潜伏



 半壊した要塞都市ハイゼンベルトの仮設宿舎の奥。

 窓の外は、夜の帷が既に降りており暗く見通せない。

 執務室と呼ばれる一室の机に向かいながら、アンジェラ・ギルバート少佐は国の諜報部から寄せられた報告書に視線を落としていた。


(連合大国だけじゃない。北の大国クスコや東の島国サンライでも同様。魔物の動きの活発化は世界各地で見られている。嫌な流れですね。世界のバランスが崩れ始めている)


 国家に属する兵士は、あくまで戦火や犯罪者との戦いを想定している。

 高位の魔物に対しては加護持ちギフテッドがいなければ撃退は難しい。

 本来は人間の領域に侵入してくる魔物は数が少ないため問題はないが、今回は一つの群れとして要塞都市を襲った異常事態イレギュラーだった。


(魔物の軍勢に、再生能力持ちの怪物。それに加えて堕剣。正直、剣姫が来てくれたのは幸運でした。彼女がいなければ、対処しきれたとは思えない)


 通常の加護持ちとは異なり、一種の特権階級でもある神下六剣は正当な理由があれば、たとえ国からの命だとしても拒否することが可能だ。

 そのため、今回、剣姫タナキアが要塞都市に現れたのは、ほとんど彼女自身の意思と言っていい。

 堕剣ネビ・セルべロスの潜伏。

 その情報が国家の上層部にもたらされ、その情報公開を交換条件に剣姫タナキアの招聘に成功したとアンジェラは聞いている。

 

(あとはこのまま、何事もなく終われば済めばいいですが)


 神下六剣は加護持ちの中でも、さらに突出した存在だ。

 世界で唯一、魔物側が怖れ、避ける対象。

 対魔物に関してならば、剣姫タナキアの敗北はまずないと言える。

 唯一、計算できないのは、彼女がここに来たそもそもの理由である、堕剣のみ。

 元人類最強にして、歴史上最大の大罪人。

 その実力は不明で、何を考えてハイゼングレイ山脈に潜んでいるのかもわからない。


(最悪のパターンは魔物の軍勢と堕剣が共謀している場合。しかも上官からの事前情報によれば、その可能性は低くない。もっとも、剣姫が堕剣に敗れた場合、もうほとんど人類側に堕剣を止める術はないということになってしまいますが)


 神下六剣同士のパワーバランスは、アンジェラにはわからない。

 一応数字上では多少の序列があるが、神下六剣に関しては加護数レベルでは測れない力があるというのは定説だ。

 堕剣ネビの人類最強というかつての肩書きも、あくまで加護数が最上位にいたという意味のみ示している。

 さすがに一度加護を全て剥奪された堕剣が、剣姫以上の力を持っているとは考えられないが、相手は元剣聖。

 油断はできなかった。


 ——コン、コン、コン。


 そんなふうに物思いに耽るアンジェラに、ドアのノックする音が聞こえる。

 この街にきてから、執務室へ彼女に尋ねにくる者はほとんどいない。

 誰が来たのかは、見当がついていた。


「どうぞ。鍵はあいています」


「遅い時間にすいませんね。お邪魔させていただきますよ、少佐」


 静かに扉をあけて部屋に入ってくるのは、白い神父服を着込んだ銀縁眼鏡の男——サウロ・ラッフィー。

 唯一今回の作戦に招集ではなく、自薦によってやってきた聖騎士協会ナイトチャーチの幹部だった。


「こんな夜に鍵をあけっぱなしなんて、うら若き美しい女性にしては無防備すぎるんじゃないですか?」


「心配されなくとも、たいていの火の粉は自分の手で払えます」


「それでも限度はありません?」


「私の手で払えないほど大きな火には、鍵をかけても意味はありませんよ」


「ははっ。それはたしかに。さすが連合政府で神童と言われてる才女なだけある。口じゃ敵いそうにない」


 アンジェラは報告書を閉じると、首からかけた十字架を揺らすサウロの方へ視線を動かす。

 “水の騎士”。

 サウロの聖騎士協会での階級は聖女ヨハネス・モリニーに次ぐ次席級だ。

 軍部でいえば最低でも大将級の位。

 そのような高位職の人間が、なぜこんな魔物の生息域との境界でもある前線へやってきたのか、アンジェラは前々から疑問に感じていた。


「それで? 要件は?」


「いや、ちょっと気になったことがありましてね」


 サウロは執務室の中を自由に歩き回ると、アンジェラが私物として持ち込んだティーポットに手をかける。


「水は入れてませんよ」


「ふふっ。それは僕にかけるべき言葉じゃない。僕は水の騎士ですよ? それに、火も初級程度なら扱える」


 空っぽのティーポットを持ち上げると、サウロは微笑を浮かべながらカップを二つ用意する。

 水汲み場はここから少し離れた場所にあるが、彼にとって水は汲むものではないらしい。


「《初級術式:発水》、《初級術式:発火》」


 胸ポケットから小さなナイフを取り出すと、指先の腹を軽く切る。

 すると水の満ちる音と火がボォウっと燃える音が次いで聞こえてきて、やがて紅茶の香しい匂いが部屋に満ち出した。


「お見事。ただ、人の茶葉を使う時は一声かけてください」


「おっと失礼。美味しい紅茶を淹れるから、許して欲しい」

 

 アンジェラの目の前にカップが一つ置かれると、そこにサウロが慣れた仕草でお茶を注ぐ。

 ふわりと匂い立つ、彼女のお気に入りの柑橘系の香り。

 自分の分も注ぎ終わると、サウロは机越しに彼女の前に座った。


「私も一つ、聞いておきたいことがありました。先にいいでしょうか」


「もちろん」


「堕剣と剣姫のことです。私たち軍部としては、例の魔物の軍勢に堕剣が加担している可能性が高いと踏んでいます。水の騎士という実力者の立場から見て、どうでしょう。剣姫は堕剣に勝てますか?」


「なるほど。難しい質問ですねぇ」


 軍学校では成績最上位者として名を知らしめていたアンジェラだが、それはあくまで知識や兵術、数学、天文学など知性に関わる座学に関してであって、兵士として才があるわけではない。

 場合によっては自ら前線に立てる聖騎士として見た剣姫の印象を彼女は知りたかったのだ。


「まず前提として、僕は堕剣を知らない。堕ちる前の剣聖時代を含めてもね。僕の同僚は何人か会ったことあるみたいだけど、僕は縁がなくて。だから正確には比べられない。それに他の神下六剣にも会ったことがない。基本的に僕は学者肌というか、魔物生態学を専門にしているから、その調査で魔物の生息域にいくことはあっても、加護持ちとの共闘とかは経験が少ないんですよ」


「そうなんですね。同じ魔物を敵とする者同士、接する機会が多いかと思っていました」


「僕たち聖騎士協会と加護持ちってあんまり仲良くなくて。目的とか敵は、ほぼ一緒なんだけど、不思議なものでね」


「ならご自身と比べては、どうですか?」


「僕自身と? そうだねぇ」


 あえて、そこまで踏み込んでアンジェラは訊く。

 紅茶を淹れる時に、当然のように起こしていた水と火を無から生み出す秘術。

 それは加護持ちですら簡単には行えない、一種の奇跡だ。

 アンジェラからすれば、サウロもまた超然的な力を持っているように思える。


「真正面から戦えば、100パーセント、剣姫タナキアが勝つ。僕に勝ち目はない。それは見てすぐわかりましたよ」


「……それほどですか」


 意外にも、サウロはあっさりと自身の方が劣ると口にした。

 聖騎士協会幹部。

 その肩書きは、決して小さいものではない。

 それにも関わらず、ここまで言い切るのは、よっぽど剣姫が頭抜けた力を持っているからだろう。


「自分で言うのもなんだけど、僕は弱くない。でも、彼女には勝てないでしょうね。見るだけでわかりましたよ。身に内包された力の質が、まるで別物。途中で顔のない魔物に会ったと報告しましたが、あの魔物でもおそらく、相手にならない」


「あなたがたが苦戦したあの再生能力持ちという魔物ですか?」


「ええ、そうですよ。あの魔物には知性を感じませんでしたから。真っ向からぶつかれば、剣姫が勝つ」


「それを聞いて安心しました。そこまで強いのなら、やはりあとは剣姫に任せておけばいいということですね」


 やはり、神下六剣は規格外。

 杞憂だったか。

 あの水の騎士サウロがここまで言うのだ、堕剣も含めて心配のしすぎだったかもしれない。

 一度加護を奪われた人間が、敵う存在ではない。

 しかし、そこまで口にしたサウロは、妙な表情で頬をかいていた。


「なんですか? そこまで剣姫が強いのなら、問題はありませんよね?」


「いや、実は僕が気になったっていう話は、その剣姫や顔のない魔物に関してでして」


「聞かせてください」


 再び、サウロは紅茶を啜る。

 その瞳は普段の茶目っ気のあるものではなく、真剣な眼差しだ。


「……あの顔のない魔物に遭遇して、この街に引き返す時、ずっと不思議に思ってたんですよ」


「何をですか?」


「魔物の軍勢。その気配が、どこにもない。痕跡すらないことに」


 アンジェラはそこで思い返す。

 たしかに要塞都市が魔物の軍勢が襲撃されたという一報が入って以降、続報はいまだに得られていない。


「そしてあの顔のない強力な魔物。剣姫の到着。堕剣の潜伏。それで僕は一つ、可能性を思いついた」


「可能性?」


「ええ。まず、前提として、堕剣が魔物の軍勢と共謀しているかもしれないと言った先のアンジェラさんの話、僕も同感です。というより、ほぼ確実にそうだと思います。ここ最近、魔物の動きが活発になっていて、それはちょうど彼が剣聖の称号を失ったタイミングと一致している」


 堕剣と魔物の軍勢の共謀。

 サウロもまたその可能性が高いと睨んでいるらしい。


「これまでの話を聞く限り、堕剣は非常に賢く、用意周到な男のようです。学園都市では少女を人質にとり、歓楽都市では渾神カイムの協力も得ながらカジノ客に紛れ込んだ。どれも行き当たりばったりではない。目的と手段を吟味した行動ばかり」


「……驚きました。サウロ殿がそこまで堕剣に関して考えを巡らせているとは」


「彼は今や、聖騎士協会の最大の敵ですから」


 堕剣が危険だという認識は一緒だが、サウロの警戒はアンジェラを凌いでいるように思えた。

 そんな要注意人物である堕剣が、今回魔物の襲撃に絡んでいるとしたら、いったいどんな策を練っているというのだろうか。


「そして今回、剣姫タナキアという人類側の切り札が一つ出された。アンジェラさんが堕剣だったら、一番怖れる相手は誰ですか?」


「え? それは、どうでしょう。まずは、神々ですか? 加えて、それこそ自らもその内の一人だったように、他の神下六剣の実力はよく知っているはず。恐れるとしたら、彼らでしょうか」


「その通り。ただ、神々は中々自分たちから動かない。動くとしたら神下六剣。最悪なのは、他の神下六剣が揃って堕剣の命を奪いにくる場合」


「……まさか」


「気づきましたか? ここは要塞都市ハイゼンベルト。人と魔の生息域の境目。孤立させ、罠をしかけるのにここほど都合の良い場所はない」


「剣姫タナキアは、誘い出された?」


「あの顔のない怪物も、今思えば餌だったように思えます。神下六剣でなければ対処できないが、神下六剣一人いれば確実に対処できる相手。剣姫が一人で向かうのにちょうどいい」


「しかし、堕剣は剣姫より強いのですか?」


「先も言ったように、真正面から戦えば剣姫が勝つはず。でも、堕剣は賢い。準備をし、同じ神下六剣だからこそ知っている剣姫の弱点のようなものを知っていれば、何が起きるかはわからない」


「……ここまで、全て堕剣の手の平の上ということですか」


「まあ、あくまで推測ですが、それに一番の問題はそこじゃない」


「というと?」


「もしこれが堕剣の罠なら、剣姫を釣り出した後は、どうくると思いますか?」


 アンジェラは考える。

 もし、自分が堕剣だったら。

 これは兵術だ。

 一手目で、街を襲う。

 次に、街の外に危険因子である顔のない魔物の存在を仄めかす。

 そこに剣姫という、堕剣からすれば最大の敵が現れる。

 誘い出し、孤立させる。

 

(そこから先は、剣姫を……いや、違う。剣姫じゃない。次に狙うのは、剣姫の孤立によって無防備になった——)


 ——グラッ。


 その時、執務室が、一度大きく揺れた。

 思考を張り巡らせていたアンジェラが顔を上げると、サウロが紅茶を飲み干して皮肉げな笑みを浮かべていた。


「……最大の武器は、最大の防具でもある。私なら、を狙う!」


「答え合わせの時間が、きてしまったみたいですね」


 慌ててアンジェラは立ち上がり、そのまま執務室の外へ走り出す。

 パリン、と彼女のティーカップが机から落ち、深い緋の液体が床に滲む。

 部屋の外に飛び出すと、辺りから悲鳴のようなものが聞こえ、遠くから火が上がるのが見えた。



「こ、これは……」



 そして、アンジェラは信じられないものを眼にする。

 それは、ボゴボゴと地面が盛り上がり、そこから干からびた骸骨のようなものが這い出てくる光景。

 人の形をしたものもいれば、野犬のような形をしたものもいる。


 アンデッド型の魔物ダーク


 アンジェラも存在は知っているが、直接見るのは初めてだった。

 死んだ生き物に悪意ある魔素が宿り生まれる怪物。

 


「オロオロオロ、快感すぎて、泣いちゃった。進軍の時間だ、魔女の子供達よ……開け、《通鬼口ゲート》」



 邪悪な声が、夜空に響く。

 突如街の中央付近に、巨大な五芒星が描かれ、その先に見覚えのある景色が出現する。


「どうなっているの? あれは、連合大国ゴエティアの中央都市ハイセントラル?」


 中央都市ハイセントラル。

 それは魔物の生息域から遠く離れた、人間の都。

 連合大国ゴエティアの中心部にあり、アンジェラが所属する連合政府の中央機関もこの街にある。

 人口も連合大国最大で、王家もここの住人だ。


「転移系の能力、か。珍しいですが、過去にもこういった力を持った魔物ダークの存在は確認されている。国にいる最上位の加護持ちを釣り出し、削り、神下六剣を孤立させ、街の地面に魔物を潜ませ、一気に首都に雪崩れ込ませる。驚きだ。本気で、国を一つ堕としにきてますよこれは」


 サウロが少し感心したように話しながら、アンジェラの隣に立つ。

 カンカンカンと、けたたましく鐘が鳴る。

 非常事態を知らせる音の中、サウロは静かに街の中央で目立つように立つ、泣き顔を模した仮面をつける魔物を見つめる。


「アンジェラさんは、とりあえずあのゲートをくぐって、中央都市に状況を知らせてきてください」


「わかりました。サウロ殿は?」


「僕は、あの偉そうな魔物を叩きます。見た感じ、あれがこの転移系能力を発動させているみたいですから」


「勝てますか?」


「さあ? どうでしょう。生きて帰ったら、今度はアンジェラさんが紅茶を淹れてください」


「……とっておきをご用意します。ご武運を」


 迷っている時間はない。

 アンジェラは軍部の人間らしく、必要最低限の感傷だけを見せると、そのまま中央都市ハイセントラルの景色が見える方へ駆け出す。

 残ったサウロは、首を左右にポキポキと鳴らすと、上唇を舐める。

 


「転移系の能力を持った魔物は、解剖らしたことないな。ふふっ。高鳴るね。君、いい研究資料になりそうだ」


「オロオロオロ、なんか変な目でこっちを見てくるヒトがいるな。気持ち悪すぎて、泣いちゃった」


 

 “水の騎士”サウロ・ラッフィーは、笑う。

 紅茶を沸かす時に切った指先を、ペロリと舐める。


 ああ、この味には、もう飽きてしまった。


 青い視線の先の魔物の血は、どんな味がするのか。

 それだけが今のサウロの興味。



 ずっと潜ませ続けていた狂気が、顔を出す。

 



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