賭博の神
歓楽都市マリンファンナには東西南北に別れて、四つのカジノが存在する。
その四大カジノの一つ、東のディーゼルのカジノマスターであるミスターハイドはフロアモニターを眺めながら紫紺のカクテルを揺らしていた。
鋭い視線の先に映っているのは、フードを深く被った一人の男がポインティングダーツと呼ばれるゲームをプレイする姿だ。
艶やかに撫で付けた自らのオールバックを指でなぞりながら、彼は上唇を舐める。
「ゲットラッキー。今日の俺は、最高にツイテル。まさか、俺が当たりを引くとはな」
監視カメラの角度からはよく顔が確認できないが、ミスターハイドは確信していた。
今ここに映っているのが、件の大罪人、堕剣ネビ・セルべロスだと。
(精神様の言う通りだ。本当にこの街にきた。神狩りをしている噂は真実だったのか)
始まりの女神ルーシーによって、世界中から指名手配扱いをされているネビ・セルべロスが初神バルバトスを手始めに、七十二柱の神々達を襲いまわっているという話は今や有名だ。
そしてその内、ミスターハイドの主人である精神の下にも堕剣ネビがやってくるであろうことは予想されていた。
(本来なら、こいつを見つけた段階で、
精神からは堕剣ネビを見つけた際に、自らに知らせろとしか指示はない。
ゆえにミスターハイドが現時点で行うべきは、彼の主人に堕剣の出現を知らせることだけ。
(……でも、もう一つの噂も、確かめたいよなぁ?)
しかし、ミスターハイドはまだ堕剣の知らせを精神に送ってはいない。
それは、彼の好奇心が渦巻いていたからだ。
かつて、この歓楽都市マリンファンナで四大カジノ全てで最高損失が塗り替えられた一週間があったという。
あまりの醜態に精神は激怒し、その一週間で当時の四大カジノマスター全員が処罰を受け、街から追放されたという話は今でも語り継がれている。
(そして、その一週間の最後の日に、当時はまだ無名だった一人のギフテッドが六十六柱の加護を受け取った、と聞いてる)
歓楽都市マリンファンナのルールに従い、賭博だけを行い、精神から加護を持ち去った男。
その男はのちに剣聖と呼ばれ、人類最強と称されたという。
(この街では、運命は操作されている。それにも関わらず、自らで運命を切り拓いた男、“剣聖ネビ・セルべロス”。そのタネを知るこれ以上のチャンスはない)
ある意味、これも一種の賭けではあった。
本来なら、ミスターハイドが自分自身で堕剣ネビと接触する理由はない。
だが、彼もある意味で
湧き上がる好奇心を、どうやっても押さえ切ることができない。
(勝負だ、ネビ・セルべロス。俺と、賭けをしよう)
グラスを残り半分ほど残していたカクテルを一気に喉に流し込むと、ミスターハイドは席を立ちを首をポキポキと鳴らす。
彼は、敗北を知らない。
なぜなら、このカジノにおいては、すべての運命は彼の掌の中に収まっているから。
「ゲットラッキー。人類最強の幸運ってやつを、俺に奪わせてもらう」
————
「終わった。うち、完全に終わった……」
有金すべてをはたいたチップがスロットに吸い込まれ、そして二度と帰ってこない様子を見て、渾神カイムは自らの顔を覆った。
「……イカサマ! こんなのイカサマだ! なんでこんなに当たらないわけ!? 絶対おかしいもん!」
ぷりぷりとトレードマークの頭頂部の紅い二枚羽根を揺らすが、彼女のことを慰めるものはいない。
怒りと絶望に目を真っ赤に充血させたカイムは、そこで深いため息をつくとよろよろと席をたった。
「はぁ。まあいいや。ネビのとこいこ」
ほとんど所持金を空っぽにしつつも、どこかネビを頼りにしているカイムは気持ちを切り替えてダーツコーナーを探す。
ふかふかの絨毯を歩いていると、やけに人だかりのできている一角が目に入った。
「あれ? あのめっちゃ盛り上がってるところにいるの、ネビじゃない?」
どう見ても不審なフードを被った痩身の男。
歓楽都市ではどちらかといえば怪しい風貌ではない人物の方が珍しいため、これまで注目を浴びることはなかったが、今はどう考えても大衆の視線の先にネビの姿があった。
「なにしてんの? あいつ?」
ネビが白と黒と赤で彩られた的に向かって、小さな矢のようなものを淡々と投げ続けていて、その度に観衆が沸く。
いったい何がどういった状態なのかわからないカイムは、そっとその群衆に近づくと、まずはアスタを探した。
「……おいおい、あいつ、なにもんだ? やべぇだろ。何回連続で成功してんだよ……」
「……あれ、絶対賭博の神だぜ。つか、そもそも、どっかで見たことあるような……」
人混みの中にカイムが混ざっても、彼女自身に注目は集まらない。
それなりに目立つ外見をしている彼女すら有象無象になってしまうほど、圧倒的な輝きをネビは放っているらしい。
「お、カイムではないか。やっときたか。あいつ、すごいぞ。加護持ちなんかやめて、このダーツとかいうゲームで生きていった方がいいんじゃないか?」
「アスタちゃん! やっと見つけた!」
そこでやっと銀髪の小柄な少女アスタをカイムは見つけ出す。
アスタにしては珍しく素直に感心しているようで、偉そうに腕組みをしながら彼女は唸っていた。
「で、これ今どういう状況?」
「見ての通りじゃ。このポインティングダーツとかいうゲームは、先にお金をかけて、指示された通りの場所にあの矢をさせればそれが倍になる。失敗したら、賭けた分のお金をさらに払わなくてはいけない。そんなルールなのじゃが、あいつはそれをひたすらに成功させ続けとる」
パシュ、パシュ、パシュ、と小気味の良い音が聞こえてくる。
次いで再び湧き起こる歓声。
それを一切気にも留めていないのか、支払われるチップをそのまま全て近くにいるダーツの担当店員に渡し、再び指定の位置に立った。
大量の紺色のチップを受け取った店員はわなわなと震えていて、手に持ったチップがぶつかり合い奇妙な音を立てていた。
「お、お客様、こ、これすべてをお賭けになるのですか? もし、失敗した場合、これの倍を支払っていただくことにになりますが——」
「賭ける。ゲームスタートだ」
的の上に、いくつかの数字が表示される。
それを見た瞬間、何の迷いもなくネビは矢を投げる。
パシュ、パシュ、パシュ。
先ほどと全く同じテンポで、的に刺さる矢。
電光掲示板に表示されるポイントは、最初に指示されたものと全く同じ。
「やばすぎでしょ」
すぐに状況を理解したカイムは、呆れて口を大きく開けた。
先ほどよりも大きな歓声がまた上がる。
おそらく、ネビはこれをひたすらに繰り返しているのだろう。
「お客様、ここで私と、一つ、勝負をしてみませんか?」
ふいに、誰かが、ネビに声をかけた。
先ほどと同じように、再びゲームを始めようとしていたネビが、動きを止める。
そこに立っていたのは、目に痛い紫のスーツを着込んだオールバックの男。
不敵な笑みを浮かべて、右手中指の指輪をとんとんと叩いている。
「……おいおいあれって、カジノマスターか……?」
「……裏方だよな? なんでこんなところに……?」
群衆たちの騒めきの種類がまた異なるものに変化していく。
ネビはフードの奥から真っ赤な瞳を睨ませ、突如現れた男の方に向き直す。
「勝負?」
「はい。勝負です。勝った方が、十倍、でどうです?」
「ルールは?」
「シンプルにいきましょう。勝負は一投ずつ。得点の高い方が、勝ちです」
「同点の場合は?」
「むろん、再戦。どちらかが勝つまで」
そう言いながら、スーツの男は紫色のチップを十枚出す。
瞬間、観客たちの方から悲鳴に似た声が上がる。
「……お、おい、あれ、紫色のチップだぞ……」
「……まじかよ。紺より十倍の価値がある上のチップがあるってのは、都市伝説じゃなかったのか。しかもそれが十枚で、掛け率が十倍? やべぇって。もう俺、計算できないぜ……」
勝てば十倍。
負けても十倍。
それぞれ、もらうか支払うか。
しかし、今や、その単位はもはや一個人に取り扱えるレベルではなくなってきているように思えた。
「勝負、しますか?」
正直、分が悪い気がしていた。
カイムですら感じ取れる、この薄気味の悪さ。
唐突に現れた信じられない金額を賭ける男は、カジノの運営者側の人間。
どんな手を使ってくるか、想像もできない。
公平な勝負だとは、まったく思えない。
この勝負に乗るメリットが、ネビにはあるとは思えなかった。
「いいだろう。勝負だ」
「……っては?」
しかし、カイムの想像はいとも簡単に裏切られ、ネビはあっさりと了承する。
(あいつ、やっぱり馬鹿なの? なんで乗るの? もしかしてあいつただのギャンブルジャンキー?)
唖然として言葉を失うカイムの横で、なぜかアスタは笑みを深めている。
周囲を取り囲む観衆達もさすがにこの怪しすぎる勝負に不安を隠せないのか、色めき立っている中、アスタだけは自信満々に頷いていた。
「さすが我が剣ネビじゃな。あいつは、迷わない。勝利を、常に確信しておる」
「いやいや、アスタちゃん。あいつちょー胡散臭いよ? 絶対なんか仕込んでるでしょ」
「奴がどんな手を使おうと、関係はない。ネビが勝負をするといった。つまりは、勝つということじゃ。あいつは、負ける勝負はしない」
どうして、アスタはここまでネビのことを信頼しているのだろう、とカイムは不思議に思う。
話を聞く限りでは、まだ出会ってそこまで時間は経っていないらしい。
しかも、始まりの女神に世界から追放されたならず者だ。
それでも、アスタは真っ直ぐにネビを見つめ続けている。
少しだけ、カイムはその瞳が、眩しく思えた。
「さすがですね。では勝負を始めましょう。順番はどうします?」
「先を譲る。その後が続けば、順番を入れ替えよう」
「承知いたしました。では、私から」
そしてついに、
数秒の集中をおいて、矢を三度、ゆっくりと投げる。
スーツの男は、表示されたスコアを見ると、大げさに肩を上げた。
「おっと、これはついてるなぁ?」
スコアは66。
場の空気が、神妙に静まる。
耳を澄ますと、うわ……満点じゃん……、といった誰かの言葉が聞こえた。
「え、やば。もう、負け確ってこと?」
どうやら状況を見る限り、いきなり相手は満点の得点を叩き出したようだ。
一瞬で勝利の可能性がなくなった事実に、自らはゲームに参加していないのにカイムは血が引いていくようだった。
「次は俺の番だな」
「え」
だが、特に相手の得点を気にすることなく、ネビはノータイムで矢を一気に三度放つ。
パシュ、パシュ、パシュ。
それは、これまで全く同じテンポで、まるで動揺は見られない。
迷いなく放たれた矢。
表示されるスコアは66。
紫色のスーツを着た男が、わずかに眉を潜める。
対するネビは、あくまで静かに赤の瞳を爛々と焚き続けるだけ。
「さあ、勝負を続けよう」
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