隣人


 加護持ちギフテッドにとって、死は隣人だ。

 ギフテッドアカデミーの二十二期生として卒業したイリヤ・ブロウは、不健康そうな白い肌を弛ませる異形の怪物を眺めながら、どこか安堵していた。


(ああ、ついに、私の番がきたってわけね)


 イリヤに希死念慮があるわけではない。

 しかし、心の片隅で常々思っていた。

 死は、遠い未来ではない、と。

 明らかに生き物として自らより上の存在感を放つ魔物ダークを見つめながら、彼女は自らの剣想を愛おしそうに撫でる。


(私はこれ以上、上にはいけない。だから、ここらが潮時よね。葬式に来てくれそうな友人は皆すでに死んだし。思い残すことはない)


 イリヤの右太ももに刻まれた刻印タトゥーは29。

 このレベルに到達するまでに、同期を含む何人もの友人達が魔物に殺されていった。

 それでも、この数字は加護持ちにとって一つの到達点とされていた。

 加護持ちになるだけでも、普通の人間からすれば才能に恵まれた者として賞賛されるが、それでも上には上がいる。

 レベル30より上は加護持ちの中でも超人とされ、選ばれた一握りの者しか辿り着けない。


(私は29で打ち止め。それはもう、わかりきってる)


 第四十三柱、第四十二柱、第四十一柱の神々は、ある特定の期間にそれぞれの試練に続けて勝利して初めて柱の加護を三つまとめて得られるという特殊な条件がある。

 一度失敗すれば、また時間を置いてのやり直し。

 そのため、加護数レベル29は一つの到達点とされ、ここで多くの加護持ちが足踏みをすることが多かった。


(30を超えるやつは、止まることなくすぐ超えていく。私はもう、何年も止まってる。そして、成長を止めた加護持ちは、死んでいくだけ)


 主にギフテッドアカデミー三十三期生をメインとした世代が黄金世代と呼ばれるのも、すでに若くして何人か30レベルを超えた者がいることが大きな理由だった。

 

「イリヤ、セルジオのサポートにつけるか?」


「リオンさんが言うなら」


「頼む」


 黒を基調とした両刃の剣。

 葉のような紋様がついた剣想を片手に、将軍ジェネラルと称されるリオンがイリヤにそっと耳打ちをする。

 その横顔を眺めながら、イリヤは地面を強く蹴る。

 

「セルジオ! 俺が注意をひきつける! お前はその隙をつけ!」


「ガッテン承知の助! 脳天かち割ってやりますよ!」


「サウロ! お前は俺のサポートにつけ!」


「了解です。命大事にお助けします」


 先陣を切るリオンと、先ほど痛烈に吹き飛ばされたばかりなのに威勢の良いセルジオを視界に捕らえながらイリヤは冷めた心で身体を動かす。


(リオンさんには、今、この世界がどんな風に見えてるんだろう)


 この場で唯一の加護数30超え。

 イリヤが越えられなかった壁を超えた男は、冷静に指示を飛ばしながら異形の魔物に向かっていく。


(セルジオには、今、この敵がどんな風に見えてるんだろう)


 十歳以上も年下にも関わらずイリヤと同じ29の刻印を左腕に刻むセルジオは、戦意を燃やした瞳で真っ直ぐと規格外の怪物に睨みを飛ばしている。


「gyao!」


 異形が腕を大振りする。

 リオンが紙一重でそれを屈んで回避し、すかさず剣を一閃する。


「なるほど。たしかに硬いな」


「gyao?」


 しかしその一撃は分厚い肉の鎧に弾かれ、ダメージは通らない。

 イリヤは僅かに心が軽くなる。

 鬱屈とした感覚だとわかっていても、抑えることはできない。


(リオンさんですら。30の壁を超えた超人ですら、届かない相手。これ以上私に才能があったとしても、死ぬ時は、死ぬってことね)


 異形が粘性の高い涎を撒き散らしながら、棍棒のような尾を振り回す。

 剣想の腹でそれを受け止めたリオンが今度は吹き飛ばされる。


「《初級術式:軟水》」


 リオンの吹き飛ばされた先に突如出現する水塊。

 そこではサウロがいつの間に切ったのか、指先から血を僅かに流しながら笑っていた。

 ボヨン、とリオンの身体を受け止めた大きな水のクッションは、そのまま反動でバネのようにリオンを跳ね返す。


「リオンさん、再出勤です」


「……聖騎士協会ってやつは、ずいぶんブラックらしい」


 凄まじい速度で打ち出されたリオンは、片眉を少し動かすとそのまま再び剣を握り直す。

 弾丸のような勢いのまま、リオンが黒い剣閃を振り抜く。


「まず、右腕を止める」


 強烈に振り抜かれた渾身の一撃が、今度は異形の右腕を大きく弾く。

 リオンの目配せ。

 言葉なく、意図を理解する。

 瞬間、異形の懐にイリヤが踏み込んだ。

 身体が、自然と動いた。

 もう、自分はいつか死ぬ。

 自分より才能のあるリオンやセルジオも、数秒後には死んでいるかもしれない。

 それなのに、身体が動いてしまう。

 それは彼女もまた、加護持ちだからこそ。


「討ちなさい、黄金世代」


「———さっきのお返しだぜぇ!!!!!」


 異形の左腕がイリヤに向かって振るわれたその瞬間、大きな影が日の光を遮る。

 二メートル近い大剣。

 自らの身長よりも遥かに大きな剣想を構えながら跳躍するセルジオが、真っ白な歯を見せて叫ぶ。


「脳漿ぶちまけろ! 叩き壊せ! 鐡骨!」


 大きく、分厚い大剣がフルスイングで振り落とされる。

 無防備な異形な頭部を正確に狙った一撃を遮るものは、何一つない。

 剛腕の一撃は、怪物に届き得た。

 彼女がこの先も決して届かぬであろう高みに、その剛腕は手を伸ばす。



「……本当に嫌いよ、黄金世代って」

 



—————




「gyaaaaaoooooo!!!!!!!」



 頭部を思い切り切り裂かれ、血潮を吹き出す異形は、狂ったように叫ぶ。

 ノーガードで頭を棍撃されたにも関わらず、まだ戦意は失われていない。

 

(さすがに一撃じゃ終わらないか。だが、届いた)


 しかし、リオンですらまともに傷を与えられなかった相手の防御を、セルジオの剣想は貫いた。

 希望は、ある。

 リオンは息を短く吸い込むと、思考を切り替える。 

 異形の反射的に振るわれる左腕の一撃がセルジオを捉え、それを庇うようにリオンは自らの固有技能を発動させた。


「このまま押し切るぞ! セルジオ、一気に畳み掛けろ! 《鎖国御法イドソレーション》!」


「一気呵成の丸! 細切れにしてやるぜ!」


 リオンの剣想の柄から、太く黒々しい鎖が伸び、異形の左腕に絡み付く。

 ギリリ、と硬く拘束され動きを止める怪物。

 砂礫を踏み込み、再びセルジオが大剣を横凪ぎに一閃する。


「gyaaaaaooooo!!!!!」


「煮立つ! 煮立つ! 沸騰寸前だぜおい!」


 下腹部を切り裂かれ、またもや血が吹き出す。

 セルジオの攻撃のみが、異形に確実にダメージを与えている。

 これこそが彼の剣想イデアである【鐡骨】の特性。

 剣想による副作用が他者より激しい代わりに、攻撃能力のみ飛躍的に高める力。

 頭痛と耳鳴りが始まり出す中、彼は笑みを深める。

 痛みより強い快感の中で、彼は自ら才能を剥き出しにする。

 

「尾が来る! セルジオだけが俺たち突破口だ! 死守しろ! イリヤ!」


「嫌でもわかってる! 戸惑え、《幻影投影ファントムファントム》!」


 イリヤが自らの固有技能ユニークスキルを発動させると、彼女の姿が三人に分裂する。

 自らの幻影を出現させ、相手を惑わす能力。

 セルジオの前に飛び出したイリヤは、そのまま銀色の短刀型をした剣想を異形に突き立てようとする——、


「gyao!」


「——え?」


 ——が、彼女の幻影を全て無視して、正確にイリヤ本体を捕捉する異形の尾。

 ゴギィ、と骨が軋み折れる音が響き、身体が不自然にくの字に曲がり吐血。

 そして、そのまま川の方に華奢な彼女の身体が吹き飛ばされる。


「イリヤさん!?」


「怯むな! セルジオ! お前はそいつを殺すことだけ考えろ!」


 セルジオの意識が逸れかけるが、それをリオンが引き戻す。

 今は生死の境目。

 刹那の迷いが、生きるか死ぬかを左右する。

 イリヤの固有技能がなぜ効かなかったのか。

 彼女は生きているのか。

 その理由を考えている暇はない。

 最前でセルジオが剣を振り続ける。

 それ以外に構う余裕はない。


「俺も長くは持たない! ここで決めきれ!」


「……くそがあああああああ!」


 三度、振り抜く鐡骨。

 漆黒の剣閃が、異形の膝の関節を貫き、膝をつかせる。

 轟く、濁った咆哮。

 ミシミシと、脳の限界が近づく中、セルジオは自らの中に秘められた力を全て解放する。



十一トイチで借りるぜ……《山王権現ビマシッタラアスラ》」



 鐡骨を握るセルジオの腕が、変質する。

 色は黒く染まり、その腕だけがゴキュゴキュと膨張して身体に対して不釣り合いなほど肥大化する。

 筋骨隆々とした片腕からは、異形と変わらないほどの存在感が滲み出ている。

 一振りだけ許される、人地を超えた一閃。

 その全てに、自らの持てる力を注ぎ込む。


「逝け」


 ——誰の目にも止まらぬ、神速の一手。

 巨大な鐡骨を、棒切れのように軽々しく振り抜く。

 異形の怪物すら、全く反応できない渾身の一撃。



「gya…o」



 噴水のように噴き出る赤黒い血液。

 叫び声を上げる余裕すらなく、異形がグラリ、と身体を揺らして倒れこんでいく。

 下腹部から肩にかけて切り裂かれ、身体がほとんど千切れかけた状態になった怪物が倒れていく姿を見ながら、セルジオは自らの剣想が強制的に消失したのを感じ取る。


「よくやった。セルジオ」


「……そんなことより、イリヤさんは?」


「サウロが今、確認してる」


 凄まじい疲労のため、座り込むセルジオが背後を振り返れば、知らない間に川の中から救い出されたのか、ぐったりとした様子のイリヤが岸で横になっていた。

 横ではイリヤの脈を取りながら、サウロが微笑みながら指で丸をつくっている。

 ピクリともしないイリヤの様子から重症ではあるようだが、死んではいないらしい。

 そのことに、ほっと胸を撫で下ろすセルジオ。


「っしゃあ。なんとか、なったっすね。今回ばかりは若干しんどかったけど、終わりよければ全てよし」


「ああ、そうだな……?」


「どうしたんすか、リオンさん——っては?」


 もう鎖を解いたリオンがいまだに剣想を握っていることを不思議に思ったセルジオだが、彼もまた、異変に気づく。

 

 ——まだ、動いている。


 明らかな致命傷を負ったはずの異形が、ビクンッ、ビクンッ、と白いブヨブヨの肌を震わせている。

 ドロっとした、冷や汗が額に滲む。

 もう剣想を顕現させる体力はおろか、まともに動く力すら残っていない。

 それにも関わらず、その異形は再び、ゆっくりと立ち上がっていく。


「嘘だろ、そんなのありかよ……?」


「馬鹿な、傷が治っていく、だと……?」


 信じられない光景だった。

 唖然と口をあけ、言葉を失う。

 綺麗に腰から肩まで切り裂かれた傷が、グチョグチョ、とグロテスクな音を立てながら縫合されていく様を眺めながら、生まれて初めての絶望をセルジオは感じる。


「セルジオ、まだ動けるか?」


「……正直、かなりきついっす」


「だろうな。お前はサウロと逃げろ」


「え? リオンさんは?」


「足止めくらいはできる。こいつの存在を街に届けろ。全滅は最悪のパターンだ」


「で、でも」


「時間がない! いけ!」


 常識外のタフネスに、再生能力。

 下手をすれば、王と称される魔物の領域に達している気すらしてしまう。

 セルジオは、迷う。

 この怪物とリオンが一人で戦って勝てる可能性は、ゼロに近い。


「いけ、お前は俺より強くなる。こいつを殺し得る才能を、ここで殺すな」


「……わかりました」


 そんなセルジオの迷いを、リオンが切り捨てる。

 風で捲れた、腰の後ろに刻まれた刻印タトゥーの数字は35。

 セルジオがまだ超えていない壁の向こう側に立つ、気高き将軍ジェネラルはいまだ動かない異形に対して一歩踏み出す。



「来いよ、怪物。俺で遊んでいけ」


  

 

 


 

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