ナイトメアパーティ


 猫のように身軽な動きで、夜の要塞都市ハイゼンベルトを飛び回りながら、鋭いダガーを目の前の魔物ダークに突き刺す。

 植物を裂くような軽い感触。

 白く濁った瞳をした人型の魔物を一体屠ると、そこで“幻惑ファントム”ことイリヤ・ブロウはうんざりした気持ちで周囲を見渡した。


(厄介なことになったわね。どこかしこも敵だらけ。最悪の消耗線だわ)


 朝に近づいていく深夜。

 突如鳴り響いた非常事態を知らせるサイレンで目を覚ましたイリヤが見たのは、まさに悪夢だった。

 段々と復旧が進み、平常に戻り始めていた要塞都市は再び戦火に包まれ、魔物ダークに対して有用な力を持たない一般兵士が無惨に襲われていく。

 地面から定期的に湧き出るアンデッド型の魔物はいまだに、途切れる気配はない。


(ただでさえ加護持ちギフテッドは持久戦に向いてないってのに。まさかそれを狙ってる? 中央都市につながる門みたいなのも出現してるし、これが噂の知性のある魔物ってわけね。その辺の人間より遥かに賢いじゃない)


 イリヤは自らの剣想イデアを使用していない。

 それはもちろん、使えばもっと楽に魔物を倒すことができる代わりに、消耗が激しすぎるからだ。

 魔物は軍勢というほどに多くはまだ見られないが、もう数時間以上断続的に出現を続けていた。


「だああ! くそ! これじゃきりがねぇ! イリヤさん! こいつらいつになったら消えるんすか!?」


「私が知るわけないでしょ! 口じゃなくて手を動かしなさい!」


 少し離れたところでは“剛腕クラッシュ”ことセルジオ・ハインツが、連合大国の兵士から借りた長剣を振り回しているが、その表情には段々と疲労の色が見え始めている。


(今はギリギリ保ってる感じ。中央都市ハイセントラルに通してしまった魔物もまだ一桁程度。あれくらいなら軍の兵士で対処できる。でも、本当にぎりぎりって感じね。ほんの少しでも均衡が崩れれば、一気に状況が変わる)


 多くの一般市民が住む中央都市ハイセントラルに続く、謎の門を死守するようにイリヤとセルジオは戦い続けている。

 すでに要塞都市復興に関する総司令官であるアンジェラ・ギルバートが、門をくぐって中央都市に緊急事態を告げたことは確認済みだ。

 実際に門の向こう側では、沢山の兵士がイリヤたちが仕留め損ねた魔物を狙うために待機している。


(敵の頭みたいなのとはサウロが交戦中。まだ終わらないの? 助けにいってあげたい気持ちは山々だけど、こっちも私とセルジオでぎりぎり保ってる感じだしな)


 おそらくこの転移能力のある門を出現させたであろう上位魔物とは水の騎士サウロが戦っている。

 門から離れた場所での戦闘のため、状況は確認できないが、門が残っていることから少なくともまだサウロは勝利に至っていないらしい。


(もっともあれが、本当に敵の頭なのかは疑問だけど……待って、あれはなに?)


 両手にダガーを持って一定の間隔で襲ってくる魔物を潰していたイリヤの目に、これまでとは違うものが映る。

 明らかに、人ではない。

 魔物のようだが、他とは違う異質な気配を感じる。


「イリヤさん! なんか、いるっす!」


「……わかってる」


 セルジオも異質な気配に気づいたようで、イリヤに警戒を促す。

 門から離れた地点に立つソレは、黒い山羊の頭をしていた。

 枯れ枝のように細い腕と足は、それぞれ片方は一度切り飛ばされたのか、糸で縫われたようなツギハギの跡がある。


「あの黒山羊、なんか、やばそうじゃないっすか?」


「同感。まず私が様子を見る。かどわかせ、《楼閣》」


 念の為、剣想を発動させる。

 イリヤの本能が囁いていた。

 そのツギハギの黒山羊は、明らかに危険だと。


「daaaaaaa……」


「なっ!?」


「やべぇ! 遠距離型っすよあいつ!」


 ゆらりと持ち上げられた細腕。

 指先に煌めく、蒼白い光。


「まずい! 戸惑え! 《幻影投影ファントムファントム》!」


 ツギハギの黒山羊の指先に渦巻く、爆発的なエネルギー。

 それは瞬く間に膨れ上がり、反射的にイリヤが自らの固有技能ユニークスキルを発動させる。

 三つに分身する、イリヤの姿。

 黒山羊が、少し、迷う。

 そして僅かな迷いの後、雷鳴が轟いた。


「《山羊雷トゥエルノ》」

 

 炸裂する、閃光。

 不可避の電撃が、イリヤの影を跡形もなく消し去り、そのまま門の向こう側の中央都市ハイセントラルを一瞬に焦土に変えた。


「……うっそだろおい。なんだよ今の。やばすぎる。てか、イリヤさん、今のどうやって避けたんすか?」


「……避けれてないわよ。信じられない。こいつ、あの顔のない魔物より、強い」


 電撃が炸裂した後、冷や汗を滲ませる。

 イリヤは自分が作り出した幻影が一瞬で消し炭にされ、残ったのは生身の体が一つ。

 その絶望感は、あの白い肌をした大口の怪物を目の前にした時以上。


(最っ悪。こいつ、サウロが相手してる奴より強いんじゃない? まさか、こっちが頭? 人員配置、間違えたかもしれないわね)


 ツギハギの黒山羊は、この街に来てから出会った魔物の中でも最上級。

 遠距離から、ほぼ不可避の速度で襲いかかってくる雷撃はあまりに脅威すぎる。

 しかも、他の魔物達もいまだに迫り続けるまま。

 あの痩せ細った怪物を相手にしながら、門を死守するのは不可能だ。


(詰んだ。完全に。いよいよ私の悪運も尽きたってわけ)


 歯軋りをしながらも、イリヤは策を考える。

 セルジオだけでも、逃すべきか。

 しかし、素直に言って話を聞く男でもないだろう。

 むしろ自分だけでも、逃げ出すか。

 いや、それは矜持が許さない。

 イリヤは決死の覚悟を決め、感情のわからない山羊の瞳を見せる怪物を睨みつける。



「そう、気負うな、イリヤ。まだ、手はあるさ」


「……え?」



 もう一度、固有技能を発動させようとしたイリヤに、穏やかな声がかかる。

 その声を聞くだけで、希望が芽吹く。

 隣を見れば、“将軍ジェネラル”と称される彼女が知る限り最も勇敢な加護持ちの姿がそこにあった。


「リオン、さん?」


「まったく、何の因果でこうなったか」


 ブラックグレイの短髪に、くたびれた相貌。

 鍛えられた筋骨隆々とした体躯。

 重量感ある長剣を、軽々と担ぐ壮年の男。


 リオン・バックホーン。


 生存は絶望的とされていた、頼れるパーティリーダーの姿がそこにあった。


「リオンさん! まじ!? 本物!? もしかしておれ、もう死んでる!? ここ、あの世っすか!?」


「セルジオ、縁起でもないことを言うな。死んでないよ俺は。とりあえず、まだ、な」


 犬のようにはしゃぐセルジオを見ながら、苦笑するリオン。

 よく見れば身体にまだ回復しきっていない傷跡が残っているのを見て、死線を超えたのだとイリヤは理解する。


「あの化け物を倒したんすね! すげぇ! やっぱ加護数レベル30越えは違うな!」


「いや、残念ながら、あれを倒したわけじゃない。まあ、色々あってな」


「逃げ切ったってことすか?」


「どうだろうな。逃げ切れてもいない気がする。というか、そこにいるし」


「逃げ切れてないならなんで——っては?」


 ボタ、ボタ、と大粒の液体が夜空から降り注ぐ。

 雨にしては、粘性が高すぎるし、夜空には雲ひとつない。

 ただ代わりに、見覚えのある巨影が宙から降り立つ。


「gyaaaaaaaaooooooooo!!!!!!!!」


 覚えのある咆哮に、自然と身が竦む。

 白く、ブヨブヨとした肌に、目も口も耳もない奇怪な頭部。

 棍棒のような尾が、地面に垂れ下がる。


「な、なんで、こいつがここに?」


 トラウマのように、セルジオが呆然と声を漏らす。

 リオン達を壊滅状態に陥らせた、顔のない怪物。

 しかし、イリヤは違和感を覚えていた。

 なぜなら、その怪物が彼女たちに背中を向け、ツギハギの黒山羊に向かって牙を向けていたからだ。


「心配ない。は味方だよ。それに俺たちのもやっと全員集合できたみたいだからな」


 リオンは不敵な笑みを浮かべる。

 刹那、雪が、イリヤの前を舞った。

 否、それは雪ではなく、雪のように白い髪を持つ少女。

 紫紺の瞳で、興味なさそうにイリヤとセルジオを一瞥すると、その少女は顔のない怪物の頭を撫でる。


「ノア!? お前、生きてたのか!?」


「この子が、ノア・ヴィクトリア?」


「これで招集パーティがやっと勢揃いだ。やっぱり、長い旅になったな」


 “潔癖ホワイト”ノア・ヴィクトリア。

 黄金世代の一人であり、ソロに生きる孤高の加護持ちギフテッド


 長袖から覗く、右手首に刻まれた刻印タトゥーは32。


 群れることを嫌う彼女は、この時ばかりはその雑音を我慢する。

 

「なんかモブが多くてうざいけど我慢我慢ネビ様の顔に泥を塗るわけにはいかないもの」


 ツギハギの黒山羊と相対すると、ノアは迷わず純白の剣想イデアを呼び出す。

 その白を汚していいのは、彼女にとってもう、一人しかいない。



「染まって。【漂白ひょうはく】。そしてネビ様にまた染まる。その繰り返し」




 

 

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