもらう)
「ならば、私も名乗ろう。私こそが、真の“第七十三柱”腐神アスタ。畏れ、敬え。神下を目指すのならば、私の剣に相応しいか、試してやろう」
コメットが剣を抜くよりも早く、神を自称する銀髪の少女——アスタが動き出す。
第一の選別が、火蓋を切る。
まずは鉄の剣を抜き、直線的に突っ込んでくるアスタを見極める。
「ロクは手を出すな。こいつはボクがやる」
「あいあいさ」
自らの誇りをかけて、コメットはロクに介入しないように声をかける。
彼女にとってロクは信頼できる友人ではあるが、この選別試練においては仲間ではない。
戦う理由がなければ戦わないが、もし戦わなくてはいけない場面が来れば、その時はお互いに全力でぶつかる。
それは元々選別試練に参加する前に、二人で約束していた事柄だった。
「なんじゃ二人でこんのか? 私は一向に構わんぞ?」
「二人で相手したら、君のクリスタルを分け合えないだろう? 君はボクの獲物だ」
「あー、なるほど。それもそうじゃな。なら、順番に倒せばいいだけか」
あっという間に、アスタがコメットの眼前に迫る。
その速度は、早い。
単純な加速力だけなら、コメットは自らが劣ることをすぐに察した。
(速い。さすがに加護数29。全ての相手が同格。簡単に勝てる相手は一人もいない)
鋭い一閃を繰り出すが、いとも簡単にアスタはそれを躱し、さらにもう一歩踏み込んでくる。
咄嗟に片腕を構えると、そこに勢いよく掌底を撃ち込まれた。
「がっ……!?」
「なんじゃ? こんなものか? 準備運動にもなりゃせんぞ」
小柄な身体に似合わぬ、重い一撃。
想定より威力のある攻撃に、踏ん張りが効かなかったコメットは吹き飛ばされる。
(この少女、強い。あの速度で、あの威力。見た目からして、ボクよりも若い。まさか無名の黄金世代? そういえば、七十三柱の腐神とか言ってたな……まさか、この少女、“
七十三番目の代弁者。
それは最近になって暗躍するようになった、とある
ここで言う、七十三番目とはかの有名な堕剣ネビ・セルべロスのことを指す。
神殺しの罪を背負い、新たな七十三番目の神の座を狙う革命家ネビ・セルべロス。
つまりは、大罪人である堕剣ネビに共鳴し、神々こそが悪だという名目で各地で扇動行為を繰り返す有害グループである。
そして噂によれば、この七十三番目の代弁者は
(加護持ちなのに剣を使わない戦い方。魔の力を宿しているのならば、この若さであの力も納得だ。さすが選別試練。試してくれるね)
ほんの僅かな接触で、コメットには理解できてしまう。
七十三番目の名を騙る少女は、格上。
温存して勝てる相手ではない。
この先のことは、勝利の後に考えるべき。
正義があれば、悪もある。
人々の英雄がいるのなら、人類の敵もいる。
彼女は、自らが前者だと、信じ切っている。
そして彼女の
「救え、【
————
孤島タルタロスの最奥。
剥き出しの岩肌には、蒼い鉱石が混じり、独特な輝きが放たれている。
青い匂いが乗った風は冷たく、遠くから滝が流れる水音が響く。
深く入り込んだ洞窟を抜けると、そこには天井が穿たれ青空が望む大きくひらけた場所がある。
そこには大理石で築かれた簡素な広間が造られていて、三つの席と一つの大きなテーブルが置かれていた。
「……グシオン、帰ってこないでござるな」
「……ああ、帰ってこないな」
等間隔で並んだ席の内、一つだけが空席になっている。
残りの二つの席に座るのは、第四十二柱“地神ガープ”と第四十一柱“海神ウァラク”。
選別試練を取り仕切る三柱の神の内の二柱だった。
「グシオンが帰ってこないということは、やっぱりそういうことでござるか?」
「ああ、やっぱりそういうことだろうな」
落ち着かないように、貧乏ゆすりを繰り返すのは大きな体躯が特徴的な筋肉質な神である地神ガープ。
小麦色の肌で達磨に似た顔を緊張で青白くして、歯をガチガチと鳴らしている。
周囲には誰もいないのにも関わらず、小さな音に反応して、ヒッィ、と怯えた声を何度も漏らす。
「グシオンは、死んだということで、ござるか?」
「ああ、死んだんだろうな。或いは、儂らをおいて逃げたか」
「まさか! グシオンが拙者らを裏切ったとでも!?」
「……お前だったらどうだ?」
「え?」
「逃げないのか?」
「……逃げれるなら、逃げまする」
「ああ、そうだろうな。儂でも、そうする」
一瞬声を荒げた後、呟くような声で地神ガープが肯定の言葉を絞り出す。
それを一瞥した後、痩身で仙人のような格好をした海神ウァラクは深い溜め息をつく。
「ですが、ウァラク殿、堕剣から、逃げられますか?」
「追われたら、むりだろうな」
「やはり、死んでますか?」
「追われたら、死んでるだろうな」
オーマイガ、と小さく漏らして地神ガープが大きな身体を縮こまらせる。
堕剣ネビ・セルべロス。
三柱の神全てに消えない心の傷を残した元剣聖が、今回の選別試練に現れる可能性があるとは聞いていた。
それゆえに、第一選別担当の空神グシオンが彼らのところに戻ってこなかった場合は、堕剣の出現以外にはありえない。
死んだのか、逃げたのか。
真偽はわからないが、もうここに戻ってこないことだけは確かだった。
「どうする? もう、選別試練、やめちゃう?」
「えぇ!? そ、それはさすがにマズイのではござらぬか?」
「なんで?」
「な、なんでって。だって、拙者たち、一応神ですよ? 堕剣にビビって選別試練中止っていうのは、ちょっとさすがに……」
「じゃあ、儂だけ逃げていい?」
「はあああ!? だめに決まってるでござるよ! 何言ってんだこの耄碌ジジイ! 寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ!?」
海神ウァラクが一人で逃走することを打診すると、口調が普段とは全く異なるものになってしまうほど地神ガープは激昂する。
そんな見たこともないほどの本気度で激怒するガープを横目に、ウァラクは見せつけるようにしてまた溜め息を吐く。
「でももう、グシオンいないぞ? 二柱でやっても、意味ないじゃん」
「そうは言ってもでござるよ」
「ほらー、もう逃げようよ。というか一生雲隠れすれば、死んだことになるんじゃ……あれ、もしかして、バルバトスとかも同じこと考えたんじゃねぇの?」
「バルバトスをウァラク殿みたいなクソジジイと同じにしないで欲しいでござるよ。舐めんな」
「いよいよ敬語なくなってきたな。まあいいけど、本当に逃げない? 来ちゃうよ、ネビ? 会いたい?」
「凄い嫌でござる。絶対に一生会いたくないでござる。死んでも会いたくないでござる」
「ああ、だろうな。儂も嫌だ。本当に会いたくない」
ウァラクとガープは互いに目を合わせると、絶望的な表情で顔を俯かせる。
堕剣ネビ。
このままでは、奴がここに辿り着いてしまう。
彼らにとって、堕剣に再び試練を与えるという選択肢はない。
もはやそれは、試練ではなく、彼ら神に対する拷問に近い。
どうにかしてこの地獄のような状況を脱する方法がないか考えを巡らせるが、妙案は浮かばない。
「ん? あれは……」
しかし、その時、ふと頭上から翼がはためく音が聞こえた。
——バサ、バサ、バサ。
近づいてくる音に、ウァラクは顔を上げる。
「あ! ウァラク殿! 見るでござるよ! あれはグシオン! グシオンが帰ってきた! つまり堕剣は来てない! いよっしゃああああああ! 最高最高最高! 絶頂モンでござるよ! はい拙者の勝ち! この世界に感謝!」
逆光。
霞む視界に目を細めると、たしかにそこには見慣れた空神の姿が見えた。
しかし、何かがおかしい。
隣ではしゃぐガープとは異なり、ウァラクはまだ平静を保っている。
気配が、多い。
一つ、彼の知らない気配が、混じり込んでいる。
「うんうん。よかった。君たち二人はまだ許せるね。死刑にしなくてすむ。うんうん。よかった。殺さなくていいんだね」
——ドサリ、とゴミのように地面に投げ落とされる空神グシオン。
口からは血を流し、翼は片方折れている。
打撲か内臓の負傷か、身体の数箇所に大きく腫れ上がっている箇所がある。
全身傷だらけで、虫の息。
そんな満身創痍のグシオンを踏みつけるようにして、その身の上に立つ一人の少年。
小さな黒い翼を背中から一枚ずつ生やし、蛇のような瞳を細めにこやかに笑っている。
「え? グシオン? 生きてるで、ござるか?」
「グシオンはまだ、生きてるよ。まあ、こいつは死刑だから、堕剣が来たら殺すけどね」
「死刑? あなたはいったい……?」
「うんうん。だってこいつ、逃げたからね。堕剣から逃げるなんて、ルーシー様を裏切るのと一緒でしょ? そんなの、殺す以外ないよ。裏切りは、例外なく許されない。人でも、神でも、関係ない。知ってるでしょ?」
金髪の少年は、微笑みを保ったまま語り続ける。
その身に宿る気配は、ウァラクと同じ神々の物。
しかし、その質が違う。
第四十一柱のウァラクからしても、遥か格上の神。
選別されるのは、人の子だけではない。
「ぼくは第十一柱“
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