自慢
かつて剣聖と呼ばれ、今では堕剣と呼ばれるようになった旧知の男との邂逅を思い返しながら、彼女は静かに集中力を研ぎ澄ませていた。
始まりの女神による加護の剥奪。
初神バルバトス殺しの容疑。
最初にそれらの噂を耳にした時は、大きく動揺し、ここしばらくは自分でもわかるほどに調子が悪く、ろくに魔物討伐もできていなかった。
(久々にあいつに会えて、話せた。うん。悪くない。アガる)
しかし、そんな不調は嘘のように消え、
身体は軽い。
意識も集中できている。
わりとムラっけのある自らの性質は理解していたが、この時ばかりはずいぶんと調子の良さを感じた。
(絶好調。負ける気、まるでしない)
眼前に聳え立つのは、すでに一度この世界から姿を消したはずの怪物。
死王ラモルト。
その名の通り、死を司る
剣聖ネビ・セルべロスとの三日三晩の死闘の果てに討伐されるその日まで、その魔物は神すら恐れる禁忌の存在として名を馳せていた。
配下を持たず、領地も持たず、世界を放浪し続け、気まぐれに人々を大量殺戮する死王はまさに天災の一つであるような扱いをされていた。
ゆえに、彼女は後悔した。
誰よりも早く、というよりはあの男より早く、その怪物に辿り着くべきだったと。
それは決して拭えない敗北感。
一生かけても埋めることのできない差だと、ずっと思っていた。
「今日のあたしはツイてる。これで少し、あいつに近づける」
“剣姫”タナキア・リリー。
彼女は歓喜していた。
この世のありとあらゆるものをたったひと撫でするだけ死に至らしめるという、死の王を目の前にして、彼女は気が昂るのを感じる。
恐怖も、疑念も置き去りにして、彼女は歓喜に跳ねる。
「急ぐよ、青鷲。あいつは待ってはくれない」
薄らと蒼白い光を帯びる、逆手の剣。
緩やかな弧を描く自らの
加護持ちの多くが短期決戦を好むが、その傾向が彼女は一際濃い。
風より速く、タナキアは死王の下に辿り着く。
「iiiiiii——」
「反応は悪くない。でも、遅い」
僅かにタナキアの一閃に反応できた死王が身をよじるが、疾風の如き一撃を回避しきるにはあまりに速さが足りない。
いとも簡単に切り裂かれる、死王の片腕。
息つく間も与えない。
死王ラモルトの真っ暗な眼窪が、タナキアを捉える。
危険な気配を察知したタナキアは、次の瞬間、大きく距離を取る。
「へえ。それが噂の」
「aaaaaaaaaaaa……」
残った方の腕を宙に掲げながら、死王ラモルトが全身に闇のオーラを纏う。
どぷどぷ、と粘り気のある漆黒が錆びついた王冠を被ったその怪物を中心に広がりを見せ、やがてその闇溜まりから何本もの腕が生えてくる。
「《
夥しい量の腕が闇より這い出て、そのまま剣姫タナキアの方へ伸びてくる。
それはその魔物を死王たらしめる唯一にして、最恐の能力。
死王ラモルトが創り出した、その死者の腕に触れただけで、どんな生物も息絶えてしまうのだった。
「いいね。死の匂いがする。アガる。死線の先にしか、成長はない」
本能で理解できる。
神下六剣の一人である剣姫タナキアすら、その手に触れただけで、刹那の間もなく死に至る。
触れられたら、終わり。
ゆえに、彼女は加速する。
死を置き去りにして、風を切る。
「シンプルでいい。命懸けの鬼ごっこ。悪くない」
死王ラモルトの死者の手が迫り来る。
剣姫タナキアはそれを圧倒的な速度で掻い潜る。
跳んで、跳ねて、駆けて、走る。
近づこうとすれば、死者の手が襲いかかってくる。
避けては近づき、避けては近づく。
瞬く間に数を増やして、ありとあらゆる角度から剣姫タナキアを掴もうとする死者の手の隙間を彼女は走り続ける。
「aaaaaaaaaaa」
死者の手は数を際限なく増やし続け、段々とタナキアの逃げ道が減り始める。
じわじわと、躙り寄る死の掌。
速度では圧倒できても、逃げ先がなければ、意味がない。
やがて、死者の手に前方後方左右が塞がれ、彼女は足を止める。
「まだ、届かない。そんな程度じゃ、追いつけない」
しかし、剣姫は空色の瞳を澄ましたまま、まっすぐと死王を見つめる。
死王ラモルトの周囲から伸びる手は、その全てが今彼女を取り囲むように迫りきている。
もはや鼠の一匹通り抜ける隙間すらない。
それでも絶対の死に包囲された彼女が見据えるのは、死王ラモルトの空っぽの目ではなく、その遥か先で燃え盛る真紅の瞳。
「この世界で、あたしに触れられるのは、触れていいのは、ただ一人だけ」
数え切れぬほどの死者の手が殺到しようとした瞬間、剣姫タナキアは跳んだ。
冷たい空気を切り裂き、彼女は地面から離れ、風を蹴る。
自らの肉体の耐久性を大幅に下げる代わりに、実態のないものを踏めるようになる。
それが剣姫タナキアの
「daa——」
重力を感じていないかのように、宙を駆ける彼女を邪魔する者は、もう何一つない。
彼女の自由を奪えるのは、この世にたった一人だけ。
「あたしに届くのは、あたしが追いつけないのは、
広い、広い、空を駆ける。
蒼い流星が、死の王を貫く。
反応すらできない、神速の一閃。
風が、止む。
死王ラモルトの王冠が、地面に落ちる。
闇から伸びていた数多の手が、ぴたりと動きを止め、そのまま夜に溶けて消える。
首を切り落とされた死王が今度こそ永遠の眠りにつくのを見て、剣姫は満足そうに笑い、夢見る少女のように夜空に煌めく星を見上げるのだった。
「……あたしの方が、速い。ネビ、まだかな。早くあいつに自慢したい」
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