閉店



 加護数レベル30を超える加護持ちギフテッドは、神下六剣を除けば存命している内には九人しかおらず、この世界では超人と呼ばれ加護持ちとしての一つの到達点とされていた。

 それはレベル29に到達した加護持ちが次に受けるべき試練の特殊性が大きな理由だった。

 まず最も顕著な特殊性は、“第四十三柱”、“第四十二柱”、“第四十一柱”の試練は三つ連続で勝利して初めて、三つの柱の加護をまとめて手にいれることができるという点。

 さらにこの三柱の神々の試練は、一年の内たった一ヶ月の間にのみ、受けることができる。

 そのため試練の前に、まず試練の受けることができる加護持ちを厳選するという条件が加わるのだった。


 “選別試練トライアル”。


 神々の試練の中でも、この特別な試練はこの複雑な条件のため、突破できる者が何年かに一人でればいい方という状況になっていたのだった。



「……なるほどな。その選別試練トライアルとやらに、私も参加しろというのがお主の考えか」


「ああ、そうだ。選別試練は参加するだけで目立つ。三つの試練とはいっても、実際に神と対決するのは、最後だけだからな。それまでは厳選が続くだけだ。その試練への挑戦権を得るだけで、世界中の注目が集まるぞ」



 湾岸都市ポートハブの海沿いから離れて、山側の入り組んだ街路を歩きながら、麻袋を頭に被ったネビが語る内容は、アスタからしても興味深いものだった。

 天下布武。

 本来、アスタは誇り高い性格をしている。

 そのため、彼女は自らの存在がここまで軽んじられている状況に、これ以上我慢できなくなっていたのだ。


「アスタちゃんの気持ちはわかるけどさ、それネビ的に大丈夫なの? だって、今のネビって堕剣だよ? そんなに目立っていいの?」


「問題はない。目立つといっても、選別試練の場所は、ここから離れた孤島にある。名を馳せた後、柱の加護を手に入れて、そこから姿を消すまで十分時間はあるだろう」


「ほんとかなー? そんなに上手くいく?」


「無論、上手くいかせるための準備もしていく」


 そんなネビのアイデアにカイムが疑念を提示するが、ネビは相変わらず気にした様子を見せない。

 自信家なのか、楽観的なのか。

 いまだにネビの精神構造が測りきれないカイムは、不安に一人溜め息をつくばかりだった。


「いやあ、楽しみじゃな。早くその選別試練とやらで活躍して、人の子が私を畏れ敬うのが待ちきれんぞ」


「というか、そもそも、それアスタちゃんが選別試練の最後の方までたどり着く前提だけど、そこもうち心配なんだけど。だって選別試練ってめっちゃ難しいんじゃないの? 普通に死ぬ人もいるって噂聞いたことあるけど」


「いや、俺が前受けた時は簡単だったぞ。俺はもちろん、アスタでも支障はないだろう」


「それほんと? ネビが受けた時、試練何人が成功したの?」


「俺一人だな。俺以外には、試練を受ける権利すら一人も得られなかった」


「ほぉらみろ! 絶対そんなことだと思った! ね、ね、アスタちゃん! やっぱやめといた方がいいって! 絶対やばいよこれ!」


「舐めるな、カイム。私じゃぞ? 余裕じゃ」


「そんな可愛いドヤ顔してる子が受けていい試練じゃないよこれ!」


「誰が可愛いじゃ! かっこいいと言え!」


「そこ、気にするんだな」


 ネビの返答を聞いて、カイムは案の定だと絶叫する。

 前々から気づいていたが、ネビは基準が他人と違いすぎる。

 彼の言う、簡単、容易、問題ない、は信用してならないと彼女は確信していた。

 普通の感覚ならば、不可能、無理、ありえない、というようなことをさらっとネビは実行しようとするのだ。


「はあ。ほんとむり。おうち帰りたい」


「だから帰っていいといつも言ってるだろ」


 もう引き返すことはできない。

 どんどん深みにハマっていっていることを自覚しながらも、もはやあらがうことのできないところまで来てしまっていることに、カイムは諦観しつつあった。 

 

「……というかここどこ? あんな明るかった街並みが、どんどん暗くなってきてる気がするんだけど」


「湾岸都市は世界中を繋ぐ役割を果たしているだけあって、珍しい物が流れ着く可能性が高い。ちょっとした寄り道だよ。できる準備はしていく。鍛錬レベリングは事前準備が大切なんだ」


「港町に来て、海から離れていくところが、ほんとネビって感じだね」


 まだ日中だというにも関わらず、周囲は夜のように暗い。

 人気も海側に比べれば、まるで少なく、ネビたち以外に姿が見えるのは道の端で座り込む物乞いばかりだった。


「なんだか辛気臭い場所じゃの。こんなところに、お主の興味を惹くものがあるのか? さっさと選別試練とやらに向かわんのか?」


「そろそろ着く……ああ、ここだ」


「え? ここ?」


 狭路を進むネビは、とある家屋の一つの前で足を止める。

 それは存在感のない、意識しなければ通り過ぎてしまうほどの特徴のない家だった。

 煉瓦造りで、窓は全てシャッターが下ろされていて中は見えない。

 扉がたった一つあり、そこには“CLOSED閉店”と書かれた小さな看板が、寂しげにぶら下がっている。

 

「おい、ネビ。閉まっとるぞ」


「大丈夫だ。開いてる」


 どう見ても客を呼び込む気のない店の扉を、コンコンッ、とネビはノックする。

 乾いた音が静かな街路に響き渡るが、反応はない。

 アスタとカイムはお互いに目を合わせて、首を傾げる。

 しかし、ネビは再び、コンコンッ、とまたノックを繰り返した。


「だから、閉まっているじゃろうが。中に誰もいないのではないか?」


「そうだよネビ。だって人の気配全くしないよ」


「いや、いる。開いてる」


 コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ。

 しかし、アスタとカイムの言葉を聞き入れることはせず、ネビはノックを続ける。

 何回も、何回も、何回も、ノックを繰り返し続ける。


 コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ、コンコンッ。


 全く同じ間隔で、ノックは続く。

 ネビは、何も言わない。

 アスタとカイムは、何か見てはいけないものを見ているような気になって、沈黙するのみ。

 そして、その奇怪な行動が三十分ほど繰り返された頃、ガチャッ、と鍵が回される音がした。

 コン——、とそこでネビが全く乱れのない一定のリズムで叩き続けたノック音が止まる。

 扉は、寸分の狂いなく同じ箇所を叩かれたせいか、一箇所だけ少し抉られたような状態になっていた。



「——やっぱり、ネビの旦那か」


「久しぶりだな、マザーグース」



 ぎこちない挙動で開いた扉の内側から出てきたのは、レンズが真っ黒に染められたサングラスをかける老婆。

 肩にかかる程度に伸びた白髪に、深い皺の刻まれた相貌。

 口元には葉巻を一つ加えて、灰色の煙がもくもくと立ち上っている。

 年齢を重ねた容姿の割には背筋が良く、男性物のヴァイオレットのスーツを着込んで、耳と鼻と唇にピアスをつけていた。


「入りな。入れたくはないが、あたし程度じゃ、あんたを止めらない」


「悪いな」


「本当に悪いと思ってるのかい?」


「ああ、思ってる」


「……なおさらタチが悪い」

 

 扉の内側から顔を出した老婆とネビは旧知の間柄らしく、短いの問答のあと、中に招かれる。

 ついていっていいものか、少し逡巡するカイムの横で、アスタが鈴の音のような涼しげな声を鳴らした。


「ここは、何の店なのじゃ?」


「んあ? ネビの旦那の連れか? 珍しいな。あんたが他人と行動を共にするなんて。堕ちた代償か何かか?」


「まあ、そんなものだ」


「へえ」


 老婆がサングラスの奥から、興味深そうにアスタの顔を見つめる。

 僅かに感じるのは、彼女を長生きさせた理由であり、ネビと知人になってしまった最も大きな原因。


 好奇心。


 老婆——マザーグースは僅かに笑う。

 彼女の店では、その感情は最も高く売れる。



「いらっしゃい、ここは“マザーグースの背信店”。世にも珍しい、魔物ダーク専門店だよ」

 

 

 


 

 

 

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