我慢

 

 赤く錆びた剣が、闇の中で鈍く輝く。

 渇いた夜風を浴びながら、アスタは遠い日の記憶を思い返していた。

 

「さすがじゃな。友人と言っておったのに、顔を合わせるなり殺し合いだしたぞ、こやつら」


「まじどういう関係性? ネビとかいきなり首チョッパ狙ってるじゃん。最近の人間の友情って、こんな感じなの? えぐすぎでしょ。うち、人間じゃなくてよかった」


 友人。

 ネビがそう呼ぶ対象を、出会った瞬間切り掛かっている光景は、そこまで驚きではない。

 これまで幾らかネビ・セルべロスという人間と共に過ごしてきて、この程度のことは起こり得ると想定していたからだ。


(友人か。もっとも、私もネビのことは言えんか)


 アスタにとっても、その響きは馴染みの薄いものだ。

 第七十三柱の腐神。

 その立場になってから、友人と呼べる相手は、一人もいない。


(かつて友と呼べた者は、皆、死んだ。もう誰一人、残っておらん)


 古の記憶を遡る。

 それは、神々の時代と呼ばれるようになる前の時代。

 アスタとルーシー。

 今ではその二柱の神のみが記憶を残すのみとなった日々を思い返して、アスタはほんの僅かに寂寥を抱くのだった。

 

「友、か。あんなでも、いるだけましなのかもしれんな。ネビの奴、ずいぶんと楽しそうじゃ」


「えー、うちはあんな激しめのお友達関係ちょっと嫌なんだけど。アスタちゃんもいきなりうちのこと殺そうとしたりしないでよ? うち、ふつうに死んじゃうから。清い友人でいてくりゃさい」


「……友人?」


「ちょっと待てぇ!? どこで引っ掛かってる!? え! うちら! ズッ友だよね!?」


「とりあえず、そのズッ友とやらでは決してない」


「じゃあヌッ友で!」


「……ふふっ。たわけが。お主もお主でよくもそう下らんことばかり喋れる」


 いつもと同じ陽気さで騒ぐ渾神カイムを見て、アスタは苦笑する。

 友。

 まさか自らを気軽にそう呼ぶ存在が、再び現れるとは思っていなかった。


(ネビ、か。奴がいなければ、カイムとも出会っておらんだろうな。もっとも、こいつとの出会いが幸か不幸かはわからんが)


 くつくつと控えめに笑いながらアスタは、黒い鉤爪を振り回す女と、その女を隙あらば赤錆で切り裂くネビを眺める。

 これもネビなりの一種のじゃれ合いなのだろうか。

 何度も背の高い女はネビに串刺しにされているのにも関わらず、傷や出血の類は一切ない。


「ん? 待てよ?」


 しかし、そこでアスタはある違和感を抱く。

 それは、ひたすらにネビに切り刻まれ続けている三つ目の女だ。

 

 存在感が、増している。


 しかも、その気配の種類に、問題があった。

 最初に出会った時は、極端に気配の薄い女だと思っていたが、どういう仕組みか、ネビに切り裂かれる度に、段々とその存在感が大きくなっているようだった。


「まさかあの女、魔物ダークか?」


 感じられるのは、魔素の気配。

 もはや疑惑という領域を超え、確信できるほどに濃さを増している。

 アスタの隣に立つカイムも、やっと三つ目の女が魔物であることに気づいたようで、ヒエッ、という奇妙な声を漏らしながら振り向く。


「ちょえ? アスタちゃん、あのネビのお友達の斬られまくってる女の人、人間じゃなくて、魔物じゃない?」


「そのようじゃな」


「人間にしては目が三つあるし、爪やたら長いけど、ネビの友達だしあんなもんかーと思ってたけど、魔物ってさすがに話がべつじゃない? だってネビって魔物絶対殺すマンじゃん! 本当に友情成り立つの!?」


「もしかしたら、私たちの思う友人と、奴の考える友人は定義が違うのかもしれん。事実、魔物のペットなら飼っておるしな」


 さらにアスタはそこで気づく。

 加速度的に魔物としての気配を大きくする女。

 その女を相手にしながら、力の出力をコントロールしているのか、女より僅かに速い程度の速度で動き回り、一方的に斬撃を打ち込み続けるネビ。


 両者の表情が、違う。


 前者は苛立ちを隠せず黄金の三つ目を細くしていて、後者はいつも通り興奮した面持ちでハァハァと満面の笑みでヨダレを垂らしている。

 何かが、おかしい。

 ネビは理解不能なため例外としても、どう考えても魔物の女の方はネビに対して友情を抱いているとは思えなかった。


「……小癪なニンゲン。貴様、わざと妾と同程度の力で向かってきているな? 妾をここまで愚弄するような戦い方を選ぶとは。よっぽど酷く死にたいらしい」


「不思議だな。お前の能力は上がってきているのに、精度は下がってきてるぞ? 集中できていないのか、戦い自体に慣れていないのか。まあ、どっちでも構わないが、早くレベリングがしたい。早く。早く。早く。もっと斬らなきゃだめか? もっと沢山切るか。よし。切るぞ。切る切る切る切る切る」


 物欲しそうに赤い瞳を輝かせながら、ネビがまた一段加速する。

 得意の四つん這いに近いほどの前傾姿勢をとり、女の懐に飛び込む。

 藍色の髪を振り回しながら、三つ目の女が対応する。

 当初に比べたら、何倍もの速度と威力を持った爪の一振り。

 それをこれまでと同じように、紙一重で回避したネビは心底楽しそうに笑いながら剣閃を闇に刻む。


「貴様、なぜ衰えぬ?」


「それはもう、説明しただろう?」


 一閃、二閃、三閃、四閃。

 瞬く間に振るわれる赤錆。

 そのどれもが正確に三つ目の女を捉え、その度に黒い霧が噴出する。

 身体に傷はないが、たしかにその心に傷が刻まれ出す。

 

「不愉快。痛みはなくとも、屈辱はある。決めたぞ、ネビ・セルべロス。貴様の身体は要らぬ。殺す。貴様が早く殺せと乞い嘆くまでいたぶってから、時間をかけて殺す」


「なにか気に障ったか? 悪いな。俺は魔物を見ると、つい手数をかけて傷をつける癖があるんだ。そっちの方がレベリング的に効率が良くてな。お前がアスタの友人だということはわかっていたが、我慢できなかった」


 そこで、おや、とアスタは何かおかしなが言葉が混じった気がした。

 念の為、耳の穴を指でほじってみる。

 垢の一つもない、女神に相応しい綺麗な耳穴だった。


「おいカイム、なんかネビの奴、一瞬変なことを言ってなかったか?」


「うん。言ってたね。もしかしてアスタちゃん、魔物のお友達いる? しかもそのお友達、今目の前でネビにボコられてる?」


「はぁ。まったく。なにがどうなっているのじゃ。あいつと一緒にいると、時々頭がおかしくなりそうじゃぞ」


「時々で済むのすごい」


 アスタの友人。

 やはりなぜか、ネビが魔物の女をそう認識していることにアスタはここで気づく。

 ネビにしては珍しく、殺意が全面に出ていないと薄々彼女は思っていたが、どうやらそれには理由があったらしい。


「おい! ネビ! そやつは私の友人でもなんでもないぞ! わけのわからないことを言うな! お主の友人じゃないのか!?」


「俺の友人? 違うぞ。さすがに魔物の友人はいない。友人になったら、殺せないからな。レベリングに支障がでる。アスタの友人じゃないのか?」


「だから違うと言っておろう! じゃあいったいそいつはなんなのじゃ!?」


 アスタは遠くから怒号をネビに浴びせる。

 そこでやっと、ネビは自らの勘違いに気づいたらしく、魔物の女から一度大きく距離を取る。


「なにをごちゃごちゃと言っている? 妾の気を逸らす作戦か?」


「そうか。お前、アスタの友人じゃないのか。細かいことはよくわからないが、アスタの友人ではなく、もちろん俺の友人でもない……」


 ——ゾクリ、と“魔女メイガス”はこれまで経験したことのない感覚を覚える。

 何かが、変わった。

 目の前の彼女を愚弄する生意気なニンゲンの気配が、質を変化させる。

 黒い髪に、赤い瞳。

 錆びた剣に、不気味な微笑み。

 その外見は何も変わっていないのに、メイガスの本能が訴えていた。



「……ということはつまり、お前はただの魔物。殺さないように、気を付ける必要はない。我慢、しなくていいのか。ここから先は、本気で、レベリングしていいってことだよな?」



 舌舐めずりをしながら、男が嗤う。

 

 まだ、メイガスの力は本来のものまで、戻っていない。

 肉体的な傷は、一つもない。

 固有の力によって生み出した人形に分け与えた魂は、いまだに余裕がある。

 魔女メイガスにとって、圧倒的有利な状況のまま。


 その、はずだ。


 そのはずにも関わらず、魔女の身が無意識に震える。

  

 王として生まれたメイガスの知らない、その感覚。



 それを恐怖と呼ぶことを、まだ彼女は知らなかった。

 

 

 

 

 

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