際限
自らをメイガスと名乗った魔物が、漆黒の爪を突き立てるようにしてネビに襲いかかる。
ネビはほとんど無意識的に、解析を始める。
動きは速いが、容易に対処できる程度。
威力は相応にあるが、戦闘技術的には拙い。
対応自体に、問題はない。
考えるべき問題は、この向けられた殺意に対してどこまで対応すべきかということだった。
「噂通り、有象無象とは違う。さすがに動きがいい。剣聖ネビ・セルべロス。力を一度失ったと、“愚王”のやつが吹聴していたが、デマカセだったか?」
「殺意は本物か。気になることは幾つかあるが、後回しだ。レベリングの気配がする。少し、斬らしてもらうぞ」
メイガスが黄金の瞳を闇夜に輝かせる。
ネビは僅かな逡巡の末、決断する。
相手は魔物だ。
不自然な気配の弱さだが、本能的にネビには理解できた。
この三つ目の魔物を倒すことで、彼はもっと高みに辿り着くことができると確信していた。
(アスタの友人らしいが、所詮は魔物だ。ある程度傷つけても問題はないだろう。問題があれば、アスタが止めるはず。止められるまでは、殺さない程度に好きにやらせてもらうぞ)
自分に都合の良いような解釈をすると、ネビは期待に舌なめずりをする。
メイガスの動きは特別鋭いというわけではないが、鈍いというほどでもない。
それは明らかな違和感だった。
存在の薄さに比べて、能力が高い。
チグハグな印象。
それは、藍色の長髪を靡かせる魔物が、何か隠していることを表していた。
「まずは、
「ふふっ」
ネビからすれば、あまりに単純な動き。
いとも簡単にメイガスの攻撃を見切った彼は、柄を握る手に力を込める。
切れ味の鋭そうな爪を掻い潜ると、ネビは赤錆を一閃する。
メイガスの黒いドレスから露出している、白い肩肌を切り裂く。
瞬時、吹き出すのは黒い霧のようなもの。
奇妙な手応えに、ネビは片眉を上げる。
「いい腕だわ。でも、足りない。妾を傷つけるには、まだ、まだ、足りない」
「再生能力? いや、違うな。そもそも、傷をつけられていない」
たしかに切り裂いたはずの肩は、全くの無傷のまま。
邪悪に嗤うメイガスは余裕を見せたまま、再び爪を振るう。
相変わらず単調な攻撃。
技を駆使する戦い方でないのは明らか。
試しにと背後を取り、首を切り打つ。
確かに横薙ぎに振り抜いた赤錆。
噴き上がるのは、やはり黒い霧ばかり。
振り向きざまに再び鉤爪が振り回され、ネビは紙一重で回避する。
「本当に、腕がいい。妾の同胞を殺すほどとは思えないが、まだ力の全ては出していないな? いいぞ。ますます欲しくなった。その身体」
「首を切っても無傷、か。魔素を取り込んでレベリングできている感じもしない。何か仕掛けがありそうだな」
黒い歯をカタカタと鳴らして、メイガスは嗤っている。
そして先ほどより僅かに速度の増した爪で、再びネビに襲いかかる。
(ほん少しだが、速くなっている? それだけじゃない。感じられる魔素も増している? 時間経過で能力が上がるタイプか?)
何度か爪を赤錆で受ける。
ミシミシ、と骨肉が唸る。
腕にかかる負担は、大きい。
真正面から打ち合うよりは、避けながら着実に一撃一撃を与える方がいい。
「ニンゲン、貴様らの力の仕組みは、理解している」
「また、速くなったか?」
半身の体勢をとりながら、変則的なステップワークで灰色の地面を蹴る。
メイガスの懐に三度踏み込み、その胸に赤く錆びた剣を突き刺す。
だが、やはり黒い霧が舞うばかりで、当然のようにメイガスは我関せずと言わんばかりに爪を振るう。
距離が近く、またさらにメイガスの速度が増したため、皮一枚分避け切れず、小さな血がネビの頬に滲む。
「魔素を取り込み、具現化し、自らの力の糧とする。哀れだ。その代償に、貴様らニンゲンは痛みを伴う。知っているぞ。その力、長くは持たないのだろう?」
「
メイガスの存在感が、また少しだが増した。
さすがアスタが友人と呼ぶだけあって、人間側のことに詳しい魔物だと、ネビは内心で感心する。
(なんとなく、わかってきたぞ。こいつ、俺が致命傷を与えるたびに、力を増してる、というよりは、戻している)
技術のない、力任せの一振り。
まだ、見切るには軽い。
だが、食らえば重い。
攻撃は全て回避しつつ、三閃、流れるような動作で叩き込む。
星空の下で、立ち上る黒霧。
メイガスの存在感が更に増し、動きの鋭さも加速していく。
「気づいているのだろう? 貴様が剣を振るうたび、妾は力を強める。対して貴様は、剣を振るたびに、毒をその身に溜め込み弱くなる」
「毒か。そうかもな」
藍色の髪を夜に揺らしながら、段々とネビの速度に近づいていくメイガス。
魔素は、魔物以外の生き物にとっては毒だ。
通常、剣想の発動は加護持ちにとっては切り札で、彼らは長期戦を避ける。
ゆえに、加護持ちを屠るには、ただひたすらに、時間をかければいいのだと彼女は理解している。
加護持ちの殺し方を知っている。
メイガスに焦りはない。
幾千もの死の上に鎮座する彼女にとって、命は等しく道具にすぎない。
「だが、何事にも、際限はある。お前の能力、増しているんじゃなくて、戻ってるだけだろ? なら、限界は、ある。元々のお前の力に戻れば、そこで打ち止めだ」
「……ほお? もし、仮に貴様の推察が正しくとも、戻り切る頃には、貴様は虫の息。中々に絶望的だとは思わないか? 悪名高きニンゲンよ?」
「そうか? それに、限界があるのは、剣想の副作用も一緒だ。たしかに剣想は発動し続ければ、身体に害をなすが、死ぬことはない」
「詭弁だな」
「それにお前の限界はまだ先だろうが、俺の方はとっくに振り切れてる。すでに打ち止めだよ」
「……なに?」
これまで余裕綽々だったメイガスが、ここで初めて疑問に顔を歪める。
剣想の長時間使用による弊害。
心身に広がる異変。
それはネビもよく知っている。
まず最初に頭痛が走る。
やがて視覚異常や耳鳴りが起き始める。
次に平衡感覚が狂いだし、全身に苦痛が広がる。
だが、それだけだ。
頭が割れるような痛みがあるが、実際に割れはしない。
幻覚や幻聴が発生しても、それが五感のバランスが崩れているだけだと理解できていれば問題はない。
身体の内側から火で炙られるような苦痛が全身を襲うが、だからといって心臓が止まるわけでもない。
ゆえに、ネビはいつも通りヨダレを垂らす。
全ての苦痛を、飢えが凌駕する。
「痛みは成長の糧となる。俺の剣想の副作用は、とっくに限界値だ。今以上に俺の動きが鈍ることはない。あとはお前が、元の力を取り戻すまで、切り刻み続けるだけだよ。楽しみだな。これも幻覚なのだろうが、お前の甘くてコクのある美味しい魔素の味がもうしてきたぞ?」
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