嫉妬



 観察と解析。

 “潔癖ホワイト”ノア・ヴィクトリアが堕剣ネビと過ごした時間はそう長くはないが、そこから彼女は多くのことを学んだと考えていた。


(黒い山羊頭の魔物ダーク。あの雷撃はノアが喰らえば即死それは確定)


 要塞都市ハイゼンベルトで遭遇した稲妻を手繰る魔物。

 その実力は今のノアでも届かないもの。

 ゆえに、価値がある。

 戦う、理由がある。

 

(もう今のノアは死のギリギリじゃないと戦う気にならなくなっちゃってる)


 黒山羊頭の魔物に対して、一気にノアは加速して懐に踏み込む。

 不可避の遠距離攻撃を持つ相手には、近距離戦あるのみだ。

 彼女の剣想イデアである漂白を流れるように振り抜いていく。


「daaaa」


「身体能力頼みやっぱり近接戦闘は苦手そう」


 高位の魔物らしく、その速度や耐久性はノアからしてみれば高い。

 だが、技量では、優っている。

 右足に角度をつけ、半身の体勢から入れ替わるようにして白い剣閃を叩き込む。


(ノアの一撃じゃ軽すぎるか)


 背中に傷をついたが、致命傷にはなりえない。

 想定通り。

 イメージとのズレはない。

 ノアは紫紺の瞳を細める。


(ノアはネビ様のように長時間の剣想維持はまだできない。決め手足りない)


 さらに連撃を重ねようとすると、黒山羊頭の魔物が大きく飛び退き距離をあける。

 間を詰める。

 と思考した瞬間、僅かな違和感をノアは覚える。

 身体を止めるが、思考を止めない。


「おれのことを忘れんじゃねぇぜぇぇ!!!!」


 その瞬間、ツンツン頭の青年がノアの視界に飛び込んでくる。

 自分の背丈の倍ほどの長さの大剣が強烈に振り抜かれる。


「daa」


「よっしゃあ! 一気に決めるぞノア!」


「誰?」


「はあああ!?!? セルジオだよ! セルジオ・ハインツ! 同期だろうが!」


「ああなんか声は聞いたことある」


「印象薄すぎるだろ!」


 セルジオ・ハインツ。

 たしかにどこかで見た顔だと思い返しながら、ノアは視線を黒山羊頭の怪物に移す。

 見えるのはノアがつけたものより深い傷。

 

「ノアより筋力ストレングスは上か」


「ストレッチマン? なんだそりゃ?」


 堕剣ネビと寝ずに行われた手合わせの中で聞いた、見えないレベルのパラメータ理論。

 その全てを理解できたわけではないが、彼女なりにある程度ネビの話す概念について噛み砕いてはいた。


(魔素から力を得て見えないレベルが上がるのは魔物を殺した時だけじゃない。魔素のある空間での行動全てが力となる。だから魔物との戦いの時には行動を選ぶことで自分の力を選択的に成長させることができる)


 ネビが口にしていた理論は、これまでノアが生きてきた中では全く聞いたことのなかった話だったが、彼女はそれを盲目的に信じていた。

 堕剣の話では、ノアの見えないレベルは器用テクニックと呼ばれるパラメータばかりが上がっているという。

 それは視力や聴力を含んだ自らの身体制御能力や、洞察力や思考速度などの情報処理能力などの指標となるという。

 そのような能力が鍛えられるような戦い方を、これまでノアは無意識的に行ってきたというのがネビのパラメータ理論に乗っ取った考え方だ。


(一方このバカは筋力ストレングスばかりが育つような戦い方をこれまで選んできたということ)


 純粋に加護数レベルだけを比べればノアの方が上にも関わらず、セルジオの方が敵に傷をつける威力が高いのは、ネビの理論に従えば納得がいくものだった。


(こんな凄いことに気づくなんてやっぱりネビ様こそ真の神)


 ネビの薫陶全てが、ノアの世界を変えた。

 これまで見てきた世界の、見方が全くの別物になってしまった。

 彼女は、染められてしまった。

 もう二度と、もとには戻れない。


「おらおらおらぁあっ! もういっちょ行くぜぇ!」


「daaaa」


「来る」


 威勢よくセルジオが剣を振るおうとした瞬間、ノアは異変を知覚する。

 ヂリ、ヂリ、と空気が薄ら焦げる匂い。

 夜の中に、僅かな霧に似た揺らぎを感じ取る。


「ギャオ。筋力バカの方をお願い」


「gyaooo!!!」


「なんだっ!?」


 急ブレーキをかけ、ノアは急いで距離を取る。

 さらに前に詰めようとしていたセルジオに関しては、ギャオが長い尾を使って掴み取る。


「《山羊光ルス》」


 先ほどの直線上ではなく、黒山羊頭の魔物を中心に弧状に立ち昇る雷撃。

 ノアはかろうじて回避しきれたが、セルジオを庇ったギャオは避けきれず尻尾が焼き切れた。


「くそっ! こんなこともできんのかこいつ!?」


「段々わかってきた」


 瞬いた光。

 収まった中央では、黒山羊頭の魔物が、感情の読めない顔でノアを見つめている。


(連続使用は不可。能力の使用前に妙な揺らぎがある。狙うならそこ)


 観察と解析。

 思考を整理したノアは、再び駆け出す。


「筋力バカ。今全力でいって」


「言われなくてもいくっつうの!」


 セルジオの反応は良い。

 ノアが声をかける前に、走り出している。

 黒山羊頭の魔物の行動を読んでいるわけではないが、おそらく本能的なものだろう。


「十一で借りるぜ! 《山王権現ビマシッタラアスラ》!」


 出し惜しみはしない。

 あと先は考えず、迷わず全力。

 加護持ちギフテッドらしい短期決戦型の戦い方。

 セルジオの腕が真っ黒に染まりながら膨張し、鬼のような剛腕が出現する。


(一つだけなら許す)


 キキキキキ、と脳内が書き換えられる感覚。

 ノアだけが知る、その不愉快な感覚を抑え込みながら、彼女も自らの固有技能ユニークスキルを発動させる。


「ネビ様に染まれば染まるほどに、《苦空無我アニトヤ》」


 手持ちの複製コピーは三つ。

 その内の一つが目の前の青年に書き換えられたことが不満だったが、ノアは我慢する。


「逝け!」


 ノアの瞳ですら追えない速度の、異形の一閃。

 僅かに反応した黒山羊頭の怪物の片腕が飛ぶ。

 

「daa……」


「来る」


「その前に、俺が行く!」


 再び感じる、魔素の揺らぎ。

 ヂリヂリと灼きつくオゾン。

 あの即死の雷撃がくる。

 その直前を狙って、セルジオがもう一度剛腕を振るおうとする。


 今度は、外させない。


 ノアはまだ、ネビのように長期戦はできない。

 ここで、燃え尽きさせる。


「《天啓突破バーンアウト》」


「うおおおおおお!!!!!!」


 セルジオの異形の皮膚にヒビが入り、血が滲む。

 強制的に、セルジオの固有技能を連続発動させ、負荷の増大の代わりに威力を上げる。

 剣を握っていない方の腕までが黒く染まり、ミシミシと筋繊維が膨張に耐えきれず弾ける音がする。

 しかし、そんなことは、ノアにとってはどうでもいい。

 彼女が望むのは、その先の景色だけ。


「da」


「あ?」


「……やられた」


 しかし雷鳴轟く前に一閃かと思ったその瞬間、黒山羊頭は魔素の揺らぎを止め、凄まじい瞬発力で距離を取る。

 もう予備動作をとってしまっているセルジオは自らの動きを制御しきれない。

 目測の誤り。

 攻撃体勢から、追いかけようとする体勢への急な変更で、バランスが崩れる。

 

(誘われた。わざと隙を見せた)


 ノアもまた苦空無我アニトヤの発動直後のため、身体の制御が効かない。

 セルジオもまた、混乱の中で一時的に硬直する。

 そして黒い山羊が、再び魔素を揺らめかせる。


「《山羊雷トゥルエノ》」


 距離が先ほどまでと比べて、近すぎる。

 ギャオが間に入っても、止めきれない。

 ゆえに、ノアは思考を切り替える。

 堕剣ネビの教えを、彼女は黙々と実行する。


「迷うより餓えろ。苦痛の先に成長がある」


 瞬く雷光。

 まともに喰らえば、死ぬ。

 僅かに避けたところで、死ぬ。

 

 それならば、踏み込むべき。


 より大きな痛みの方向に、生き残る可能性がある。



「gyaooooooooooo!!!!!!!!!!!」



 ブチブチブチブチと、白い皮膚が弾け飛びながらノアの視線の先で稲妻と衝突する。

 目と鼻のない白い怪物が、口から涎と血を飛ばしながら絶叫している。

 肉が焼きつく腐臭。

 飛び散る血肉の雨を浴びながら、ノアが疾走する。


「……さすがネビ様の一番弟子。嫉妬する」


「gyaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!」


 蒼白い雷が、肉を焼き、焼き尽くした傍から、再び肉片が再生している。

 破壊と再生。

 数コンマの世界で、繰り返されるそのループ。


 “異常再生フリクサー”。


 ネビによってそう名付けられた、ギャオの特異能力。

 超速再生をしながら加速度的な膨張を引き起こし続けるギャオの白い腕。

 突如生まれた鍔迫り合い。

 偶発的に現れた弛緩した時間の中を、たった一人加速し続ける少女がいる。



「ノアはもっと強くなる。強くなる、必要がある。だってあの人をもっと悦ばせたいから」

 

 

 弾け飛ぶ火花。

 夜の中にチラつく稲妻が、ノアの白い皮膚を切り裂き、赤い跡をつける。

 真紅の爪痕。

 ノアは笑う。

 自分が自分ではなくなっていくその感覚に、段々と慣れ始めていく。


「《山王権現ビマシッタラアスラ》」


 ノアの細い白腕が、黒く染まる。

 硬化した腕が、雷撃を放ったまま動きを止めている黒い山羊頭の魔物を捉える。

 

 黒い腕が、白い刃を振り抜く。


 真一文字に切り裂かれる、かつて雷爵レオニダスと呼ばれた魔物の成れの果て。

 弱まる稲妻。

 ギャオの再生が追いつかなくなる中、眩い光もまた勢いを萎めていく。

 黒い山羊の、光ない瞳が、白い怪物に向けられる。

 その段々と減っていく明滅の中で、もう痛みという痛みを忘れつつあった怪物は、懐かしい声を聞いた気がした。



 ——恨むなよ、ギュルルク。先に行くオレを。



 もうその名で彼女を呼ぶ者はいない。

 主人は代わり、名も変わった。


 それでも、思い出だけは、変わらない。


 彼女が黒山羊頭の魔物からの攻撃は防げても、自ら攻撃することができなかったのは、もうそこに心がないとわかっていても、面影を思い出してしまうから。


 

「……んっ。気持ちいい。これがネビ様の言ってた感覚」



 稲妻が空気を焼く高音が、途絶える。

 闇夜に響くのは、蕩けるような声のみ。

 見惚れるような白い刃を煌めかせる少女が、ぺろりと指先についた血を舐めるだけだった。

 

 

 

 


 


 

 

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