誓約


 寄生型の魔物

 特段魔物に対して知識量が多いわけではないが、アスタはそういった生態の魔物が存在すること自体は知っていた。

 しかし、これまで彼女が見てきた寄生型の魔物はよくて小型動物に寄生するのが精一杯で、ほとんどは昆虫や鳥類程度。

 人、さらには神に寄生する魔物など見たことがなかった。


(あの阿呆。殺す時に力を抜いたな。中途半端なことをするからこうなる)


 寄生型の魔物とはいっても、宿主が完全に死に絶えればその瞬間に魔物も死ぬ。

 基本的には宿主が弱った時点で、次の宿主を探さなくては寄生型の魔物は生きていくことができない。

 

「aguuuuuuu」


 黒い涙を流して、関節をピキピキと鳴らすカイムは、どう見ても魔物に寄生されている。

 おそらく、寄生されていた人間の少女を手にかけた際、ほとんど無意識のうちに情が入り、少女を完全に殺しきれておらず、魔物が寄生先を変える隙を与えてしまったのだろう。


(さてと、こうなったら厄介じゃぞ。寄生先の宿主を殺すことなく、魔物を殺す、あるいは引き剥がす方法。果たして、そんなものあるのか?)


 元々、魔物との戦闘経験が豊富なわけでもない。

 アスタは悩む。

 もちろん可能であれば、カイムのことは助ける心づもりだったが、その手段を彼女は知らない。


「aaaago」


 一度、身体をしならせるように前傾させると、カイムが跳んだ。

 弾丸のように突進してくるその速度は凄まじく、アスタは完全に反応が遅れる。


(速い!)


 両腕をクロスさせ、カイムの蹴撃を手で受ける。

 凄まじい負荷が体にかかり、アスタは強烈に弾き飛ばされた。


「がはっ!?」


 反対側の牢に背中を痛烈に打ちつけ、一瞬呼吸が止まる。

 地面に膝をつき、アスタは驚きの目で自らを蹴り飛ばしたカイムを見やる。


(なんだ今の速度と威力は? あの阿呆、これほど強かったのか? それともあの魔物の能力か何かか?)


 思い返してみれば、人間の少女に寄生していた時も、痩せ細った身体で無理やり牢をこじ開けていた。

 魔物の能力によって、本来以上の力が発揮されている可能性は十分にあった。


「agagaagagagagagagagag」


 歯をカチカチと鳴らしながら、再びカイムがアスタに向かって猛突してくる。

 腰をかがめ、身を捩り、カイムの猛攻をかいくぐりながら、アスタは舌打ちする。

 

(こいつ、動きがいい。おそらく魔物は力のブレーキを外しているだけで、本来のポテンシャルが高いのじゃな。味方の時は大して役に立たんくせに、敵になったら厄介になりよってからに!)


 流れるようなカイムの演舞は、どこか踊りに似ていて、独特なリズムを形成している。

 アスタの反応速度を持ってしても、動きに完全についていくことができず、やがて追い付かれる。


「ぐっ!」


「aha」


 鳩尾にカイムの肘が撃ち込まれ、アスタは痛みに喘ぐ。

 怯んだ隙を見逃さず、カイムは宙返りをしながら今度は顎先を蹴り飛ばし、少し浮いたアスタに大して空中で回し蹴りを叩き込んだ。


「かっ……はっ…!」


 連撃を受け、地面を転がりアスタは土埃を被る。

 乱れた息を整えながら、口の中に青臭い血の香りが広がっていくのを感じ取った。


(まずいな。手加減なんてしてたら、私の方がやられる。カイムを救う方法を考える前に、まずは自分の心配をするべきかもしれんぞ)


 このままでは嬲り殺しにされてしまう。

 そんな危機感を覚えるほどに、カイムの実力が高い。

 ある程度攻撃を捌いきながら、この状況を脱する方法を考えるつもりだったが、アスタは作戦を変えることにする。


(手足の二、三は折ってでも、止めんと話にならん。悪いな、カイム。恨むなよ)


 知らぬ間に流れていた口元の血を、手の甲で拭うと、アスタは思考を切り替える。

 ここからは、攻める。

 防戦一方では勝負にならない。

 アスタは足に力を込め、駆け出す。

 一旦相手が仲間のカイムであることは忘れ、生き残るためだけに拳を振るう。


(目的を見誤ってはならぬ。私の目標はあの女。こんなところで躓くわけにはいかんのじゃ)


 元々、アスタの戦闘傾向ハンティングスタイルは攻め。

 小柄な身体を生かした機動力で先手を取り続け、一気に攻め立てるのが得意な戦い方だった。


「まずは肩でも、外させてもらう」


「aga?」


 カイムの目前まで一気に距離を詰めた瞬間、一気に姿勢を低くし、股の下を潜り抜け背後を取る。

 完全に虚をつかれた様子のカイムは、まだアスタに追いつけていない。

 拳の形を整え、掌底をガラ空きの右肩に叩きつけようとする。


「——なっ?」


 しかし、その刹那、見えない鎖に全身を縛られたかのようにアスタの動きが止まる。

 全身が麻痺したかのような硬直。

 目の前に、見えない壁が張られた感覚。

 その縛りを、アスタは知っていた。


「まさか、“七十二の誓約サンクチュアリティ”か!?」


 七十二の誓約。

 神と神の衝突を防ぐために設けられたこの世界の規則ルール

 アスタがカイムに拳を振るおうとしたことで、その絶対の不干渉が適用されたようだ。


「ふざけろ……っ!」


 動きが完全に止まったアスタに対して、振り向きざまにカイムが再び蹴りを見舞う。

 見事に無防備に棒立ちしていたアスタはその蹴りをもろに腹部に受け、脳天が揺れるほどの痛みを受けた。


(おいおい、これは本格的にまずいぞ……ただでさえ受けに回れば分が悪いのに、こちらからの攻撃は不可能じゃと? ならなんであやつの攻撃は私に通るのじゃ! 意思の問題か? 無意識で攻撃しているから、あやつの方は七十二の誓約に触れないということか?)


 地面に片膝をついて、蹴られた腹部を抑えるアスタはあまりに不利な状況に歯軋りをした。

 絶望的な状況。

 反撃は不可で、迎撃の姿勢を不用意にとれば体が固まる。

 勝ち目はないに等しく、生き残ることすら厳しい条件だった。


(どうする? 逃げるか? だが、逃げ切った場合、確実にカイムは……)


 黒い血を流し続けるカイムは、アスタの方からの攻撃は一度も受けていないにも関わらず、気づけば口端から血を垂らしている。

 神にとって、魔は毒と同じ。

 おそらく、寄生されているだけで、カイムの体にも負担がかかり続けている。

 全力で逃走したとしたら、それはカイムを見捨てる事とほぼイコール。

 しかも寄生型の魔物を逃すことにもつながり、いつか自分の身に襲いかかってくる可能性も捨てきれない。


(万事休す、か。詰みかけておる。どう責任を取るつもりじゃ、ネビのやつ)


 何か、策はないか考えてみるが、痛みもあり名案は浮かばない。

 こんな時に、ネビがいればアスタの思いつかないような一手で状況を切り抜けてみせる気がしたが、頼みの赤錆の剣は今は視界の中にはいない。


「……私を救え、ネビ・セルべロス」


 思わず漏れた独り言。

 その言葉に、返事をする者はいない——、



「あれぇ、こんなところに神が一人と、自称神が一人。お取り込み中ですかぁ?」



 ——返事の代わりに、独善的な声が響く。

 眩しく輝く、黄金の光。

 唐突に煌めいた光に、アスタは目を細める。


「どうも、お久しぶりですね、七十三番目の神さん?」


「お主は……?」


 始まりの女神に似た、金髪碧眼の美貌。

 傲慢であり、同時に高貴さを感じさせる雰囲気。

 その若き加護持ちの顔を、アスタは知っていた。


「私、賢いので、見ただけでだいたい状況はわかりましたぁ……あのハゲ。人類裏切ってるし、堕犬はいねぇし。ムカつくなぁ」


「agoaa」


 黄金姫エルドラドナベル・ハウンド。

 口から血の塊を地面に吐き捨てるカイムを、冷めた双眸で見下ろしながら、敗北を知らない彼女は嗤う。


「一つ、私と誓約を結びませんか?」


「誓約、じゃと?」


「私が貴女を救う代わりに、ネビの首をください。命には命を。公平でしょう?」


 神にとって、誓約という言葉は強い意味を持つ。

 それはある意味で、自らが本物の神かも確かめようとしているのだろう。

 賢い。

 アスタは認める。

 目の前に立つ第一柱に似た人間の少女もまた、ネビと同じように人を逸した存在なのだと。


「いいだろう、その誓約、腐神アスタの名の下に受けよう。を救ってみせれば、ネビの首をお前の目の前に差し出そう」


「……ふふっ。悪くない、返事です。二つ返事じゃ、退屈だもの」


 魔物も、神も、その少女にとっては力の糧となる踏み台にしか過ぎない。

 もっと高みにたどり着くために、彼女は前に足を止めない。

 太陽より眩い黄金を手に入れるまで、彼女は剣を研ぎ続ける。



「いいですよ。憂いなさい、【黄昏】。私がそう望んでる」



 彼女の望みは、今はたった一つ。


 堕剣ネビを討つ。



 そのためには、神の一人や二人、切り伏せても構わないと思っていた。

 


  


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