空色の後任
目が覚めると、そこには空がなかった。
“
「無事お目覚めですか。イリヤさん。元気そうでなによりです」
「……どこをどう見たら元気そうって感想になるのよ」
包帯でテーピングされた脇腹をさすりながら、イリヤが周囲を見渡すと、近くの壁に寄りかかる金髪碧眼の男がにこやかに手を振っていた。
“水の騎士”、サウロ・ラッフィー。
その男が無傷でここにいるということは、最悪のパターンは免れたらしい。
「ここは?」
「要塞都市ハイゼンベルトに仮設された宿舎です。急造にしてはよくできてますよ。ご飯も結構美味しいし」
「私はどれくらい気を失ってたの?」
「ざっと一週間くらいですかね」
「そう」
首からぶら下げた十字架を手でいじくり回すサウロは相変わらず感情の読めないポーカーフェイスだ。
イリヤは何度か手のひらを開いては閉じて、感覚を確かめる。
まだ剣を握れる状態ではないが、動けないほどではない。
彼女は身体にかかっていた毛布をゆっくりと外すと、サウロに向かって顎をしゃくった。
「少し、案内して」
要塞都市ハイゼンベルトを旅立ってから、もう三週間以上は経っていることもあり、街の復興はある程度進み始めていた。
どうやらイリヤ達が街を出てから、新たに
涼しげな風を浴びながら、イリヤはやがて見覚えのある青年が街の門壁の上であぐらをかいて座っているのを見つける。
「どうですか調子は、セルジオくん」
「……べつに、昨日と同じっすね」
記憶より、暗い声。
“
背中に負った大剣は、折れたまま。
イリヤも薄々気づいていた。
ここにいるはずの男が、一人、欠けていることに。
「イリヤさん、目、覚めたんすね。よかったっす。あんま元気そうじゃなさそうだけど」
「あんたよりはマシよ」
セルジオ・ハインツは、そこでやっと顔を振り向かせると、イリヤに疲れた笑みを見せる。
彼女の知る溌剌とした雰囲気はどこにもなく、別人のようにくたびれた気配だけを纏っている。
「
「……わかってますよ、それくらい。それに、まだ死んだと決まったわけじゃない」
“
顔のない怪物。
あの規格外の
途中から気を失ってしまったため、詳細は知らないが、どうやらあの怪物は再生能力すら持っていたという。
そんな相手に最終的にたった一人で挑んだリオンが生きている可能性はほとんどない。
理解はできても、納得はできない。
どれほど強くても、まだ若い。
イリヤはセルジオの隣りに腰を下ろすと、その茶髪の頭をわしゃわしゃと雑に撫でた。
「あんたにできることは、リオンさんを待つことじゃない。追い越すことでしょ」
「……だから、わかってるっすよ。次は、負けません」
リオンの判断が正しいかどうか、難しいところだ。
結果的に三人生き残ったからいいものの、能力的にはリオンが最大戦力。
つまり、犠牲にするならどちらかといえば三人を生かす方向ではなく、リオン一人が生き残ろうとする方が確実で戦力的にも大きかったともいえる。
それでも、リオンはセルジオを生かすことに決めた。
その意味が理解できているからこそ、セルジオは本当は今すぐにこの街を出てリオンの下に戻りたいという衝動に耐えているのだった。
「……皆さん、ここにいらっしゃいましたか。全員揃っていますね。ちょうどいい都合が良い」
すると、そんなイリヤ達にソプラノの声がかかる。
きっちりと結われた黒髪をした軍服姿の女。
温度のない視線は、イリヤ、セルジオ、サウロの三人へ順番に注がれる。
「誰?」
「初めまして、イリヤ・ブロウ。挨拶が遅れました。私はアンジェラ・ギルバート少佐。今回の要塞都市ハイゼンベルトの防衛作戦の総指揮官を任されています」
「あっそ。どうも、よろしく」
「アンジェラさんは凄いんですよ。僕は立場上、国家の軍部の人たちと接する機会が多いんですけど、これほどの若さでここまで大きな作戦の指揮官を任される人は中々いませんよ」
「軍は年中、人手不足ですので」
どうやらそのアンジェラと名乗る女は、連合大国ゴエティアの内部の人間らしい。
立場上は、イリヤたち
背の高いアンジェラは、胸ポケットから手帳を出すと、聡明さが滲む表情でその中身を確認しながら冷たく言葉を紡ぐ。
「サウロ殿とセルジオ・ハインツには事前にお伝えしていますが、連合大国ゴエティアとしては、イリヤ・ブロウ、セルジオ・ハインツ、リオン・バックホーン、ノア・ヴィクトリア、サウロ・ラッフィー殿の五名に関して、魔物の軍勢の調査及び討伐の任を解く意向でしたが、正式に決定しました。すでに後任も決まっています」
「……なんでサウロだけ敬称ついてるわけ?」
「実は僕、まあまあ偉いんですよ」
任の解除。
それはイリヤからすれば、意外なものだった。
この場に集められた加護持ちは、現時点で連合大国ゴエティア内にいる最高戦力のはずだ。
いくら敗走したとはいえ、任を解するのはあまりに危険すぎるように思えた。
「リオン・バックホーンとノア・ヴィクトリアに関しては消息不明ですが、彼らの安否確認も後任者に一任しますので、お気になさらず」
後任者に一任。
その言葉にセルジオもサウロも、特に何も口は挟まない。
サウロはわかるが、セルジオも反論をしないことに、イリヤは驚きを抱いた。
「私たちはもう用済みってわけ?」
「こちらの情報では、このハイゼングレイ山脈に、あの“堕剣”が潜んでいる可能性があるという報告も得ています。率直に申し上げて、あなた達では荷が重い」
「堕剣? 今回の件には噂の元剣聖も絡んでるってこと?」
「関連性は不明です」
そこまで話すと、アンジェラは言葉を切る。
堕剣ネビ・セルべロス。
一度加護を剥奪されたにも関わらず、いまだに世界に混乱をもたらし続ける元神下六剣。
噂では第六十一柱、渾神カイムと手を組んで、神殺しを企てているとされる大罪人だ。
「私たちで勝てなかった怪物に、魔物の軍勢、それに加えて堕剣? そんな奴らを相手にできる後任者なんて、そういないと思うけれど」
「はい。数は限られるでしょう。私が知る限り、五人しかいません。ちょうど今日、その内の一人があなた方の後任として到着する予定となっています」
「まさか」
イリヤは、ごくりと生唾を飲み込む。
一方的に任を中途半端に解除されたにも関わらず、セルジオが一切口を挟まない理由。
それはたしかに、この世界に今は、五人だけならイリヤでも思いつく。
——瞬間、何かが、視界をよぎった。
数秒遅れて吹き抜ける、渇いた風。
一瞬前まではたしかになかった、凄まじい存在感が場を満たしている。
その気配は、あの顔のない怪物以上。
「ちょうど、引き継ぎの時間のようですね」
アンジェラが、少し硬くなった口調で再び言葉を紡ぐ。
自然と、イリヤの身体が震える。
(は、初めて見る。これが、生きる伝説。人を超えた存在……!)
加護持ちはよく、天才と称される。
加護数30を超えた者はさらに、超人と呼ばれる。
気づけばそこにいたのは、そんな超人の領域から、さらに逸脱した者。
「あんたなら、あの顔のない化け物や、堕剣に勝てるんすか?」
その人は、空色の瞳をしていた。
蒼とも碧ともいえる澄んだ色は、もみあげを刈り上げたベリーショートの髪も同様。
セルジオが声をかけたその女性は、大鷲のような彫り物がされたイヤリングを揺らしながら、猛禽のように鋭い視線を返す。
「……知らない。やってみないとわからない。でも、一つだけ確かなことがある」
神下六剣。
神々が、才ある加護持ちの中でも際立った天稟を持つとして、人の世界に特別扱いを命じた六人の超越者。
その六人がいる限り、魔物が人類を滅ぼすことは決してないと言わしめた、国家と同等以上とされている個人。
「どんな
“剣姫”タナキア・リリー。
人類最速の称号を持つ、神下六剣の一人である彼女は、自らより疾い存在を誰一人として知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます