悪魔の子

場所



 燦々と輝く陽光。

 不快にならない程度に肌につく、涼やかな潮風。

 ビーチパラソルの下でアイスレモンティーを啜りながら、“第六十一柱”渾神カイムは、穏やかに寄せては返す波打ち際を眺めていた。


「うぅ〜、気持ちいい〜! いつもは森の奥がうちの家だけど、海も悪くないね!」


 湾岸都市ポートハブ。

 連合大国ゴエティアの七大都市の一つである港町で、カイムは大きく伸びをしながら、それなりに賑わう街通りを喫茶店のテラス席から眺めていた。

 

「この街なんかおしゃれな感じだし、本当はもっと観光とかしたいんだけどなぁ……」


 頭頂部から生えた真っ赤な二つの羽根。

 カイムのトレードマークでもあるその羽根は、今は赤いニット帽で隠されている。

 今や世界的な指名手配となってしまった、自らの正体を隠すための変装のようなものだ。

 それでも彼女の座る席の周囲は、不自然なほどに空いていた。

 この店を訪れる客は皆、必ず彼女の両隣の席には座らず、なるべく遠くへと足早に歩き去っていく。

 店員すら、なるべく視線を合わせようとはせず、すでにぴかぴかに磨かれたグラスを一心不乱に擦り続けている。

 その理由は、もちろんカイム自身にはない。

 明らかに、彼女の隣に座る一人の男が原因だった。


「……ねぇ、ネビ。その姿、なんとかならないの?」


「ああ、ならないな。俺は今はお尋ね者みたいなものだからな。こうやって変装して目立たないようにする必要がある」


「それ、むしろ目立ってない?」


「そうか? 誰も近づいてこないし、目立ってないだろ」


「誰も近づいてこないのは別の理由な気がするけど……」


 堕剣ネビ・セルべロス。

 カイムが今、日々を共にする元剣聖もまた、今や彼女以上に世界的な危険人物として認知されている。

 そんなネビは今、人の多い街に繰り出す際に、これまで以上に不可解な行動をとるようになった。

 彼は変装と称して、頭にボロボロの麻袋を一つすっぽりと被り、常に顕現しっぱなしの剣想イデア、【赤錆アカサビ】の刃に包帯をぐるぐる巻きにして持ち歩くようになったのだ。


「それ、前、見えるの?」


「見えるな。残念ながら」


「見えるんだ。しかも残念なんだ」


 たしかに麻袋なら、光程度なら入ってくるほどの小さな隙間はあるだろう。

 しかし、その程度の僅かな繊維の空隙があるだけで、なぜ視界が確保できるのかカイムは不思議でならなかった。


「はあ。まあいいや。ネビがアタオカなのは今更だしね。一々気にしてたらキリないもん。そういえばアスタちゃんは? さっきまでその辺うろちょろしてなかった?」


「ああ。店の奥に何か気になるものがあったらしく、それを見に行ったぞ」


「へえ。そうなんだ。アスタちゃんは今日も好奇心いっぱいでなによりだね」


 ネビとの旅の中で、段々と自らがすれていくの感じながら、カイムは再びレモンティーで喉を潤す。

 柑橘系の甘酸っぱい風味が鼻を抜け、彼女はほっと一息つく。

 

(そういえばノアちゃんとギャオちゃんは元気かなぁ。どこにいるんだろ)


 カイムは、ふと少し前に出会った可哀想な魔物ダークと変わり者の加護持ちギフテッドを思い出す。

 一時期の間、共に旅をしていたが、ごたごたしている中で別れの言葉もなく離れ離れになってしまった。

 ネビもアスタも、その事は特に気にしていないようで、なんともドライだなと感想を抱いたことを覚えている。


「ほら、カイム。アスタが戻ってきたぞ」


「あ、ほんとだ。あれ。なんかアスタちゃん、めっちゃ嬉しそうじゃない?」


 すると、そこで噂をしていたアスタが戻ってくる。

 “第七十三柱”、腐神くされがみアスタ。

 カイムからすれば存在するはずのない、七十三番目の神を自称する謎の少女。

 彼女たち三人の中で、唯一全くの変装をしていない艶やかな銀髪のアスタは、よく考えてみればネビ以上に謎の存在だった。


「ふっふっふっ! ネビ! カイム! これを見よ! ついに私に時代が追いついてきたようじゃぞ!」


 ご機嫌に顔を綻ばせながら席に戻ってきたアスタは、ばんっ、と勢いよくテーブルに雑誌記事のようなものを置く。

 そこには“号外”、“七十三番目の神”、という文言が太字で目立つように書かれていた。

 どうやらこれがアスタを上機嫌にさせた代物らしい。


「そんなに面白いのか?」


「ふっふっふっ! まだ中身は読んでおらんがな! どう考えても私を怯え崇め奉る内容に違いない!」


「本当にー? 怪しいなー。それ、前もうちのデマ記事めっちゃ流してたやつと同じ感じのじゃない? 絶対またヘンでヒョンなことしか書いてないから、期待しちゃダメだよアスタちゃん」


「どれどれ。なら俺が読んでやろう」


 ご満悦なアスタのところから、麻袋頭のネビが記事が手に取ると、書いてあることをしげしげと読み始める。

 どうやって、その完全に視界が遮られているようにしか見えない不審者フェイスで、文字を読み取っているのかカイムは不思議で仕方がなかった。


「……たしかに、面白いな」


「お! やはりか!? やはりそうなのじゃな!?」


「ああ、ノアとギャオのことが書いてあるぞ。そうか。あいつら、ちゃんと鍛錬レベリングをしたんだな。それに今も続けているらしい。いい。いいな。楽しみだ。次に会うときは、これまで以上に有意義なレベリングがあいつらと一緒にできそうだ」


「まじ? ノアちゃんとギャオちゃんのこと載ってるんだ!」


 麻袋のせいで表情はわからないが、なんとなく穏やかな表情をしていそうな声でネビが記事の内容を語る。

 中身が気になったカイムが、次に記事に目を通した。


「顔のない、すぐに再生する怪物……ほんとだ。これ、完全にギャオちゃんのことだ。しかもなんかノアちゃん、めっちゃ英雄扱いされてるんだけど。ネビが変な女の魔物を無駄にめちゃくちゃ時間かけてボコってる間に、ノアちゃん街一つ救ってるよ? ネビも見習ったら?」


「レベリングは時間がかかるんだ。むしろ、ノアがすぐに終わらせたなら、あいつもまだまだだってことだな」


「でもまあ、あの二人も無事そうでよかった。それに今回はうちのことなんも書かれてないし、それが一番よかった。ふぅ。一安心」


 ノアとギャオの活躍が載っていることは、カイムにとって素直に嬉しいことだった。

 それになによりも彼女にとって嬉しいのは、渾神カイムの名がどこにも記載されていないことだ。

 若干心が軽くなったカイムは、レモンティーのおかわりでもしようかと考え始める。


「……それで? どうじゃ!? 私のことは!? 第七十三柱! つまりは私のことはなんと書いてある!?」


 すると、そこで期待に満ちたキラキラとした視線を受け、カイムはハッとする。

 ギャオとノアの活躍を読んで満足してしまったが、この記事に載っていないのはカイムだけではない。


「あ、いや、その」


「なんじゃ、カイム? そんなにもったいぶって。そんなにすごいのか? 私、めちゃくちゃにすごいこと書かれちゃってるのじゃな!?」


「いや、書かれてないぞ」


「……は? なにがじゃ?」


「アスタのことは、何も書かれてない」


「ちょっ!? ネ、ネビ、どストレートすぎだって!」


 しかし、空気の読めないネビが、ウキウキと興奮を隠せないアスタに真実を告げる。

 一瞬、何を言われたかわからないようで、大きな瞳をぱちくりとさせるアスタは、ひったくるようにして記事をとりその中身に目を通す。


「な、な、な、なんじゃ、これは……?」


 ぷるぷると震え出す、アスタの小さな肩。

 目は瞬く間に充血しだし、今にも記事を引きちぎりそうなほど手に力が入っているのがわかる。


「ま、まあまあ、アスタちゃん。ほら。そんなに、真面目に受け取ったらダメだよ。こんな飛ばし記事。適当に書いてある落書きみたいなもんだしさ——」


「——な、な、なんで私じゃなくてネビが七十三番目の神扱いされておるのじゃああああああああ!?!?!?!? おかしいだろ! ずるい! ずるいぞ! ネビばかり! 私じゃ! 第七十三柱は、わ、た、し! ネビじゃなーーーーい!!!!!」


 次の瞬間、アスタは顔を真っ赤にして記事をくしゃくしゃに丸めて、地面に叩きつけ、踏み潰した後、思い切り蹴り飛ばした。

 さっき店の奥から持ってきてたし、それ、この喫茶店の備品じゃないのかな、とカイムは少し思ったが、あまりのアスタの勢いに何も言えなかった。


「……決めたぞ、ネビ」


「ん? なにをだ?」


 怒髪天の様相のアスタを見ても、いつも通りの平静を保つネビが呑気な声をあげる。

 ネビは記事の中で、さらに冤罪が増していることに関して、全く興味がないらしい。

 アスタとネビ。

 その両極端な反応に、ある意味似た者同士だなと、カイムは一人で勝手に納得していた。


「次は、私も戦う。派手にやる。場所を用意しろ。これは、私の望みじゃ、ネビ・セルべロス。私の存在を誇示できる場を準備せよ」


「場所か。なるほどな」


 アスタの強い視線を受けて、ネビが白い包帯で普段の赤い錆を隠す剣想を一度撫でる。

 麻袋で隠された表情。

 だが、その裏で、狂犬が静かに笑うのを、カイムは鋭敏にも感じ取った。



「いいだろう。次の“柱の加護”は、目立つ場所にある。同時に、取りに行く。その道中で、名を馳せろ。神以外は、譲ってやろう」

 

 

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