真摯



 要塞都市ハイゼンベルグを襲撃した魔物の軍勢を討伐せよ。

 “潔癖ホワイト”と称される黄金世代の一人である彼女に下った命令。

 加護持ちギフテッドには多くの特権があるが、それでも国家の指示を拒否する権利はない。

 ゆえに、彼女はここまでやってきた。

 しかし、そこで出会ったのは、かつて人類最強と呼ばれた元神下六剣の一人。


(魔物が一体、神が一柱、女が一人、元剣聖が一人。情報足りない)


 実際は、声をかけるまで慎重に時間をかけて、堕剣と魔物の戦いは観察していた。

 それが堕剣だとわかった上で、近づいた。


(強いのはわかった。でもそれだけじゃ退く理由にはならない)


 調子は悪くない。

 出方を伺う。

 舌の先で口の中の歯をなぞりながら、彼女——ノア・ヴィクトリアは今では堕剣と呼ばれる黒髪の男を注意深く観察していた。


「来ないのか?」


 堕剣が赤い瞳を細める。

 ノアは剣を僅かに握り直すと、つま先で地面をトントンと二度叩いた。


「なら、俺からいこう」


 堕剣が先に動く。

 直線的な動き。

 赤く錆びた剣がノアを強襲する。


(堕剣はナベルとオーレーンを下してる。格上だと思って戦うべき)


 名刀“初雪”。

 ノアが好んで使う業物の刃で堕剣の剣戟を受け止めながら、彼女はあくまで冷静に分析を進める。


「……へえ。加護持ちにしては、珍しいな」


「いきなりなんの話唐突すぎでしょ」


 小刻みなステップワークで堕剣との距離を一定に保ち、横薙ぎ横薙ぎ袈裟斬りと畳み掛けてくる堕剣の連撃を全て打ち払う。

 剣筋はそこまで複雑ではない。

 速度や質量はさすがに並ではないが、十分にまだ対処できる領域だ。

 剣の柄を微妙に握り直しながら、ノアは堕剣の僅かなテイクバックのタイミングで逆に打ち込む。


「俺の動きを予測して、対応している。いかに自分の戦い方に持っていくかを重視する加護持ちが多い中、相手に合わせる戦い方。俺と同じ環境型か」


「よくわかんないけどあなたと同じではないのはたしか」


 ノアの踏み込んだ一閃を勢いを逃すように受け止めた堕剣ネビは嬉しそうに口角を上げる。

 戦い慣れている。

 相手は元剣聖。

 格上との戦いは覚悟している。

 ノアは平静なまま辛抱強く迎撃を続ける。


「能力的にも際立った器用傾向テクニシャン筋力ストレングス耐久フィジックス敏捷アジリティに無意識的にふるやつが多い中、ここまで器用テクニックに偏ったやつはあまり記憶がないな……思い当たるのは一人くらいか?」


「ぶつぶつよく舌噛まずに喋れるね」


 聞き馴染みのない単語を使いながら、堕剣はイメージとは違い饒舌に喋る。


(なんか想像してた堕剣とは少し違う)


 噂には聞いていた、孤高であり最強。

 憧れとまでは言わないが、基本的に他人に興味を持たないノアにとって、数少ない興味を抱いた対象。

 堕ちた剣聖、ネビ・セルべロス。

 本来、ノアは勝算の低い戦いには望まない性格だったが、僅かな好奇心がここに足を踏み入れさせた。


「がっかりさせないでよ最強」


「ギアを一段、あげてきたか。全体像を考えた戦い方。悪くない」


 堕剣の剣筋は良くも悪くも野生的だ。

 直感か経験か、本能か。

 最も危険な、嫌なポイントを的確に狙って剣を振るってくる。

 パターンこそ不規則だが、狙いは読みやすい。

 どう動くかではなく、何を狙っているのか。

 そこに思考のリソースを割けば、対応が追いつく。


(ただそれでも基礎能力が高い分なかなか崩せない。本当に一度力を失ったのこの人)


 何度も細かく剣を握り直し、リズムを整えながら舞踊のような滑らかな動きで鋭い剣閃を突くが、堕剣は笑みを深めたままノアのペースにぴったりと付いてくる。

 

「じゃあ、こちらも一つ、あげるか」


「……っ!?」


 次の瞬間、堕剣の動きがブレた。

 反射と予測で、自分の首脇に剣を振り抜くと、強烈に弾き飛ばされる。

 速さと重さが、一段階、上がった。

 当然これで全力とは考えていなかったが、それでも予想より遥かに高い素養。


(ばか強い。このままじゃ置いてかれる)


 困惑はあくまで一瞬。

 すぐに冷静さを取り戻したノアは小刻みなステップワークの間隔をさらに短くし、足首の角度を微調整し続ける。


「まだまだこれからだ。どこまでついてこれる?」


 試すような口調。

 横、横、縦、縦、袈裟、縦、袈裟、横、袈裟、袈裟。

 嵐のような猛攻。

 最適化された動きでなんとか迎撃できているが、段々と思考が錆びついてくのがわかる。


(まずい。数ミリずつ、ずれてきてる)


 痺れ出す手首。

 僅かにずれだすイメージ。

 思考が、遅れ始めている。


「残念すぎる解析はここまでかもっと見ておきたかったけど」


「ああ、そういえばまだお前は、“ソレ”を出してなかったな」


 ノアの深い紫の瞳に、剣呑な光が宿る。

 剣聖と呼ばれた男の技を盗むのはここまで。

 ここから先は、学ぶものなく、潰しに行く。

 


「染まって。【漂白ひょうはく】。そしてまた染まる。その繰り返し」




———



 真摯な剣だと思った。

 ネビは白い髪を揺らす若い女を眺めながら、遠い記憶を呼び起こす。


(懐かしいな。学びの剣だ。こいつは、俺から学ぼうとしている)


 ネビの動きを注意深く観察し、それ呼応するように剣術を披露する。

 彼は、群れない。

 基本的に他人と力比べをし、共に研鑽する仲間のような存在は持たなかった。

 魔物と戦う際にも、効率よくレベリングをするために、特別な制約や指示がない限りは単独で挑む。

 他の加護持ちと衝突することも多少は経験があるが、その場合はほとんどが学びなどではなく命を賭けたやり取りだ。

 今回のように、ネビから技術を、力を盗みとろうとしてくる相手はいなかった。


「染まって。【漂白ひょうはく】。そしてまた染まる。その繰り返し」


 だから、少し、ネビは残念に思えた。

 発現された、白髪の女——ノアの剣想イデア

 先に使っていた剣をしまい、新たに彼女の手に握られたのは純白の剣。

 剣身の先から柄の先まで真っ白に染まり、鍔すらない簡素なつくり。

 ここから先は、学びではない。

 生き残るための、足掻きだ。

 ゆえに、彼は、残念に思った。


「残念だ。あとはもう、殺し合うだけか」


 真摯な、剣だ。

 ゆえに応えなければならない。

 殺す意味もないが、生かす意味もない。

 価値がない限り、不自然に手を抜くつもりはない。

 今のところ、その少女からネビが学べる点はない。

 生かす理由が、価値がないことを、彼は残念に思った。


「あなたが強いのは十分わかったけど絶対に勝てない相手に挑むほどノアは馬鹿じゃない」


「そうか」


 剣想が発現されたことによって基礎能力が向上したノアの剣筋が、さらに洗練されていく。

 絵画を描くような繊細なタッチで繰り出される、美しい剣技。

 しかし、足りない。

 今のネビに膝をつかさせるには、物足りない。

 赤錆を手繰る速度を、また二、三段階上げれば、容易に追いつける。


「やっぱり全力でも届かないか」


「そうだな」


 当初抱いていた興味の炎が勢いを弱めていく。

 もはやその感覚はネビ自身にも止められない。

 消えていく関心。

 段々と、目の前のノアが億劫で、邪魔に感じてくる。

 

 レベリングだ。


 レベリングがしたい。


 こいつと戦っていても、レベリングにならない。


 邪魔だ。


 レベリングの邪魔だ。


 レベリングがしたい。

 

 レベリングをさせろ。


 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。

 レベリング。



「……くそっ。うるさいな」


「があっ!?」


 頭痛を覚え始めたネビが、一気に加速して、痛烈にノアを斬り飛ばす。

 これまで段階的だった速度の上昇が何段階も飛ばして跳ね上がり、彼女は一瞬で置き去りにされたのだ。

 

「俺は、レベリングをしないとだめなんだ」


 背中を袈裟に切り抜かれたノアは血を流しながら、あくまで冷静な目でネビを見やる。

 乱れた呼吸を整えながらも、紫紺の光は瞳から消えないまま。

 赤錆を強く握りながら、そこでネビは僅かに頭痛が退き出すのを感じる。


「……まだ、あるのか? 俺にとって、学べるものが、お前に?」


 真摯な剣だった。

 価値がないと切り捨てるには、惜しい剣。

 だから、価値が欲しかった。

 ネビの飢えを満たすには、たった一つの可能性があればいい。



「染まれば染まるほどに、《苦空無我アニトヤ》」



 ノアの紫紺の瞳から、色が消える。

 気配が、変わった。

 明らかな変調を理解しつつも、ネビは踏み込む。

 消えかけていた、興味の火が、また灯る。

 

「本当は嫌いなのこの固有技能ユニークスキル


 ベロリと真っ赤な舌を垂らし、まっすぐとネビは駆ける。

 全力の一閃を、ここで叩き込む。

 この一撃で終わるなら、それまで。


 ——刹那感じる、時空が歪む感覚。


 自然と笑みが浮かび、涎が出る。

 彼は歓喜した。

 その一撃が、届かないことに。



「だってこの力を使うたびにノアはノアじゃなくなっていくから……《編集エディット巻き戻しリワインド》」




 

 

 


 

 

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