死地
堕剣が振り抜こうとした一撃が、瞬く間に戻る。
その隙を逃す手はない。
ノアは無駄のない動作で漂白を堕剣に打ち付ける。
「アハハハッ! なんだ今のはッ!? どうしてその
「なんで反応できるのなんで喜んでるの色々謎すぎ」
それでも咄嗟に赤錆が前に突き出され、それに漂白が衝突する。
宙に跳んだタイミングでノアに斬りつけられたため、踏ん張りが効かずネビは吹き飛ばされるが、上手に着地すると哄笑を響かせる。
(予想より遥かに実力が上。でもこれでいい。格上に勝てないと強くはなれない。強くなれないなら生きてる意味がない)
笑う堕剣に対して、ノアはあくまで平静を保ち続ける。
彼女は信じ切っていた。
死地の中にしか、成長はないと。
そして成長なき者に、生きている価値はないのだと。
「ノアはひとりいつもひとりひとりで戦ってひとりで勝ってひとりで生きる」
ノア・ヴィクトリアは孤児だ。
両親のいない彼女は、教えを乞う術を知らなかった。
だが、弱いままで生きていけるほど、この世界は優しくない。
だから彼女は、強くなることにした。
たったひとりで、見ることで強さを学んできた。
「強くなるためなら生きるためならノアはノアを漂白する」
堕剣ネビ・セルべロス。
その強さは噂以上のもの。
痛感する実力差。
しかし、それでもノアはまだ前に進む。
畏れる必要はあっても、怯えてはならない。
「《
「ハハッ! そうくるかッ!」
一瞬煌めく、目を灼く黄金。
ほんの数秒しか持たないが、それでも僅かな隙を生むには十分。
ノアの
ただし、同時に複写できるのは三つまで。
他の固有技能を見ると、本人意志に関係なく上書きされてしまう。
だから彼女は単独行動を好む。
自分の意思と関係なく、能力が左右される感覚が不愉快だったからだ。
「ノアはノアより強い人以外に染まりたくない」
黄金の輝きで視界は奪った。
漂白を握り直し、純白の軌跡を描く。
あと一手、ノアは待つ。
「俺にもそれが使えることを、忘れてないよな? 《
ネビが固有技能を使い、先ほど一度吹き飛ばされた時の位置まで戻る。
時空が捻れる感覚と共に、ノアもまた距離をあけられる。
「あなたは強いだからノアに完全に勝とうとするだからまたソレを使うと思った」
「……なに?」
しかし、そこで初めて、ノアは笑う。
堕剣ネビ・セルべロスは、強い。
まともに戦っても、勝ち目はない。
ネビと再生能力持ちの
いくら隙を作っても、勝算はない。
奇跡的に一太刀浴びせても、それで仕留められる可能性はゼロに近い。
だから、狙うべきは、そこではない。
元剣聖。
その肩書きは本物だ。
すでに黄金世代最強のナベル・ハウンドすら下している相手。
そして負荷の大きな
狙うべきは、そこだ。
ノアは勝ち目のない戦いは挑まない。
ただ、僅か1パーセントの可能性の死地の中で、剣を振るうだけ。
堕剣は殺すのは、堕剣自身。
「あなたはまだ最強に耐えられる? ……《
捻じ曲がった空間が、さらに歪みを増す。
ギチ、ギチ、とこの世のものとは思えない奇怪な音が響く。
宙に浮いた砂塵が不自然な軌道を描いて、地面に戻っていく。
「……がぁっ!?」
堕剣ネビが苦しそうに吐血する。
耳と目から血が流れ、身体が宙に中途半端に浮かぶ。
ゆっくりと流れていた風が逆流し、体内を流れる血すら反対方向に流れるような吐き気をノアは感じた。
(これが堕剣ネビの固有技能の正体?)
それは固有技能を発動させる際の負荷を最大以上に上げることで、能力自体の出力を大幅に強化する固有技能。
先ほどの魔物との戦いでただでさえネビはこの負荷の大きな固有技能をすでに使用している。
さらにここで堕剣ネビの頭抜けて負荷の高い固有技能に対して発動させることで、脳と体が耐えきれないほどの負荷を与えることがノアの狙いだった。
「ああ、ああ、ああ、痛い痛い痛い痛みで頭が埋め尽くされる。頭がかち割れそうだ——」
ネビの紅い目は瞳孔が開いたまま、虚空を見つめている。
負荷に耐えきれない場合、固有技能の発動は失敗し、脳と体に深刻なダメージが与えられる。
その、はずだった。
(能力が消えない? 発動に失敗してるのこれそれとも成功?)
しかし、ノアの身体は、いまだに宙に中途半端に浮いたまま、身動きが取れない。
やがて、同じようにゆらゆらと浮遊するネビの瞳が、ギョロリとノアを捉える。
「——だが、見える、見えるかもしれない。やっと掴めそうだ。この能力の真価を……あは、はは、はは、アハハハハハハハhhhhhhhhaaaaaaaaaa!!!!!!!」
両目と両耳から夥しい量の血を流しながら、絶叫する堕剣ネビは、ゆっくりと地面に足を下ろす。
顔中の穴という穴から、赤黒い血を垂れ流しながら、満面の笑みでノアへと近づいていく。
(え、なに、どういうこと。やだやだやだこないでこないで)
ノアの身体の自由はいまだに戻らない。
フワフワ、と綿毛のように流れていく体は足が空を向き頭が地面に向く。
この日初めて、ノアの脳内に混乱が満ちる。
「感謝するぞ、真摯な剣の女。俺はお前のおかげでまた一つ学びを得た。まだ鍛錬が必要だが、鍛錬の術はわかった」
ノアの喉は動かない。
手も、足も、言葉も出ない。
ただ全身を自らの血で濡らした堕剣が迫る光景を、目に焼き付けるのみ。
「レベリングだ。これはいいレベリングになった。俺はまた、強くなれた。ああ、とてもいい気分だ。心地よい。気分がいいぞ女ァッ! アハハハハハハハハハハハッッ!」
一瞬穏やかに戻った調子が、また言葉の後半で跳ね上がる。
今や、ノアには呼吸もできず、段々と視界から色が失われていくのがわかる。
意識だけが浮遊する白い世界で、狂ったように輝く赤い光だけが色を持っていた。
(ああ、終わりだ)
もう、恐怖はなかった。
あるのは、安堵だけ。
気づけばすぐ目と鼻の先に、堕剣ネビが立っている。
(生まれた時はひとり。でも死ぬときはひとりじゃない)
赤く錆びた刃が、静かに振り上げられる。
ネビがそこで笑顔を、ふっと消す。
「……ああ、終わりか」
堕剣が残念そうに、呟く。
ノアの意識は、そこで黒く染まった。
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