友人



「懐かしい匂いがするな」


 どさり、どさりと独特のリズムの揺れを感じながら、ネビは鋭敏な鼻をひくつかせる。

 ひた駆け抜けるはハイゼングレイ山脈。

 彼の足元では、渾神カイムがギャオと名付けた魔物ダークが大きな体を揺らしながら星々の光だけが煌めく荒野を走っている。


「うっぷ! やばいやばい! うち酔ったかも! 吐きそう!」


「おいカイム!? お主絶対私の近くで吐くなよ!? 降りろ! 今すぐ降りるのじゃ!」


「この程度の揺れで酔うとか鍛錬レベリングが足りないんじゃないのギャオくんもっと速度あげて」


「アスタちゃんもノアちゃんも鬼すぎっ! もう怒った! 二人の顔面に向けて吐いてやるゔおおおおおおええええええ!!!!」


「ぎゃあああああ! だからこっちに顔を向けるなと言うておろう!?!?」


「高速移動する魔物の体の上で神のゲロを避ける鍛錬レベリングも悪くない」


「ちょうどいい、一度止まれ、ギャオ」


「gyao!」

 

 ギャオの背中の上で大騒ぎをするカイムやアスタ、ノアを見ながら、一人最も激しく尾の先に立っていたネビは一時停止を命じる。

 カイムの酔いに配慮したわけではない。

 もっと別の理由から、彼は準備が必要だと考えたのだ。


「うっぷぅ……まじで気持ち悪い。ギャオちゃん乗り心地悪すぎ。まだまだ出そう」


「最悪じゃ。髪に少しついたぞ。臭い。臭すぎる。菜食主義者のくせになぜこれほど臭い?」


「ノアはちゃんと全部避けた」


「gyao……」


 ギャオの背中から一旦降りたカイムは、膝をつきながら何度も一人でえづいている。

 アスタはその隣で恨めしそうに自らの銀髪を黒い外套の裾で拭いている。

 ノアはなぜか自慢げな表情でネビに向かって胸を張り、ギャオは自分の背中に吐き散らかされた吐瀉物をなんとか綺麗にできないか腕を伸ばしていた。


「俺はここに残る。アスタ、お前たちは先にいけ」


「なに? お主も酔ったわけではないじゃろうに。なぜじゃ? 要塞都市ハイゼンベルトとやらにはまだ辿り着いたわけではないじゃろう?」


 魔物の軍勢。

 その存在をノアから聞いたネビは、再び出現する可能性の最も高いと判断した要塞都市ハイゼンベルトに向かっている途中だった。

 大量の魔物がいれば、当然多くの魔素を得られるいいレベリングになる。

 そういった趣旨で、ネビは要塞都市に向かうことを決意した。

 ギャオを休憩なく馬車扱いして最短距離で向かえば、夜が明ける頃には到着する予定だ。


「ちょっと友人に会ってくる」


「は?」


「友人が近くまで来てる気配がするんだ」


 そんなネビが決めた次なる目的地への道すがら、当の張本人が離脱を口にしたため、何事かと思えば、全く予想していなかった言葉がでてきてアスタは唖然とする。


「友人? 何かの隠語か?」


「いや、そのままの意味だ」


「いつから冗談を言うようになったのじゃ、ネビ。お主に友人がいるわけないじゃろうが」


「失礼だな。俺にも、友人の一人くらいいる」


 友人と会う。

 アスタは周囲を見渡すが、荒野は闇にどこまでも続くばかり。

 人はおろか動物や魔物の気配すら全くしない。

 明らかに、友人と旧知の話に花を咲かせる場所ではなかった。


「よくわからないが、お主が一方的に友人と称する存在が、近くにいるのか?」


「もしかして、強い魔物? それならノアも残りたい」


「……とにかく先に行け。まだ遠くにいるが、そろそろ来るはずだ」


「いったいどういうことじゃ? 遠くにいるのに、そろそろ来る? さっきから何を言っているのかさっぱりじゃぞ?」


 疑問で頭を埋め尽くすアスタは首をかしげるが、どうやらネビは自らの考えを詳細に話すつもりはないらしい。

 左手をひらひらと振り、再びギャオの上に戻るよう促すのみだ。


「……わかったきっととっておきの魔物なんだノアはともかくアスタやカイムがいると足手纏いになるんでしょ」


「なんじゃと? 失敬な。ノアとカイムはともかく私が邪魔になるとでも言うのか?」


「なにそれどういう意味ノアは邪魔になんてならない」


「試してみるか?」


「上等」


「おい、いいから早く行け。ただ友人に会うだけだと言ってるだろ」


 そこまで言って、やっとアスタとノアは渋々ながらもギャオの上に戻っていく。

 いまだにぐったりした様子のカイムもネビはひょいと肩にかつぐと、そのまま適当にギャオの背中の方へ投げ込んだ。


「ぐへっ!? ちょ、なんか最近うちの扱い雑すぎん?」


「まったく、主人に懐かん猛犬じゃ。手短に済ませよ」


「……放置プレイも悪くない」


「心配するな。すぐに追いつく。行け、ギャオ。俺がいない間、そいつらの面倒は任せたぞ」


「gyaaaaao!」


 ネビの合図を受けると、再びギャオが凄まじい速度で走り出す。

 カイムの悲鳴のような何かが夜空に響き渡るが、それもあっという間に遠のいていった。


(さて、そろそろか)


 そして誰もいなくなった荒涼の大地で、ネビはある一方向を静かに見つめる。

 虫の鳴き声すら聞こえない、凍るような静寂。

 時折吹く小風が、砂石を転がすだけ。

 星空の光を遮るものはなく、ネビが視界を保つにはそれで十分だった。



 ——一瞬、あまりに鋭利な風が、目の前を通り過ぎる。



 ひらひらと、舞う黒髪。

 何も、見えなかった。

 それにも関わらず、気づけば前髪の一部が切り飛ばされ、視線の先を舞っている。



「……久しいな、タナキア。お前は変わらないな」


「久しぶり、ネビ。そっちは少し痩せた?」



 背後から聞こえる、鈴の音のように涼やかな声。

 振り向けばそこには、鮮やかなスカイブルーの髪を夜風に揺らす、一人の女がいる。

 銀色の短刀を手元で弄びながら、猛禽を思わせる鋭い三白眼でネビを見据える。

 その大鷲のイヤリングをした端正な容姿の女を、ネビは古くから知っている。


 “剣姫”タナキア・リリー。


 神下六剣。

 数いる加護持ちギフテッドの中でも、神々が人類に対して特別扱いを命じた六人の超越者。

 そしてネビにとっては、数少ないギフテッドアカデミー時代からの知己だ。


「それで、一つ、質問。あんた、バルバトス、殺した?」


 表情を変えないまま、タナキアは問いかける。

 奇妙な質問だと、ネビは思った。

 彼は特に深く考えず、ありのまま答える。


「いや、殺してないぞ。俺とバルバトスは仲が良いからな。加護をくれと言ったら、嬉しそうにすぐに渡してくれた」


 ネビの返答を聞いたタナキアは、一度瞳を大きくした後、ふっと短く息を吐く。

 初神バルバトス。

 ネビからすれば、久々に鍛錬に付き合ってもらいたかったため、若干の不完全燃焼感があり、記憶に残っていた。


「俺としては試練も受けておきたかったが、バルバトスは忙しそうだったからな。加護を渡した後はすぐにどこかに行ってしまった」


「……ふーん、あっそ。やっぱそんな感じか。まあ、だいたい何があったかは想像がつく。じゃあ、もう一つだけ、質問」


 手元でお手玉のように遊ばれていた短刀を、しっかりと握りしめるタナキア。

 その雰囲気を、ネビはよく知っている。

 赤錆の柄を、そっと撫でる。



「ルーシーに加護奪われて、力失ったって、本当?」



 瞬間、タナキアの姿が消えた。

 完全に視界から消えた剣姫。

 目で追うことすら、できなかった。


「目が反応してない。とりあえず、あたしの動きが見えてないんだね。前は反応くらいはできてたと思ったけど。ネビ、あんたのろくなった?」


「……相変わらず、極端すぎる敏捷傾向。お前が速すぎるんだよ、タナキア」


 声がする方に顔を向けても、そこにはもうタナキアの姿はない。

 空気が切り裂かれ、歪な気流が生まれる。

 べつにタナキアが姿を消す異能などを使っているわけではない。

 ただ、高速で移動しているだけ。

 ネビすら反応できない速度で、剣姫タナキアは動き回っている。


(ダメだな。今の俺じゃあ、反応できない。レベル不足だ)


 早々にネビは目で追うことを諦める。

 思い出すのは、初神バルバトスの下で、共に学んだ若かりし日々。

 あの時から、ずっとそうだった。

 タナキアは、誰よりも速い。

 アカデミー時代も、誰よりも速く、優秀だったタナキアからネビは死にものぐるいで学んだ。


「……堕ちろ、【赤錆あかさび】」


 これは、鍛錬レベリングではない。

 ネビは、自ら剣想イデアを消す。

 彼女から学べるものは、全て学び尽くした。

 思い出すのは、彼女の背中を追い続けた日々。


「懐かしいな、タナキア。昔を思い出す」


「思い出通りか、試してあげる」


 研ぎ澄まされる感覚。

 いまだに、タナキアの動きには反応できない。

 ただ、剣姫の地面を踏み込む僅かな足音が、捉えられるようになるだけ。


(前より、少し速い——)


 トン、トン、トン。

 軽やかに、夜をタナキアは駆ける。

 目に止まらぬ速さ。

 影すら追えない動き。

 ギフテッドアカデミーを卒業する前日。

 初めてタナキアとネビが本気で衝突したあの日から、ずっと彼らは顔を合わせるたびにこのような手合わせを行っている。 

 

「あたしの方が、速い——」


 二人の衝突は、いつも同じ勝敗。

 何度繰り返しても、結末は同じ。

 それは、この夜も、同様だった。



「——が、動きの癖は、変わってないな、タナキア」

 


 ——タナキアがうなじを正確に短剣で突き刺すその瞬間、というよりはその数コンマ前から動きを予測して動いていたネビが、彼女の手を掴み捻りあげる。

 カラン、とこぼれ落ちる短剣。

 人類最速の加護持ちは、小さく舌打ちする。



「……嘘つき。全然衰えてないじゃない」


「お前の動きを予測するのに、加護は関係ないからな」


 

 あっという間に拘束をほどき、タナキアはネビから距離を取る。

 落とした短剣も一瞬で拾い、彼女は不服そうな顔でネビを睨みつけていた。


「お前の動きはアカデミー時代に一年間、ひたすらに見続けたからな。完全に把握してる。バルバトスも同じだが、完璧に読めるよ。お前の息遣い、身体の僅かな動き、戦闘時の思考パターン、全てインプット済みだ。目を瞑っても、お前のタイミングは把握できる」


「……変態。なんなのこいつ本当に」


 全戦全勝。

 ネビは初めてタナキアと手合わせをしてから、敗北したことは一度もない。

 筋肉の僅かな予兆的な張りや、視線の動かし方すら頭に叩き込み、彼女の動きをほぼ完璧な精度で予測できるようになっていた。


「まあ、厳密に言えば、今の俺から仕掛けても、お前に攻撃は届かないだろうがな。さすがに今のお前は俺にとって速すぎる」


「うるさい。もう一回」


「何度やっても同じだぞ。お前からの攻撃なら、全部読める。ずっと見てきたからな。お前のことは、なんでもわかるんだ」


「黙れ変態」


 再びタナキアの姿が消える。

 だが、ネビには、次の動きが手に取るようにわかる。


(最後、右を見てたな。瞳孔も僅かに開いていた。若干興奮気味。こういう時のタナキアは、無駄に全部フェイントをする癖がある。右を見てたなら、左からくる)


 いまだに目では追えないほど速さでタナキアが動くが、ネビに焦りはない。

 最後は自分のところに来る。

 あとはタイミングを見極めるだけ。

 全神経を集中させ、脳内でシミュレーションを張り巡らせる。

 タナキアの呼吸の音を、闇のさざめきの中から拾いとる。

 仕掛ける寸前、ほんの少し、呼吸が短くなる。


「——ほらな、あとは合わせるだけだ」


「うっ!? ……ずるい。本当に意味わかんない。なんであたしの仕掛けがそこまで読み切れるのよ」


「ここまで俺が読み切れるのは、お前だけだ、タナキア」


「……本当にムカつく」


 再び攻撃が空振りし、腕を捻られたタナキアは、今度はあからさまに舌打ちをする。

 また力づくで拘束をほどくと、タナキアは今度はネビから数歩離れた程度の場所に立つ。


「はあ、もういい。やっぱりあんたと絡んでも腹立つだけで何もいいことない」


「なんだ? もう終わりか? まだお前、剣想イデアだしてないだろ? 本気でやらなくていいのか?」


「もう聞きたいことは聞けたからいい。それにあんただって剣想使う気ないでしょ? あたしだけ本気だしてもムカつくから使わない」


「赤錆のことか? あれはない方が俺は速いぞ?」


「違う。赤い方じゃなくて、。どうせ使わないでしょ?」


「ああ、そっちか。そっちはたしかに使う気はない」


「ならいい。時間の無駄だから」


「そうか、残念だな」


 ネビは少し、残念がる。

 どうやら楽しい遊びの時間は終わりらしい。

 予測できるとは言っても、僅かでもズレがあれば即致命傷だ。

 全神経を擦り切らすようなタナキアとの手合わせは、ネビからすればいいリフレッシュになる娯楽だったため、もう少し続けたいのが本音だった。


「じゃあ、あたし、もう行くから」


「どこに行くんだ?」


「要塞都市ハイゼンベルト。あたしの予想だと、そこに魔物の軍勢が潜んでる。先にネビに会っておこうと思ったから探してたけど、やっぱ会わない方がよかった。後悔」


「お、奇遇だな。俺もそこに向かってたんだ」


「そうなの? なんで?」


「魔物がいるんだろ? いい鍛錬レベリングになる」


「……あんたも変わらないね。そこだけはちょっと、安心した。なんでルーシーに加護剥奪されたの?」


「さあ? なんでだろうな。まあ、俺としてはまたレベリングできるなら、なんでもいい。興味はない」


「あっそ。本人が気にしてないなら、いいけど」


 タナキアは短剣をしまうと、ぐっと軽く伸びをする。

 要塞都市ハイゼンベルト。

 どうやら向かう先は同じらしい。


「そうだ。目的地が同じなら、俺をおぶって連れて行ってくれ。お前について行った方が早い」


「やだよ、ばーか」


「……」


 目の下の皮膚を指で引っ張り、タナキアは舌を出してネビを挑発する。

 普段は冷静沈着な彼女だが、ネビの前では時々こうして子供っぽい仕草をすることがあった。


「勝手に追いつきな。あたしは先に行ってるから」


「わかった。最後に一つ、聞いていいか?」


「なに?」


 そしてそのまま踵を返し、この場を去ろうとするタナキアに、ネビが声をかける。

 どうしても、確認しておきたいことがあったのだ。


「タナキア」


「だからなに」


「真剣に答えてほしい」


「だ、だからなんなのよ。早く言って」


 ネビの力強い赤い瞳に押され、タナキアは空色の瞳を泳がす。

 なぜか変に体温が上がり、額に薄ら汗が滲んだ。


「お前は俺の、友人だよな?」


「……はぁ。期待して損した。そうなんじゃない? 知らないけど」


 ふっ、とタナキアは気付けば止めていた息を吐く。

 無性に腹が立ってきた彼女は、振り向かせていた顔を、再び夜の荒野に向け直す。


「じゃあ、あたしはもう行くから。またあとで」


「ああ、すぐに追いつく」


 言うが早いか、次の瞬間にはタナキアの姿は見えなくなっていた。

 一人取り残されたネビは、煌めく夜空を見上げながら、どこか勝ち誇ったように笑みを浮かべるのだった。



「ほらな。言ったろ。俺にも友人の一人くらい、いるんだ」

 

 



 

 

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