悪意



 意識を集中させ、ネビは目に見えるもの全ての位置を正確に記憶する。

 跳ね飛ぶ小石。

 上空を横切る茶色の鳥。

 北風に流されていく浮雲。

 相対する白髪の少女——ノア・ヴィクトリア。

 真剣な眼差しで、短いステップワークを踏みながら、彼女は美しい剣線を刻む。


「《編集エディット巻き戻しリワインド》」


 ノアが振るう剣に全て対応したところで、ネビは固有技能ユニークスキルを発動させる。

 今ノアが見せた動きを全て巻き戻していくイメージ。

 あくまでノアの動きだけを逆再生し、自らの位置は変えない。

 

「《天啓突破バーンアウト》」


 ほぼ同じタイミングで、ノアもまた自らの固有技能を使って、ネビの能力に強制的に負荷と影響力の上昇をさせる。

 脳裏に静電気が走ったような感覚。

 毛細血管が切れたようで、鼻から自然と血が垂れる。


「ああ、ダメだな。まだ、制御しきれない」


 本来はノアの動き、位置のみを操るつもりだったが、自然と自分の身体までも巻き戻ってしまう。

 それだけではなく、先ほど飛び去っていった茶色の鳥や、流れていく雲までもが不自然に巻き戻っていく。

 能力の適応範囲が大きすぎる。

 ネビが小さく舌打ちをする。

 これで二度連続の使用。

 また冷却時間クールダウンが必要になってしまう。


「お前の方も、限界か。仕方ない」


「はぁ……はぁ……っ」


 ノアの苦空無我アニトヤも連続発動の代償か、複写が途中で途切れる。

 編集エディットが一旦発動しきったところで、ネビは前頭葉の痺れを感じながらも前に素早く踏み込む。

 

「細かく握り直す癖、無意識で行うな。コントロールしろ」


「うっ!?」


 柄を僅かに握り直す刹那の瞬間、ネビが強く刃を打ち当てる。

 カンッ、と硬質な音を立てて、軽く飛んでいくノアの漂白。

 ほとんど力の入っていない一撃にも関わらず、いとも容易く吹き飛ばされてしまった。

 

「そして、剣を失っても、牙は失うな」


「きゃっ!?」


 漂白を手放してしまったその一瞬の狼狽を見逃さず、ネビは素早く足払いをする。

 両足を引っ掛けられて、見事に転ばされたノアは後頭部を強打する。

 固有技能の連続使用と頭を打った衝撃で、一瞬意識が飛びかける。

 だがそれ以上の追撃はなく、ノアは慌てて起き上がる。


「……少し、疲れたな。さすがにそろそろ食事をとるか」


 自らの鼻から流れる血が止まらないのか、何度も手の甲で拭いながら、ネビはそこでやっと赤錆の剣先を地面に向けた。

 そしてノアが眼を覚ましてから、何度か気絶をしつつもぶっ通しで数日間続けられた鍛錬が、ここでやっとひと段落するようだった。

 





「人間というのは、どうしてこう野蛮なのじゃ? 目が覚めたと思ったらまた剣を振るって。よく飽きもせずそうずっと戦えるものじゃ」


「いやいや、アスタちゃん。どう見てもノアちゃんの方は疲れ切ってるでしょ。野蛮で頭オカシイのはネビだけだよ」


「疲労もまた一つのレベリングだ。なんとか食事をしながら自分の体力を削る方法はないか? そうすれば体力の回復と消費を同時にできる」


「ほらね。もう何言ってるかわかんないもん。ほんと黙って食べてほしい」


 すっかり日は暮れてしまい、月明かりと焚き火の炎だけが煌々と辺りを照らしている。

 渾神カイムは橙色をした根菜と白くて細いキノコをむしゃむしゃと頬張っている。

 アスタとネビはそれぞれ、鹿か何かの太腿の肉を炙ったものに齧り付いていた。

 ノアの目の前には、それぞれ炭焼きの肉と焼き野菜が置かれている。


(やばいネビ様タフすぎる絶対絶倫)


 ネビに生かされてからというもの、固有技能を使いながら手合わせを何十時間も続けたため、全身が完全に疲れ切っている。

 もはや空腹という次元すら飛び越えて、咀嚼することすら億劫だった。

 何度も気絶を繰り返しているため、これが何度目の夜かもよくわからず、時間感覚も壊れてしまっていた。


「というか、ノアちゃん大丈夫? もう目がまじゾンビだけど」


「……大丈夫」


「早く食べないと冷めるぞ、ノア」


「は、はい。いただきま……ゔぉええええ!!!」


「うわ! ノアちゃん大丈夫!?」


「なんじゃ? 生焼けだったか?」


「いや、まだ、料理に口をつける前だ。吐瀉物を見る限り、胃酸ばかり。単純に過労だろう」


「いやいや可愛い女の子の吐いたもの冷静に見てんじゃねーぞ!? ノアちゃん食べる前にちょっと横になった方がいいって!」


 いざ食事を取ろうとしたところで、ノアは急な吐き気に襲われてしまう。

 剣想と固有技能の連続使用と何十時間もぶっ通しで神経を張り詰め続けた代償で、自律神経に異常をきたしていたのだ。


(やばいネビ様に情けないところを見せちゃってる見捨てられないようにしないと)


 口の中に少し残った吐瀉物の残りを吐き捨てると、ノアは朦朧とした意識の中で料理に手を伸ばす。


「大丈夫食べれる」


「ちょっとノアちゃん!? むりしない方がいいって!」


「べつに余裕だし今のはちょっとうがいしただけ」


「うがいの仕方が汚すぎる!? ね、ね、ネビからも何か言ってよ!」


「体力的限界の中で取る食事か。その鍛錬レベリングの仕方は俺も試したことがない。やるな、ノア」


「いや感心すなー!?」


 むりやり肉に齧り付くが、血抜きの中途半端な雑味と自分の胃酸が混ざり合って最悪な味がする。

 それでもノアは軽く涙を流しながらも、むりやり喉の奥に食べ物を押し込んでいった。


「ほお? ガッツのある小娘じゃな。肉は体の資本じゃ。食え食え。私の分も譲ってやろう。ちなみにこの肉を狩ってきたのは私じゃ。感謝するといい。ついでに敬い、崇拝してもいいぞ」


「……てかずっと思ってだけどこのお子様誰?」


「誰がお子様じゃああああ!!!?? この私こそが、第七十三柱、腐神アスタ! この世界に反旗を翻す復讐の女神じゃぞ!」


「へえ」


「反応が薄すぎる! だめじゃ! やり直しじゃ!」


「へえー」


「何もかわっとらん!? やり直す気ないじゃろお主!」


 第七十三柱、腐神アスタ。

 知らない神だ。

 ノアにはなぜ七十二しかいないはずの神がもう一柱いるのかわからなかったが、あまり興味がわかなかったため聞き流すことにした。


「まあアスタちゃんのいつものそれは置いておいて、ノアちゃんってなんでここに来たの? やっぱりネビの首を狙って?」


「勝手において置くなカイム。あといつものそれって言うのもやめろ。あまりに虚しすぎるじゃろ」


 カイムの問いかけに、ノアはどう答えるか迷う。

 要塞都市ハイゼンベルトを襲った魔物の軍勢。

 それによって招集された加護持ちギフテッドたち。

 本来は世界から追放された罪人に話していい情報ではない。


(でもまあいっかもう今更だし)


 しかし、ノアはすぐに素直に話すことにする。

 もはや自分は一度死んだのと同義。

 ネビに対して隠すべきことは何一つないように思えた。


「少し前に要塞都市ハイゼンベルトが魔物の軍勢に襲われた。そいつらの対処としてノアを含む何人かの加護持ちギフテッドが集められた。ノアはその内の一人」


「魔物の軍勢!? やば! 超やばいじゃん! ね、ね、ネビ! うちらもここから逃げた方がいいんじゃない!?」


「……魔物の軍勢、か。興味深いな。本当にいるなら是非、俺の鍛錬レベリングの相手になってもらいたいところだが、妙だな」


「妙? なにがじゃ?」


「俺たちがこのハイゼングレイ山脈に来てから、それなりに時間が経っているが、そんな軍勢と称されるほどの魔物の気配を感じたことはない。むしろ、想像より魔物の数が少ないと思っていたところだ。要塞都市ハイゼンベルトはここからそう遠くはない。もし本当に軍勢がいるのなら、俺がすでに見つけていてもおかしくはないはず」


 ノアの言葉に、すでに肉を食べ終えて骨をポリポリと齧っていたネビは考え込むような表情をみせる。


(やっば真剣に考えてる時のネビ様クール過ぎどエロいな)


 剣を握っている時とはまた別物の雰囲気に、ノアはさりげなく興奮する。

 

「でも魔物の軍勢に襲われたっていうのは本当なんでしょ?」


「……連合大国ゴエティアからの勅命だし実際に街は半壊状態だった」


「情報は確かというわけか。たしかにそれは妙じゃな。消えた魔物の軍勢か。どこに行ったんじゃろうな」


「ぱっと思いつく可能性は二つだな。軍勢と称されるほどの大量の魔物が近くで移動していたら、俺が必ず気づく。ゆえに可能性の一つは、軍勢という情報だけが間違っていて、実際は高位の魔物数体によって街が襲撃されたという場合」


「してもう一つは何じゃ?」


 パキッ、と骨を砕く音。

 齧っていた肉の骨の折れた尖先を舌でなぞりながら、ネビは紅い瞳にゆらゆらと燃え続ける焚き火を映す。



「もう一つは、魔物の軍勢は存在して、たしかに街を襲ったが移動していない可能性。だな」






————






 光のない、深い闇の中。

 彼は静かに、膝をついていた。


「準備が完了致しました、メイガス様」


 泣き顔を模した仮面をつけた、表情の見えない貴族階級ハイソサエティ魔物ダークが首を垂れる。

 その先では一人の女が、暗闇の中で、三つの瞳をギョロギョロと蠢かせている。


「待ちくたびれたぞ、クセルクセス」


「オロオロオロ、申し訳ございません」


 彼——クセルクセスが顔を上げる。

 女は、嗤っていた。

 愉快そうに、赤紫の唇を歪ませている。

 腕と同じほどに長い黒い爪。

 その爪の先に、ねっとりとした魔素が糸状に絡まる。


「妾から借り受けたいと言っていたは決まったのか?」


「……差し支えなければ、爵を一つと王を一つ」


「贅沢を言う。それほどか?」


「万全を期すならば」


「よかろう。ただし、失敗は許されぬぞ?」


「オロオロオロ。必ずや」


 女の背後から、黒山羊の頭をした魔物が一歩でる。

 暗く窪んだ瞳は、何も映さない。

 言葉を発しないかつての知己を見て、クセルクセスは拍手をする。


「それでは妾は現地に向かう。依代が準備でき次第、始めろ」


「仰せのままに」


 女はそのまま優雅に闇の奥へ消えていく。

 残ったのはクセルクセスと、かつて雷爵レオニダスと呼ばれた魔物と、もう一つ大きな影だけ。



「オロオロオロ、昂りすぎて、泣いちゃった。時間だよ、レオニダス。さあ、国を一つ、堕とそうね」



 “魔女メイガス”。

 王族階級ロイヤルズと称される超然的な魔物が、進軍を始める。

 王がいれば、軍勢があり、そして指揮官がいる。


 その指揮官として、クセルクセスは軽やかに踊る。


 表情見せぬ仮面の裏で、悪意が芽吹く。


 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る