禁忌



「レベリングゥ! レベリングゥ! レベレベレベレベレベリングゥ!」


「くっ! なんなんだコイツはッ!?」


 どろりと、首筋から垂れる血の量がいよいよ多くなり、黒いドレスから覗く肩口が生暖かく濡れる。

 どうしてだ。

 どうして、終わらない。

 魔女メイガスは困惑の中で歯軋りを繰り返す。


「貴様は弱い! 妾の方が強い! なのになぜ貴様は屈しない! なぜ妾の前に立ち続ける! なぜ、貴様如きの剣が妾に届く!?」


「アハハハハッ! 集中しろネビ・セルべロスゥ! もう一撃喰らえば死ぬぞぉ!? あははっ! 一挙手一投足に全神経を注げッ! 俺は今、死の綱渡の最中で踊っているんだあああははははっ!」


 剣聖ネビは自分の世界に入り込み、狂ったように笑い続けるばかりで、もはやメイガスの言葉は聞いてもいない。

 胸には大きな傷跡。

 服を真っ赤に染めながら、それでもネビは機敏に動き続ける。


(最初の一撃で、ほとんどこの男は瀕死の状態になった。それは確かだ。あと一撃与えられれば、それで終わる。それなのに、そのあと一撃。そのたったあと一撃が、届かない!)


 黒い爪を何度も振り回すが、ネビはそれを寸でのところで回避し続けている。

 速度でも威力でも、メイガスが圧倒している。

 しかし、ネビは驚異的な予測能力と反応で、ギリギリ凌ぎ続ける。


 一度なら、まだわかる。


 運が良い。

 渾身の反応など、いくらでも可能性はある。

 だが、ネビに関しては、その奇跡的な反応が、永遠に続くのだ。

 二度、三度、四度、五度。

 何度も、コンマ一秒でも狂えば失敗するような回避行動を、繰り返す。

 そして、段々と、今度はネビの赤い錆が、彼女の方を侵食し始める。


(そしてこいつは、執拗に同じ箇所を狙い続けてくる! 気色の悪い! 小さな傷も、積み重なれば毒となる。この妾が、追い詰められているというのか!?)


 最初はかすり傷だった。

 首筋につけられた、目を凝らせば見える程度の小さな傷。

 ネビは、その後、もう一度まったく同じ場所に剣を振るった。

 数分の誤差もなく、再び切り付けられた赤錆の一閃。

 メイガスの首に刃を突き立てるたびに、ネビは嬉しそうに笑う。

 反対にかすり傷すら致命傷となるネビは、後のない状況下で魔女の猛攻を凌ぎ続ける。


 一度なら、かすり傷。


 だが、ネビはそれを積み重ね続ける。

 二度、三度、四度、五度。

 何度も、コンマ数ミリの誤差もなく同じ箇所を、ピンポイントで切り付ける。

 じっくりと、時間をかけて、段々と深くなっていく傷。

 もう流れる血を見るために、目をこらす必要はなくなった。


「観察と解析。お前の動きを予測し、同じ場所に傷を与え続けるッ! あはっ! 器用テクニックがみるみるうちに上がっていくぞぉっ!? アアアアア気持ちいいいいいいいィィィィ!」


 ベロリと、よだれをボトボトと垂れ流しながら舌を出すネビ。

 爛々と輝く赤い瞳は、瞬き一つすらせずメイガスを捉えて離さない。

 

(どうしてだ? どうしてこうなった? 妾は死ぬのか? ここで? 誰にも知られることなく? こんなところで?)


 赤錆が、再びメイガスの首を切り裂く。

 迸る血飛沫。

 痛みが、魔女の表情を歪ませる。

 三つある黄金の瞳の視界が、僅かに霞み始める。


 死だ。


 死が、近づいている。


 死の匂いが、加速度的に強くなっている。


(どうする? 逃げるか? そうだ。逃げよう。妾の目的はこの男を殺すことではない。こんなわけのわからない化け物と関わらなければよかった)


 もはやプライドなどどこにもなかった。

 目的を履き違えてはいけない。

 死んでしまえば、全てが終わる。

 他者の死を操る能力を持っていても、自らの死を操ることはできない。


「……よ、喜べ、ネビ・セルべロス。今回は貴様の無礼な態度を不問とし、許してやろう。見逃してやる。妾は、忙しいゆえにな」


「ん?」


 踵を返して、魔女メイガスは逃走の体勢を取る。

 速度では自らの方が上だ。

 全力で逃げようとすれば、ネビは追いつけない。

 

 これは、夢だ。

 

 酷く凄惨な、悪夢だ。


 そう思って、忘れることにしよう。


 躓きそうになりながらも、メイガスは童子のように必死に駆ける。

 ネビは、追ってこない。

 追いつけないと理解しているのか、冷めた瞳でその背中を見つめるばかり。


(逃げよう。逃げよう。あれはダメだ。出会うべきではなかった。二度とアイツとは関わらない。忘れよう。全て。忘れなければならない)


 艶やかな黒髪を乱れさせながら、魔女メイガスは夜道を駆ける。

 首からの失血は止まらない。

 痛みと恐怖に支配された彼女は、ネビから距離があくたびに、心が回復していくのがわかった。



「どこに行くんだ? まだ、レベリングの途中だろ? 《編集エディット巻き戻しリワインド》」


「……え?」



 ——しかし、気づけば再び、目の前にいる黒髪赤目の悪魔。

 腹を空かせたように唇を舐めると、またこれまで何度も繰り返してきたように、赤錆がメイガスの首を打ち付ける。


「あ」


 ゴツ、という鈍い音。

 またも飛び散る血潮。

 痛みと恐怖が、王族階級ロイヤルズ魔物ダークの思考を麻痺させる。


 そこで、魔女メイガスの、心が折れた。 


 動きが鈍った彼女の首を、ゴツ、ゴツ、ゴツ、と執拗にネビは切り刻み続ける。

 赤く錆びた剣は、切れ味が悪い。

 あれほど死を厭んでいたメイガスが、いっそのこと早くと、思ってもその瞬間はまだ訪れない。


「もう、いい。早く、殺してくれ」


「ん? 何を言ってるんだ。急ぐ理由はどこにもない。鍛錬レベリングは時間がかかるんだ。だが、思ったよりは脆い。あと数時間で終わってしまいそうだな。残念だ」


 ゴツ。

 ゴツ。

 ゴツ。

 ゴツ。

 ゴツ。

 鉄の塊が肉を打ち付ける音が、荒涼とした大地に響き渡り続ける。


「……貴様は、何を望む? どうしてそこまでして、妾を殺そうとする? 誰かの復讐か? それとも人の世での栄誉のためか? 或いは強さの証明のためか?」


「復讐も名誉も勝ち負けも、どうでもいい。そんなものに興味はない」


 赤錆は、迷いも、ズレもなく、魔女の首を穿つ。

 神経に刃が届き、激痛にメイガスは吐血する。

 爛々と輝き続ける赤い瞳。

 その奥に渦巻く炎が燃え盛る理由を、最後まで彼女は理解できなかった。



「俺はレベリングがしたいだけなんだ。ただ、それだけだよ」



 剣聖ネビ・セルべロス。


 曰く、ネビに見つかってはいけない。

 曰く、ネビを探してはいけない。

 曰く、ネビを知ってはいけない。


 それはいつか、破滅に繋がるから。

 ネビが堕剣となり、力を失うまで、そう噂をされていた悪名高きニンゲン。


 禁忌タブーに触れた彼女は自らの浅慮を悔いるが、もう死の匂いは全身にこびり付いて、離れそうにない。

 


 そしてそれから数時間ほど執拗なネビの攻撃は続き、魔女メイガスは首を切断される前に、喉に溢れた自らの血に溺れて死んだ。


 

 

 

 

 

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