黄金姫



(ムカつくなあ)


 長い、長い、階段を登る。

 硬い石の床を一段、一段、上がる度に黄金姫エルドラドナベル・ハウンドの苛立ちは募っていく。

 

(どいつもこいつも、ムカつく。この私が、あんな堕ちた犬っころ一匹、殺せないと、本気で思ってるの?)


 腐神アスタ、渾神カイム、精神デカラビア。

 三人の神、全てが堕剣ネビとナベルの激突を遠回しに止めようとしていた。

 

 それが、許せない。


 彼女は、敗北を知らない。

 事実、魔物に寄生された渾神カイムさえ、彼女の障害とはなり得なかった。


(上には上がいる? こっちの台詞だっつの。でも、まあいい。あと少しでこの屈辱は終わる)


 やがて、ナベルは階段の最上階に辿り着く。

 扉に手をかけ、押し開ける。

 生ぬるい風が通り抜け、その先に、一人の男が最奥のソファに座っているのが見えた。



「……来たか、アスタ、カイム」



 ブチ、と脳内の血管が一つ切れたような気がした。

 ナベルは苛立ちのあまり、口の中を少し噛み切り、血の味が滲む。


(こいつ、この私を無視した?)


 黒で基調された大広間は、本来の荘厳さを完全に失った半壊状態になっていた。

 そんな無秩序さが目につく部屋の奥で、黒髪の男が一人、真紅の瞳を爛々と輝かせている。

 

 堕剣ネビ・セルべロス。


 かつて人類最強と称された元剣聖。

 世界を追放された大罪人。

 今や神殺しとさえ呼ばれるようになった狂犬。

 その男の視線を遮るように、ナベルは一歩前に進む。


「お久しぶりですね、堕剣」


「ん? お前はたしか……」


「私はナベル。ナベル・ハウンド。あなたを殺す加護持ちギフテッドです」


「ああ、バルバトスのところにいたな。そういえば」


 そこでやっと堕剣ネビの視線が、ナベルと合致する。

 感情の読めない、平坦な瞳。

 胸の中の激情を抑え込むことに、彼女は力を入れる。


「すまんの、ネビ。私はこの娘と誓約を結んだ。ここを出る前に、こやつと一戦交えてやってくれ」


「誓約? ああ、たしかにカイムがやたら消耗してるな。またなんかヘマをしたのか」


「ちょっ!? ヘマってなに!? 元はと言えば、ネビがうちのこと超放置するからいけないんじゃん!」


 ブチブチ、とまた血管に圧がかかる。

 まるで気の抜けた世間話のように、堕剣ネビは自らの協力者たちを会話を交わしている。


 軽んじられている。


 自らの存在をまるで気にしていないその様子に、ナベルは怒りの制御の限界すれすれまで来ていた。


「……最後の挨拶は終わりましたか? 今回は腐神の手助けはない。逃しませんよ」


「仕方ないな。気分は乗らないが、誓約なら従おう」


 そこでやっと堕剣ネビがソファから腰を上げる。

 手入れのなされていないぼさぼさの黒髪。

 薄汚れた麻のローブ。

 弱々しく光る、赤く錆びた剣。


(こんな薄汚れたクソ犬が私を見下しやがって。生首町中引き摺り回してやるよ)


 油断はない。

 出し惜しみも、しない。

 自らの剣想イデアを顕現させようと、ナベルは意識を集中しようとするが、そこで部屋の片隅のあるものが目に入った。


「オーレーン、生きてたんですね。負けてなお生き恥を晒すなんて、無様ですね」


「……」


 “大食い”オーレーン・ゲイツマン。

 共に黄金世代と称された加護持ちギフテッドが、部屋の壁に寄りかかるようにして座っている。

 全身は傷だらけで、顔面の半分は腫れて目が開けられない状態になっている。

 ナベルの煽りにも反応することなく、濁った瞳で虚空を見つめるだけ。


(私は、ああはならない。私は、強い)


 完全に生気を失った同期の姿を見て、ナベルは軽蔑した。

 結局、弱いから、ああなる。

 何が黄金世代だ。

 ナベルは知っていた。

 黄金とくべつなのは、自分だけだと。



「憂いなさい、【黄昏たそがれ】。私がそう望んでる」



 顕現する、黄金の剣想。

 力が全身に漲り、ナベルを全能感が支配する。

 もう激情を抑え込む必要は、ない。


「殺す」





「面倒だな」


 金髪碧眼の少女が、凄まじい速度で自らに向かってくるのを眺めながら、ネビは赤錆を構える。

 すでに歓楽都市マリンファンナですべきことは全てなした。

 後はもう、また次のレベリングに向かわなくてはならない。


「殺す殺す殺す」


 刃が黄金に染まった美しい剣の剣閃は中々に鋭い。

 間違いなく、今日戦った相手の中で、素の強さなら最上級だ。

 本来ならばあえて交戦するような相手ではない。

 労力のわりに、得られるものが少ない。


「クソムカつくんですよ。どうして私がこんなにあなたにクソムカつくのか、わかりますか?」


「ん? さあ、わからないな」


 流れるような動きで致命の一撃を振るってくる少女に対して、ネビは威力を逃すように赤錆をぶつける。

 それでも衝撃を逃しきれず、ネビは手に僅かな痺れを感じる。


「……わかるんですよ。あなたが私のことを全く見ていないってことが。堕剣のクソ犬の分際で、この私を見下してんのが透けて見えてんだよ!」


 可憐な相貌に似合わない咆哮。

 剣速が、増す。

 背後を、取られる。

 ネビは一度黄金の一撃を弾いた後、感覚でしゃがみ込む。

 瞬間、頭上を通り抜ける刃。

 さらなる追撃を感じ、身体を捻らせながら赤錆を胸の前に出す。


「……強いな。しいて言うなら器用テクニック敏捷アジリティあたりが高そうだが、全体的にバランスが良い。万能傾向オールラウンダー。あえて分類するなら、俺に近いか」


 赤錆で身を守った次の瞬間には凄まじい衝撃を感じ、ネビは大きく吹き飛ばされる。

 床を何度か転がりながら、受け身をとって体勢を立て直す。

 また距離を詰めて、追い討ちが来るかと身構えるが、それは来ない。

 

「クソムカつくんですよね。あなたも、あなたの周りのクソ神も。どいつもこいつも、この私を舐めてるのが。だから、証明します。今ここで。私は、あなたを殺します。あなたに、圧倒的に、勝つ」


 黄金の少女の雰囲気が、変わる。

 ネビは相手の分析を一時中断し、意識を集中させる。

 何かが、来る。

 赤錆の刃を、ネビは少し撫でた。

 

「そんなに私のことを見たくないなら、いいですよ。潰してあげます。その使い物にならない瞳を、灼き尽くす」


 エネルギーの渦巻きが風を生み、少女の服が少しはためき、臍のあたりが垣間見える。


 薄らと筋肉が見える臍の下に刻まれているのは、“33”という数字。


 神下六剣を除けば、ほんの数人しか到達していない30超えの加護数レベル

 才能と誇りを、自らの存在証明のために、彼女は力を解放させる。



「憂うには、もう遅い。《金環日食イクリプス》」



 瞬間、世界が黄金に塗りつぶされた。

 大広間を完全に照らし尽くす、驚異的な光。


「うげぇっ!? 眩しぃ!」


「またこれかっ! 何も見えんっ!」


 渾神カイムと腐神アスタの悲鳴が上がる。

 凄まじい光量に、ネビも思わず瞳閉じる。


「……なるほど、そう来たか」


 完全に視界を奪われたネビは、感覚的に金髪碧眼の少女が自らに迫ってくるのを感じて、赤錆を構える。

 

 ——腕にのしかかる、重い一撃。


 かろうじて赤錆で受けとめることができたが、先ほどまでのように力を逃すことができず、痛烈に弾き飛ばされる。


「……腐っても、元剣聖ですか。この私の世界で、一撃でも反応できたのは、あなたが初めてです。褒めてあげますよ」


 眩い光の中で、少女の冷たい声が響く。

 視界は、戻らない。

 さらなる凶撃の気配にネビは思い切り飛び退くが、完全には避けきれず、右肩のあたりを切り裂かれる。


「私の固有技能ユニークスキル、“金環日食イクリプス”は私以外の全ての視界を光で奪う。この世界で、私の前に最後まで立ち続けられた者はいません。これからあなたは一方的に嬲られるんです。でも安心してください。あなたの無様な姿は、私以外には見えない。堕剣の死は、私だけが見届けます」


 光によって、相手の視界を奪う固有技能。

 ネビは、右肩の傷を手の感触だけで確かめる。

 鈍く響く痛みと、生温い出血の手触り。


 ネビは、僅かに反省をした。


 彼は、可能性を、見過ごしていた。


「……お前、名前は?」


「死の間際になってやっと覚える気になりましたか。何度も言わせないでください。ナベル・ハウンドです。あなたの命を奪う、次の剣聖の名です」


「……ナベル、お前には謝らないといけないな」


「いまさら命乞いですか? 憂うにはもう遅いですよ」


「正直、お前との戦いは鍛錬レベリングにならないと思っていたが。それは間違いだった。俺は知らぬ間に視野が狭くなっていたみたいだ。初心を思い出したよ。なにも、レベリングは魔素や柱の加護が手に入る場面だけじゃない」


「何を言っているのかわかりませんね。絶望で気が狂いましたか」


 彼がまだ、黄金の少女——ナベルくらいの駆け出しだった頃を思い出す。

 あの頃は、ネビにとって、全てが刺激であり、鍛錬だった。

 それは神々との試練や、魔物ダークとの戦いだけではない。

 ありとあらゆる環境で、生き延びる。

 全ての経験が、彼を強くした。


「同時に感謝しよう、ナベル・ハウンド。視界が潰れた中で命のやり取りをする場面は、なかなか得られない。この成長の機会をくれたお前に、感謝する」


「……まじでごちゃごちゃさっきから何言ってんの? 人の言葉喋れよ。クソ犬」


 視力を奪われた状態で戦えるのは、それが直接見えないレベルを上げることにつながらなくとも、十分に成長の糧となる。

 

 そういえば、昔、カイムにもこんなふうに鍛錬レベリングに付き合ってもらったな。

 あれは、楽しかった。


 懐かしい思い出に、ネビは口角を上げる。

 良き記憶に、彼は赤錆を握る手の力を緩めた。


「感謝の代わりに、お前の鍛錬レベリングに付き合ってやろう」


「……もういいや。さっさと殺して黙らそ」


 眩い黄金の世界で、ネビは赤錆から手を離す。


 彼の赤錆には、ある特殊な力がある。


 それは顕現している間、見えないレベルの上昇率をあげる代わりに、基礎身体能力を制限するという能力。


 だから、普段彼は赤錆を手放すことを嫌う。


 彼の成長レベリングに、支障がきたされるからだ。



「——堕ちろ、【赤錆あかさび】」



 だが、ネビは感謝を示すために、自らの意思で赤錆を消失させる。


 目も眩む黄金の世界で、黒い獣が眼を覚ます。


 ナベルの動きが、自然と止まる。


 突如目の前から発せられる、地鳴りのようなプレッシャー。


 黄金姫は、悪魔の試練に直面する。



「さあ、ナベル・ハウンド。お前の鍛錬レベリングの時間だ」

 


 

 




 


 


 

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