敗北の味
理解が、追いつかなかった。
堕剣ネビ・セルべロス。
たしかに、一度加護を全て没収されたにしては、強かった。
しかし、ただそれだけ。
あくまで想像の範囲内。
勝てない相手ではなかった。
「いったい何を——」
黒い影が、動く。
ナベルは完全に見失う。
次に聞こえたのは、嬉々とした叫び。
「アハハハハハハハッ!!!! 全然見えなァイ!!!!!」
反射的に振り返れば、漆黒の一撃が痛烈にナベルへ襲いかかる。
咄嗟に出した黄昏ごと思い切り吹き飛ばされ、広間の壁に叩きつけられる。
「——がは…っ!」
速度、威力、その全てがこれまでとは比べ物にならない。
痛みに喘ぎながら、ナベルは困惑に顔を歪める。
(どうなってる? あの汚らしい剣想を消した瞬間、存在感が桁違いに上がった? あの剣想の力? それとも固有技能?)
ゆらゆらと不気味に身体を揺らすネビは、白い犬歯を覗かせながら嗤っている。
それでも、ナベルは剣を握り続ける。
(……関係ない。どんな手を使ってその力を手に入れたか知らないけれど、何かしらの代償はあるはず。
口元の血を手で拭うと、ナベルは冷静にネビを観察する。
先ほどまで顕現していた剣想は見当たらない。
それが何を意味するのか、彼女にはまだ正確には測りきれない。
「まずは基礎中の基礎だァ! 痛みに、慣れろ!」
「なっ!?」
突如四つん這いになるネビは、咆哮と共に跳ねる。
不規則なジグザグとした動きでナベルに近づき、爆発的な速度で飛びかかる。
(速い! そもそも、どうして私の位置が見えてるの!?)
金環日食を発動している間は、常に攻めるばかりで防戦一方になった経験がないため、凄まじい速度で連撃を繰り出すネビにナベルは反応しきれない。
大ぶりの攻撃が多く、精密性にかけるが、それ以上に速く、重いネビの攻撃。
完全には防ぎきれず、ナベルは歯軋りをする。
「俺の攻撃を目で追うなァ! ナベル・ハウンドォ! “
「黙れ…ッ!」
先ほどまでとは打って変わって多弁なネビは、ナベルの横薙ぎを上体を逸らすだけで回避する。
視界が奪われた状態のはずにも関わらず、あまりに身軽な動きにナベルは動揺する。
(どうなってる!? 能力が上がってるだけじゃなくて、反応が良すぎる! 何か私の姿を把握する能力を持っている? そもそも人格も変わってる気がするし……こいつ、本当に何をした?)
反撃とばかりにナベルが黄昏を振り回しても、宙返りなどあまりに軽快な動きでかわしてみせる。
それはまるで野生の獣。
赤い舌をベロリと垂れ流しながら、ネビは呟く。
「今、何を考えてる? 目の前の脅威以外に思考を割くな。もっと集中しろナベル。さもなくば……死ぬぞ?」
「があ…っ!?」
ナベルの大振りを身体を半身にして回避すると、ネビはそのまま回転させて強烈な蹴りを彼女の脇腹に叩き込む。
——ゴキィ。
ガードも間に合わず、完全に一撃が入る。
肋骨にヒビが入る感覚。
一瞬止まる呼吸。
またもやナベルは別の壁まで吹き飛ばされる。
(あ、あ、やばい。あ、あ、これは)
床に手をつき、呼吸を取り戻そうとナベルは咽せる。
頭に酸素が回らず、思考が鈍る。
これまでの人生で経験したことのない痛みに、彼女は目頭が熱くなるのを感じた。
「思考を止めるなァ! ナベル・ハウンドォ!」
しかし、黒の悪魔は彼女を待たない。
ハァハァと荒い息遣いをしながら、再びナベルの下に四つん這いで襲いかかってくる。
瞳こそ閉じられているが、ネビは迷わずナベルの下へ向かう。
「く、くそ野郎がァ!」
「アハハッ! どうだッ! 死の淵に立たされている気分はッ!?
もはや、ネビの言葉はナベルには届かない。
言葉を聞く余裕など、どこにもなかった。
(まずい。剣想の副作用も段々と出だしてきてる。このままだと、私は負ける……私が、負ける?)
ナベルにとって、これほど窮地に追い込まれた経験はかつて一度もない。
混乱と困惑。
勝てないのか。
勝てないのならば退くべきか。
そもそも、退くことは可能なのか。
痛みと動揺で錆びついた脳は、何の解決策も導き出さない。
「ああ、だめだ、だめだ。これじゃ、だめだ」
「ごぼ……ぉ…っ!」
もはや精細を失った黄金の一振り。
容易くそれを蹴りで跳ね除けたネビはナベルの顔面を掴むと、そのまま床に叩きつける。
大きな音を立て、床が砕ける。
ナベルの口の中一杯に血が広がり、鉄味に喉が詰まる。
「ナベル・ハウンド。お前に一番足りていないものを、教えてやろう」
「あ、あ、ああ」
顔面を鷲掴みにしたまま、ネビはナベルの身体を宙に浮かべる。
そして空いていた左手を構える。
「飢えが、足りてない。生きるということに対しての、飢えがな」
グチョ、と醜い音と共に突き破られるナベルの下腹部。
貫通こそしなかったが、ネビの左手首が完全に身体の中に埋まった。
瞬間、眼をくらませる光が消失し、世界に黄金以外の色が戻る。
「お前に飢えが足りていれば、死にはしない。レベリングは命懸けにかぎるからな」
ネビはナベルの下腹部から手を抜くと、そのまま掴んでいた顔面も手放す。
ごとり、と石ころのように床に落ちるナベルは手元の黄昏を掴んだまま、蒼い瞳から涙を流していた。
「……うぅ、くそ、どうして、うぐっ、うぐっ、くそ、くそ、くそ……」
浅い息を繰り返しながら、うわ言を呟くナベルは血走った涙目でネビを睨みつけるが、それ以上は何もしない。
何かに耐えるように、自らの剣想の刃を強く握り、手からも血が流れ出す。
「光が消えた。これでレベリングは終わりか。なら、行くか。街を出るぞ、アスタ、カイム」
「なんじゃ? どうなった?」
「え? は? なんか視界が戻ったと思ったら、金髪碧眼の美少女が血みどろで泣いてるんですけどこれはなにごと?」
状況を飲み込めてないアスタとカイムが眼を擦るが、ネビはそれを気に求めず、大広間から立ち去ろうとする。
「濡れろ、【赤錆】。俺たちの
身を潰すような威圧感が、消える。
勝負は決した。
今、眼を瞑れば、そこで全てが終わる。
そんな感覚の中、涙で霞む視界の先でナベルはかつて剣聖と呼ばれた男の背中を捉え続ける。
「……どうして、私を殺さない?」
絞り出した掠れ声。
ネビの足が、一瞬止まる。
「無意味だから。それだけだ」
短い返答。
振り返ることなく、再びネビは歩き出す。
赤く錆びた剣を片手に、そのまま闇の向こうに消えていく。
初めての敗北の味は、涙と血が混ざった生臭さと塩気の混ざった、不愉快に極まりないもの。
(……あれが“剣聖”ネビ・セルべロス。舐めてたのは、私の方か。クソが)
敗北の味を噛み締めながら、ナベルは静かに涙と血が流れを弱めるのを待った。
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