不確定要素



 上唇を舐めながら、精神せいじんデカラビアは堕剣ネビ・セルべロスを注意深く観察する。

 過去に一度会った時と変わらぬ、黒髪赤目。

 ざらざらと薄汚く光る赤錆の剣。

 

 剣聖。


 かつて人類最強と呼ばれた男を目の前にして、デカラビアは気持ちが昂るのを実感していた。


(でも、まずは褒めてあげないといけないわねぇ。計らずか、狙ってかは知らないけれど、ネビはアタシの一つ目の策を打ち破っている。うふふ。いいじゃない。思い通りにならない男って、潰しがいがあるもの)


 堕剣となったネビが神狩りの中で、どうやら単独行動ではないらしいという話は知っていた。

 関係性こそ謎に包まれているが、堕剣ネビはもう一人同行者と共に動いているようだという情報は事前に得ていた。

 おそらく、その同行者こそが銀髪の少女だろう。


(いくら元剣聖とは言っても、一度ルーシー様に加護を剥奪された身。常識的に考えて、そのまま他の神に勝てるとは思えない。つまり、あのロリが今のネビの強さの鍵なのは間違いない。カイムまで付いてきたのは予想外だったけどね)


 デカラビアの予想では、あの銀髪の少女は見た目通りのただの少女ではない。

 魔物か、あるいは特別な才を持つ人の子か、それか神に連なる何者か。

 ただ正体こそわからないその不確定要素は、すでに取り除いた。

 敗北の目は、ない。


(本当は地下に閉じ込めて、不死の寄生型魔物“サルマカラン”にネビかあのロリのどちらかが取り憑かれるのが一番キモチいい展開だったけれど、いいわぁ。ちょっと予定は狂ったけど、サルマカランがカイムとかに寄生してくれれば、それはそれで面白そうだし)


 デカラビアの一つ目の策としては、不死の魔物ダークサルマカランにネビ、あるいは同行者の少女を憑依させ、身内同士の潰し合いをさせるつもりだったが、その計画は狂った。

 だが、それでも堕剣ネビを単独に切り離すという狙いは成功したため、焦りは一切なかった。


「ねぇ、ネビ、聞いていい?」


「構わない。会話は嫌いじゃないからな。得意ではないが」


「今、アタシとアナタの二人きりよね?」


「ああ」


「つまり、小細工なしのサシで勝負ってことよね?」


「そうだな」


「じゃあ、どうして、この状況でアナタはそんな顔をしてられるの?」


「問いかけが曖昧だな」


「つまり、なんでそんな、怯えのない表情をしてるのか不思議でしょうがないの」


「怯えはない。怯える理由がないからな」


「怖くないの?」


「なにがだ?」


「今からアタシにぃ……ブチブチに痛ぶられてブチ殺されることがに決まってるじぁなあアアアィ!!!!!!」


 突然の咆哮と共に、デカラビアは突進する。

 カイムを仲間にしていることから、今のネビの加護数レベルは10を少し超えた程度だろう。

 どう考えても、領域ルームなど特別な制限下のないこの状況で、自分に勝てる相手ではない。

 過信、している。

 剣聖として名声を欲しいままにした時代が長すぎたせいで、自らが堕剣したことを自覚できていない。

 

「今の堕剣ネビじゃ、アタシには届かないィ!」


 武具を使うのは、やめようと思った。

 それはネビの肉を嬲る感覚を、しっかりと自分の手で感じたいから。

 鍛え上げられた肉体をひりつかせ、デカラビアは猛然と拳を振るう。



「お前は一つ、勘違いをしている」



 しかし、レベルが約10程度の加護持ちギフテッドが到底反応できないはずの速さで振り抜かれた拳は、どうしてか空を切る。


「……は?」


 ナニカ、赤黒い閃光が迸った。

 痛みはないが、それ以外もない。

 視線の先で、見覚えのある筋骨隆々とした右腕が宙を舞っているのが見えた。


(あれ? あのなんか飛んでるの、アタシの腕じゃない?)


 荒唐無稽な考えが、頭を過ぎる。

 なぜか、自らの腕が視線の先で、サーカスの小道具のように回転しながら弧を描いているように見える。


「俺はお前より、強い。鍛え方が違うんだ。だから俺には怯える理由がない」


 小細工なしでは、遥か格下に過ぎない堕剣が迷いのない瞳で、冷たく自らを見定めている。

 その生意気な視線に腹が立ったデカラビアは、今度こそ殴りつけようと再び拳を握ろうとするが、どうしてか拳の握り方が急にわからなくなった。


「あ」


 そこでやっと、デカラビアは遅れて気づく。

 ドサリと、大袈裟な音を立てて床に落ちる肉片。

 崩れる重心。

 右半身が、異様に軽くなっている。

 電撃に似た痛みが全身を貫き、悲鳴が込み上がる。

 過信していたのは、堕剣ネビではなかった。



「怯えるべきは、お前の方だ」



 堕剣が、獰猛に嗤う。

 第六十六柱の神はやっとここで気づく。

 不確定要素は、今、目の前にいるこの黒髪の男そのものなのだと。

 




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