死王

 

「これは思ったより、厄介ですね」


 中級術式:水弾。

 砲弾サイズの水の塊を宙に五つ創り出し、“水の騎士”サウロ・ラッフィーはそれ敵に向かって打ち出す。

 敵の名は不明。

 泣き顔を模した仮面をつけた、人型の魔物ダーク

 燕尾服を見に纏い、魔物らしい驚異的な身体能力で要塞都市ハイゼンベルトを飛び回っている。


「見たことのない不思議な力を使うニンゲン。オロオロオロ。強すぎて、泣いちゃった」


 高い知性の証明である人語の理解。

 また人語の行使まで行う社会性は珍しいといえる。

 そんな仮面の魔物は、襲いかかる水の弾を紙一重で避け続ける。


(通常なら魔物は強い殺意を持って襲ってくる。しかし、こいつは違う。防戦に専念。僕の攻撃を回避することだけに注力している。やりにくいね)


 結局放った水弾を全て回避しきった仮面の魔物は、そこで動きを止める。

 サウロが注意深く様子を観察すると、合わせるようにその魔物も彼のことを窺うだけで何もしてはこない。


(僕が止まれば、あれも止まる。やはり、狙いは時間稼ぎのみか。賢いな。目的を遂行するために最適な行動をとれる知性がある)


 サウロは相手と自分の実力を推測っても、形勢はどちらかというと自らに有利に思えたが、それでも回避に専念されると話が変わってくる。

 指の先から流れる血を舐めながら、彼は頭を悩ませた。


(この高い知性と理性。まず労働階級プロレタリアじゃない。貴族階級ハイソサエティ王族階級ロイヤルズか。さすがにその上ってことはないと思うけど)


 魔物生態学という学問を研究する学者としての一面も持つサウロは、まず敵を分析することにした。

 ここまでサウロの秘術から全て逃げ切っていることから、身体能力も低くはない。

 転移系の能力という特別な力を持っていることから、本来はそれを生かしたトリッキーな戦法を得意とすることが予想されている。

 サウロという目先の的に釣られることなく、冷静に逃げに徹していることから知能指数も非常に高い。

 最も、中央都市ハイセントラルに繋がるゲートを創り出したまま戦闘を行なっていることから、本来の能力として出力をそちらに何割かさいている可能性もあった。

 総合的に考えれば、貴族階級の中でも上位。

 加えて、どちらかというと搦手が得意なサウロとしては、攻め続ける必要のあるこの戦況は苦手な状況下にあるといえた。


「……名前を聞いていませんでしたね。転移系の能力まで使えるんです。さぞ高名なのでは?」


「なんかいきなりニンゲンが喋りかけてきたよ。ボクはクセルクセス。もしかしてボクから何か情報を得ようとしてる? オロオロオロ。小賢しすぎて、泣いちゃった」


「情報得ようだなんて。そんなそんな。ただ世間話をしようと思っただけですよ。クセルクセスさんですか。僕はサウロ・ラッフィー。以後お見知り置きを」


 クセルクセス。

 知らない名だ。

 職業柄、サウロは魔物の世界に詳しいが、それでも聞いたことのない名だった。

 それに、気になるのはその名乗り方だ。

 彼が知る限り、今、意図的に隠された情報がある。

 

(肩書きを言わなかった? 貴族階級なら爵を名の前につけて名乗るはずなんだけどな。となると、王族階級か? いや、でも王族階級はこんなプライドのない戦い方はしない。それとも王族でも手段を選ばないモノがいるということ? うーん、わからないな。さて、どうしますか)


 すでに警戒されているらしく、クセルクセスはサウロが探りを入れようとしたことを一瞬で看破している。

 会話で揺さぶってもあまり意味はなさそうだ。


「クセルクセスさんは、王族の方ですか?」

 

「……へえ? 君、ボクたちの世界に詳しいね。オロオロオロ。感心しすぎて、泣いちゃった。残念ながら、違うヨ。少なくとも、今はネ」


「少なくとも今は? どういう意味でしょう? 階級は生まれながらに決まるんじゃないんですか?」


「本来はそうだよ。ニンゲンの世界も同じでしょ? 蟻は蟻を生み、怪物は怪物を生む。だけど時には、怪物を喰らう蟻もいる……おっとっと、この辺にしておこう。オロオロオロ。喋りすぎて、泣いちゃった」


 含みのある言動。

 そこでクセルクセスは口を閉じる。

 相変わらず仮面の魔物の方から仕掛ける様子はなく、サウロの動きを監視するのみ。


(相性が基本的に悪いな。僕たち聖騎士協会ナイトチャーチ加護持ちギフテッドの一番の大きな違いは、守り手か攻め手か。僕たちは魔物から人々を守るために力を使い、加護持ちは魔物を狩るために力を使う。逃げ惑う魔物を追うのは骨が折れるよ)


 このまま戦っていても拉致があかない。

 負けることはないが、勝つこともできない。

 無駄に時間を浪費してしまうだけで、むしろそれがクセルクセスの狙いだろう。


「困ったな。こういう時こそ、剣姫がいれば……」


「いるけど」


「え?」


 幻聴が聞こえた気がした。

 サウロは魔物を狩ることに特化した加護持ちがいれば、と希望的な独り言を口にしたつもりが、なぜか返事が聞こえたように思えたのだ。


「あれ、僕、疲れてるのかな。なんか今、剣姫タナキアの声がしたような……」


「なにチマチマやってんの? 遅すぎ。あたしがやった方が、早い」


「あれ?」


 幻聴ではない。

 サウロは声がした方に顔を向けるが、そこには誰もいない。

 しかし、感じる規格外の力の気配。

 だが、街を出てからほとんど日の経っていないはずのその神下六剣がどうしてここにいるのか、サウロにはわからなかった。


「オロオロオロ——」


 唐突に吹き抜ける、あまりに鋭すぎる風。

 夜空に舞う、真っ赤な血飛沫。

 何かを話そうとしていたクセルクセスの言葉が途切れる。


「ネビが来る前に、終わらせる。あいつを活躍させてたまるか」

 

 やっと、そこで鮮やかなライトブルーの髪が視界に収まる。

 聡明さが同居している涼やかな美貌。

 他者を射抜く瞳もまた、空色。

 

 “剣姫”タナキア・リリー。


 人類最速の称号を持つ彼女の短刀には、すでに血が付着している。

 少し離れたところに立つクセルクセスは、喉を大きく切り裂かれたのか、溢れ出る血を抑えるように首に手を当てて跪いていた。


「……ごぼぉっ。はぁ…‥はぁ……怖いニンゲン、いつからここに? オロ、オロ、オロ。速すぎて、泣いちゃった」


「たった今きた」


「タナキアさん? どうしてここに? 堕剣とか、顔のない怪物は?」


「ネビはそのうちくる。顔のない怪物もきてる。ノア・ヴィクトリアもきてる。リオン・バックホーンは連れてきた。以上」


 剣姫タナキアがここに現れて、クセルクセスにいとも簡単に一撃を与えるまで、全ての動作が見えなかった。

 それは、ただただ、動きが速いだけ。

 サウロはぞっとする。

 もし、この神下六剣がその気になれば、自らが今クセルクセスのように跪いていてもおかしくない。


(すごいな。想像以上だ。いくらなんでも速すぎる。だけど、堕剣と顔のない怪物に関してはどういうことだ? ノアさんとリオンさんも生きてる?)


 そして、理解が追いつかないのは剣姫タナキアの桁違いの実力だけでなく、その言葉も同様。

 堕剣が来る。

 顔のない怪物が来ている。

 ノアが来ている。

 リオンを連れて来た。

 たった四つの情報なのに、その全てをサウロは理解できなかった。


「やっぱり、メイガス様に爵だけじゃなくて、も借りておいてよかった。最近のニンゲンは強すぎる。オロオロオロ、怖すぎて、泣いちゃった」


 へえ、とサウロの隣りで剣姫が声を漏らす。

 その整った横顔を覗いてみれば、これまでずっと無愛想な無表情だった彼女が、珍しく口角を上げている。


「タナキアさん? どうして、そんなに嬉しそうなんですか?」


、昔ネビが殺した奴だ。それを今度はあたしが殺す。悪くない。ちょっと、アガる」


 ズザザ、と地面を何かが引摺るような擦った音。

 クセルクセスの背後から、一際大きな影が顔を出す。

 突如闇から現れた、真っ黒な髪を地面まで伸ばした白い骸骨。

 頭には錆びついた王冠を被ったその怪物の名を、サウロは知っていた。


「なっ!? あれは、“死王ラモルト”!? ありえない。あの魔物ダークはもう何年も前に死んでいるはずじゃ!?」


 サウロが驚愕に声をあげる。

 死王ラモルト。

 王族階級ロイヤルズと称される、最強の魔物の一角。

 だがその怪物は、かつて剣聖時代のネビ・セルべロスが討伐に成功したとされている。

 聖騎士協会の最高幹部である聖女ヨハネス・モリニーも、その死王討伐には同行していることから、虚偽の報告もありえない。

 しかし、そんな剣聖の名を世に知らしめたきっかけにもなった、歴史に残る最悪の魔物が、今目の前にいるのだった。


「ネビが殺した時より、早く殺す。そうすれば、あたしの勝ち」


 何千人もの人間を死に至らしめたという、災害級の怪物相手に相手に、剣姫が嬉々とした表情で一歩前に出る。

 なぜまだその怪物が生きているのか、という困惑はない。

 死王に勝てるのか、という怖れはない。

 どうしてこの場にいるのか、という疑問は後回しにする。

 彼女は迷わない。

 迷っていたら、置いていかれると、知っているからだ。



「跳んで、【青鷲あおわし】。誰よりも、疾く」







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