宣告


「なんか、思ったより楽勝っすね!」


 両刃の鉄剣が大振りされると、カエル型の魔物ダークが真っ二つに切り裂かれる。

 絶命の声もあげられず死骸となった魔物の前で、僅かに浴びた返り血を手の甲で擦りながら茶髪の青年——“剛腕クラッシュ”ことセルジオが明るい声を出す。


「……まあ、たしかに今のところザコばっかね。本当に私たちレベルの加護持ちギフテッドを呼ぶほどだったの?」


 むごたらしく内臓をこぼす魔物を嫌そうに避けながら歩く女——“幻惑ファントム”ことイリヤは小さく舌打ちをしている。

 そんな彼女の後ろを歩く背の高い男——“将軍ジェネラル”、リオンはたしかに想定よりもここまで全く苦戦をしていないことを不思議に感じていた。


(要塞都市を発ってからもうそれなり日が経っている。魔物の生息域にもだいぶ踏み込んでいるはずだが、軍勢の気配はおろか、強力な魔物すらいない。妙だな)


 今はハイゼングレイ山脈の谷底を川沿いに進んでいるところだ。

 大きな礫岩が点在する河原は広々としていて、そこまで流れは早くないが深さのある川がしずしずと中央を流れている。

 人里から離れているため、時々魔物と遭遇し戦闘にはなるが、いまだ四人の誰もかすり傷ひとつ負っていなかった。


「リオンさん、妙だと思いませんか?」


「……サウロ、なにがだ?」


 そんな順調すぎるくらいの一行の中で、リオン以外に唯一警戒を強めたままの男がいる。

 “水の騎士”と呼ばれる聖騎士協会ナイトチャーチの幹部の一人、サウロだ。

 丸い眼鏡の奥の瞳を細め、注意深く周囲を伺っている。


「僕は仕事柄、魔物の生態系を調べることが多いのですが、だいたいの場合、それぞれの生息地には“王”がいます。その生態系の頂点ともいえるような魔物ですね」


「王、か。ずいぶんと大層だな」


「まあ、そう茶化さないでください。便宜上そう呼んでるだけですから」


「話の腰を折ったな。悪い。続けてくれ」


「はい。それで、だいたい王は人の住む地域から離れたところにいて、その王の方面に近づけば近づくほど、魔物の力も数も増えます」


「そうだろうな」


「でも、このあたりは、むしろ要塞都市ハイゼンベルグを出たときより、魔物の数も質も減っているように思えます」


 リオンはサウロの言葉を否定しない。

 口にはしないが、それは彼も感じていたことだ。

 魔物の生息地にしては、静かすぎるのだ。

 まるで、無風地帯。

 嵐の目の中にいるように、不自然なまでに魔の気配がしなかった。


「それで一つ、推論をいいですか?」


「ああ、話せ」


 そしてサウロはそこからさらに一歩踏み込んで、何かしら考えがあるらしい。

 この奇妙な違和感を説明する一つの仮定の話を、金髪の聖騎士は語り出す。


「僕は先ほど王の話をしましたが、実は僕の調査によれば、さらにその“上”がいる可能性があります」


「王の上、だと?」


「はい。王は魔物を支配し、自らの領地をつくりあげますが、その上の存在、便宜的に“神”と呼ぶ魔物は違います」


「王ですら、配下か?」


「いえ、魔の神は配下をもちません。誰も神には近づかず、神は領地をつくることもしません。神が住む場所が、自然と聖地になるからですね」


 神を冠する魔物の存在。

 サウロによれば、周囲に魔物すら寄せ付けないほど圧倒的な存在感を持つ魔物がこの世界にはいるとのことだった。


「つまり、ここは神の住まう地だと?」


「もしそうならば、僕らに勝ち目はありませんよ。その領域の魔物は、人では測れない」


 広報商社RCCが魔物適正階級レベルランクというものを定めているように、ある程度まで魔物の強さは推定がなされている。

 現時点で最も危険とされる魔物は“塔王バベル”と呼ばれ、その魔物適正階級は規格外の70とされている。

 しかし、サウロが語るのはさらにその上の存在。

 もし仮に塔王バベル以上の魔物がいたら、たしかに勝ち目はおろか、生きて帰ることすら困難だろう。


「……だが、一つ矛盾があるな」


「矛盾ですか?」


「ああ、もし本当にそんな神と呼ぶべきほど魔物がいたとしても、要塞都市はハイゼンベルグを襲った魔物は軍勢とされている。配下を持たない孤高の魔物なんだろう?」


「あー、たしかに。その事前情報と一致しないか。これは一本取られましたね」


「警戒するにこしたことはないがな」


「いえいえ、すいません。つまらない話をしました」


 サウロはそこで会話を打ち切る。

 リオンが思い出すのは、かつて魔女と呼ばれていた魔物のことだ。

 あの魔物も今思えば、王を冠するような存在だったのだろう。

 

(神の領域に届いていなくても、王とされるような魔物がいたら終わりだな。せめて魔物適正階級が40くらいまでなら四人いればなんとなりそうだが……)


 リオンは改めて自らの仲間たちの様子を注視する。

 少し離れた先頭を歩くセルジオとイリヤは、自らには及ばなくともかなり強い。

 まず同年齢時点のリオンよりは上に思えた。

 特にセルジオに関していえば、黄金世代というだけあって、その抜けた若さのわりには能力が高い。

 並大抵の魔物には、負けない。

 唯一、聖騎士であるサウロだけは実力がいまだに測れないでいたが、風の噂では特定の条件下において神下六剣並みの力を発揮すると聞いている。

 その時折見せる知性の鋭さは隠しきれておらず、ただの軟派男ではないことはたしかだ。


(このまま肩透かしだといいがな)


 砂礫の広がる河原は、ゆるやかな風が通るばかり。

 水面はゆっくりと流れていて、時々小魚の影が見えるだけ。


(……ん?)

 

 しかしその穏やかな時間が、ついに途切れる。

 ふいに感じたのは、明確な違和感。


(視られている?)


 それは何かに、視られている感覚。

 本能的に感じ取ったその違和感の正体を見つけ出す前に、剛腕と呼ばれる若き天才が吠える。


「——みんなっ! なにか、くるっ!」


 最初は、小さな点に思えた。

 谷底からは何十メートルも上の崖。

 そこから何かが、落ちてくる。

 

「最っ悪。いよいよ、来たって感じ。気配バカでか」


「おっとこれは、リオンさんの推定40レベルってやつ、悪い意味で外れたかもしれませんね?」


 巨大な肉塊が、岩礫を吹き飛ばしながら降り立つ。

 匂い立つような、魔の気配。

 これまでの道なりにいた、有象無象の魔物とは格が違う。



「……gyao?」



 それは、大きな異形だった。

 獣のように太い両足で立ち、ダラダラと涎を垂らす口はグロテスクなミミズのようで、目も鼻も存在しない。

 あるのは凶悪な牙のある大口だけ。

 ブヨブヨと弛んだ皮膚は一種の鎧のようで、生半可な一撃は通りそうにない。


(強いな。かなり、強い。どうする?)


 もし、自分が一人ならば、迷わず逃げ出す。

 リオンは額に薄ら汗が滲むのがわかる。

 彼は迷っていた。

 まだ、退くという手もある。

 迷いの中で、彼は剣の柄をそっと触るが——、



「きたああああああ!!!!! おれの獲物だああああああ!!!」



 ——彼の迷いより早く、飛び出す若き天才が一人。

 鉄剣をすでに握りしめていたセルジオが、全力でその異形に向かって駆け出す。


「ちょっ!? あんたバカぁ!?」


「さすがセルジオくん。黄金世代は伊達じゃない」


 セルジオが駆ける中、まだ異形は動かない。

 醜悪な外見のわりに知性があるのか、向かう若い人間の男をじっと待ち構えている。


「おらぁあ!」


 十分な助走をもって飛んだセルジオが、異形に向かって真っ直ぐ剣を振り落とす。

 その剣速は、速い。

 並の魔物なら、これまでそうだったように真っ二つにするのに不足ない強烈な袈裟斬り。



「gyao?」


「——っては?」


 

 ガキン、としかし響くのは無惨な金属音。

 宙をきらきらと日の光を反射しながら舞う、反対に真っ二つに折れた鉄剣の先が川の中にぽちゃんと落ちる。


「こいつ、硬くね——」


「gyao」


 異形がふいに太腕を振るう。

 もろに食らったセルジオが大きく吹き飛ばされ、リオンの背後の石壁に衝突する。

 もはや、迷っている暇はない。

 決死の時間稼ぎを、始めなくてはいけない。


「統べろ、【徳川とくがわ】」


「拐かせ、【楼閣ろうかく】」


 ほぼ同時のタイミングで、リオンとイリヤがそれぞれの剣想イデアを顕現させる。

 出し惜しみできる相手ではない。

 初手から全力で、生きるために自らの持てる力を全て出し切る必要があった。



「……いいねぇ。燃えるじゃんか。激れ、【鐡骨てっこつ】」



 粉々になった礫の中から、セルジオが顔を出す。

 爛々と輝く瞳の光は、先ほどよりも強い。

 折れた鉄剣を捨て、彼もまた自らの剣想を握る。



「gyaaaaaaoooooooo!!!!!!!」



 異形が咆哮する。

 それは死の宣告か。

 何かを伝えるように強く叫ぶが、その意図は誰にも届かない。

 ただただ、その異形の規格外の力が伝わるだけだった。





 

 


 

 

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