気まぐれ
(残念だ。これは死ぬな)
リオン・バックホーンにとって、明確に死を覚悟するのは、これで人生二度目だった。
ただでさえ耐久能力が高く、ほとんど攻撃が効かないことに加えて、稀有な再生能力すら持っている高位の魔物。
どんなに希望的に解釈しても、勝てる可能性はゼロから上がらない。
「やるか。基本的に加護持ちは長期戦に向いてないからな」
自らの
「gyao! gyao!」
「時々俺は自分でも不思議に思うんだ。なぜ俺はまだ生きてるんだろうなってな」
背後からはセルジオ達が走り去っていく足音が聞こえてくる。
それで、いい。
その方が、いい。
嵐のように振るわれる異形の怪物の拳を間一髪で避けながら、リオンはほとんどかすり傷程度しか与えられない剣舞を続ける。
「お前を見ていると思い出すよ。昔のことを」
「gyaooooo!!!!!」
中々リオンを仕留められないことに焦りだしたのか、異形の攻撃が苛烈さを増す。
リオンが思い出すのは、“魔女”と呼ばれる魔物に遭遇した時のことだった。
(あの時が死を覚悟した人生初めての瞬間。本来ならば、あの時俺は死んでいた。俺はただ、運がよかっただけだ。ずいぶんと余計に長生きをしてしまった)
鞭のようにしなりながら振り抜かれる巨木のような尾の一撃。
それをなんとか剣で受け止めるが、力負けをし吹き飛ばされる。
「がっ……!」
もう、セルジオもサウロもイリヤもいない。
先ほどのようなサポートはなく、そのままダメージが彼に蓄積される。
彼の剣想は、まだ傷もなく、その手の中にある。
ゆえに、まだ戦える。
彼の剣想である徳川は、決して折れないという特性があった。
(セルジオ・ハインツ、か。あいつはよかった。死ぬ前に、あいつみたいな加護持ちにあえてよかった。あいつは強くなる。それに、あの人に似てたしな)
過ごした時間こそそこまで長く、実際本人に向かって口を出すことこそ少なかったが、彼はその後輩のことを好いていた。
才覚はもちろん、リオンがセルジオのことを好んだのは、彼の憧れの神下六剣に似ていたから。
(“剣王”、あの人にどことなく、あいつは似てる。気まぐれだとしても、一度はあの人に救われた命だ。あの人に似た若者を救えるなら悪くない)
背中の痛みに耐えながら、再びリオンは異形の怪物に向かって駆ける。
“剣王”、アガリアレプト・ベッキー。
かつて魔女と呼ばれた魔物から自らを救った生きる伝説を思い出しながら、リオンは再び自らの
「悪いな、俺はしつこいぞ、怪物……《
「gyaaao!」
徳川から伸びていく太い黒鎖。
彼の固有技能は相手を拘束し、動きを鈍らせる。
能力の連続使用で胸が苦しくなるが、その程度では彼の思考は鈍らない。
「俺もさ、昔はなれると思ってたんだ。神下六剣。そんなものにな」
「gyyyyy!!!」
右腕を鎖で絡め取られた異形が鎖ごと力づくで腕を振り上げる。
引っ張られるようにして宙に浮かぶリオンは、ほんの少しだけ笑う。
「でも、現実は厳しい。俺はいつまで経っても憧れに追いつけず、そのうち俺より年下の加護持ちが神下六剣になった」
伸びた鎖と徳川を断ち切り、空中で浮遊した鎖の上を凄まじい速度でリオンは走り抜ける。
風を切り、上唇を舐める。
未だに折れない徳川の切先を、涎を垂れ流す異形の牙に向ける。
「だから俺は自分を褒めることにした。ただ、ここにいるだけで、十分だと。俺は生きのびているだけで、優秀なんだと」
「gya——」
大きく開いた口を思い切り横一閃に切り裂く。
迸る血。
異形が喚く。
リオンは疲れたように、視界の片隅から迫る影を捉える。
「だから、俺は、これでいいんだ」
その影の正体は、異形の尾。
血の粒が舞い散る空の下、避けきれない強烈な一撃がリオンを砕く。
「……強いってのも、楽じゃないんだろうな、きっと」
角ばった岩が大量に転がる岩土を何度も跳ね回りながら転がるリオン。
飛びそうになる意識を、徳川を強く握りしめることで保つ。
まだ、まだ、死ねない。
一秒でも、稼ぐ。
剣を地面に突き刺し、大きく吐血しながらも、再び立ち上がる。
将軍と呼ばれた男は、その最期の瞬間まで、戦士でありたかった。
「はぁ……はぁ……こいよ、怪物。まだ、まだ、遊び足りないだろ?」
「gyao……」
先ほど、やっとの思いで刻んだリオンの一撃は、もう完全に回復している。
最初に見た時と全く同じ姿のまま、異形が、一歩ずつ彼に近づいてくる。
(これで、終わりか。よくやったよ、俺は。褒めて欲しいところだ)
口の中に溜まった血を吐き捨てながら、点滅する視界を保とうと何度も瞬きを繰り返す。
骨が折れて内臓に刺さっているのか、呼吸をするたびに激痛が走る。
迫り来る死の前でも、それでも彼は立ち続ける。
全ては、未来のために。
「——gyao!?」
しかし、その大きな足でならあと数歩でリオンのところに辿りつくというところで、異形の怪物の足が止まる。
(なんだ?)
さらにそれだけではなく、むしろ後退りをするようにして、段々とリオンから離れていく。
いったい、何が起きているのか。
リオンはかろうじて残った集中力を研ぎ澄まし、異形の様子を伺う。
(こいつ、怯えてる?)
リオンは気づく。
異形は、震えていた。
怯えに、身体を僅かに振動させていることに、彼は気づく。
「帰りが遅いと思ったら、こんなところで遊んでたのか。悪い子だな。俺は魔物を拾ってこいって言ったんだ。人間じゃダメだ。
その掠れた声は、背後から聞こえた。
じゃり、じゃり、砂を踏む音。
その荒々しい気配は、最初は獣かと勘違いするほど。
「……あんたは、まさか……?」
「その剣、加護持ちか。悪いな。こいつは時々俺の鍛錬を嫌がるんだが、その時は他のかわりの魔物を用意させていてな。そのせいで迷惑をかけたらなら、謝ろう」
ボサボサの黒い髪に、爛々と輝く赤い瞳。
右手に握られた、赤く錆びた剣。
そして何より、その他の何とも比べられない異質な気配。
“堕剣”、ネビ・セルべロス。
かつて人類最強と称された、神殺しの罪を負う男。
本人に会うのは初めてだったが、一目で分かった。
その男こそが、世界から追放された元剣聖であると。
「だが、いいレベリングになっただろ? こいつ、俺に初めて会った頃はもうちょっと弱かったんだよ。再生速度も今ほどじゃない。でも何度も鍛えたら、だいぶましになった。何度切っても再生するから都合がいいだろう? 魔物もそれなりに鍛えられるらしい。まあ、こいつが強くなるたびに、俺のレベルはそれ以上に上がるせいで、差が一生埋まらないのが少し寂しいが」
「い、いったいなにを言ってるんだ……?」
堕剣ネビは一方的に喋りながら、異形の怪物の方へ近づいてく。
対する異形は大きな身体を縮こまらせて、ぷるぷると子鹿のように震え続けている。
そこに見えるのは、絶対的な主従関係。
リオンは驚愕した。
あまりの痛みで、自らの正気が失われているのかと疑ってしまうほどに。
「まだ、こいつと戦いたいか?」
「え?」
「物足りないか?」
「い、いや、もう大丈夫です……」
「そうか。じゃあ、次は俺の番だな。こいつは返してもらうぞ」
すると、堕剣ネビは意図のわからない確認を取ると一切鳴き声を発しなくなった異形の怪物を連れて、そのまま歩き去っていく。
リオンの下を去る異形は、一度だけ彼の方を振り向くと、まるで涙を流すかのように涎を数滴垂らすと、諦めたように再び前を向いてネビに追従していく。
「これは夢か? なにがなんだかわからない……」
一人取り残されたリオンは、そこでやっと剣想を消して座り込む。
全身に残る疲労感。
(とりあえず、助かった、のか?)
一つだけ確かなのは、またもや神下六剣の一人の気まぐれによって、自分が生き永らえたということだけだった。
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