出航
湾岸都市ポートハブの最南にある第9埠頭にその身を寄せる大型船——トリアイナ号のオープンデッキで、小柄な
丸々とした顎のラインを気取った仕草で撫でると、七対三に几帳面に分けられた髪の生え際を指でなぞる。
隣では背が高くぼうっとした顔で口を半開きにしている男が、ぼんやりと宙を舞う海鳥を目で追っている。
「なあ、ロク。英雄の条件って、わかるかい?」
「んだー、どーだろなー、わがんね」
大きな鼻の穴をほじりながら、ロクと呼ばれた背の大きな男は半分寝ぼけたような声を返す。
そんなロクの様子を見た小柄な加護持ちは、やれやれと芝居がかった動きを見せると、人差し指を一本立たす。
目の前に急に指を突き出されたロクは、不思議そうな顔で首を傾げる。
「つまり、こういうことさ」
「んな? なにがだ?」
「ロク、今お前は、ボクの指を自然と見ただろう?」
「んだず。見たな」
「つまり、これが英雄さ。見る者の視線を、自然と奪ってしまう。ただ、そこにいるだけでね。カリスマと呼んでもいい。つまりはこのボク、“黄金世代”の最終兵器、“
「おー。なるほどだー」
「拍手は、ほどほどにね」
「うおー、ぱちぱちだな」
小柄な加護持ち——コメットが晴れやかな表情で胸を張ると、ロクが僅かに興奮したように手を叩く。
気をよくしたのかコメットは、ハーフパンツを無意味に捲り上げ、艶やかな太ももに“29”と刻まれた
「ボクは今年、ついにこの“
「さすがコメット。コメットはすごいなー」
「そう! ボクは凄い。それが理解できるだけ、他の凡人よりはロクの方が賢いね」
「おら、賢いか?」
「ああ、賢い。ボクには劣るけどね」
「でへへ、嬉しいんだな」
犬のように笑うロクの伸びっぱなしの癖毛が揺れ、額の右上に刻まれた“29”という刻印が姿を見せる。
彼らが乗るトリアイナ号は、毎年ある一定の時期にだけ、毎回同じ場所に共通点を持った者たちを運ぶ。
「何も早ければいいってものじゃない。去年は“
「どうだっけか?」
「黄金姫は堕剣に敗北し、不眠症は行方不明。まあ、潔癖は少し活躍しているようだけど、
「んあー、なんだろなー、わがんね」
「つまり、伸び悩みさ。あくまで選別試練は通過点にも関わらず、その先が続いてない。要するに、ここから一気に
「なるほどだあ!」
感銘を受けたようにロクが目を見開くと、コメットは気分良さそうに目を細める。
この二年は連続で、“黄金世代”と呼ばれる若き加護持ちが選別試練の合格者となっている。
そのためコメットは、近い世代の彼らに少し嫉妬している傾向があったのだ。
もっとも、厳密にいえばギフテッドアカデミーの卒業年でいえば黄金姫ことナベル・ハウンドの世代より二つ上の三十一期生にコメットはあたるため、直接の知り合いではないのだが。
「青いねぇ。最近の加護持ちはこんなガキばっかりか? 今年も退屈そうで、残念だぜ。今年もエロい女を探すこと以外にやることはなさそうだな」
ふいに聞こえる、嘲るような声。
小ぶりな耳をぴくりと動かしコメットが背後を振り返ると、そこには両耳に高価そうなイヤリングをつけ、右頬には縫合跡が見える男が一人いた。
「……何か、言ったか?」
「べつに、なにも?」
ロクより僅かに低い程度の大きな背丈に、服の上からも分かる筋骨隆々とした体格。
コメットは、僅かに警戒する。
自らをあからさまに見下すその態度に相応しいだけの、強者の気配を感じ取れたからだ。
「ボクが若いことがずいぶんと気に入らないみたいだが、嫉妬はやめて欲しいね。あくまで選別試練は通過点。同じ
「ハッ! おいおい、ずいぶんと笑わせてくれるじゃねぇか、お嬢さん。同じ加護数だったら、強さが同じだと、本気で思ってんのか?
「……口が過ぎるんじゃないか? それと、ボクをお嬢さんと呼ぶな」
「気に触ったか? お嬢ちゃん?」
「貴様ッ!」
両手の全ての指にリングを嵌めた男は、ニヤニヤとコメットを舐めるように見続けている。
これ以上は、プライドが許さない。
コメットは、激情のままに自らの
「んだあ? なんだ、あれ?」
——が、気の抜けたようなロクの声で、気が逸れる。
突如絡んできた謎の男でも、ほとんど全幅の信頼を置くコメットでもなく、船の下の方をロクを興味津々といった様子で見つめていた。
「どうした? ロク?」
「なんが、いる」
「何か?」
つられるようにロクの視線の先を追うと、そこには確かに目を惹かれる奇妙な光景があった。
それは、どうやらトリアイナ号に乗ろうとする三人組のようだった。
先頭にいるのは、眩しいほどの銀髪を靡かせる少女。
コメットよりも背の低いその少女の後ろには、なぜか麻袋を頭に被った男女が一組いる。
「……へえ? これはこれは。まじかよ。10億グリムの噂は本当だったか」
ロクとコメットが視線を奪われる先を、挑発してきた男も覗き見ると、意外にも興味深そうに笑みを深めた。
麻袋を頭に被った男女は、女の方は前を全く見れていないらしく、不安げに両手をふらふらと前に掲げながらおそるおそる歩いている。
もう一人の麻袋を頭に被った男は、視界が完全に覆い尽くされているにも関わらず堂々とした足取りで歩いている。
あまりにも珍妙、というよりは不審な雰囲気を漂わせる三人組は、そのまま船に乗り込む。
「んなあ、コメット」
「なんだい、ロク」
「あれも、“英雄”か?」
「は?」
一瞬、何を言われたのかわからなかったコメットは、言葉を失う。
対するロクは、まっすぐな瞳で言葉を続ける。
「だっておら、自然と目が奪われたぞ?」
「そ、それは……」
率直な様子で、ロクがコメットに問いかける。
しかし、それを彼女は断固とした態度で首を振る。
「ち、違う。あれは、英雄なんかじゃない。ただの、変態だ」
「そか。あれが、変態かー」
なるほどだなあ、と納得したロクはうんうんと一人で頷く。
あれは決して、英雄などではない。
コメットの憧れた存在とは、程遠いものだった。
「やることが増えたな。ガキをおちょくって遊んでる場合じゃなくなったぜ」
「……遊んでやるのは、ボクの方かもしれないぞ?」
「あ? ああ、もういい。悪かったな。もう、お前には興味ねぇよ。どうでもいい。まあ、せいぜい頑張れよ。選別試練」
そしてあれほど一方的にコメットに突っかかってきた男は、先ほどとは打って変わって彼女に対して興味を失ったようで、踵を返してさっさとどこかへ消えようとする。
彼女はそれが、不快だった。
去ろうとする男の大きな背中に、コメットが声を投げつける。
「逃げるのか?」
「……逃げる? ああ、そうか。そうだよな。お前みたいなガキには、もっと分かりやすい説明が必要か」
コメットの言葉に、男が立ち止まる。
凶暴そうな笑みを軽く浮かべると、男はシャツを捲り背中の中央部を露わにした。
その生傷だらけの背中に刻まれた
コメットが、困惑に息を呑む。
彼女は、噂には聞いたことがあった。
特に犯罪に手を染めた、悪に堕ちた元加護持ちを好んで狩るという。
そしてその男は今や、最も神下六剣に近い実力を持つとまで噂された。
“
男——ヴィンセントはシャツを元に戻すと、並びの良い歯を見せる。
その瞳の奥に渦巻く狂気の一旦を垣間見るコメットは、出航の汽笛の音をやけに遠くに感じた。
「ようこそ、
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