第一選別


 穏やかな白波が立つ海路。

 水平線の先に、青々とした島影が見え始めた。

 爽やかな潮風を浴びながら、彼女——コメット・フランクリンは期待に胸を踊らせる。


「いよいよだね。ボクの英雄譚が始まる。ちょっと長めの序章プロローグだった気もするけれど、その分ここから先の本編は盛り上げようじゃないか」


 孤島タルタロス。

 二日ほどの船旅を経て、トリアイナ号は無事に目的地に辿り着く。

 コメットの隣りでは、彼女の数少ない友人のロクが大きな欠伸をしながら、眠そうな目元を擦っていた。


「なんだか、けっこうあっさり着いたんだなあ」


「まあまだ選別試練トライアルは始まっていないからね。ここからだよ、本番は」


 海路を往く際のトリアイナ号の船内は、恐ろしいほど静かで、特筆するような出来事は何もなかった。

 ある意味コメットからしても拍子抜けするような事ではあったが、それは嵐の前の静けさのようなものだと彼女は判断していた。


「降りる準備を、ロク。ボクという伝説を、始めようじゃないか」


「あいあいさ。お供、させてもらうんだな」


 ぎぎぎ、と軋むような音を立てながら、トリアイナ号が岩礁から伸びる桟橋へと身を寄せる。

 一度大きく揺れた後、何度か小さな揺れが続き、そして揺れが止まる。

 トリアイナ号から仮説の梯子のようなものがかけられると、船員が一人桟橋に出て、案内するように手を振った。


「……あいつは」


「んあ? コメットの知り合いか?」


「いや、直接話したことはないけれど、知っている」


 誰よりも早く、迷わず一人の青年がタルタロス島へと踏み出す。

 見る者の視線を奪う、ブロンドの長髪。

 すらりとした細身で、均整の取れた甘い相貌をしているが、その翠色の瞳は切れ味が鋭く、見る者を威圧する。


「“剣王子プリンス”レオナルド・ベッキー。神下六剣の血を継ぐ者。つまりは、ボクの好敵手ライバルだね」


「おー、なるほどだー」


 剣王子プリンスと呼ばれる黄金世代の一人。

 かの有名な“剣王”を実の父に持つという青年は、船員から何かをもらうと、そのまま真っ先に島に降り立っていく。

 

「ボク達も続こう。観客を待たせてる」


「ほいさ」


 そしてコメット達も、続々とタルタロスに降りていく他の加護持ちギフテッドを追うようにして、トリアイナ号から出る。

 ここから先は、正真正銘の選別試練トライアル

 これ以上の足踏みは許されないと、自らに戒するコメットは前だけを見据える。

 どんな試練がこの先に待ち構えていようとも、その全てを彼女は自らの剣で切り開いてくつもりだった。

 




————


 



「なんじゃこれは? なんだか不思議な光を放っているようじゃが?」


「うぅ〜、見えない! ね、ね、アスタちゃん! うち大丈夫!? バレてない!? 今すぐに脳天かち割られたりしない!?」


 磯がこびり付いた岩瀬に辿り着いたアスタは、手の中で淡い光を放つ宝石のようなものを観察していた。

 それはトリアイナ号から降りる際に、船員から一つだけ手渡されたものだった。

 カイムは相変わらず麻袋を頭に被って、視界が不良なのかアスタの背後でぎゃあぎゃあと騒いでいた。

 アスタたちが最後に船を降りたのか、もうトリアイナ号とタルタロス島を繋ぐ梯子は外されている。



「ようこそ。迷わぬ、鉄の意志を持つ子羊たちよ」



 一瞬、太陽の光が何かに遮られ、影が落ちる。

 バサ、バサ、と何かが大きく翼をはためかせる音ともに、何者かが船から降りたアスタ達の前へと姿を現す。


「我の名は四十三柱“空神くうしんグシオン”。まずは汝らに、第一の選別を受けてもらう」


 空神グシオン。

 自らを第四十三柱の神と名乗ったその男は、背中から二つの大きな翼を生やして、鷹揚に語る。

 髭は編み込まれていて、瞼の下には羽根のような紋様が描かれている。

 右肩側から伸びる白い翼には傷跡のようなものが見えて、その部分だけ黒い染みのようになっていた。


「第一の選別を突破する条件は簡単だ。この山の最奥にある洞窟に、今汝らが持つ“クリスタル”を以上持った状態で三日以内に辿り着くこと。そのクリスタルは、コンパス代わりにもなる。上手く使うといい」


 急峻な岩肌が目立つ海岸沿いとは異なり、島の奥は密林のように木々が生い茂っている。

 この山奥に存在する洞窟。

 そこへ船から降りた者が一人一個ずつ渡されたクリスタルを二つ以上保持して三日間の内に辿り着くこと。

 

「なるほどじゃ。そう来たか。シンプルでいい」


 第一選別の内容を事前に知っていた者と今ここで初めて知った者の差か、無表情でそれを聞く者と困惑、或いは思案げに眉を顰める者とに別れ、集まった加護持ちギフテッドたちの間に小さな騒めきが広がる。



「——くだらない」



 刹那、疾風が走る。

 気づけば、最前に立っていたはずの空神グシオンの背後に、一人の青年が立っている。

 男性にして長めの金髪を風に揺らしながら、冷めた瞳で他の選別試練の参加者たちを見下している。


「俺は急いでるんだ。こんな下らないことをさせるくらいなら、さっさと試練を受けさせろ」


 ドサリ、とそして空神グシオンの語りを聞いていた加護持ちの一人が、地面に何も言わずに倒れ込んだ。

 倒れ込んだ男の手にはクリスタルは握られておらず、代わりに最前に立つ金髪の青年の手に二つの淡い光が収まっている。

 この瞬く間に何が起こったのか、この場にいる者のほとんどが理解できた。

 それはこの加護数レベル29の者たちが集う空間においても際立つ、圧倒的な才覚。


 “剣王子プリンス”レオナルド・ベッキー。


 彼の名を知らない者は少ない。

 山を砕き、海を裂き、空を断つと言われた不世出の天才剣士、“剣王”アガリアレプト・ベッキーの一人息子。

 怪物の片鱗を見せるその青年は、背中を見せると、誰よりも先に宣言する。


「俺は“剣王”を殺す。誰よりも先にな」


 そして地面を一蹴りすると、レオナルドはそのまま森の奥へと消える。

 確かな熱気が辺りに満ちる。

 ここから先は弱肉強食。

 信念も、才能も、想いも関係ない。

 強い者だけが、もっと遠くへ辿り着ける。


「……では、改めて。始めよ、“選別試練トライアル”を」


 空神グシオンの宣言と共に、また別の加護持ちが飛び出す。

 何人かが先行する横で、また別の何名かは状況を伺うようにこの場から距離を取るようにして迂回の道を選ぶ。

 久しく感じていなかった、狂騒の気配。

 その中に自らが混じっていることに、少なからずアスタは嬉を抱く。

 だが、たった一つだけ、彼女に欠けているものがあった。

 たった一つの心残りを秘めたまま、しかし彼女もまた否応なしに前へと進んでいく。



(というか、ネビの奴、どこに行ったのじゃ? 選別試練とやら、もう始まってしまったぞ? 今度から首輪でもつけるべきかの?)




————




 孤島タルタロスに集まった、加護持ちギフテッドが全員散り散りになったのを見送った後、空神グシオンは一人で澄み渡る快晴を見上げていた。


(今年は数は例年より多めだが、質としては例年より小粒気味だな。だが冷やかしが少し多めか? 珍しいといえば珍しいが)


 選別試練トライアルを受けるためには、加護数レベル29の加護持ちであることが条件と言われているが、これは正確ではない。

 厳密に言えば、加護数29という条件が必要になるのは選別試練の最後に待ち構える三柱の神との最後の試練の際だけだ。

 そこに辿り着くまでの試練の途中に関しては、誰にでも挑戦権は存在する。

 もっとも、孤島タルタロスへと繋がるトリアイナ号に乗船するにも多額の金額が必要で、かつそもそも命を落とす危険性がある選別試練に意味もなく挑む者はほとんどいないといってもいいが。


(だが今年は、いつもいるあのヴィンセントとかいう男以外にも二人……いや、三人ほど選別試練自体には興味をもっていなそうな者がいたな。これが吉兆か凶兆か)


 加護持ちギフテッドの気配は独特だ。

 そんな彼と明らかに違う匂いを放っていたのは、退屈そうな表情をしていた青年が一人となぜか麻袋を頭に被っていた女が一人。

 また、麻袋頭の女の隣にいた、意志の強そうな銀髪の少女が一人いたが、その者も加護持ちとはまた異なった独特な気配を感じ取れた。


(まあ、もっとも、今年に限っては一番重要なのはがいなかったことだな)


 しかし、空神グシオンの最大の関心は集まった者たちの中ではなく、集まった者たちの中にいなかった者にあった。

 あの男。

 彼にとっては、名前を呼ぶことすら憚れるかつて剣聖と称された大罪人だ。


(噂ではあの男が今年の選別試練に現れると聞いていたが、杞憂だったか。さすがに孤島なんていう逃げ場のない場所には現れないものよな)


 今では堕剣と呼ばれるようになった、その男。

 空神グシオンがこれまで何度も行ってきた選別試練の中でも、強烈に記憶に残っている年があった。

 鮮明な回想は、何度忘れようとしても消えてはくれない。

 その年の唯一の選別試練の合格者にして、それ以降選別試練の内容に変更を与えるほどの影響を持ったたった一人の男。

 選別試練に敗れた加護持ちは、そこから数回は再度挑戦することが多い中、その男と同じ年に選別試練を受けた他の加護持ち達は、二度とこの孤島に戻ってくることはなかった。


(あの男がいないなら、それでいい。今の我の役目は、その確認だけ。他に役目はない)


 誰もいなくなった岩礁で、空神グシオンは孤島の最奥に戻ろうと、大きな翼を広げる。

 もう役目は終えた。

 あとは最後の選別にまで辿り着く、迷わぬ子羊を待つだけ——、



「俺にもクリスタルをくれ。選別試練を受けるには、それが必要なんだろう?」



 ——ズキリ、とその時、グシオンの右肩から伸びる翼の古傷が痛む。

 開きかけていた翼を閉じ、本能的に自然と震え出す肩を抱きながら、第四十三柱の神は背後を向く。

 すでに誰もいない水平線。

 だが、グシオンはすぐに気づいてしまう。

 どこまでも広がるように見える海に、異変が生じていることに。


「な、なんということだ、こんなことが」


 どこまでも晴れ渡った青い空。

 その青を映していたはずの海は、今、燃えるような赤に染まっている。


 血だ。


 血の海が、広がっている。


 悪寒が全身に走り、空神グシオンは呼吸をするのも忘れて、赤く染まった海面から一人の男が頭を出すのを見る。


 奴だ。


 奴が、来た。


 しっとりの濡れた黒い髪に、瞳孔の開いた紅い瞳。

 左手は怪我をしているのか、血を滴らせている。

 傷が多く穴があいて、もはや被っている意味をなしていない麻袋を頭に被り、何が面白いのか笑いながらグシオンの方を見つめている。


「久しぶりだな、グシオン。選別試練を、受けにきた」


 あの男だ。

 あの男が、現れた。

 ズキズキと、翼の古傷が痛む。

 しかし、彼は可能性を想定していた。

 

(残念ながら、噂は本当だったか。仕方ないな)


 噂は聞いていた。

 神殺し。

 その男が、いつか彼の前にも現れることは、想定できていた。

 ゆえに、彼は迷わない。

 すでに準備は整えている。

 かつての過ちは、二度と繰り返さない。

 覚悟を決めると、空神グシオンは自らの役目を果たす。



「はい、ちょっと待ってね。ストップ。それ以上我に近づかないで。大丈夫。ほんとに大丈夫だから。すごい大丈夫。めちゃめちゃ大丈夫。こんなに大丈夫なこと中々ないよ。汝の願い、すぐ叶えちゃうから。ほんと、なにもしなくていいよ。選別とか、全然しないから。はい。これ、“柱の加護”ね。これ、欲しいんでしょ? ほら。ほんと大丈夫だから。渡しますんでね。これ貰ってね。そのまま、我には近づかないでもろて」



 空神グシオンは淡い翠の光を手に集めると、それをゆっくりとその男の方に向かわせ、十歩ほど後退りをする。

 あくまで冷静に、平常心のまま最適な行動を。

 彼は首元に刃を突き当てられているような緊張感の中、自らの試練に立ち向かう。


「……選別試練は?」


「いやいや、ほんとに大丈夫だから。なにも問題ないから。気にしないでもろて。うん。そのままね。その加護をね、ペロリとね、いつもの感じでいっちゃって大丈夫だから。我のことは気にしないでね。ほんと、空気だと思ってもらっていいんでね。選別試練とか、ほんと大丈夫だから。もう汝、顔パス。クリスタルとか、集めなくていいからね。うん。まっすぐ、そのまま残りの二柱の神のところいっちゃってくれていいんでね。ほんと、我のことは忘れてもろて」

 

 一歩でも間違えれば、即死だ。

 出し惜しみはしない。

 空神グシオンは心臓が張り裂けなそうほど鼓動しているのを自覚しながら、生き残りをかけて全力を尽くす。


「……最後の試練は?」


「ないない! あるわけないじゃんそんなの! あるとしてもね、もう我、加護渡しちゃってるから! もう我、この島出るんでね。一生戻ってこないから。選別とかほんとにもう興味ないんでね。汝がこの先何をするのか知らないけど、ほんと我もう関係ないんでね。じゃあ、もう我、行っていいよね? もう我に用事ないでしょ?」


「……どこに行くんだ?」


「いやいや、ほんと大丈夫だから! すごい大丈夫! 信じられないくらい大丈夫だから! 気にしないでもろて! 我自身もどこ行くかわかんないところあるからね! ほんと我のことは気にしないでくれていいんでね! 残りの加護貰いに行ったらいいと思うよ! じゃあ我、飛んでいくんでね。ほんと、もう無関係な一般神だから、背後から翼もいで嬲り殺しとかしないでね。ほんとにお願いね。めちゃくちゃお願いね」


「……そんなことをする理由が俺にあるのか?」


「いやいやないよ! もちろんない! ないに決まってるじゃん冗談きついな笑っちゃうよアハハハッ!? あーおもしろかった! じゃあ我ほんともう行くんでね! いやあ! 今日はありがと! すごいありがと! じゃあお元気で! 二度と我のことは思い出さないでくれていいんでね。ほんとに背後から翼もいで嬲り殺しにするのだけはやめてね。ほんと我空気みたいなもんだから。よろしくね。気にしないでもろてね」


 そして空神グシオンは引き攣った笑みを浮かべながら、やたらと焦ったように翼をはためかせ、ぎこちない動きで空高く飛んでいく。

 何度もその男の方を振り返って、充血した目で確認しながら、凄まじい速度で雲の向こう側に向かって飛び続けていく。

 

 もっと、もっと、遠くへ。


 遥か空の向こうへ、そして第四十三柱の空神は飛んでいくと、そのまま二度と地上に降りてくることはなかった。

 


 

 

 


 

 

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