価値
手先の器用な渾神カイムが自作したハンモックに揺られながら、腐神アスタはあまりにも長閑すぎる日々に欠伸をしていた。
(今日も今日とて暇じゃのう)
始まりの女神ルーシーを討つ。
そのためには力を蓄える必要がある。
アスタからしてもその考えは理解でき、共感のできるものだったが、それでも退屈は隠せない。
「なにか私にできることはないかのぉ。腕がなまって仕方がないぞ」
「アスタちゃん、よくこの状況でそんなリラックスできるね……」
「そういうお主だって、気楽に工作をしておろう」
「べつにうちは気楽じゃないよ。これは一種の現実逃避。なにかしてないと自分がネビの仲間扱いされてるっていう現実に鬱になっちゃうもん」
「へえ。そうか」
「おい! 興味もてい!」
ぶらぶらと揺られるアスタの横では、カイムが木と石を組み合わせて野営用の小さな家をせっせと作っている。
そしてそんな二人から離れたところでは、黒髪の男が野犬のような俊敏さで、ひときわ大きな
「目で追うなッ! 反射はあくまで防御の手段だ! 敵を狩る時は予想しろ! 俺の動き、癖を解析して、学習して、先を読め!」
「gya、gyao!」
赤く錆びた剣を振り抜き、魔物の肌を切り裂く。
薄く入った傷はみるみるうちに再生されるが、数秒後には再び別の箇所に傷が刻まれる。
嬉々とした表情で黒髪の男——ネビはジグザグと不規則な動きを繰り返し、何度も何度も剣閃を刻み込む。
「今日もギャオちゃんいじめられてる。魔物なのに、かわいそうになってきちゃう」
「毎日毎日、飽きんのかあいつは。魔物なんてさっさと殺せばいいものを」
ギャオという呼称でカイムが呼ぶのは、彼女たちが今いるハイゼングレイ山脈で出会った再生能力持ちの魔物のことだ。
ネビはこのギャオを毎日傷が再生しきらない状態になるまで傷つけては、回復するのを待ち、回復すれば再び再生が追いつかない状態になるまで傷つけるということを繰り返していた。
それをほとんど日夜問わず繰り返すネビを見ているせいで、段々と魔物が常にすぐ傍にいる生活にも慣れてきたのだった。
「はあ、ダメだな。こんなんじゃ
「gya、gyao」
「ここらで潮時か」
「gyao!? gyao! gyao!」
ネビが小さく呟いた言葉に反応したのか、ギャオが涎を飛ばしながらブルブルと首を横に振る。
それを見たネビは何かを考え込むように手を顎にあてると、やがて閃いたように口角をあげる。
「それかたまには
「gyao?」
次の瞬間、ネビは一気に加速してギャオの目前に近づく。
反射的にギャオはその太腕を振り抜く。
対するネビは回避する様子を見せず、そのまま踏み込む。
「《
ギャオの一撃がネビに当たるその寸前、ネビは一瞬で距離をあけ、ギャオの拳も降ろされた状態に戻っている。
困惑にヨダレを垂らすギャオ。
何が起きたのか全く理解できなかった。
「でた。ネビの固有技能。なんかすごいよね、あれ」
「たわけ。あれはネビのではない。私の固有技能じゃ」
「え? そうなの?」
「普段の戦い方に比べて、無駄が多いな。やはり借り物は苦手なのかの」
遠くからネビとギャオの日課の手合わせを眺めていたカイムが、驚きと共にハンモックの上に寝転がるアスタを見つめる。
時々ネビが使用する、直前の動きを巻き戻す能力は、元々はアスタのものだという。
「今のだって、あの魔物の攻撃を避けるためだけなら、空間ごと編集する必要はないじゃろ。自分の動きだけ編集すればよい。あんな大雑把な使い方をすれば負担が大きい。連続使用が苦しくなるぞ」
「す、すごい。アスタちゃんが、なんか強キャラっぽいこと言ってる!」
「不敬がっ! 私をそんじょそこらの二流神と一緒にするなっ! 本来の力さえあれば、私一人でも世界に反旗を翻せるのじゃぞ!」
「えー、それは言い過ぎじゃない? ルーシー様以外にも、強い神、いっぱいいるよ?」
「ふんっ! 私にとって、ルーシー以外は有象無象じゃ」
「また強がっちゃって」
「ほんとにお主……いつか覚えておれ」
ジトっとした目でアスタの睨みを受けながらも、特に気にした様子もなくカイムは再びネビとギャオの方へ視線を変える。
そこではネビが自分の掌を見つめながらブツブツと独り言を口にしていた。
「……やはり制御が難しい。空間を点で捉えて、あとはその点を小さくすればいいだけのはずなんだがな……おい、お前。魔物なら、魔素のコントロールは得意だろ? 形のない力の制御はどうやってる?」
「gyao?」
「今のを見てたろ? 似たような感じで、何か特殊な力は使えないか? 参考にしたい」
「gya、gyao」
「もし、使えないなら、もうお前に生かす価値はない。今ここで、とどめをさす」
「gyao!!! gyaooo!!!!」
至極真面目な顔でネビが語りかけると、ギャオが慌てたように唾を飛ばす。
すると、これまでとは違った雰囲気で力が渦巻くのを感じる。
興味深そうに真紅の瞳を細めると、ネビはそのまま静観する。
「gyyyyyyyaaaaaaaa!!!!!!!」
耳を劈く金切り声。
ギャオはドボドボと血の混じったヨダレを垂らしながら、凄まじいエネルギーの奔流を見せる。
ブチ、ブチ、と力づくで筋繊維が千切れるような音。
ギャオの白くブヨブヨとした肌が張り詰め、やがて皮膚の内側が膨張し肉が弾け飛ぶ。
「ほお? やればできるじゃないか」
ギャオの右腕がグチャグチャと肉や骨や皮膚の破壊と再生を繰り返しながら、爆発的な速度で膨張していく。
伸びるように膨らみ続けるもはや肉塊としか呼べないソレは、凄まじい速度でネビの下へ伸びていく。
形を整えられていない迫り来る質量に対して、ネビは赤く錆びた刃を一振りをする。
「不完全ながらも、いい
自らに迫ったデコボコと形が保たれていない腕を目にも留まらぬ速さの一閃で切り落とすと、ネビは満足そうに頷く。
一方腕を切り落とされたギャオは小さく悲鳴を上げると、そのまま痛みに喘ぐように地面にうずくまる。
切り落とされた腕は、これまでと同じようにすぐに回復することはなく、切り飛ばされた断面が自然と止血される程度で止まる。
「普段より脆い。なるほどな。お前のそれも、発展途上か。それを使った後は、再生能力が著しく低下する。しかし、それもまた興味深い。なにが代償になっている? 魔素だけじゃない。他にもトリガーがあるのか?」
「gyao……」
再び自らの思考の海に沈むネビ。
ギャオは疲れ果てたように、そのまま横になると、ただただ静かに呼吸を繰り返すだけになった。
「というか、あれがアスタちゃんの固有技能なら、ネビのは?」
「……たしかに、あいつ自身の固有技能は私も見たことがない」
「ね、そうだよね。うちも知らない。まあ、知りたくもないけど」
「じゃな。あいつのことじゃ。どうせろくな能力じゃないじゃろ」
どうやら今日の手合わせはこれでひと段落したらしい、とアスタとカイムは自分たちが戦っていたわけでもないのに、どこかほっとした気分になる。
食事でも取ろうかと、ハンモックから降りようとするが、そこでアスタは鋭敏にも気配を感じる。
どうやら、まだ料理を始めるには早いらしい。
「へーお見事これナベルが負けたっていうのもあながち嘘じゃないみたいうわ思ったより面倒くさいな勝てるかな勝てなかったらやだなやっぱり帰ろうかな」
こもったような聞き取りにくい早口。
小さな歩幅で、俯きながら歩く痩せた少女。
雪のように白い髪は腰にかかるほど長く、どんよりとした瞳は深い紫紺に染まっている。
「……何か用か?」
「一応確認あなたネビ・セルべロス?」
「ああ、そうだ」
「だよね見ればわかる一目瞭然元々の獲物じゃないけどどうしよ」
独特な気配を醸し出す少女を注意深く眺めながら、ネビは意識を切り替える。
観察と解析。
それはもはやネビの癖であり、彼はもはや自らの意識とは関係なくそれを行なってしまう。
「その魔物まだ生きてるけど殺さないの?」
「殺すがまだその時じゃない」
「殺せる時に殺すべきじゃないの今なら殺せるけどやっぱり魔物の味方なの?」
ネビの返答を聞くと、少女は首を九十度曲げる。
人間を相手するのは、好きではない。
有用な
だが、すぐに判断は下さない。
まだ、解析の途中だったからだ。
「じゃあノアが殺してもいい?」
「ああ、構わない。ただし——」
自らのことをノアと呼ぶ白髪の少女が、腰から剣を抜く。
よく磨かれた業物。
飾り気のないその片刃の剣に反射するネビの表情は、どこまでも穏やかな微笑だった。
「——お前にこいつ以上の価値があるならな」
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